【59話】 届けられた思い
マンションに辿りついた俺の目の前には、一台の真っ赤なフェラーリ。
それは、間違いなく悠斗の車―――。
そのフェラーリの横を素通りして自分のベンツを駐車場に進ませ止めた俺は、車を降り立ち気付かぬ素振りでマンション入り口へと向かった。
・・・が、相手もただ黙って待ち構えてた訳では無いようで、同じように車を来客者用駐車場に止めると同時に、車から降りて俺のもとへやって来た。
「待ってくれ、早瀬。」
背後からかけられた声は、紛れも無く悠斗のもの。
「何なんですか。あぁ、まだ出してなかった退職願の催促ですか?それとも、最後の給料の明細書でも届けに来て下さったんですか?」
振り向くことなく背中越しに冷たく返した俺に向かって、悠斗はすかさず『そうじゃないんだ。』と言い放った。
そうじゃない?
「そうじゃないのなら、何なんです?単に嫌がらせですか?こんなところまで来て。俺は貴方に話すことは何もありません。お引取り下さい。」
更に冷たく言い捨て、自動ドアのロックを解除し中へ入ろうとした瞬間、悠斗が俺の手をぐっと掴んで引き止めた。
むっ。
「ちょ、何ですか!?離してくださいよ!」
声を荒げ振り払おうとする俺の前へと回り込んだ悠斗は、真っ直ぐ俺を見据え口を開いた。
「すまん、でもお前に渡したいものがあるんだ。それと、俺の話を聞いて欲しい。」
え・・・?
渡したいもの?
「給料明細なら受け取りますけど。」
一瞬気になったものの、ふっと軽く鼻で笑い皮肉っぽく言ってやると、悠斗は静かに首を振った。
「いや、受け取って欲しいのは明細じゃない。手紙だ。」
手紙?
俺の言葉をあっさり否定し、ゴソゴソとズボンのポケットから封筒を取り出した悠斗は、それを俺の手にしっかりと握らせた。
ん?
「何なんですか、これ。」
「俺も、中に何が書いてあるのかは知らん。だが、どうもお前に出すつもりだったらしい。いいから開けてみろ。」
ぶっきらぼうに言った俺に、穏やかな口調で言い返す悠斗。
俺に出す?
受け取った封筒に視線を落としてみると、確かにそこにはきちんと住所と名前・・・そして切手が貼られてある。そして、裏には差出人としてお嬢様の名前が記されていた。
お嬢様から俺に?
馬鹿な、そんなはずない。
あんなことをした俺に、お嬢様が手紙なんか出すはず無い。
はっ!
だとしたらこれは、俺への中傷の・・・手紙?
嫌だ!そんなの読みたくない!
「こんなのいりません。」
恐怖のあまり悠斗に突き返したが、それは簡単に戻されてしまった。
「いいから、読め。頼むから、読んでくれ。」
そう言うと悠斗は、さっきよりも強く俺の手に手紙を握らせた。
・・・。
気の進まぬまま封筒を開けて中から小さな便箋を取り出した俺は、それをそっと開いた。
するとそこには―――
間違いなく彼女の筆跡で、俺へ宛てた言葉が綴られていた。
『私、怒ってないから。早瀬のこと嫌いになんてなってないから。大好きだから。だから、戻ってきて。』
“怒ってないから、嫌ってないから、大好きだから・・・”
まるで言葉が零れた落ちたようなその文章を読んだ瞬間、嗚咽しそうなのを手で覆った。
お嬢様・・・。
でも、俺はもう君の傍にはいられないよ。いればきっと、また自分を抑えられなくなる。
そしてまた、君を穢してしまう。
そんなことしたくない。
今度こそ手紙をバンッと悠斗の胸に押し当て突き返した俺は、無言でズカズカとマンション内に入った。
そんな俺を、悠斗が追いかけながら言葉を吐いた。
「この手紙の主が、5日前から行方不明なんだ。」
え・・・。
お嬢様が、行方不明・・・?
エレベーターの前で足を止めた俺に、背後から悠斗が言葉を続けた。
「もちろん、捜索願いも出してある。誘拐だった場合の対策だって取ってある。でも、未だに見つからないし、身代金要求の電話も無い。ケータイは壊されててGPSでの探索も不可能。警察からは、『最悪の場合も考えておいて下さい』とまで言われた。使用人たちにも協力してもらって探してもらったが、ダメだった。他にも、沢村の力で出来得ることは、全てし尽くした。だがもう、八方塞でどうしようもない。父は可愛い娘のことが心配でオロオロするし、母は泣き崩れるばかりだ。俺一人じゃ、どうしようもないんだ。頼む、早瀬。お前の力を貸してくれ。この通りだ。」
俺の力を借りる?
