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戦鬼(いくさおに)大河内正綱 ~ 三方ヶ原合戦アフター

作者: 阿僧祇

 

「来た来た来た来た来た来た、来たぞーーーーーッ!」

 陣鉢巻を締め、痛んだ畳鎧に身を固めた侍が目を見開いて、仲間にだけ聞こえるような小声で叫ぶ。


 草木も眠る真夜中の、寒風吹き抜ける台地上の藪の中。

 暗闇のそこここに身を伏せながら、静かに前進していく、甲冑姿の武士や足軽たちに緊張が走っている。百人もいるだろうか……小勢だ。しかも、今日すでにひと合戦をやらかした後で……それには負けたもんだから、鎧なんか傷だらけという者が多い。


 暗い藪の中であちこちに、小さな火が見えた。鉄砲の火縄だ。

 その中で、青い顔ででふらふらしていた怪我だらけの将校……三河侍の大河内おおこうち正綱まさつなは、急に目をカッと開き、手につばきして腰の太刀を引き抜いた。そして鉄砲隊の前に出て、小声で号令をかける。

「……構え」

 開いた額の傷口から血が流れるが、拭き取ろうともしない。

 鉄砲隊の銃口と彼の視線の先……闇の中で、わずかに雪の跡が残る台地上に、軍勢が陣を張って夜の休息をとっているようすがうっすらと見える。

 雪明りにかすかにうかぶ旗印は……武田菱。


 半日ほど前。それは元亀三年(1572)十二月二十二日、現代で言えば一月下旬、粉雪の舞う真冬の夕方のこと。

 遠江国(静岡県)・浜名湖の東北の台地で、万単位の大軍がぶつかりあった。戦国史に名高い「三方ヶ原の戦い」である。


 この冬、二万数千の甲信兵を率いて遠江に侵攻してきた武田信玄は、徳川家康が三河兵の主力とともに守る浜松城に攻めかかる……と見えたが、いきなり反転。浜名湖の北へ向かう遠州姫街道を、すたすたと去っていってしまった。


 信玄のこの遠征の目的は、一刻も早く上洛して織田信長を叩きつぶすこと。

 一方で家康の役目は、信玄を浜松に足止めして、信長のために少しでも長く時間を稼ぐこと。

 すなわち……この状態だと、信玄は遠江をさっさと通過して目的を100%果たせるのに対し、家康は完全に役目を失敗してしまう。

 「補給路分断」などの持久戦略も考えられるけれど、元亀三年といえば信長包囲網のまさにクライマックス中。あっちこっちで血戦が連発し信長もてんてこまいしてるときだ。そんなタイミングで戦国最強の武田勢が後ろからつっこんできたら、いくら信長でも無事にはすまないだろう。すなわち、家康には悠長な作戦を取ってる余裕なんかない。

 さらに言えば、ここで「家康は戦いを避けた、弱気だ」と部下たちに思われてしまえば、「頼りない大名の配下では危ない」と見た遠江・三河の豪族たちが、みんな一気に武田側に寝返ってしまう可能性も大きい。


 ……となれば、もうやらざるを得ない。

 家康は、全軍八千+同盟軍三千=合計一万一千を率いて城を出、まさに乾坤一擲で野戦を挑んだ。


 もちろん信玄は家康が追いかけてくることを、家康は信玄が待ち伏せしてることを、予測していた。お互いに実力を認め合った名将どうしだ。

 が、ここは……老練な50代と血気盛んな30代の差が出たか、軍勢二倍の結果だったのか。戦いは一方的な展開となった。


 まず、一万の徳川勢が横に広がって武田勢を取り囲もうとしたところへ、武田勢の先鋒が投石で挑発。カーッときて突進した徳川方に、二万数千の武田勢は密集して反撃をかけた。

 常識的には逆の戦術だ。普通は少ないほうが密集し、多いほうが取り囲む。

 武田勢の待ち伏せしていた台地の降り口、街道が狭くなる「祝田ほうだの坂」という地形が、双方に常識はずれの作戦を取らせてしまったのかもしれない。


 午後四時に始まったこの戦いは、午後六時には徳川方の総崩れとなって終わった。信玄の本隊は「動かざること山の如し」の言葉どおり、ほとんど何もしなかったという。

 それに対して家康は、総大将が馬上で脱糞しながら逃げなければならないというピンチに陥った。その道すがら、夏目(なつめ)信吉のぶよし成瀬(なるせ)正義まさよしなどの武将たちがおとりとなって武田勢をひきつけ、そのほとんどが戦死してしまっている。

