ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第24章
 ローラがローズ邸へ帰ってみると、庭には雑草が我がもの顔で丈高く生い茂り、牧草地を囲む塀なども、あちこち壊れていたりペンキが剥げているところなどが目立った。だがマーシーの管理不行き届きを叱責することはできない――今年は植えつけを開始するのも天候の関係で遅くならざるをえなかった上、気温の上がらない長雨の日が続いたこともあって、農作物はどれも成育が不良であった。さらに追い打ちをかけるというよりも、これで最後のとどめとばかり、嵐と雹が収穫前の時期を狙いすましたかの如く襲ってきたのだ。
(それでもまだうちは収穫の分け前に少しでも与れた分だけ、幸運なほうだったらしい。ダラス家もクレイマー家もチェスターさんのところもみんな、じゃがいもと小麦はほとんど全滅だったらしいし――村の人たちは顔をつき合わせれば、今年の冬をどう凌ぐかという話ばかりしているみたいだ。こういう時のために、農業組合には積立基金があるのだけれど――その支給金額はせいぜい生活の足しに多少はなるといった程度だし……こういう時、もしアンソニーだったら……)
 その時、とても素晴らしい名案がローラの心を捉えた。アンソニーが残してくれた三万ドル!このお金を農業組合に寄付するのだ。そして農業組合の組合長でもあるアーヴィング村長に頼んで、この基金をアンソニー・レイノルズ農協基金と名づけてもらうことにしよう!
 ローラはロカルノンの老舗の帽子屋で買ったベルベッドの帽子をぞんざいに台所のテーブルにおくと――そこには使用人が食事をしたあとの、汚い食器が積み重なっていたが――早速村役場に電話をして、アーヴィング村長と話をした。ステファンはローラの突然の帰郷に驚くとともに、彼女の申し出をとても有難がり、これで村人の中には誰も、今年の冬飢えに悩まされたりする者はないだろうと言った。
 ローラはそれからローズ家の資産の多くを預けてある、ロカルノンのインペリアル銀行に電話をかけ――暫くフランク・メイヤーと話をし、近いうちにロチェスターまで三万ドル持ってきてもらえないだろうかと頼んだ。フランクは実家がロチェスターにあるため、今年の作物の出来が散々であったことを母親から聞かされており――ようするに彼の母は息子に、少しばかりお金を送ってくれるよう頼んだのであった――アンソニー・レイノルズ農協基金の話を聞くと、ローラのことを手放しで賞賛した。
「普通はそんなにぽんと三万ドルも、村のために寄付なんてできないものですよ」と、フランクは、独特の穏やかな口調で言った。「それがいくら、生命保険のお金であったとしてもね――きっと今は亡きレイノルズ氏も、あなたの善き行いを喜んでいることでしょう。アンソニーの名前は永遠に、ロチェスターの歴史の中に刻みこまれるでしょうね」
 そのあとローラは、つわりがひどいという彼の妻のマーガレットのことなど、少しばかり世間話をしてから電話を切り、これで本当に良かったのかしら?と少しだけ不安になった。何故なら、アンソニー・レイノルズの本当の名前はシェーン・カーティスであり、本来なら、シェーン・カーティス基金とすべきではないかとの思いが、不意にローラの心をよぎったからであった。だが彼の墓石の上にはやはりアンソニー・レイノルズここに眠ると刻まれているし、ローラにとっても他の村人にとってもやはりアンソニーはアンソニーでしかありえなかった。彼の本名を知るのは、ただ妻である自分と、アンソニーの孤児院時代からの親友である、今は亡きユージン・メルヴィルだけであったからだ。
(本当に、これでよかったのかしら……ねえ、アンソニー?)