阿呆じゃないのか。
天下の沢村が手を尽くしきった挙句、警察の力で何とも出来ねえのに、俺が何の役に立つってんだよ。
「冗談はよしてくださいよ。俺が何の役に立つって言うんですか。それに、貴方のそんないい加減な嘘に付き合っていられるほど、俺は暇じゃないんです。さっさと帰っ・・・」
振り返って最後の一言を放とうとした俺の眼下には、土下座して頭を下げる悠斗の姿。
え・・・。
「頼む、早瀬。嘘じゃないんだ。ほんとに行方不明なんだ。確かにお前の言う通り、“沢村の力”“警察の力”その他全てを持ってしても探し出せないのに、お前に頼むのは筋違いかも知れない。でも俺は、月華の部屋でこの手紙を見つけた時、お前ならきっと月華を見つけてくれる・・・そう感じたんだ。だから・・・」
一目も憚らず床に頭を擦りつけ真剣に頼み込む悠斗を、マンションへ帰って来た住人達が、『何事?』と言わんばかりにジロジロ見やり過ぎていく。
待てよ。これじゃ、完全に俺が悪者扱いじゃねえか。
最悪。
「やめて下さい。こんな人目のある場所でそんなことして、どういうつもりですか。やり方が汚いですよ。沢村の後継に土下座なんかされたら、俺が悪者扱いされるの解っててわざとやってるんですか。だったら、貴方は最低な男だ。」
「違う。俺はただ、どうしてもお前の力を借りたいんだ。それだけなんだ。頼む早瀬。このとおりだ。」
周りを気にしながら冷たく罵る俺に、ただひたすら土下座を続け頼み込む悠斗。
その後しばらく罵声を浴びせたが、彼は怯まず土下座の繰り返し。
そんな彼のしつこさに、だんだん自分がバカバカしくなり、ついに根負けしてしまった。
「はぁ・・・。ったく、しつこい人ですね。じゃあ、話をしたのいならついて来て下さい。仕方なく部屋へ招待します。」
土下座する悠斗へ背を向け、半分呆れ口調で言い吐きエレベーターのボタンを押すと、彼は『ありがとう。』とほっとしたような声で返し立ち上がった。
自宅―――。
悠斗をリビングで待たせ、寝室でごそごそと着替えをしながらため息をついた。
くそぉ、何やってんだ、俺。今夜は一人でいたかったのに。
でも・・・
「お嬢様が、行方不明・・・か」
ほんとなのかな?
いや、どうせ悠斗がついた嘘に決まってる。きっと、話しの本題は別にあるんだ。
けど、ちょっとだけ調べてみるか。
悠斗の言葉を確認するべく、素早く着がえ終えて隣りの部屋へ移動すると、早速パソコンを開いた。
「確か、5日前からって言ってたな。」
検索サイトの画面でそれらしいニュースを探すと、そこには確かに悠斗の言ったとおり『財閥令嬢、行方不明。』と言う小さな小さな記事。
“沢村”の名前こそ無いものの、お嬢様のことだと察し詳細を読んでみると、『警察等、総動員で極秘捜索するも、未だ手がかり無し。誘拐の可能性もあるが、犯人の目撃情報も無く、捜査難航。』と書かれていた。
「嘘じゃ無かったのか。」
でもどういうことだ?TVでひとつも報道されてなかったぞ?新聞にもそれらしい記事は無かったし。
つまり・・・、『公にはしたくない』ってことか?
まぁ、有名財閥だからな。
しかし、身代金要求も無いってことは、あのシルバーのアリストに乗ってた奴らが、お嬢様を誘拐した訳じゃないのか??
じゃあ、お嬢様はいったい・・・。
はっ!
