【9話】 春の宴でお近づき
4月に入って最初の土曜日―――。
今日は、沢村邸の春の恒例お花見会。
もちろん俺は初参加。だけど、夜は7代目としてのお務めが…。
午後――。
朝から専門の業者によるお花見会場の準備が着々と進められていて、もうじき完成予定。
「う〜ん、財閥の花見ってのはレベルが違うんだなぁ。」
うちの花見も涼太に言わせると変わってるって言われたけど、ここのはそれ以上っぽいぞ。
まぁ、“ヤクザの花見”と“財閥の花見”が違うのは当たり前だろうけど。
お花見会場の準備を眺めながら感心していると、川凪さんがいつの間にか隣に来ていたらしく笑っていた。
「あ、翔太兄。いつの間に。」
「ごめんごめん、さっきからいた。そっか、拓は沢村の花見は初参加だもんね。普通の花見を想像してたら、ここの見たらぶっ倒れるよ、きっと。」
すっかり仲良くなった俺と川凪さんは、今では互いにこんな風に呼び合っている。
「ぶっ倒れる?」
「あははっ。まぁ、そこまでオーバーじゃないけど。でも、楽しいよ。何せ、一年に一度の無礼講だから。会長とか坊ちゃんとかお嬢様とか使用人とか、そんなのまったく関係なしの昼〜夜までの大宴会なんだ。あと、夜になった途端に、宴会終わるまでずーっとでっかい打ち上げ花火がドッカンドッカン上がりまくるし。食事だってここの専属シェフが作ったものだしね。しかも食べ放題!だから、みんなすごく楽しみにしてるんだよ。」
にこにこ嬉しそうに話す翔太兄を見ていると、ほんとに楽しいんだろうなぁ…と感じた。
無礼講かぁ…。
お嬢様と普通にお話出来るといいな。
「あ、じゃあ俺たちも何か準備手伝わないとまずいんじゃ。」
思い立って翔太兄に声をかけると、『そうそう、それを言いに来たんだ。そろそろ、物運びの手伝いに行こうか』と笑顔で言われて、一緒に屋敷に向かった。
屋敷に入るのは、今日が初めてだ。
玄関のドアを開けると、とてつもなく広い空間。
「うひゃ〜、すごい。こんな屋敷に一度でいいから住んでみたい。」
ついぼそっと呟いた俺を見て、隣で翔太兄が笑った。
「そうだね、俺も住んでみたいかも。けど、広すぎて落ち着かなさそう。あ、こっちだよ拓。厨房から食器を運ばなくちゃ。」
「あ、うん。」
翔太兄に連れられるまま向かった厨房では、たくさんのシェフたちが忙しそうにバタバタと花見の料理を準備している最中だった。
おおっ!いいにおい。それにうまそうな料理がいっぱい。そっかぁ、これが食べられるのか。めちゃめちゃ楽しみ〜。
「さて、食器運ぶか。これ運んだらいいんですかね?」
忙しそうにしているシェフの人に声をかけた翔太兄は、目の前に置いてある食器の山を指差した。
「あぁ、すまないね。それ全部なんだ、よろしく頼むよ〜。」
忙しい手を休めて翔太兄に返したのは、和食の料理長っぽい人。
早速それらの食器をカゴに入れて、二人で玄関の外に置いてある車まで運び出した。
「う〜〜重い〜〜」
手が痛い。肩が抜けそう。
「頑張れ拓。まだ、あと五回くらいは往復だよ。」
重さに顔を歪める翔太兄が苦笑いで言ったのと同時に、俺は大声で叫んでしまった。
「ご、5回〜〜〜〜〜??」
これをあと5回なんて、かなり辛すぎだぞ。
やっと一度目の食器を玄関外の車の荷台に乗せ、大きなため息をついた。
「そうぼやかないで、拓。その後には、うまい花見料理が待ってるんだからさ。」
「それはそうだけど、これあと5回だろ??俺、死にそう…」
翔太兄に宥められながらもうな垂れていると、ふいに玄関のドアが開いた。
中から出てきたのはお嬢様で、彼女が手に持っていたのは食器の入った箱。
まさか、手伝って…?