 そのくらい過酷な状況下で、家康は必死に逃げたのだった。

 もう、敗北も敗北、完全敗北だ。


 戻り着くなり家康は、敗走してくる味方の収容法や迫り来る敵への対策など、次々と的確な指示を出した。その、ウンコ臭いまま堂々と指揮をとる姿を見て、「ウチの大将、まだ心は折れてないな……!」と、みんなが思った。

 大将にヤル気があり家来も諦めてないなら、ケンカはまだまだ続く。


 大河内おおこうち正綱まさつなもそんな、頭に血が上りやすいわりに諦めの悪い三河侍の一人だった。

 先祖は、戦国初期、ここ浜松城に割拠して今川勢と激しく戦った豪族だが、今では徳川家に臣従して三河モンに染まっている。

 三方ヶ原には数十人の鉄砲組を引き連れて参戦した。けれどすぐ乱戦に巻き込まれ、たいして戦えないうちに矢傷・槍傷・刀傷と受けまくり、歩けなくなった。そして出血多量で意識朦朧としつつも、部下たちによって楯板に乗せられ、多くのたいまつに照らされた門が大きく開かれている夜の浜松城へと、ようやく帰ってきたのだった。

 もう、見るからにヘロヘロな状態で。


 そこへ……ドーン! ドドドーン! ドーン!

 派手な太鼓の音が響き渡る。城の太鼓櫓からだ。

 櫓では、かがり火があかあかと燃やされ、夕方の戦いでは留守番役だった猛将・酒井忠次の、自ら太鼓を叩いている姿が遠くからも見えた。単なる時報の太鼓なのだが、猛将みずからバチを取っての、いつもの太鼓奉行よりも力の篭ったその音は、三河侍たちの腹に強く響いてきた。

 正綱もこの音を聞き、戸板の上で意識を取り戻した。

「俺は……まだ、生きている」

 と。


 酒井の太鼓は城の外にも響き渡った。

 城門から1キロと離れていないところまで迫っていた武田勢にも、その音は聞こえた。

 つい十数分前、北から浜松城を見ることのできる犀ヶ崖の高台で、「我こそは徳川三河守! 我こそ徳川家康なり!」と絶叫しながら槍をぶんぶん振りまわす夏目信吉を取り囲んで、ようやく首を取った武田勢の一隊がいた。

 彼らが一息つきながら夜空に浮かぶ城のほうはと見やれば、あかあかと火がたかれて城門も大きく開かれている。

「やつら、まだやる気づら……!」

 城の様子を見て、歴戦の武田兵たちも思わずゲッソリした。歴戦であるだけに、敵のまだ戦意喪失してないことがよくわかる。


 徳川勢が城門を開いたままにしているということは、ビビッてはいないということを示している。すなわち、うかつに攻め寄せれば「待ってましたッ!」とばかりに三河兵が猛烈な反撃に出てくる可能性がある。下手すれば伏兵や落とし穴などの迎撃作戦も用意されていて、大損害を出すかもしれない。

 負けいくさで少しは士気も落ちてるはずだが、逃走中にも、夏目信吉をはじめ、あっちこっちで自殺的反撃を見せてきたアブネエ連中ぞろいの三河侍だ。うかつに手は出せない。しかも甲州兵にとって、遠江は初めて来た異郷の地ときていて、夜間に冒険するには危険すぎる。


 武田勢の先鋒の隊将は、城の様子を見ることのできる犀ヶ崖の台地上で追撃をやめ、休息することとして、夜が明けてから信玄公の指示を仰ごうと判断した。

 決戦には勝ったのだし、もう掃討戦の段階に入っている。この状況は容易にひっくりかえせないはず。だから慌てて下手を踏むことはない。

 その判断は、常識的には間違っていない。

 ただし「兵は拙速を聞く、いまだ巧遅を聞かず」という孫子の言葉には反している。


 実を言えば、浜松城に伏兵なんか用意してる余裕はなかった。兵たちはみんな疲れきって倒れこんでいたのが実情だ。本気で攻め寄せられれば、朝までに落城してしまったかもしれない。

