【56話】 過ちの果て〜償罪〜
翌日(月曜日)――。
沢村の屋敷へと向かう途中、助手席に置いていたケータイがけたたましく鳴り出した。
ったく、誰だよ。
渋々車を路肩に止めてケータイを見やると、着信は圭兄。
圭兄?
「おっす、圭兄。どうしたんだよ?」
―「あぁ、おっす拓海。お前、今夜何か用事あるか?」―
へ?
いきなりの質問に訳が分からず首を傾げながら『いや、何も』と答えると、電話の向こうで圭兄が『そうか。』と安堵の声を返した。
何だ?
「何だよ?それがどうかしたのか?」
―「いや。そうだ、それと、今夜って涼は部屋にいるか?」―
へ?涼太?
「ううん、いないけど。涼太に用?」
いったい何なんだ??
サッパリ分からん。
―「いや、そうじゃないんだ。いないなら好都合だ。なら、今夜お前のマンションに行くよ。ちょっと話したいことがあるんだ。」―
え?
話したいこと?
「電話じゃ話せないことなのか?」
とてつもなくシンプルな問いをしてしまった俺に、『あぁ。』と答えた圭兄が言葉を続けた。
―「お前に直接会って話したいことなんだ。」―
俺に、直接会って??
何の話しだ??むぅ〜〜〜。
真剣な声で話す圭兄にあれこれ想像しながら、何やら只ならぬものを感じた。
「分かった。んじゃ夜に聞く。」
―「すまんな。じゃあ、夜7時くらいに行くよ。話しはその時に。」―
「あぁ。」
圭兄との電話を切って車を再び走らせながら、さっぱり分からなかった話の中身に想像を巡らせた。
直接会って話したいことって何だ?
まさか、流揮会の須藤のことか?
いや、それなら別にわざわざ俺のマンションに来て話すことでも無いか・・・。
だったら、何だ?
う〜〜ん。
ま、夜に話すって言ってたし、その時聞くか。
沢村の屋敷に到着し、玄関前でリムジンとともにお嬢様を待っていると、間も無くドアが開いた。
現れたのは、昨日栞と交わした約束のせいか、とても上機嫌なお嬢様。・・・では無く、何やらちょっと沈んだ空気を漂わせた彼女。
ん?どうしたんだろう?寝不足か?
「おはようございます、お嬢様。さぁ、お車へ。」
「おはよ、早瀬。ありがと。」
後部座席のドアを開けながらいつものように笑顔で挨拶をすると、彼女は覇気の無い声で挨拶を返し、車へと乗り込んだ。
お嬢様・・・。
やっぱ何か変だ。ただの寝不足じゃない。
はっ!もしかして、昨日の怪しい奴らに何か言われたのか??脅しの言葉でもかけられたのか?
気になる。
大学へと向かう車中――。
ずっと無言でいるお嬢様が気になって、たまらず話しかけた。
「あの、お嬢様、何かあったのですか?何だかお元気が無いようですが・・・」
「え、あ・・・あのね、早瀬・・・ううん、やっぱり何でもない。」
へ?
言いかけた言葉を途中で切り、口を噤んだお嬢様。
「お嬢様?あの、途中で話を切られると気になるのですが・・・」
苦笑まじりに問い返してみたものの、彼女は『何でもない』の一点張りで、結局大学に着くまで無言だった。
むぅ〜、・・・何なんだ。
大学に到着し後部座席のドアを開けたが、彼女は一向に降りようとしない。
お嬢様?
「お嬢様、いかがされました?」
どうかしたのかな?
いつもだったら、『ありがと。』ってにこにこしながらすぐ降りるのに。
やっぱり、昨日のあいつらに何か言われたのか?
「ご気分が優れませんか?」
もう一度声をかけてみると、彼女は首を振って否定したのち、小さく言葉を発した。
「今日は、講義行かない。屋敷に帰る。お願い。車を出して。」
えっ・・・。
思いもよらなかったお嬢様の返事に、ただ『かしこまりました。』とだけ答え、運転席に乗り込んだ俺は、車を屋敷へと引き返した。
お嬢様、どうしたんだろう。
講義をサボるなんて今まで無かったのに・・・。
気になりながらも聞ける空気では無く、ただただ車を走らせ屋敷にかなり近づいた頃、お嬢様が急に『止めて。』と命令した。
「え、あ、はい。」
言われて車を止めたのは、屋敷から少し離れた場所にある公園。
「お嬢様、いかがされました?何処か具合でもお悪いのですか??」
公園の傍らにリムジンを止めて振り返り尋ねると、彼女は何も返さず車を降りてトコトコと歩き出した。
へ?