うぎゃっ、そんなことさせたら俺の首が飛ぶじゃねえか!!
「お、お嬢様!そのようなことは、私がしますから。」
慌てて彼女の手から箱を取り上げると、彼女は『私も暇だから、何か手伝おうと思って。』とにこにこ笑った。
うぅっ、やっぱ可愛い。可愛すぎる。
ダメだダメだ、“女”として見るな拓海。この方は俺のご主人様でお嬢様だ。
「いくらお暇でも、こういう力仕事は早瀬がいたしますから、お嬢様はお花見が始まるまでごゆっくりなさっててください。よろしいですね?」
笑顔で彼女に言い諭すと、『分かった。』とつまらなさそうに庭へ散歩に行ってしまった彼女。
そんな彼女の後姿を見ながら、ふぅっと安堵の息を吐いた。
『あの子は好きな女では無く、お嬢様なんだ』と自分の中で区別するようにしてから、最近ちょっとずつだがドキドキと妄想がマシになって来た。
でも、まだそれも完全では無く、気を抜くとすぐににへにへしてしまうのだけど。
「拓ってさ、お嬢様の“運転手”って言うより“執事”っぽいよね。見てておもしろい。」
お嬢様と俺を交互に見返し、翔太兄がそう言ってふふっと笑った。
「執事って…、そんなこと無いよ。俺はただの運転手だよ、お嬢様の。」
そう、俺は彼女にとってただの運転手だ。
“好き”なんて言葉は一生禁句なんだ。
「でも、俺が思うに案外拓とお嬢様ってお似合いっぽいけどね。」
庭のベンチでぼんやり座っているお嬢様に視線を向けたまま、翔太兄が小さく呟いた。
『お似合い』…そう言ってくれた彼の言葉を嬉しいと思いながらも、つい苦笑いをしてしまった。
「そんな訳無いじゃん。お嬢様は俺と接するのにちゃんと一線引いてるよ。見てて分かるんだ。」
そう、彼女は俺に優しく接してくれているけど、実はちゃんと一線引いている。まるで、何かを警戒するかのように…。
「一線か。お嬢様は、どの男に対してもだよ。拓にだけじゃないよ。仕方ないんだ、お嬢様の中にトラウマがある限り。」
「トラウマ…?」
少し切なげな視線でお嬢様を見やる翔太兄をじっと見つめて問い返すと、こくんと頷かれた。
「きっとお嬢様のトラウマを治せるのは、彼女が本気で好きになった相手だけなのかも知れないな。おっと、さぼってる場合じゃない。仕事仕事!ほら、行くよ拓。」
仕事の途中なのを思い出した翔太兄が、俺の手を掴んで引っ張った。
「あ、う、うん。」
トラウマ…。それを治せるのは、彼女が本気で好きになった相手だけ…。
翔太兄に引っ張られながら、その言葉の意味を考えていた。
午後3時―――。
ようやく、待ちに待ったお花見が開催された。
桜は見事に満開で、風が吹くたびに舞う桜吹雪。
翔太兄と一緒に早速料理を皿に取って、桜の下でお腹を満たす。
「おおっ!!うまい!めちゃくちゃうまい!」
一口頬張った料理の美味さに感動していると、翔太兄が俺を見ておかしそうに笑い出した。
「だろ?そりゃ一流の料理人が作ってるんだ、美味くて当然さ。こんなの滅多に食べれないから、お腹いっぱい食べないと損だよ。」
「翔太兄は、毎年花見でこんな美味いの食ってたんだ?いいなぁ、羨ましい。」
箸を銜えてぼそっと突っ込むと、『まぁね〜。もう5回は食ったよ。』と彼はご満悦な顔をしていた。
周りの使用人を見ると、さすが無礼講と言うだけあって、会長や悠斗の前でもお構い無しのどんちゃん騒ぎ。
なるほど。確かに無礼講だな。
そんなみんなを眺めながら、ずっと気になっていたことを翔太兄に切り出した。
「なぁ、翔太兄。翔太兄は、何でお嬢様にトラウマがあるって知ってるんだ?」
「へ?あぁ、それは俺が坊ちゃんの運転手だからかな。お嬢様の事情を知ってるのは、きっと坊ちゃんと俺だけだよ。」
俺の質問に料理を食べつつ答えた翔太兄は、それから更に言葉を続けた。