 そこであえて「さあ、叩くなら叩け」とガンメンを差し出すノーガード戦法……つまりこれは知将・家康による「空城の計」で、悪く言えばハッタリ作戦だった。

 この計略が、酒井の太鼓との相乗効果で見事に成功した。

 武田勢は警戒して犀ヶ崖までで進撃を止めたし、敗戦で力を落としつつあったと徳川勢には景気付けとなった。そしてもうひとつ、予想外のたいへんな事態を生じさせてしまうのだ……。


 さて、どうやら武田勢は追撃を中止したようだとわかり、浜松城内にはわずかに安堵の空気が流れた。少なくとも一晩はゆっくり休むことができる。明日は最後の戦いになるかもしれないが、今夜は戦わなくてもすむ。

 武将は兜を脱ぎ、足軽も槍を置いて、疲れた体をぐったりと休めていた。


 そんな城内をツカツカと歩いている男……大久保おおくぼ忠世ただよ。三河侍の中でも名の知られてる、傷だらけの大男だ。今日も奮戦してまた新しい傷を増やしていたが、とりあえずは軽症だった様子。

作左さくざ、作左ぁ!」

 忠世が大声で、石垣の一角で焚き火を派手に燃やしながら座り込んでいる一団に呼びかけた。

「おう」

 答えたのは、通称「作左」こと本多ほんだ作左衛門さくざえもん重次しげつぐ

 片目・片脚、そして手指も何本も白兵戦で失ってきたのに、しつこく現役で戦い続けている歴戦の豪傑である。が、それだけでなく、さらには城下町の奉行もつとめて治安を向上させ、城塞の普請や他勢力との折衝までこなすなど、軍事・内政・外交の何をやらせてもそこそこの成果をあげてしまう、徳川家きっての「使えるオッサン」だ。

 その横には天野あまの三郎兵衛さぶろべえ康景やすかげもいる。作左とともに三奉行の一人をつとめ、「仏 高力こうりき、鬼 作左」に対して、「どちへんなし(どちらにも偏らない)の天野三郎」と言われた、非常に公明正大な人物だ。……と言うとなんだかインテリっぽい印象だが、この人もやっぱり三河モンだった。


 その作左と三郎兵衛に、忠世は

「殿からお許しが出たぞ」

 と、まだ返り血も落としていないままの笑顔で伝える。三郎兵衛も、顔面にでかい傷跡のある片目の作左も、血まみれの凄絶な笑顔を浮かべた。

「よーし、決まりだな!」

「しかし……今、みんな疲れきっててなぁ。もう少し人数が……特に鉄砲が欲しいところなんだが」

 忠世がため息をついた。すると作左が、ちょっと考えてから、第一関節までしか残っていないひとさし指で鼻をかいた。

「……俺に心当たりがある」



 地べたに置かれた戸板の上で、さらし布の包帯に縛られてうめいている大河内正綱のところへ、忠世、作左、三郎兵衛の三人が現れたのは、それからすぐだった。

「生きてるか、大河内?」

「ダメ、もうすぐ死ぬ。♪あ~とは~よろ~しく~頼~ん~だぜ~……」

「それだけ言えれば大丈夫だ、もう二・三十年は生きるよ」

 笑い声さえも傷に響く。

 致命傷こそ受けていないが、出血多量で歩けなくなったくらいの大怪我なのだ。腕も脚も頭も布で巻き、乾いた血がバリバリ貼り付いていて、火に照らされたその青い顔は「壮絶」を絵に描いたような状態だった。

「実はなぁ」

 忠世が正綱の枕もとに座って切り出す。

「わしら、今から夜襲をかけてくる。勝ち誇って寝てやがる武田勢に『三河モンをナメんなよ!』と思い知らせてやるつもりだ」

「……はぁぁぁぁあ?」

 正綱は口と目を最大級に開いた。

「それでな。鉄砲が足りないから、お前んとこの連中を借りたいんだ」

「ちょっ……おのれらっ!」

 敵は二倍以上の兵力。しかも決戦で完勝した直後で、天を突くほどの意気だ。

 味方は総勢でも敵の半分以下。決戦に負けて有力な武将も何人か討ちとられた。士気はなんとか保ててるとはいえ、大部分は疲れきっていて、積極攻勢に出るほどの元気はない。

 夜襲をかけるとしても大規模な攻撃はムリだろう。忠世、作左、三郎兵衛の敗残兵生き残りに、正綱の手勢を加えてもせいぜい二百人。そんな規模で二万の大軍に挑むことになる。

