いい人
これは、僕の勝手な意見です。
間違っているかもしれません。
なので、批判されても仕方がありません。
僕はこう考えている。ただそれだけです。
『悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、われわれ自身の享楽を目的とする。』
これは、ニーチェの言葉である。
世の中には、いい人と呼ばれる人と、悪い人と呼ばれる人がいます。
いい人ってなんだろう?
先生が言ういい子っていうのは、先生から見て都合のいい子の事であり、おとなしい子や従順な子のことを言う。
それとはまた別だと思う。
一般的ないい人とは、優しい、信頼できる、人の嫌がることをしないなど、性格のいい人の事だと思う。
逆に悪い人っていうのは人に意地悪をしたり、優しくない、悪口ばかり言うなど、性格の悪い人です。
悪い人は世の中から嫌われます。
でも、いい人がいじめられることもあります。
それは、悪い人がいるからです。
みんな、そう言う。
「助けたいけど、アイツにかかわると、俺達までいじめられる」
そういって、いじめられた子は独りぼっちになります。
今まで友達だった人、信頼していた人が助けてくれない。
その子は、人を信用できなくなりました。
その子が新しい学校に行きました。
『もういじめられない』
そう思いました。
でも、今までいじめていた人たちも同じ学校にいるので、結局僕はいじめられます。
そして、今度は皆が言うことは違います。
「アイツ、性格悪いからいじめられても仕方ないよ」
そうやって、みんないじめます。
そう。いい子が悪い子になってしまったのです。
こんな事を昔見たことがあります。
僕は、何もできなくて悔しかった。
でも、見ていることしかできなかったので、いじめられている子からしてみれば、僕なんか周りの悪い子と同じです。
でも、僕は今、周りの人たちから「いい人だね」と、いわれます。
はっきりいって、まったく理解できません。
ここで、最初の言葉に戻ります。
悪意は他人に苦痛を与えることを目的としていなくて、自分の享楽のため、つまりは、自分が楽しむためにしている。
これが本当だとしたら、悪い人は、悪い人ではないのです。
悪意をもった行為=自分が楽しむ行為(人に害を及ぼしてしまう)≠他人に害を与えようとする行為
よって、悪い人とは性格の悪い人ではなく、他人に悪いことをすることが好きに生まれてしまった可哀想な人のことです。
だから、僕は世の中には悪い人なんていないと思うんです。
悪いことをする人はいると思う。でも、それは何らかの原因で悲しい心を持ってしまっているだけなのです。
愛をもって接すれば、悪い人はいい人に変わると思います。
先ほどのいじめについて、僕は絶対に許したくなかった。
でも、いじめることにも理由があったのかもしれない。悪いことだけれども、いままで、それを悪いことだと愛をもって教えてくれる人がいなかったんだと思う。
それを今の人たちは、「アイツって性格悪い」とか、陰口をたたきます。すごく悲しいです。
その性格が悪い言っている、あなたの心はどうなんだろう。でも、これを思っている僕もどうなんだろう。
わからない。
ただ言えることは、人を信じることが大切なんだと思う。
人は偏見の塊です。
それは、そういう風に作られているのだから仕方がないです。
だけど、そこで諦めるんじゃなくて、できるだけ偏見をなくす。
その偏見をなくした人こそ、真に『いい人』なんじゃないかな。
小学校の道徳の授業ではあまりちゃんとした事を教えてもらってない気がします。
自分が書いたお話をふと見てみると、『いい人』ばかり出てくることに気が付いて、少し憂鬱になります。
僕は、夢を見ているんですね。
そんな夢を見続けていたいから、小説を書いています。
でも、やっぱり考えないといけないと思ったので、このことを書きました。