「もしかして拓ってさ、お嬢様のこと好きなの?」
ぎくっ。
『そんなことない』とすぐに否定しようとしたのに、既に自分の顔は真っ赤になってしまっていた。
「正直だね、拓って。顔めちゃめちゃ真っ赤だよ。そっか、お嬢様のこと好きなんだ?拓って。だったら、ひとついいこと教えておいてあげるよ。」
くすっと優しく笑みを向けた翔太兄は、食事の手を止めてそう言った。
「いいこと?」
「そ、とってもいいこと。拓がもしお嬢様を本気で好きなら、彼女に対して絶対に変な気は起こさないこと。つまり簡単に言えば、“男”になるなってことだ。いつも笑顔で優しく、そして誠意を持ってお嬢様にお仕えすること。」
にっこりと笑い穏やかな口調で教える翔太兄は、悠斗と同じことを言っていた。
「悠斗様にも、同じようなこと言われた。『妹に嫌われたくなかったら、変な気を起こさない方がいいぞ』って。」
箸を休めて桜を見上げながら呟いた俺に、翔太兄も同じように桜を見上げ『そっか、坊ちゃんも同じこと言ったか』と小さく言ってふふっと笑った。
『男』になるな。『いつも笑顔で優しく誠意を持ってお仕えする』…か。
それのどこが『いいこと』なんだろう?
「とにかくさ、一生懸命お嬢様の為に働けばいいってことだよ、拓。」
俺の肩をポンポンと叩いて翔太兄がにっこりと微笑んだところに、加藤さんが酔っぱらってご機嫌な様子でやって来た。
「川凪ちゃ〜ん、カラオケしよ〜や。早瀬くんも一緒に歌お〜〜」
にへにへ顔で翔太兄の肩を掴んで誘う加藤さん。
あはは、完全に出来上がってるぞ。
「え〜〜今年もですかぁ〜〜???仕方ないなぁ〜。一曲だけですよ。ほら、拓も行こう。」
苦笑いで渋々承諾した翔太兄が、俺の腕を掴んだ。
「あ、俺は歌は下手くそだから遠慮しとくよ。ここで美味い料理食ってるから、翔太兄行って来て。」
低調にお断りをし、カラオケに行く二人をお見送りしながら、翔太兄の言葉を思い返していた。
一生懸命お嬢様の為に働けばいい…か。
そうだよな。俺はただの“運転手”なんだから、いろいろ考えずに誠意を持ってお嬢様にお仕えすればいいんだ。それだけだ。うんうん。
料理をもそもそ食いながらひとり頷いていると、突然背後から声がした。
「早瀬、ちっとも食べてないね。」
え…。
その声に驚いて振り返ったのと、その人物が俺の隣に座ったのは同時だった。
「お、お嬢様。」
いかん、フェイントを突かれるとドキドキと妄想が…。
「お料理美味しくない?」
「あ、いえ、とってもおいしいです。」
どうしよう、ドキドキが止まらない。
ダメだ、落ち着け俺。平常心平常心…。
「じゃあ、もっとたくさん食べればいいのに。」
にこにこしながら声をかける彼女からは、アルコールのにおいがした。
え…。
「お嬢様、もしやお酒飲んでらっしゃるんですか?」
おい、まだ未成年だろーが。誰だよ、飲ませたの。
「うん、ちょっとだけビール飲んだ。苦いだけだね、ビールって。でもね、その後飲んだチューハイは美味しかったよ。『ジュースですよ』ってメイドの子がくれたの。甘くて美味しかったから、3本飲んじゃった〜。」
ジュースって…、チューハイは立派に酒だっつーの。
無礼講も良し悪しだぞ。まったく。
上機嫌な笑顔で話す彼女の頬を、軽く一発パシッと叩いた。
「痛い!!何すんのよ早瀬!」
叩かれた頬を押さえて、彼女がぶすっとふくれて言い返した。
「チューハイは立派なお酒です!それに、いくら無礼講のお花見の席と言っても、お嬢様はまだ未成年です。お酒は飲んじゃダメです!あと2年もすればいくらでも飲んでいただいて結構ですから、それまでは我慢なさってください。」
俺、何説教たれてんだ。自分なんて高1から酒も煙草もやってたくせに。笑えるぞ。
はっ!!やばい、つい叩いちゃったけど、もしかして嫌われたかな…?