 「戦場は勝手知ったる地元」という地の利と「相手の多くは寝てゐる」という天の時を味方にできるとしても、ここは、余計な攻撃はせず守りを固めて気力体力の回復を計るのが常識だ。


 ……もちろん、ケンカ好きの三河モンにそんな常識なんかない。

「本気か?」

「ああ。だから、兵を貸してくれ」

「……よーし。その話、乗った! 夜襲だッ!!!!」

 正綱はふらつきながら身を起こそうとする。あわてて忠世が抑えようとした。

「待て待て。おぬしは来なくていいんだよ、怪我人なんだから」

 三郎兵衛や作左も、

「わしらは兵を借りに来ただけだ」

「おぬしの隊は、鉄砲がいくらか残ってるだろ? それを借りたいんだ」

 聞いていた正綱の部下たちは武者震いして拳を握り締めた。そして感極まったように

「正綱様、ぜひ行かせてください!」

「そうです、我々は今日、まだ手柄を立ててません!」

 正綱が早々に負傷してしまい、指揮者を失ったからだ。が、正綱はギロリと配下の侍たちをにらみつけた。

「てめえら、勝手に行くことは許さん!」

 一同が驚いて正綱を見る。と、正綱はニッと笑顔になった。

「行くんなら一緒にだ。俺にも手柄を立てさせろ」

「おい大河内……!!」

 作左が彼を落ち着かせようとするが、正綱は手を振り払って

「夜襲に行くんだろ? 俺にもやらせろよ、負けっぱなしじゃ、たしかに面白くねえ!」

「でもお前、その怪我で……寝てた方がいいぞ」

いくさやって死んじまえば怪我でも元気でも同じだって! こうなりゃもう寝てなんかいられるか、夜襲だ夜襲だ、夜襲だ夜襲だ!」

 さっきまで「もう死ぬ」とかこぼしていた瀕死の怪我人が、槍を杖にして起き上がるなり、満面の笑顔で「夜襲だ夜襲だ」とつぶやきながら、兵たちの先頭をずんずん進んで行く。

「なんて高血圧な奴だ……」

 高血圧という言葉がこの時代にあったかどうかは疑問だが、それに類することを言って、作左も忠世も三郎兵衛も苦笑するしかできなかった。


 人間は、興奮してアドレナリンが分泌し血圧が上がると、痛みや苦痛に鈍感となる。もとはと言えば、野生の動物が命の危機を逃れるために一時的に苦痛を忘れる必要から発達した、動物の肉体のシステムだ。

 このとき、ほとんど寝たきりで運ばれてきた重傷者のくせに正綱は、「夜襲」と聞いて興奮してしまい、大量のアドレナリンが分泌されて痛みをほとんど感じなくなった。

 彼は根っからのケンカ好きだった。


 浜松城の北側、作左曲輪という小高い防御施設の影から、二百人の三河兵がそろりそろりと移動していた。明かりはない。ただ、うっすらと積もってる雪と、雲の間から顔を出した半月の光を頼りに歩くだけだ。