お、お嬢様・・・。
「あ、ちょ、ちょっとお嬢様!お待ち下さい。」
遅ればせながら慌てて運転席から出て彼女を追いかけ、捕まえたのは公園のベンチ。
「お嬢様、いったいどうなさったのです?勝手に行動されては危のうございます。」
ベンチに座るお嬢様の前にしゃがみ込んで言うと、彼女は俺の頬にそっと手を当て『早瀬・・・』と呼んだ。
その瞬間、心拍は一気に速度を増した。
うっ、やばい、心臓が・・・。
「は、はい。何でしょう?」
返事をしながら、ドキドキはどんどん増す一方。
ダメだ、動悸が強すぎてどうにかなりそう。それに、すげえ抱きしめたい。
キスがしたい。
「ずっと、私の傍にいてくれるよね?運転手でいてくれるよね?」
え?
じっと俺を見つめ、潤んだ瞳で小さく尋ねたお嬢様。
そんな彼女をたまらず抱きしめてしまった。
「ええ、お嬢様に解雇されない限り、早瀬はずっとお嬢様のお傍におります。」
ずっとずっと傍にいるよ。
だって、君の傍にいたいんだ。
「ほんと?ほんとに?ほんとにいてくれる?」
不安そうに俺を見つめ、何度も確認するかのように聞く彼女。
その不安いっぱいの瞳に『何かあったのか?』と思いながらも笑顔で頷くと、やっといつものキラキラの瞳が戻った。
「良かった。ほんとだよ?ずっとずっと傍にいてね。早瀬。」
ぎゅーっとくっつき耳元で囁いたお嬢様に、愛しさが増した。
身体中に伝わる彼女の柔らかい感触と温もりに、幸せすぎて涙が落ちそうだった。
今、言えたなら・・・。
『貴女が好きです。』って言えたなら、どんなにこの心は楽になるだろう。
でも、それは禁じられた言葉だ。
だって、俺は使用人。それ以前に、ヤクザの7代目。この人とは住む世界の違う人間なんだ。
何も望んじゃいけない。
こうして夢を見させてもらってるだけで、十分すぎるほど満足しなくちゃ。
お嬢様をそっと離すとそこには、真っ直ぐ俺だけを見つめる澄んだ瞳。
お嬢様・・・。
そんな瞳で俺を見ないで。
ダメだって分かってるのに、キスしたくてたまんないよ。
君に好かれて無いって知ってるのに、キスしたいよ。
君に・・・触れたいよ。
「お嬢様・・・」
彼女を再び抱き寄せると、後は・・・無意識だった。
重なった柔らかい唇。初めて味わった彼女の感触。
幸せだった。
幸せすぎて死んでもいいとさえ感じた。
好きだ。大好きだ。愛してるよ。
叶わない恋だって分かってる、自分勝手な恋だって分かってるけど、大好きでたまらないんだ。
愛しくてたまんないんだ。
「・・・んっ・・・」
キスの合間に洩れた彼女の吐息が、瞬く間に俺を現実の世界に引き戻した。
はっ!!
お、俺・・・。
やっと気付いた、自分の犯した“罪”。
次の瞬間、頭は真っ白になり・・・全身の血がサーッと引いた。
俺・・・俺・・・お嬢様に何てことを・・・。
慌てて彼女から離れると、ただただ驚いた瞳で俺を凝視するお嬢様。
その瞳が、俺を咎めてるようで怖かった。
何やってんだ、拓海。
翔太兄にも言われてたのに。『男になっちゃダメだ』って。
あれだけ『手は出さない』って、『男』にならないって悠斗に誓ったのに。
それなのに、何てことしちまったんだ!