ちょっぴり不安になっていると、俺にきつく説教された彼女は、頬を押さえて視線を落とし小さく口を開いた。
「…ごめんなさい。」
へ…。
まさか謝られると想像してなかっただけに、思わず目が点になるほど驚いてしまった。
ちらりとお嬢様へ視線を移すと、彼女は叩かれた頬を押さえたまま俯いてしょげている。
素直ないい子なんだ。やっぱ可愛い。
「いいえ、分かっていただければ結構です。私の方こそ、お嬢様にお説教などして申し訳ありませんでした。そうだ、お料理と何かジュースなど取って参りましょう。何がよろしいですか?」
優しく彼女に言葉をかけると、俺の顔を伺うように見た彼女は少し間を置いてから笑顔を向けた。
「じゃあ中華がいい。デザートに杏仁豆腐も食べたいな。」
「はい、かしこまりました。では、お待ち下さい。」
すっかりご機嫌に戻った彼女に優しく告げてから自分の箸と皿を隅に置き、早速料理を取りに向かった。
途中まで歩いたところで気になり振り返ってみると、彼女は桜の花びらを俺の飲んでたビールのグラスに浮かべて、ひとりでにこにこ喜んでいた。
あはは、可愛い。見事に酔っぱらいだな、ありゃ。
でも、こんな風に彼女と一緒に花見が出来るなんて、ほんと夢みたいだ。
いや、夢だなきっと。
「無礼講の花見…、ちょっといいじゃん。」
空を見上げてぼそっと独り言を呟き、ふふっと軽く笑った。
その後、急いで中華料理のカウンターに行った俺は、たくさんの料理とデザートとジュースを手に、お嬢様のいる席へいそいそと戻った。
ご機嫌で歩いていた俺の視界に飛び込んで来たのは、俺の食べかけの料理をおいしそうに食べているお嬢様の姿。
え??えっ!!えぇ〜〜〜〜〜!!
あれって…あれって…、俺の食べさしだよな??ってことは…つまり…。
か、か、間接キス!?
うっ、ダメだ。興奮がマックスに達して鼻血が吹き出そう。
「あ、早瀬。お腹減っちゃったから早瀬の食べちゃった。ごめんね。」
俺の使ってた箸を銜えて、にこにこの顔で謝る彼女。
ダメだ、ダメだけど…あの箸…使いたい。あの箸でメシ食いたい。
うぅっ、想像しただけでぶっ倒れそう。
「あ、い、いえ。たくさんお料理取って来ましたので、お気になさらないでください。」
慌てて言い返して彼女のもとに行き、取って来た料理とデザート、ジュース…それから割り箸を置いた。
「もしかして、私のお箸も持って来てくれたの?ありがとう、早瀬。でも、私これ使っちゃったから、早瀬が綺麗なの使っていいよ。」
「い、いえ。それ、もともと私が使っていたので、私はそれで結構です。お嬢様がお綺麗なのをお使いください。」
「でも、それじゃ悪いよ。」
申し訳無さそうにちらりと俺を伺って言う彼女に『悪くないですよ。』と優しく返すと、にこっと笑みを向けられた。
「じゃあ…、これは早瀬に返すね。ごめんね、勝手に使っちゃって。」
持っていた箸と皿を返してくれた彼女は、新しい割り箸で料理をもぐもぐと美味しそうに食べ始めた。
一方、戻って来た自分の箸で料理をそっと口に運び入れ、その箸を銜えた次の瞬間…幸せ度マックスすぎてぶっ倒れそうになってしまった。
あぁ〜〜〜〜、俺ってばお嬢様と…お嬢様と間接キスしてしまった!