 城の北側の小さな谷に隠れ、小川の流れに沿って移動する。

 と、忠世が小声で言った。

「じゃ、打ち合わせ通りにわしと大河内はここから犀ヶ崖へ。三郎兵衛と作左は……」

「信玄坊主の本陣に、一発かます、と」

 月明かりに、片目の作左が歯をむいて笑う。もう人間とは思えないような迫力があった。

 二百人は二手に分かれ、歩き慣れた小道を足先で探りながら、静かに進んでいく。

 正綱は、夜襲と聞いて興奮した勢いでここまでやっては来たが、そろそろアドレナリンが切れてふらつきだしている。人間だから限界はあるのだ。

「大河内、おぬし……ここで休んでいたほうがよくないか?」

「ここまで来て……(はぁ、はぁ、)……置いて行くなよ、(はぁ、はぁ、はぁ、)つれないぜ……(ぜぇ、ぜぇ、はぁ、はぁ)」

「……まあいいけどな。ムリはすんな」

「もともと、武田と戦うこと自体がムリだ(ぜぇ、ぜぇ)」

 青い顔で引きつり笑いしながら、槍を杖に必死で歩く。ついに、部下たちに支えられながら歩くハメになってしまった。

 しかし出血量を考えれば、こうして歩いているだけでも信じがたい精神力なのだ。

 忠世も、「こいつにはもう何も言うまい」と観念した。


 犀ヶ崖は……台地が小川の流れに削られ、ちょっとした渓谷状になっている地形だ。現在では川に水がなく、渓谷も堆積で埋まってる上に市街地に囲まれてしまい、規模が小さくなっている。が、当時はかなり深い谷だったという。

 その台地の上に、武田勢が陣を敷き、休息していた。

 見張りはいちおう立っている。が、今日一日の徒歩移動と合戦で疲れていたのだろう、槍に寄りかかって居眠りしていた。


 その様子が、西側の藪の中からもよく見えた。

「来た来た来た来た来た来た、来たぞーーーーーッ!」

 先頭の武士が、仲間にだけ聞こえるように小声で叫ぶ。

 そのとたん、正綱の目がカッと見開いた。

 草木も眠る真夜中の、寒風吹き抜ける台地の上の藪の中。暗闇のそこここに身を伏せてる徳川勢の武士や足軽たちに緊張が走った。

「よし、始めるぞ」

 忠世のささやき声のあと、藪中のあちこちに、小さな火が見えた。火種で鉄砲の火縄に点火しているのだ。

「大河内、おぬしの鉄砲隊だ、おぬしが合図しろ」

「よし」

 正綱は、ふらつきながらも前へ出る。そしてそろっと刀を抜き、敵陣には聞こえないような小声で、

「いいかおめえら。目標は前方の、寝てやがる武田勢。当たらなくてもいいから、派手に行け。……構え」

 数十丁の火縄銃の銃口が一斉に武田菱へと向く。

「つるべ撃ちだ、放て!」


 ジッ、ドォォォン! ズッ、ドォォォン! ド、ドォォォン!


 つるべ打ちとは、横に並んだ射手が順に一人ずつ引き金を引いていく射撃法である。一斉射撃と違って、音が響き続ける。

 黒色火薬の銃声はとっても重い。そしてやたらとでかい。紙火薬みたいな燃焼速度の早い「パァン、パーン」なんて軽い音じゃない。速度の遅い、下腹に響くような重い音、「ジッ、ドォォォン!」だ。それが暗夜につぎつぎと響きわたり、やかましいことこの上ない状況になった。


 草木も眠る丑三つ時、一日の戦争を終えて休んでいた武田兵たちにとって、時ならぬ火縄銃のつるべ撃ちによるアラームはあまりに強烈だった。

「て、敵襲ーーーーーーッ!?」

「どっちだ!?」

「東だ!」

「西だ!」

「上だ!」

「下だ!」

「斜めだ!」

 そんな声も、つるべ撃ちの轟音にかき消されてしまう。

 自分の刀がどこにあるのか、隊長や伍長がどこにいるのかさえわからない暗闇の中、鉄砲の音が響き続ける。陣中はもう大混乱となった。


 犀ヶ崖の銃声が合図となり、驚いている武田本陣にも天野三郎兵衛たちの隊によって鉄砲が撃ち込まれた。文字通り「闇夜の鉄砲」で実害は少なかったものの、衝撃は大きい。

 しかも武田信玄の死因について、本当は肺結核や胃ガンなどではなくこの夜に当たった流れ弾の傷が悪化したのだという説もある。ただし今のところその証拠はない。


「いいぞいいぞ、大成功だ!」

 犀ヶ崖では、銃撃で大混乱となった武田勢を見て、忠世が手をたたいて喜んだ。

「じゃ、わしもひと暴れしよう。ご苦労だった大河内、この手柄は殿に伝えるよ」

 忠世はそういうと、槍を一旋させて合図し、部下とともに咆哮を上げて敵陣へと走り出した。……と。

「!」

 すぐ横を正綱も、抜き身を右肩に担いでついてくるではないか。

「おぬしは来なくていいんだ!」

「もう遅いわぁっ!」

 バリバリに流血の乾いた顔が、雪あかりに凄絶に笑う。

 誰よりも凄まじい絶叫を上げ、わらじに粉雪を蹴立てて正綱は敵陣へと突入した。それはどう見ても、瀕死の怪我人のやることではなかった。またアドレナリンが大量に分泌されたらしい。


