無人島のふたり
青年は、水辺近く、熱帯の若木に背をもたせかけて座り、静かに書を読んでいた。
常は腰に佩く長剣は、邪魔にならぬよう、必要とあらばすぐに手に取れるように、脇の地面に置かれている。尻に敷くものはなく下衣はそのまま地についているが、砂地はよく乾いており不快感はない。陽はだいぶ傾いてきており、頭上の葉は既に日傘としての役割を果たしていない。読書の邪魔にならない程度のそよ風は、あたたかくやや湿り気を帯び、頬に気持良い。
そう感じていたところに、やや強い風が吹き抜け、木々の梢がざわめいた。
「ん」
青年の傍らから、微かな声が上がる。
砂地に敷いた男の真紅のマントの上に広がる、美しい蜂蜜色の髪。その持ち主である少女は、かすかに身じろぎした後、ゆっくりとまぶたを開いた。瞬くまぶたから、薄碧色の瞳がのぞく。やがて少女は地面に手をつき、上半身を起こした。
「……ふぁ」
組んだ両手を頭上に、背伸びをしながら欠伸をひとつ。肩にかかった髪がはらりと落ちる。
「姫様、お行儀が」
「ん」
咎める言葉に頷きで答えつつ、少女は寝ぼけ眼をごしごしとこすった。
*
「どれくらい寝てた?」
「一刻ほどでしょうか」
ふるふると首を振って頬にかかった髪を払いながら問う少女に、端的に答える。いまだ眠たげな眼できょろきょろとあたりを見回す少女の腹のあたりから
ぐう
と、可愛い音が響いた。
「お腹すいた」
頓着する様子もなく口にする少女。それでも、声が微妙に恥じらいを含んでいるのが分かるのは、それなりの付き合いがあればこそ。少女は敷き布の上に置かれていたバスケットに気付くと、取り寄せて膝の上に載せて中を覗む。すぐに、普段はあまり感情が乗らない声に、珍しく憤りの色を含んだ声が上がった。
「……全部食べちゃった?」
「ええ。姫様が、お昼寝の前に」
無情に犯人を告げる少年の声に、む、と口を尖らせる少女。諦め悪げにバスケットの奥をもう一度覗きこんだ後、放り出して立ち上がる。少年の側に歩み寄り、そのまま隣に腰を掛けた。少女の肩が腕に触れ、少年が居心地悪そうに座る位置を微調整するが、少女はそれを追うように動いて密着する。諦めたようにため息をつきつつ、少女の体に当たらないように、革帯に下げた短刀の鞘の位置をずらす少年。相手のやや迷惑そうな様子を気にする素振りも見せず、少女は話しかける。
「二人っきり」
「……そうですね」
いまだ書物から顔を上げることもなく静かに答える声。少女は頭を少年の肩にもたれかけさせ、続ける。
「二人だけの国」
「……王族は姫様一人、家来は騎士見習い一人。寂しい国ですね」
むぅ、と気分を害したように頬を膨らませる少女。しかしやがて、ぽんと手を打ち、思いついたことを口にする。
「二人でたくさん子供を作れば、寂しくない!」
「ぶっ」
思わず吹き出す少年。一方の少女と言えば、名案への答えが書物の頁いっぱいに飛ばされた唾とあっては面白くない。顔をしかめて文句を言う。
「なによ」
「いえ……お許し下さい」
幼い少女の無邪気な戯言ではあるが、そこに少女なりの思いが込められていることに気付かない少年ではない。そしてまた、二人の間に立ちはだかる身分差について、幼いなりに理解していることも。
だからこそ、今この時だけは。
少年は読みかけの書物を閉じると、少女の正面に回って膝を付き、その手を取った。美しい薄碧色の瞳を見つめながら、ゆっくりと語りかける。
「そうですね。もし姫さまと私で無人島に流れ着くようなことがあったら、二人で国を興しましょう」
「……分かった」
あまりに非現実的な言葉に、しかし、少女は満足気に頷いた。
他愛のない無邪気な睦言を交わしていたのは、どれほどの時間であったろうか。いつの間にか日は傾き、二人が身を寄せていた木の影も長く伸びつつある。一陣の涼しい風が吹き抜け、少女はぷるると小さく身を震わせる。折しも、屋敷の中から、侍女が少女を呼ぶ声が聞こえた。
「戻りましょうか」
「うん」
立ち上がる少年の手を、少女は離さない。どうかしましたか、と首を傾げてみせる少年に、少女は言う。
「だっこ」
「……姫様、おいくつになられましたか?」
「むっつ。……あとひと月は」
やれやれと嘆息しつつ、膝をついて両手を広げて迎えると、少女は抱きつくように少年の首に手を回す。転がっていたバスケットを拾い上げ、読んでいた本を小脇にはさみつつ、少女の背と尻に腕を回して抱き上げる。間違っても取り落とす事の無いように小さな体をしっかりと抱いて、少年は庭池にぽつりぽつりと並べられた飛び石を慎重に渡る。
足元に集中していたところ、頬にやわらかな感触を感じ、一瞬足を止める。
「姫様!」
「ふふ」
庭園の中央、噴水池の中島での二人のピクニックは、こうしてお開きになった。
*
「どれくらい寝てた?」
「一刻ほどでしょうか」
少女の問いに、簡潔に答える。いまだ眠たげな眼できょろきょろとあたりを見回す少女。その動きにつられ、腰まである豊かな蜂蜜色の金髪がふわりと揺れる。と、その腹のあたりから、ぐう、と可愛い音が響く。
「お腹すいた」
「お休みの間に、魚を釣りました。後で焼いて食べましょう」
「うん」
少女の両親、先王と后が病没したのは、少女が十歳を迎えた年のことであった。
その後、国を継いだ弟王は無能で気位ばかり高く、浪費と戦争に明け暮れ、急速に王室からの民心の離反を招いた。
民衆が擁した騎士団の謀反によって王制が覆されたのは、治世五年目のこと。愚王は民衆の前で首を落とされ、先王の忘れ形見であった王女は、無人の孤島へと流されることとなった。
王制打倒の主勢力であった騎士団の中、最後まで王女に仕え続けた騎士一人のみを伴って。
残照の中、今しばらくの間と、書の頁を繰る青年。少女はその側に歩み寄り、隣に腰を掛ける。二人の素肌を晒した腕が触れ、青年はわずかに身じろぎする。
「二人っきり」
「……そうですね」
夕日に照らされた横顔が、静かに答える。少女が頭を青年の肩にもたれかけさせると、青年は、無言のまま少女の肩に手を回し、そっと抱き寄せた。
夕日が水平線に沈むのを二人で見届けた後、青年はゆっくりと立ち上がる。
「戻りましょうか」
「うん」
少女が立ち上がるのに手を貸そうとするが、当の相手は座ったまま青年に両手を差し伸べるだけで、立ち上がる素振りを見せない。尋ねるように首を傾げてみせる青年に、少女は言う。
「だっこ!」
「……姫様、おいくつになられましたか?」
「十六。……来月で」
やれやれと嘆息しつつ、膝をついて両手を広げて迎えると、少女は抱きつくように青年の首に手を回す。読んでいた本はその場に投げ出しておき、青年は少女の背と膝裏に腕を回して抱き上げた。数日前にようやく屋根のかかった丸太小屋に向かって、砂に足を取られないように慎重に歩を進める。
足元に集中していたところ、きらめく薄碧色の瞳が、不意に近づいて……。
「姫様!」
「ふふふ」
そこは無人島。
今はまだ、二人だけの国。
まさかのハーレクイン……orz
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