自分の口を手で覆い、犯してしまった罪にガクガクと震えた。
俺は、悠斗との約束を破ってしまった。
それどころか、一番大切な人を・・・穢してしまった。
もう、お嬢様の傍にいられない。いちゃいけない。
でなきゃ、きっと俺は・・・もっとこの人を穢してしまう。
「早・・・瀬・・・」
震える声で俺の名を呼んだお嬢様にビクッとした。
「お嬢様、申し訳ありません。お許し下さい。お許し下さい。」
深く深く頭を下げ何度も謝罪する俺に、お嬢様が声をかけた。
「早瀬・・・あの・・・」
言いかけた彼女の言葉の先が怖くて、それを遮り口を開いた。
「ほんとに申し訳ありませんでした。さ、さぁ、お屋敷に戻りましょう、お嬢様。」
スッと立ち上がりリムジンへ戻ろう・・・いや、逃げようとした俺の手を、お嬢様が咄嗟に掴んだ。
はっ。
「ねぇ早瀬・・・い・・・」
再び開かれた彼女の口から零れ出す言葉に、恐怖で背筋は寒くなり一気に動悸が増す。
やめてくれ。何も聞きたくない。
君の言いたいことは分かってる。『今のは何のつもり?』『運転手の分際で変なことしないでよ、最低』って言いたいんだろ。
分かってるから、だから何も言わないでくれ。怖い。
「お、お嬢様、早く参りましょう。」
お嬢様の言葉を再び遮り、青ざめてると思われる顔で一生懸命の笑顔を作ると、彼女はそれ以上続けることなく小さく頷いた。
そうして、無言になったお嬢様をリムジンの後部座席に乗せ、車を走らせ始めて間も無く、ポケットの中でケータイが鳴った。
びくっ。
だ、誰だ・・・。
ごそごそとケータイを取り出し着信を見たと同時に、ガタガタと手が震え出した。
ゆ、悠斗・・・。
「・・・はい」
―「あぁ、早瀬か。お前にちょっと話しがあるんだ。月華を大学に送ったら俺の部屋へ来てくれ。」―
話し・・・?
「・・・分かりました。すぐに。」
なるべく平静を装い多くを返さず電話を切ると、覚悟を決めたように大きく深い息を吐いた。
屋敷に戻り玄関前でお嬢様を降ろした直後、彼女が俺の手を握った。
「早瀬、あの・・・」
「お、お嬢様、ほんとに申し訳ありませんでした。お嬢様に働いた無礼の償いはきちんと致します故、お許し下さい。では、早瀬は悠斗様に呼ばれておりますので・・・」
「え、お兄ちゃんに・・・?何の用って?」
「分かりません。ですが、早く行かないと怒られますので、これで失礼致します。」
真剣な目で問うお嬢様に淡々と答え、彼女に深く一礼してから屋敷に入り真っ直ぐ悠斗の部屋へと向かった。
長い長い階段と廊下を走って悠斗の部屋に辿りつき、ぜぇぜぇと出る荒い呼吸を整えてからドアをノックした。
「早瀬です。」
「はいは〜い。」
軽い返事とともにガチャっと開いたドアから現れたのは、くつろぎモードの悠斗。
「ご命令通り参りました。」
「おぅ、入れ。」
「はい、失礼します。」
中へと促されて足を踏み入れると、ソファの前にあるテーブルには何やら書類の束。
仕事中だったのか?
「あの、悠斗様、お仕事中なら後で参りますが・・・」
「ん?あぁ、いや、構わん。ソファに座れ。コーヒーでも入れてやる。」
気を使って言った俺にあっさり返した悠斗は、座るよう命令しコーヒーの準備に取り掛かった。
仕事を中断してまでする話しなのか?
「あの、お話と言うのは・・・」
コーヒーの準備をする悠斗にたまらず尋ねると、『まぁ、ちょっと待て。』と制されてしまった。
「はぁ。」
頷いて何気なくテーブルの上へ目を向けると、そこには俺の契約書。
契約書・・・?
「ほら、コーヒーとチーズケーキだ。食え。美味いぞ。」
いつもと変わらずの態度でテーブルにコーヒーとケーキを置いた悠斗は、ポフッとソファに腰を落とした。
「あ、ありがとうございます・・・」
「はぁ〜、コーヒー美味い。・・・おっと、話しだったな・・・」
礼を言った俺の横で、コーヒーの美味さににへにへした悠斗がやっと本題に入った。
「これだ。」
カップをテーブルに置いた悠斗が、代わりに俺に差し出したのは契約書。
「契約書・・・ですか?」
「あぁ。採用初日に言うのをすっかり忘れててな。だから、それをお前に伝えておこうと思って。ほんとは、バーベキューの日に言おうと思ったんだが、せっかくのバーベキューでそんな話しするのも何だろ?だから、やめたんだ。」
そう言って苦笑する悠斗。
バーベキューの時に?