何心配してんだよ、俺。
俺はもう、沢村の使用人じゃないんだ。お嬢様の運転手でも無いんだ。
忘れたい女のことなんか、心配してんじゃねえよ。
自分自身に言い聞かしパソコンを切ったと同時に、お嬢様の手紙が脳裏を掠めた。
“怒ってないから。嫌ってないから。大好きだから・・・”
彼女が俺に残した最後の言葉。それが、悔しいほど頭を・・・そして胸を埋め尽くす。
忘れたいのに忘れられない、大好きな人の言葉。
目を閉じれば聞こえてきそうなほど、未だ鮮明に覚えてる彼女の声。
お嬢様・・・。
ぐっと拳を握り唇を噛み締め、しばし自分自身と葛藤した俺は、大きく深い息を吐いて意を決しリビングへ向かった。
「すみません、遅れました。今、コーヒーを用意します。」
リビングに入って悠斗へ声をかけると、彼はソファに座り沈んだ顔をしていた。
「あ、あぁ。」
頷いた声も覇気が無い。
食事もろくにせず、眠っていない日が続いているんだろう。やつれて顔色も悪い。
多少心配になりながらも黙々とコーヒーの準備をしていると、不意に悠斗が俺に声をかけた。
「早瀬、やっぱり信じてはもらえないのか?」
え・・・。
血色の悪い顔でじっと俺を見やり尋ねる悠斗に、準備の手を休めることなく口を開いた。
「いえ、さっきパソコンで確認させてもらいました。“沢村”の名前こそ書いてありませんでしたが、それらしい記事は見つけました。」
「それなら・・・」
「その前に、何か少し口に入れた方がいいんじゃないですか?顔色悪すぎですよ。」
身を乗り出して言いかけた悠斗を遮り話を切り替えた途端、彼は力無くソファに腰を落とし俯いた。
「何も食いたくない。今頃あいつがどんな目に合ってるかと思うと、何も喉に通らん。・・・『最悪の場合も考えろ』なんて・・・、そんなの俺には絶対無理だ・・・」
今にも嗚咽しそうなのを必死に堪えて呟いた悠斗。
悠斗・・・。
「あの、こんなこと聞くのは失礼ですが、お嬢様にSPは付けなかったのですか?」
入れたてのコーヒーとクッキーを運びながら疑問に感じていたことを尋ねると、悠斗は『付けたさ。』と小さく返答した。
つけた?
付けたのに、行方不明になったのか?
何故。
「付けていたのなら、何故このようなことに?」
天下の沢村が雇うSPだぞ?
そんな役立たずじゃねえだろ?
不思議に思い更に突っ込んで問うと、悠斗は下ろした両手でぐっと膝を鷲掴んだ。
「月華が、SPの目を盗んで出かけたらしい。それが原因だ。くそっ、俺がもっとちゃんと見張ってれば、こんなことにはならなかったのに・・・」
自分を責めポツポツと涙の粒を落とす悠斗を見ながら、初耳な“行方不明の原因”に思わず頬をぽりぽりと掻いてしまった。
なるほど。お嬢様が勝手に出かけたのか。
お嬢様らしいっちゃ、お嬢様らしいけど。
でも、待てよ。SPの目を盗んで何処へ行こうとしたんだろう?お嬢様。
そうやって出かけようとしたってことは、何か理由があったはずだ。
つまり、自分ひとりで行きたかった場所・・・?何処だ?
お嬢様がひとりで行きたい場所・・・。
ひとしきり悩み考えたが分からず、ちらっと悠斗へ視線を移すと、そこにはうつろな瞳。
「とにかく、まだ5日しか経ってないじゃないですか。もう少し警察の捜索に頼ってみてはいかがです?もしかすると、今頃、屋敷の方へ吉報が届いているかも知れませんよ。」
何とか元気付けようとプラス思考な言葉をかけてみたが、悠斗は『“もう”5日だ。』と覇気の無い声で即答し、依然沈んだまま。
う〜、やっぱダメか。
だよな。究極の妹バカだもんな、こいつ。
「悠斗様、とりあえずコーヒーとクッキーを召し上がって下さい。何も口に入れないのはいけませよ。お嬢様が戻って来られる前に、貴方が倒れます。」
「・・・あぁ。」
何とか食わせようと声をかける俺にようやく小さく応じた悠斗は、クッキーを一枚摘まんで口に入れた。
良かった、食った。
「うまい・・・」
クッキーをもそもそ食べながら涙声で呟いた悠斗に『そうですか、ではもっとどうぞ。』と優しく告げると、彼はもう一枚を手に取り、美味そうに頬張っていた。
ふぅ。さてと・・・。
「悠斗様、誤解の無いよう先に言っておきますが、俺はもう沢村を解雇された身です。貴方の命令で仕事はしません。が、一時でも自分の主であったお嬢様の御身が危険であることを知った以上、やはり黙って見過ごすことはできません。ですから、俺は、“俺のやり方”でお嬢様を探させてもらいます。それでよろしいか?」
突然本題に入った俺に驚きで目を見張った悠斗。しかし、すぐに表情を和らげた。
「もちろんだ。ありがとう、早瀬。だが俺からもひとつ、先に言っておくべきことがある。それは、お前がまだうちの使用人だってことだ。」
え?