 ローラがマントルピースの上のアンソニーの写真に心の中で語りかけていると、勝手口がガタガタ鳴って、どかどかというなんとも不作法な男の足音がした。
「……ローラ姉さん!」
 マーシーはローラのベルベットの帽子を片手に持ったまま、居間へ駆けこんできた。その後ろには今年初めて雇ったらしい、見慣れない顔の少年がいる。彼はローラの、とても未亡人とは思えない若さと美しさを目にして、すぐに鼻水を作業着の袖で拭っていた――ずっとこれまで寒い中、畑を耕していたので、体の芯まで冷えきっていたのである。
「一体いつ帰ってきたんだい?一言連絡してくれたら、クイーン駅まで迎えにいったのに……」
 ふたりはまるで夫婦のように抱擁を交わし、ローラは彼の寒さのために真っ赤になった頬に軽く口接けた。
「ついちょっと前よ。なんとなくここまで、ゆっくり歩きながら帰ってきたいような気がしてね――やっぱり我が家が一番だわ。ところでお腹がすいたでしょう?今何か軽いものをある材料だけでぱぱっと作るわ。ちょっと待っててね。そちらのえーっと……」
「サムだよ。サム・デイヴィッド。家はウィングス・リング港の南の、漁師町のほうにあるんだけど、去年の暮れにあった時化で親父さんが亡くなって、急遽彼が家の働き頭となったわけなのさ」
「まあ……大変だったのね、サム。年はいくつなの?まだ十くらいにしか見えないけど……」
 ローラが同情をこめてサムの貧弱な背丈を測るように、彼のことを頭のてっぺんから靴の爪先までじっと見つめる――途端、もじもじしているサムを見て、マーシーは声を上げて笑った。
「ローラ姉さん。サムはこう見えても十三歳だよ。ちょっとつついたら肋骨が折れそうな体つきだけど、こう見えて結構働き者なんだぜ――見た目以上に力もあれば、忍耐力も根性もあるし」
 その時ローラは何故か、怯えたような少年の青い瞳の奥に、ヨシュアが初めてローズ邸へきた時のことを思いださせる何かを見たような気がした。そうだ――人間など誰も信じられないというような、それはとても寂しくて、愛に飢えた目つきだった。
「サム、これからよろしくね」
 握手をした時、何故ローラの大きな瞳の縁に涙がたまっていたのか、サムにはわからなかった。自分があんまり惨めな境遇で、みすぼらしいなりをしていたために、同情されたのだろうか?
 貧弱な体つきとは裏腹に、負けず嫌いな上、プライドも高かったサムは、一瞬自分の女主人に怒りを感じそうになったが、羞恥の感情がおさまるにつれ、まったくべつの考えが頭に浮かび上がってきた。
(まあ、いっか、この人になら哀れまれても。なんだかとても優しそうな人だし――マーシーさんが未亡人だなんていうからてっきり、もっと年配の、灰色で皺が寄ってギスギスのおばさんかと思ってたけど――全然若いじゃないか。村の人はみんな、ローラさんは頭がおかしくなって、ロカルノンの気違い病院に入院してるって噂してたけど……べつにそうおつむが弱いようにも見えないぞ)
 そうなのである――ローラがロチェスターを留守にしてほんの半年ほどの間に、噂にはすっかり尾鰭がついて、今ではローラは夜な夜なロカルノンの郊外を徘徊しては施設の人間に連れ戻され、また昼間は檻の中でひとり寂しく譫言を呟きながら過ごしているらしいということになっていた。真実を知っているジョスリンやドナ・ミラーはこのことを否定して、噂の火消しにまわったが、村の婦人たちは誰も、彼女たちが部屋をでていくやいなや――首を振りふり、こうひそひそ囁きあうのであった。
「自分の身内や友達を庇いたいって気持ちはわかるけどね……何しろあれだけのひどい事件を経験したあとでは、ローラの神経が参ってしまうのも無理はないよ。何しろ精神病院っていうのは、一度入ったが最後、なかなかでてこれないっていう話だからねえ。ローラも可哀想に……ローズ家の財産はやっぱり最後には、ロカルノンに住む親戚のハリス・ローズかティモシー・ローズのものになるのかしら?」
 ローラが帰郷を果たしたこの日、マーシーとサムがお腹いっぱいになって家に帰ったあと――後片付けをしているローラの元に、意外な人物が会いにやってきた。ローラが殺人事件のショックですっかり気違いになり、精神病院の厄介になっているとの噂を流した張本人、アリシア・クロフォード・マックデイルである。
「まあ、ローラ!大変だったわね!」
 アリシアはローラが玄関のドアを開けるなり、まるで準備してきたと言わんばかりに、さめざめと泣きだした。そしてまだ中へ入ってもいいとも言わないうちから、強引に居間へ押し入り、ソファの上に陣どっている。