あぁ、そういや、何か言いかけてやめたっけ、こいつ。
「あ、はぁ。で、その、話しと言うのは?」
「ん?あぁ、お前との“運転手契約期間”のことだよ。」
え?
さらっと答えた悠斗を、即座にまっすぐ見返した。
「契約期間?」
「そ。一応、月華の運転手として雇うのはあいつが大学に通う4年間だけのつもりだ。それを言っておくのを忘れてたんだ。」
さらりと言ってのけた悠斗は、美味そうにチーズケーキを頬張った。
4年間?
そうか。
最初から俺の夢は、4年間で終わるはずだったのか。
もしかしてお嬢様は、これを知っててあんなことを俺に聞いたのかな?
でも結果的には、“4年後”じゃなく・・・“今”去る破目になっちまったけど。
「そうですか。分かりました。あの、私からも悠斗様にお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
拳をぐっと握り締めて話を切り返すと、悠斗がケーキをもごもご食いながら『ん?何ら?』と首を傾げた。
「今日付けで、私を解雇して下さい。」
「うぐっ。げほっげほっげほっ・・・はぁぁ??何言ってんだ?お前。」
俺の唐突な申し出に、喉にケーキを詰まらせ涙目で声をあげた悠斗。
「お願いします。私は、お嬢様の運転手を続ける資格はありません。それどころか、運転手にあるまじき行為をしてしまいました。ですから、本日付けで解雇をお願いします。この契約書も破棄と言うことで・・・」
手に取った契約書をビリビリと破りテーブルに置いた俺は、スッと立ち上がり悠斗へ深く頭を下げた。
そんな俺を、悠斗は声も無く呆然と見ていた。
「数ヶ月でしたが、お世話になりました。こんな私を採用して下さった悠斗様には、多大な感謝をしております。ありがとうございました。お嬢様にも、よろしくお伝え下さい。では、失礼します。」
言いたいことだけ言って悠斗の前から去ろうとしたのを、がしっと掴んで止められた。
「あ、お、おい、ちょっと待て!!何なんだよ!?何があった!?資格が無いってどういうことだ!?あるまじき行為って何だ??」
俺の腕をぐっと強く掴んで詰問した悠斗。
「・・・『男』に、なっちゃいました。もう、お嬢様のお傍にはいられません。では、失礼します。」
それだけ告げて悠斗の手を振り払い、ドアまで行ったところで大事なことを教えるべく足を止めた。
「悠斗様、最後にひとつだけご忠告を。シルバーのアリストにはお気をつけ下さい。昨日、お嬢様が狙われました。寸前でお助けしましたが、きっとまた襲ってくるはずです。では・・・」
「えっ!?狙われた・・・って、おい、ちょっと待てよ早瀬!」
背後で引き止める悠斗に振り返ることもせず、そのまま部屋を出るなり駆け出した。
走って走って、息が切れるほど走って玄関を出ると、リムジンに乗り込んで駐車場へ車を飛ばした。
お嬢様、無礼の償いは、貴女の運転手を辞めることでお許し下さい。
今までありがとう。
そして、さよなら。
駐車場で車を止め降り立つと、翔太兄が待機室から姿を見せた。
「あ、拓。おかえり。」
「ただいま。」
「おいしいシュークリームあるんだ。拓も一緒に食べようよ。」
にっこり誘う翔太兄に『うん、車綺麗にした後でもらうよ。』とだけ言い、早速リムジンの手入れに取り掛かった。
せめて綺麗に拭いてから出て行きたいからな。