お嬢様と…キス…。へへへっ。
うおぉ〜〜〜〜〜幸せすぎて死にそ〜〜〜!!って言うか死なせてくれぇ〜〜〜〜!!
「早瀬?どうしたの?食べないの?」
不思議そうに尋ねたお嬢様の声で我に返り、『食べます。』とだけ答えて料理を黙々と食べ始めた。
箸で料理を口に運ぶたびに、心臓のバクバクは増して行く。
ドキドキしすぎて料理の味が全然判らねえ。
ひたすら無言で料理を食っていると、突然腕にこつんと何かが当たった。
え…?
食べる手を止めて視線を移すと、腕にもたれていたのはお嬢様。
「お、お嬢さま!!そ、そんな…いきなり積極的な…」
胸のドキドキ最高潮で声をかけたものの、ひとつも返答なし。
返答無しかい!
肩透かしを食らった気分で覗き込んで見ると、お酒のせいで眠気が襲ってきたのか、彼女はお皿と箸を持ったまますっかり眠りこけていた。
うっ、ね、寝てる。
そんな気持ち良さそうな彼女の寝顔を見た途端、胸のドキドキは一瞬にしておとなしくなってしまった。
「まったく、飲みすぎだよ。お嬢様。」
起こさないように皿と箸をそっと取り上げてから、脱いで傍に置いていたスーツの上着をそっと彼女の体にかけ、眠りやすいように少し肩を下げた。
寝顔、すげえ可愛い。ずっと見てたいな。
いっそのこと、このまま時間が止まってしまえばいいのに。
彼女の寝顔をじっと見つめながら、この寝顔もあの笑顔も全部自分だけの物になればいいのに…と、つい欲張りな願望を抱いていた。
夕方過ぎ―――。
すっかり陽が暮れてしまったのと同時に花見会場はライトアップされ、まるで待ってたかのように大きな音で花火が打ち上がり始めた。
その花火の音でびっくりしたのか、隣で眠っていたお嬢様が目を覚ましてしまった。
花火のボケ〜〜〜!お嬢様が起きたじゃないか。
もうちょっと幸せ味わっていたかったのに。
目を覚ました彼女は、自分の身体にかかっていたスーツの上着を見て不思議そうにしていた。
「お目覚めですか?お嬢様。花火が始まりましたよ。」
次から次へと打ち上げられる花火を指差し笑顔で言うと、彼女はかけられていたスーツの上着を取って俺に声をかけた。
「あ、うん。これ、早瀬のスーツ…。かけてくれたの?」
「春と言っても4月の初めですからね、お風邪を引かれないように。これからは、アルコールはダメですよ?お嬢様。」
にっこり笑顔で念を押すと、『うん。』と彼女は反省した様子で返事をしていた。
「早瀬、これ。上着着てないと早瀬が風邪引くよ?」
そう言ってスーツを返してくれたお嬢様に『ありがとうございます』と答えてから、袖にそっと手を通し羽織る。
まだ残ってる彼女の温もりが嬉しくて幸せで、涙が溢れそうなのを必死に堪えて花火を見上げた。
「綺麗ですね、花火。夏以外に花火が見れるなんて思ってもいませんでした。ちょっと得した気分です。」
「早瀬は、夏になったら花火見に行くの?」
「ええ、まぁ。お嬢様も見に行かれるんじゃないんですか?」
彼女の質問に曖昧に返し同じ質問を投げかけると、こくんと頷かれた。
「何回か、友達と行ったことあるよ。」
花火を見上げて答えた彼女に『友達って男?』とは、とてもじゃないが聞けそうに無かった。
「そうですか。夏の花火もいいですが、お花見の席で見る花火もいいものですね。」
「うん。私ね、毎年ここで見る花火が一番好き。」
何気なく彼女が口にした『好き』と言う言葉。それが、自分に対して言われた言葉じゃないことくらい分かっているのに、とてつもなく嬉しくてたまらなかった。
「私も、また来年もこうしてここで花火が見たいものです。」