「わたし、ずっとあなたのこと心配していたのよ――何ね、その……村のみんながあなたのこと、精神病院でひどい状態だとか、噂しているものだから、あんまり可哀想でわたし……毎日お祈りしてたのよ、ローラが一日も早くよくなりますようにって」
「精神病院!」
 ローラは驚きのあまり、言葉を失いそうになったが、ここで手をこまねいていては敵に背中を見せたも同然だと考え――一気に強気の、攻勢の態度でのぞむことにした。ローラは腕組みをしながら、ソファの背後からアリシアのことを見下ろしている。
「一体どこでそんな話になったのかしら?わたしがいたのは、ロカルノンの郊外にあるロンシュタット療養所というところよ。あなたも知っているでしょう?あの高名な、ボールドウィン医学博士の療養施設よ」
 ローラはわざと威厳をもたせるように、<あの高名な>という言葉に強いイントネーションをおいた。
「ええ、もちろん知っていてよ」アリシアのほうも負けてはいない。彼女はまるでハンカチをしぼったら水がでてきそうだという感じでそれをねじりながら、あてつけがましくこう答えた。「トミーの一番上のお姉さんの旦那さんでしょう?でもうちのお母さんもチェスター夫人もよく言ってたけど、ジョスリンは結婚した当時からボールドウィンさんを変人扱いしてたって……気違いの患者ばかり診ているから、頭のおかしいのが移ってしまったんだろうって口癖みたいによく言ってらしたとかって」
「馬鹿馬鹿しい」ローラはアリシアの言葉を一蹴した。「ボールドウィン博士はとても感じのいい人よ――それにその道のプロフェッショナルでもあるわ。博士は心理療法の草分け的存在として、心理学学会ではもっとも権威のある人なのよ。彼の本は一般の人にもとてもよく読まれていて――そうそう。ミネルヴァ伯爵夫人も、ボールドウィン博士の御著書の愛読者だそうよ。結婚式の時、確かそう言ってらしたもの。あなたも是非一度、読まれたらいかがかしら?」
 アリシアは意地が悪く、頭の回転も早かったが、学校の成績のほうは決してよくはなかった。なので、ローラのやたらと権威づけした物言いにたじろぎ――もはやこの話はやめにしたほうが懸命だと判断した。今日ここへきたのも、ただ単に噂を流したのは自分ではないという潔白を印象づけるためだけに、わざわざ三マイル半も歩いてやってきたようなものであった。
「そう……わたしは難しいことはよくわからないけど……」アリシアはいかにも謙虚ぶった感じで言った。「どうかこれだけは信じてね。わたし本当に……あなたがこうして元気になって帰ってきてくれて、とっても嬉しいの。去年あたりからローラったら、あんなドナみたいなみそっかすと仲良くしてるんですもの。これからはわたしたちと裁縫の会なんかでも、一緒のテーブルに座りましょうよ」
 アリシアが妥協じみた態度をとるようになる頃には、ローラは(やれやれ)と心の中で溜息を着いていた。ドナのことだからきっと自分がいない間も、アリシア一派に喧嘩を売るようなことばかり言っていたのだろう。
「ところでアリシア。本当に申し訳ないのだけど、わたしこれからちょっと用事があるのよ。お茶もおだししなくて申し訳ないけれど、親切なあなたのことだから、ローズ家ではお茶もでないだなんて、噂をふりまかないでいただけるわね?」
「ええ、そりゃあもちろん」アリシアはぱっと立ち上がると、ローラが初めて学校へいき、自己紹介をした時とまったく変わらない目で、彼女のことをじっと見つめた――自分よりも弱いものを見つけたが最後、どんなことをしてでも屈伏させようとする、意地の悪い目つきである。
「これからもわたしたち、仲のいいお友達でいましょうね?」
 アリシアは最後に、そうしゃあしゃあと言ってのけて、ローラのことを抱擁して帰っていった――彼女の頭の中では、新しい噂の種が飛びかっていた。
(ローラが帰ってきて最初に会ったのはこのあたしよ!早速明日にでもスミス雑貨店へいって、みんなにこの話をしなけりゃ――ローラ自身が店に顔をだす前にね!ローラは少し痩せてはいたけれど、至極元気そうで、精神的にもまったく問題なさそうだって――できればドナにも、ローラが彼女に会う前に一言このことを聞かせてやりたいもんだわね。そしたら最近やたらと鼻につくあの女も、少しは落ちこむでしょうよ――ローラが親友の自分よりも先に、このあたしと会って話をしたんだと思ってね!)
 だが、残念ながらアリシアのこの目論みは成功しなかった――ローラが言っていた用事とは、他ならぬ親友のドナの家へいくことだったのだから!