「分かった。じゃあ、拓の分は冷蔵庫にいれておくね。」
何も知らず素直に応じて微笑んだ翔太兄は、ツカツカと待機室に戻って行った。
ごめん、翔太兄。後で、ちゃんとお別れ言うから。
車を磨き始めた矢先、悠斗が駆けて来た。
「おい!早瀬!!」
「悠斗様・・・。お世話になったリムジンは、きちんと拭いてから帰りますから・・・」
「俺が言いたいのは、そうじゃない!」
「悠斗様が何を仰りたいかは存じませんが、私はもう、悠斗様にお話しすることはありません。それに、そんな風に声を荒げないで下さい。川凪さんやみんなに聞こえます。」
手を止めること無く淡々と言葉だけで返すと、悠斗が俺の手を掴んだ。
「そうか、分かった。じゃあ来い!」
え・・・。
「あ、ちょ、ちょっと、悠斗様。」
タオル片手に連れて行かれたのは、庭の池のほとり。
「男になったってどういうことだ??月華と何があった?」
俺の手を掴んだまま問いただす悠斗に視線を逸らした。
「ですから、『男』になった。それだけです。それ以上は言えません。」
「キスでもしたか?」
え。
図星を言い当てられ、返す言葉も無くただカッと赤面してしまった。
「当たりか。」
「もういいでしょう。お嬢様には、『無礼を働いた償いはきちんとします』とお話しました。ですから、どうか他の運転手をお雇い下さい。」
悠斗の手をなぎ払い、背を向けて歩き出した瞬間、悠斗が叫んだ。
「お前!そんなことで逃げ出すのか!?とんだ俺の見込み違いだな。もっと月華のこと想ってて、根性ある奴だと思ってたよ。分かった、お前は今日付けで解雇だ。車の手入れもしなくていい。そんな奴に触られたくない。すぐに出て行け。」
冷たく吐かれた悠斗の言葉に、唇を噛み締めタオルをぐっと強く掴んで駆け出した。
どうせ、俺は根性ねえよ。
でも、これでも、今まで一生懸命我慢してきたんだ。頑張って来たんだ。
お嬢様に尽くしてきたつもりなんだ。
涙が落ちそうなのを必死に堪え、走って駐車場へ戻るなりタオルを投げ捨て使用人駐車場へと駆けた。
そうして乱れる息もそのままにベンツに乗り込むと、脇目も振らず自宅マンションへと車を走らせた。
夜―――。
何も考えたくなくて、缶ビール片手にベランダでぼーっと月を眺めていると、チャイムが鳴った。
圭兄か。
玄関のドアを開けると、立っていたのは案の定圭兄。
「おっす、拓海。」
「あぁ、どうぞ。」
あがるよう促し先にリビングへ行くと、冷蔵庫から缶ビールを二本取り出した。
「圭兄、ビール飲むだろ?」
「おお、さんきゅ。喉渇いてたんだ。そうだ、ほら晩飯、食ってないだろうと思って寿司買って来た。一緒に食おう。」
俺の問いににこにこ答えた圭兄は、持っていた紙袋を見せた。
「ありがと。助かる。何も作る気になれなくてさ。じゃあ、座っててくれよ。皿と醤油出すから。」
食器棚から二人分の皿と醤油を取り出し冷蔵庫からわさびを取ると、ソファへと移動し早速二人で食べ始めた。
「うまい。寿司なんか食ったの久しぶりだ。」
「そっか。良かった。んじゃ、いっぱい食え。」
俺を見てにっこり返した圭兄は、美味そうにトロを食っていた。
「うん。あ、ところで、圭兄の話って何なんだ?」
もそもそ食いながら今朝の話題を振ると、圭兄は箸を置いて口を開いた。
「あぁ、飛廉会のことなんだが、奴らがやってるヤミ金あるだろ?」
飛廉会のヤミ金?