ずっとここにいたい。ずっと君の傍にいたいよ。君の隣で、君の笑顔を見ていたい。
「私が『辞めてちょうだい』って言わない限りは、見れるんじゃない?」
俺の言葉にちょっぴり意地悪な瞳を向けて言った彼女。
「そうですね。では、お嬢様に嫌われないよう一生懸命お仕事を頑張らなくては。」
意地悪お嬢様に言い返しながら、見た目は大人っぽいのにまだまだ子供なんだ…と、ついくすくす笑ってしまった。
「あ〜、何で笑うのよ!!“嫌い”になったり“気に入らないこと”があったら、すぐに解雇しちゃうんだからね。嘘じゃないからね。」
更に補足した彼女は、ぷっと頬を膨らませていた。
「はい、承知いたしました。」
やっぱめちゃめちゃ可愛い、お嬢様。大好きだよ。
「それはそうと、来週には大学生ですね、お嬢様。おめでとうございます。」
花火を眺めながら話題を変えると、彼女は照れくさそうに『ありがとう』と返し、ジュースを飲んだ。
「大学行くようになったら、早瀬は毎日送り迎えでしょ?嫌じゃないの?」
「とんでもありません。嫌でしたら、初めからお嬢様の運転手は致しませんよ。お嬢様を、毎日安全に学校まで送り迎えさせていただくのが、私の仕事ですから。」
笑顔で彼女に返したところで、ポケットに入れていたケータイが鳴った。
「早瀬、電話。」
俺のスーツのポケットを指差し、お嬢様が一言告げた。
「あ、すみません。ちょっと失礼します。」
急いでケータイを取り出してみると、着信は圭兄。
うぎゃっ、圭兄。何の用だよ。せっかくお嬢様といい感じなのに。
彼女から少し離れた場所まで行き、鳴り響くケータイに出た。
「圭兄、何だよ??今日は沢村の花見って言ったじゃん。」
―「あぁ、分かってる。今夜予定してた見回り、明日に変更するから今日はゆっくり花見して来い。その電話をしただけだよ。」―
不機嫌そうな俺の声で察したのか、圭兄はくすくすと笑いながらそう言った。
「えっ!?ほんとに??明日にしてくれるのか??圭兄。さんきゅ〜。」
やった。これで、最後までお嬢様と一緒にいられる。
―「じゃあ、花見の邪魔しちゃ悪いから切るよ。」―
「あぁ。わざわざ電話ありがとう。」
圭兄からの電話を切ってお嬢様のもとに戻ると、彼女はおいしそうに杏仁豆腐を食べていた。
「電話、大事な用じゃなかったの?」
杏仁豆腐をもぐもぐ食べながら尋ねる彼女に、『大した用では無いです』とだけ答えて彼女の横に腰を下ろした。
「そう。花火すごいよ、さっきから連続で上がってるの。」
「ほんとですね。」
花火を指差して笑顔で教える彼女に答えながら、ふと夜空を見上げた。
空にはいっぱいの大輪の華。
そんな中に走った流れ星。
「あっ、流れ星!」
同じように見つけた彼女が声をあげた。
「流れ星に願うと願いが叶うんでしたっけ?」
「うん、でもあんなの迷信だよ。願いが叶ったなんて話し聞いたこと無いもん。早瀬は、そんなの信じてるの?」
おかしそうに笑う彼女の横で、俺はそっと目を閉じ両手を組んだ。
「お嬢様に嫌われずに、ずっと運転手が続けられますように…」
この想いがいつか君に届けられる日が来ますように…。
「早瀬…?」
俺の願った言葉に驚いたような顔で見つめる彼女。
「叶いますかね?私のお願い。」
にっこり笑顔で尋ねてみると、お嬢様は『さぁ、叶わないかもね。』と…意地悪な瞳で言って笑う。
素直だけど、すごく意地悪お嬢様。
でも、俺はそんな君が大好きだよ。
意地悪な彼女の隣で夜空に咲く大輪の華を見つめながら、俺は心の中でそう呟いてふふっと小さく笑った。 |