(あのおちびちゃんのテディも、きっと大きくなっていることでしょうね――わたしのこと、覚えているかしら?)
 ローラは馬車の支度をすると、まずはフラナガン農場に顔をだし、ジョスリンとジョサイアにロカルノンのお土産を持っていくことにした。ほんの半年ぶりに会うふたりだが、ジョサイアもジョスリンも、なんとなくそのたったの半年で、ぐっと老けこんだというような印象を受ける。頭髪には白髪が混じり、皺はぐっと深くなり、歩き方もどこかよたよたしているような感じだ。だがふたりとも、ジェシカやステイシーがとても元気に仲良くやっていると話すと、嬉しそうに喜んでいた。
「ジェシカは昔から男嫌いでね――父さんやあたしが結婚しないのかい?って電話のたびにせっつくように言うもんだから、すっかり家のほうへは寄りつかなくなっちまったのさ――まああの子も今ではいっぱしのデザイナーだものね。その気になれば相手なんかたくさんいるんだろうけど――仕事に理解のある男ってことになると、難しいのだろうね」
「そうさなあ」と、ロカルノン名物のレンガの家の形をしたクッキーを食べながら、ジョサイアは目尻に深い皺をたたえて笑っている。「なんにしても、それであの娘が幸せなら、わしらはそれで満足じゃないかね、母さん。ステイシーは今年、やっと念願の医学部に受かったことだし……自慢に思っとるよ、わしは。あの子らのことをな。ただ本音を言えば、クリスマスくらい、家に帰ってきてほしいとは思うが」
 そうなのだ――ステイシーは戦争が終わって帰郷して以来、三度も大学の医学部に落ち続けていたが、今年初めてその試験にパスしたのである!ステイシーはあの戦争の悲惨な状況を決して忘れてはいなかった――兵舎病院で死んだ弟の死を無駄にしないためにも、またボロ布か使い捨ての駒のように死んでいった、多くの名もなき兵隊たちのために、これから彼女はひとりでも多くの患者を救いたいと、二番目の兄、ウィリアムと同じ、医師になることにしたのである。
 それからローラとフラナガン夫妻は、今年の村の不作を嘆き、ジョサイアもジョスリンも、まるで競うように、クレイマー家のないに等しい今年の収穫量のことや、ダラス家は到底今年の冬を乗りきれまいということや、その他知っているかぎりの家の名前を上げて、今年うちはこうだったがあすこの家は……という話をえんえんとしていた。ローラはミラー家にもいかなくてはいけなかったので、ふたりの老人になるべく早く話を切り上げてもらうためにも――アンソニーの残してくれた生命保険のお金で、農協基金を設立しようと思うという話をふたりにした。
「けどね、どんなもんだろうね、ローラ」とジョスリンはレンガクッキーの屋根や煙突の部分をかじりながら、溜息を着くように言った。「そりゃあんたの決心は美しいと思うけど――何もそこまでしなくてもっていう気がしないでもないよ、ローラ。あんたは未亡人なんだから――いや、あたしもあんたが普通の娘のようなら、こんな余計なことは言わないさ。だけどトミーが死んだ時と同じく、あんたはもう二度と結婚なんてしたくないと思ってるんだろ?だったら、最後に頼りになるのは何よりお金だよ――ウェブスターさんのところのおじいちゃんのアレキサンダーなんか、自分は子供の面倒にだけはなりたくないって言って、ロカルノンの郊外にある、ロンシュタット老人村とかいう施設に入ったらしいね。お金をたんと積んでさ。そこでは病気になったらすぐ面倒を見てくれたり、身のまわりのことをしてくれる施設の職員がいて、食事の用意から何から、すべてやってくれるという話だよ」
 ロンシュタット老人村は、ローラのいたボールドウィン保養施設の近くにある、病院風の白塗りの建物であったが、ローラが一度見学にいったかぎりでは――老人にとっての夢の施設という噂は名ばかりという感じがした。ローラが老人村を訪ねたのは日曜の午後のことだったが、どこの部屋にいる老人も、ただなんとなくベッドの上でぼうっとして、戸口のほうばかり見ているのである。どこの部屋の老人も右へならえをするようにそういう状態なのを見て――ローラは職員の看護婦のひとりに思わずこう訊ねていた。
『あの、みなさん同じようにドアのほうばかり見てらっしゃいますけど、食事か何かを待ってらっしゃるんですか?』