返って来た予想外な悠斗の科白に、今度は俺が目を見張った。
「どういうことですか?それ。」
ちょっと待てよ。俺は、確かにこいつに解雇された筈。
なのに、何でまだ使用人なんだ・・・?
「月華が『早瀬の解雇を取り下げて欲しい』って、何度も俺に頼み込んできたんだ。だから、お前はまだ、うちの立派な使用人だし、月華の運転手だ。」
顔色が悪いながらも、視線を細めて穏やかな口調で告げた悠斗は、コーヒーカップを掴んでそっと口に運んだ。
え?
お嬢様が、俺の解雇の取り下げを?
「何故!?何故、お嬢様がそんなこと・・・」
あの手紙と言い、解雇の取り下げと言い、どうして・・・。
まるで、罪を許してくれたみたいに・・・。
驚いてマジマジと悠斗を見やり問いかけたが、彼は柔らかい笑みを見せただけで、何も言わずただコーヒーをすすっていた。
解らない。
お嬢様の考えてることが、ちっとも理解出来ない。
どうして俺を許してくれたんだ。
何で・・・。
いくら考えてもちっとも答えは出ず、諦めた俺はひとつ息を吐いて口を開いた。
「・・・あれこれ考えるより、今はお嬢様を探すことが先決ですね。」
「あぁ。」
「ところで悠斗様、先程のお嬢様の手紙・・・頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?あ、これか。ほら。」
思い出したように言った俺に、くしゃくしゃになってしまった手紙を取り出し、差し出した悠斗。
彼から受け取ったそれを開くと、やっぱりそこにはたった一行のお嬢様の言葉。
それが愛しくて愛しくてたまらなくて、自然と涙が頬を伝っていた。
お嬢様・・・。
早瀬は、今すごく不安です。
貴女のお傍に戻れば、また感情を抑えられず、愛しい貴女を穢してしまうかも知れない。
貴女だって、本当は怖いはずです。
それなのに、過ちを犯してしまった私を・・・こんな私をお許しくださったのは何故ですか?
解雇取り下げを願い出てまで、私をお傍に戻そうとしてくださったのはどうしてですか?
貴女は、どんな想いで私にこの言葉を綴られたのですか?
貴女に会えば、その答えをくれますか―――?
「早瀬?」
手紙をぎゅっと胸に当て握り締める俺に、悠斗が声をかけた。
「あぁ、いえ、何でも。悠斗様は、今夜はもうお屋敷へお戻り下さい。私などが何処までお役に立てるか分かりませんが、何とかお嬢様の消息を辿ってみます。」
「いや、俺もじっとしてられない。お前と一緒に探すよ。」
帰るよう促した俺の腕を掴み、真剣な顔と眼差しで返した悠斗。そんな彼の手を、俺はそっと離した。
「ダメです。旦那様や奥様がそういう状態でいらっしゃる以上、悠斗様がお屋敷を統括しなければならないはずです。代わりに、川凪さんを私の相棒にして下さい。お願いします。彼と二人でお嬢様の行方を追ってみますから。」
穏やかな笑みを向け宥めるように言うと、悠斗は『分かった。』と渋々頷いた。
「ありがとうございます。さぁ、ではお屋敷にお戻り下さい。日下部さんがきっと、オロオロ探していらっしゃいますよ。」
ふふふっと笑って言った俺に、悠斗は『そうだな。』と同じように笑い、ソファを立ち上がった。
「そうそう、川凪さんには“相棒の件”、ちゃんと伝えておいて下さいよ?悠斗様。」
忘れないよう念押しすると、悠斗は『分かってるよ。』と笑顔で答えてから俺に頭を下げた。
え・・・。
「早瀬、ほんとにありがとう。」
「沢村の後継が、使用人にそう易々と頭を下げるもんじゃないですよ。さぁ、帰った帰った。」
謝る悠斗の背後に回った俺は、彼の背中をトンッと押した。
そうして悠斗を駐車場まで見送った後、彼の車が遠ざかったのを確認してから、俺は早速圭兄へ電話を入れた―――。 |