 武田勢は完全にパニックとなっていた。油断していたところを闇夜のつるべ撃ちで叩き起こされ、予想もしなかった歩兵の白兵突撃を食らったのだ。パニックにならないほうがおかしい。

 突撃の声が聞こえてきた方の反対側へ、武田兵は逃げようとした。

 でもそっちは、崖だ……。


 物凄い悲鳴が起こった。兵士たちが次々と、夜の崖から墜落していく。気がついて立ち止まろうとしても、後から来た者に押し出されてしまう。

 落ちて骨折した者の上に、また他の者が落ちてくる。暗いからよく見えないが、わずかに雪の残っていた谷間はたちまち鮮血にそめられ、悲鳴と呻き声で満たされた。

 辛うじて崖の上に踏みとどまった者には、返り血で顔を染めた徳川兵が、刀槍を煌かせ悪鬼のような笑みを月明かりに浮かべて突っ込んでくる。

 轟く悲鳴、噴き出す血潮、倒れる人影……。崖の下に劣らず、崖の上にも地獄絵図が現出した。

 その地獄で、ひときわ凄絶な笑みを浮かべて刀を月光に閃かせ、逃げ惑う敵を崖に追い込んで突き落としていく、自分も血まみれの正綱……それはもう地獄の獄卒にしか見えない姿だ。狂ったような笑い声をあげながら、次々と、逃げ惑う敵兵を刺殺し、崖から蹴り落とす。容赦とか慈悲とかいったものはまったくない……そんなものを持てば死ぬのは自分なのだから。

 正綱は、ただ目の前の動くものを動かない物体へと変えていく作業を、ひたすらに続けた。


 怪我の激痛を思い出したのは、すべてが終わってからだった。この夜襲で新たな傷を受けたわけでもないのに、戦いが終わると正綱は痛みのあまりまた失神し、部下たちに運ばれて浜松城へと帰っていった。

「大河内正綱……あいつは鬼だ。戦鬼いくさおにだ」

 歴戦のつわものである大久保忠世も、これにはもう呆れかえるしかない。



 翌日。

 全体からみれば損害軽微とはいえ、この夜襲によりちょっと捨て置けない敗北を喫してしまった武田勢は、緊急の軍議を開いた。

 意見はいろいろ出たものの、知将・高坂こうさか弾正だんじょう昌信まさのぶによる

「昨日みたいな失態をもう一度やって信玄公の名誉に傷がついたらつまらないことである(=今後の戦さがやりにくくなる)」

 という意見が重視された。

 そういう理由で浜松城攻略は見送られ、さらには武田信玄の病状悪化も重なって、やがて彼らは信濃へと撤退していった。

 こんな形で徳川家最大の危機は去ったのだった。



 豪傑ぞろいの三河侍に「戦鬼いくさおに」とまで言われた大河内正綱……彼は江戸幕府の時代まで生き延びており、日光街道の杉並木を整備したりなど、主に内政官僚としての事跡で歴史に名をとどめている。

 ……なんだか納得しにくいけれど、ウソだと思うならぐぐってみ?




  ~~~ 完 ~~~

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 歴史小説として大変面白かった。 主人公と仲間たちの活躍を長編小説として読みたい と思える作品でした。 [気になる点] 短編になっているって事ぐらいですね。 ぜひ長編化に挑戦してみてはどうで…
2013/03/01 20:16 退会済み
管理
[一言] 三方ヶ原の戦いの直後にこんな死闘があったとは・・・ どこまで史実なんですか?大河内正綱は実在したんですか? P.S.:当の家康は、攻め込まれたら終わりだと観念して、城門を開けっ放しにした…
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