 するとその年配の看護婦は、施設で老人に十分な食事を与えていないのではとローラが危惧していると思ったのかどうか、きつい口調でこう答えた。
『みなさん、ご家族の方が見えるのを待ってるんですよ。ちょっとぼけたおじいちゃんなんかだと、時々駅まで迎えにいかなきゃって、身仕度をはじめることさえあって――職員はそのたびに止めるのがとても大変なんです』
 ローラは老いが間近に迫っているふたりにその話をする気はなかったが、アンソニーの生命保険のお金のことについては、ジョスリンよりもジョサイアのほうがすっかり興奮しきりといった様子であった。彼はパイプの火を消すと、暖炉のそばの椅子から即座に立ち上がっている。
「それは素晴らしい名案だて、ローラ!」ジョサイアはソファに腰かけている嫁の隣に座って言った。「ジョスリンはああ言ったけども、わしは賛成だ。いやまあ、アンソニーの保険金の三万ドル全部を寄付しろとまではいわんがね――仮にそれが千ドルであったとしても、村の人間は随分助かるだろうて。ローラはそういうところ、本当にエリザベスにそっくりだよ。エリザベスも寄付に関してはケチケチすることがなかったからなあ」
 夫にそう言われてまうと、なんだか自分が慈愛心のまるでない吝嗇家になったような気がして、ジョスリンは恥かしくなったが、ローラが助け舟をだしてくれた。
「おばさんの言うとおり、わたしも将来のことは今からとても心配してるの。今年の不作についてはもう諦めるしかないにしても、問題は来年以降よね――そう毎年よい雇い人ばかりに巡りあえるとは限らないし、おじさんもそろそろ……」
「え?わしかい?」とびっくりしたようにジョサイアは自分の顔を指差した。「まさかとは思うがローラ、わしにそろそろ隠居を考えろなんて言いだすんじゃなかろうね?とんでもないよ、ローラ――わしはまだまだ現役でいけるわい。そして孫のうちの誰かがじいとばあの農場を継いでもいいと言うようになるまで、長生きするつもりだでな」
「そうね、おじさん」と、ローラは笑った。それはトミーが駒鳥のさえずりにたとえた、本当に久しぶりの、心からの明るい笑い声であった。

 ところでユージン・メルヴィルの、西の森にある丸太小屋であるが、今そこには誰も住んでいない――村人はみな、あすこの森には呪いがかかっていると噂しあっていたし、狐やミンクを捕獲しにくるハンターの数もめっきり減った。タイターニアやロカルノンでの熱に浮かされたような毛皮ブームが去ったのである。
 ユージンの葬式を済ませたあとローラは、彼の丸太小屋を整理整頓し、彼の所有していたお金はみな、教会のほうへ寄付した。ただアンソニーがユージンのことを実は彼は大変な金持ちなんだと言っていたわりに、彼の財産は少なく――ローラはもしかしたらそれはヨシュアが逃亡の際にユージンから多額のお金を分けてもらったせいかもしれないと考えた。
(そういえばヨシュアは、ユージンには五十万ドルお金があって、そのうちの半分を……ううん、きっとユージンはヨシュアに銃口を向けられて、話を大袈裟にしたのね。もしそんな大金が本当にあったら――こんなところで養狐場なんて経営するわけがないもの。それに彼はロチェスターへきたばかりの頃は、製材所やチェスターさんの農場で働いたりしていたし……あら、これは何かしら)
 ローラは、ユージンの資産的なものにはまるで興味がなかったが、彼が本当はどんな人間であったのかには興味があった。それで、アンソニー以外の友人と撮った写真であるとか、何か彼と繋がりのある親しい人の住所でもわかりさえすれば――連絡をとりたいように考えていた。
 けれども結局そうしたものは彼の住まいからは何もでてこず、たったひとつだけ、奇妙な紙切れを帳簿の最後のページに見つけたきりであった。それには右端に太陽が描かれ、左端に三日月が描かれていた――そして上と下には緑の茂みがクレヨンによって描かれている。ようするに森の中、ということだろうか?それとロレインとエステルが亡くなっていたあの沼地と、下のほうには十字架のマークのついた墓場が――右上には帽子山が描かれ、その下のほうは水色のクレヨンで海らしき斜線が引かれている。
『汝、宝を見つけたくば、陽が昇る方向に背を向け、森の中へ五百歩前進せよ。底なし沼には何もなく、ただ死者だけが夜空を仰いで星を流むる』