「ん?あぁ。それが?まさか、うちの金貸し業の邪魔してるのか?」
箸を咥えて言葉を刺した俺に、圭兄が首を振った。
「いや、そうじゃないんだ。そのヤミ金から、とある会社の社長が金を借りてるんだが、どうも会社経営が上手くいかず、返済が滞ってるらしい。ま、奴らの金利はアホほど高いからな。って、うちもよそ様のことは言えないが。・・・まぁ、それは置いといて。返済の滞ってるその男に、飛廉会の若い奴らが返済を迫っててな・・・」
「ほえ?そんなの、当たり前じゃん。『借りたものはきちんと返す!』そんなの子供だって知ってるぜ。」
圭兄の話しの最中で再び言葉を刺すと、『まぁ、最後まで聞け。』と頭をこつんと叩かれた。
「確かに、貸した金を返して貰う為返済迫るのは当然のことなんだが、ちょっと厄介なことになってるんだ。本人から取る方法がいくらでもあるのに、奴ら・・・よりにもよってとんでもないことをその男に吹き込んだらしい。」
「とんでもないこと??」
軍艦巻きのウニをパクッと口に入れて聞き返すと、圭兄はこくんと頷き言葉を続けた。
「あぁ。奴ら、その男に『簡単に返済出来る方法がある。自分達も手を貸すからやってみないか』って持ちかけたんだ。つまり、『誘拐、身代金強奪』だよ。しかも・・・聞いて驚くなよ?ターゲットは『沢村の令嬢』、つまり『お嬢』なんだ。奴ら、その男にお嬢を誘拐させて、沢村から金を奪う気だ。でもって一件の後、口封じにその男を始末するつもりでいる。もちろん、保険金もちゃっかり頂くって寸法だ。だが、その後が問題なんだ。お嬢を何処かに売り飛ばして、金に換えるつもりらしい。」
え・・・。
圭兄の話しに、背筋にゾクッと悪寒が走ったと同時に、持っていた箸を落としてしまった。
じゃあ、じゃあ昨日お嬢様を狙ったあの同業者っぽい男は・・・飛廉会の人間だったってのか?
「嘘・・・だろ?」
「それが、どうやら嘘じゃないんだ。ちゃんとした情報筋から入手したからな。だから、早くお前に伝えたくて来たんだ。お嬢は必ず狙われる。傍にいるお前がしっかり守ってやらないと。」
俺の肩をそっと掴んで強く言う圭兄。
俺が・・・守って。
圭兄の科白を心の中で呟き、ふっと鼻で笑った。
「無理だよ、圭兄。俺、もう、あそこの使用人じゃないんだ。今日からは、またただの“ヤクザの7代目”だから。」
「え!?使用人じゃないって、どういうことだよ??」
驚いた圭兄が俺の両肩を掴んで問いただした。
「どうって、ちょっといろいろあってさ。解雇されたんだ。だから、明日からは、もう行かない。」
へへっと苦笑いをして寿司を頬張る俺の腕を、圭兄が掴んだ。
「拓海、お前、それでいいのか?ほんとにそれでいいのか??」
圭兄・・・。
「いいんだよ。数ヶ月でもお嬢様の傍で、お守りできて幸せだった。仲良くなれて幸せだったんだ。後悔はしてないよ。」
犯した罪の償いはするべきなんだ。
これでいいんだ。
俺なんかが、お嬢様の傍にいちゃいけない。
「拓海・・・」
「大丈夫。お嬢様のことなら心配いらないさ。何せ、天下の沢村だぜ?パパッとSPなんぞ雇って護衛につけるよ、きっと。」
悠斗にちゃんとお嬢様が狙われてることは言い残してきたから、心配無いはず。
頼んだぜ、悠斗。
「そうか、お前が後悔してないなら、俺はあえて何も言わないよ。」
俺の腕を放して箸を持った圭兄は、寿司をそっと口に運んでいた。
「ありがと、圭兄。あ、それはそうと蓮のことなんだけど、もうしばらくしたら圭兄の出番だから頼むよ。」
話題を変えて振った俺に、『分かった。』とひとつ返事をした圭兄。
その直後、スーツの上着のポケットからケータイが鳴り響いた。
「拓海、ケータイ鳴ってるぞ。」
「ん?あ、うん。」
摘まんでいた寿司をパクッと頬張り、ケータイを取って着信を見ると、お嬢様。
お嬢様・・・。
「お嬢じゃないか。出てやれよ。」
着信の相手を見た圭兄が優しく言ったが、笑顔で首を振った。
「出れないよ。もう、俺は、あそこの使用人じゃないから。」
それだけ返すと、鳴り響く電話をぶちっと切った。
嘘つきだ、俺。使用人じゃないから出れないんじゃない。
ただ、お嬢様の非難の言葉が怖いだけ。
すいません、お嬢様。
こんな情けない早瀬を、お許し下さい。
「拓海・・・」
切った電話を握り締める俺を、圭兄が切なそうな声で呼んだ。
「なぁ、圭兄・・・。時間ってさ、戻すことが出来ればいいのにな・・・」
そしたら、あんな過ち・・・絶対犯さないのに・・・。
頬を伝う熱い雫もそのままに笑顔で言うと、圭兄は『そうだな・・・』と穏やかな声で同意してくれた。 |