 帽子山のちょうど下あたりに書かれたその特徴のある角ばった文字は、アンソニーのものであった。ローラは勝手にこう想像した――おそらくふたりはここで、お酒でも酌み交わしながら、孤児院時代の思い出を振り返っていたのではないだろうか?そして小さな頃にやった宝探しごっこのことなんかを思いだして――面白半分に地図を描いたのだ。
 その宝の地図を描いた人間には絵心といったものがまるでなかったらしく、ほとんど小さな子供が落書きしたようにしか見えないくらい、それは幼稚な絵だった。だがローラはそのすっかり茶色く色褪せた地図をじっと見ているうちに何故か、不意に目頭が熱くなるのを感じた。
(わたしは……なんていうことを。わたしはいつも、アンソニーがユージンの家へいくたびに、面白くないような顔をしてしまったけど……そんなにお酒が飲みたいなら、うちで飲んだらいいのにと思って……でもそうじゃなかったんだわ。フレディおじさんも言ってたもの。ひとりで飲むよりも相手がいたほうがお酒は美味しいものだって。きっとふたりはここで、昔の思い出話をしたりしながら、楽しく過ごしていたのね。それをわたしったら……)
 ローラはその子供が遊びで描いたような幼稚な地図を胸にぎゅっと抱きしめると、それをエプロンのポケットにしまいこんで、家へ持って帰ることにした。ローラにもし守銭奴根性のようなものがあったとすれば、家宅捜索をしたサイモンやキースが彼の帳簿を見て不思議がったように――ユージンが養狐場の経営で稼いだ多額の金が一体どこへ消えたのか、夜も寝ないで考えこんだかもしれない。だがローラは彼の帳簿には一切目を通さず――ぱらぱらとは見たが、きちんと数字を目に入れることはしなかった――その奇妙な地図だけを、夫とその親友の形見として、ローズ邸に持ち帰ることにしたのである。
 そしてローラが死んでのち、その曾孫にあたる子供たちが――曾おばあちゃんの遺品の中からその宝の地図を見つけ、ああでもないこうでもないと仲間たちと一緒に謎解きをした結果――西の森にある沼とその南に位置する墓場との間に六芒星の印のついたイチイの樹を発見し、その下に旧紙幣のいっぱい詰まった茶色い革のバッグを見つけることになるのであった。

 ローラはユージンの丸太小屋の裏手で飼育されていた狐やミンクなどをみな逃がしてやり、二匹のバゼット=ハウンド犬の飼い主も探してやった。ジェフリーはチェスター家で牧羊犬として、ムーアは番犬として、エノラに時々忌み嫌われながらも、クレイマー家で幸せに暮らしている(それというのも、去年の暮れにクレイマー家は強盗に入られ、哀れなエノラは恐ろしい犯人にロープで縛りあげられるという、とんでもない目にあっていたからである。幸い、すぐに逃げだした夫がガートラー巡査に連絡したため、ことなきをえたが、クレイマー夫妻がその後しばらく口を聞かなかったというのは、村では有名な話である)。
 そして三匹目の犬、ブラックであるが、彼はユージンが狩猟にでていた時、一緒に共をしていたらしく――その後ずっと、いくらしても行方が知れなかった。彼もまた気の毒なユージンと同じくスズメ蜂に刺され、森のどこかで死んだのではないかと多くの人には思われていたが、結局のところどうなのかはわからない。
 エステルが死んだ収穫祭の夜、一緒に西の森の丸太小屋にいたこの真っ黒い犬は、突然闇の中から現われたかの如くロチェスターにやってきたように、去る時もまた闇の中に消えいるようにしていなくなったのである。

 そして最後に白痴のノエル・ガードナーであるが、彼はヨシュアが服毒自殺をはかったその翌日に、サイモンかキースが檻の鍵を開けてやったわけでもないのに、警察署の外に勝手にでていた。村人たちは彼がエステルの他に三人死ぬと予言したとおりになったと、あとからガートラー巡査に聞かされてぞっとしたが――事件後、ノエルは突然正気にかえり、今では彼はロカルノンでエリートサラリーマンとして働いている。一体どこでそんな知恵を得たのかははなはだ謎ではあったが、ノエルは株に異様に詳しくなり、今はロカルノン証券になくてはならない優秀な社員として、上司からも客からも重宝がられているようである。





 永遠のローラ、第二部 完/幕間~エメリン・ゴールディの死~、第三部へ続く




◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。