【40話】 極秘プロジェクト始動
とてつもなく不機嫌な声をあげた俺に、悠斗が煙草を咥えたまま口を開いた。
「何だ、その嫌そうな反応は。」
むっ。
い、嫌そう・・・って。
「『嫌そう』じゃなくて『イヤ』なんです!そんなのやりたくありません!」
そうだ!何で俺が、そんなことしなくちゃいけないんだよ。
「そんなにキーキー怒るなよ。別にお前に『女装して、この男に言い寄れ』って言ってる訳じゃないんだしさ。」
煙草を吸いながらクールに俺の科白を流した悠斗は、ふーっと煙を吐いてにへにへした。
うっ。
じょ、女装・・・。
「ふざけんな!!当たり前だろーが!誰がそんなもんするかボケ!!って言うか俺にやらせなくても、それこそあんたの言う『国家機密』とやらを使って何とかすりゃいいじゃねえか!!その方が手っ取り早くて簡単だろーが!!」
テーブルをバンッと強く叩いて吼えたて・・・射抜くように悠斗を睨みつけると、睨まれた彼は『はぁ〜』とため息をつきながら首を振り・・・、俺の両肩に手を乗せた。
むっ?
「分かってない。分かってないなぁ〜、早瀬くんは。ちょっとその煮えたぎった脳みそを冷やしたまえ。でもって、冷えた頭でよ〜〜く考えろ??そりゃ、『国家機密』を使えば、とんでもなくスペシャルな情報がわんさか入ってくるし、この計画だって楽勝だ。・・・が!んなもん、人件費がかかって仕方ないだろう。それよりも、ここに『退院して、暇で暇でどうしよ〜〜〜〜〜〜もない早瀬くん』がいるんだ。こ〜んな『タダ』の人材を使わんでどうする。しかもだ、それをすることによって、君にはもれなく『リハビリ効果で筋力U〜P!』がついて来るんだぞ??おお!これぞまさしく一石二鳥じゃないか〜!どうだい〜??素晴らしいだろう〜♪さぁ、君も参加してみないかぁ〜??」
両手を広げ超満面の笑みを俺に向けて言う悠斗に、思わず開いた口が塞がらなかった。
・・・。
お前は、深夜のTVショッピングで『どうみても効果無いだろう的なトレーニングマシン』を紹介してる外国人のおっさんかよ。
要するに、その『元お華族様の自称俳優野郎』ごときに、『これ以上金をかけるのがもったいない』だけだろうが。
回りくどい言い方しやがって。
「リハビリなら、普段家でやってるのでご心配なく。それに、そんなリハビリで筋力が戻ることより、俺はお嬢様に嫌われる方が『イヤ』ですから。『お断り』します。」
きっぱり!はっきり!すっぱり!断って冷めたコーヒーをこくこく飲んでいると、隣りでじっと俺を見ていた悠斗が、今度は突然体を捻ってソファの背もたれにもたれかかり、ポフッと顔を埋めた。
むっ?何だ??
訳が分からずじとっと見据えていると、ちろっと恨めしそうな視線をこちらに向けた悠斗は、俺と目が合うなり再びソファに顔を埋めた。
むむっ。だから、何なんだよ。
「そうか・・・じゃあお前は、『可愛い可愛い月華』があ〜〜〜んなゲス野郎に騙され続けててもいいって言うんだな??それで平気なんだな??そうなんだな??あぁ〜〜〜〜〜、なんて可哀想な月華。大好きな大好きな早瀬にも見捨てられた挙句、あんなゲス野郎に騙され続けるなんて・・・。可哀想で見てられない。しくしく。」
はははっ。・・・なるほど、泣き落としな訳か。
ソファの背もたれに顔を埋めたまま『さめざめと泣きマネ』をする悠斗に呆れながらも、彼が何気に吐いた言葉の一片が、俺の耳から離れなかった。
『大好きな大好きな早瀬』・・・?
それって・・・、お嬢様が俺のこと・・・好きってこと・・・か??
心の奥で思った途端、一気に心臓は早鐘を打った。
「悠斗様、それって、それってお嬢様が私をお好き・・・と言うことですか?」
つい反応し聞き返してしまった瞬間、悠斗ががばっと姿勢を戻し俺の手を取った。
えっ。
「当たり前だろ〜〜。あいつお前のこと、す〜〜〜っごく大好きなんだぞ。『運転手』としてな。」
にまーっとして言い放った悠斗は、『引っかかった』と言わんばかりに、けっけっけっけ・・・と高笑いを付け加えた。
うぐぐぐ〜〜〜。
この悪魔め〜〜〜〜。
「そんなの分かってますよ!それ以上だとは思っておりません!」
悠斗の手を振り払い言い返した俺に、彼が細い視線を向けた。
うっ、何だよ。その目は・・・。
「嘘つけ。『俺のこと本気で好きってこと??』って、顔にし〜〜っかり書いてあるぞ。お前。」
はうっ。
悠斗のきつい突っ込みで言葉に詰まった俺は、ふいっと顔を背け唇を噛み締めた。
くそ〜〜、一度でいいからこいつをぶん殴ってやりたい。
しばらくの間、ぶすっと膨れて不機嫌満開で無言を貫いていると、根負けしたのか悠斗から口を開いた。
「そうご機嫌斜めになるなよ、早瀬。からかって悪かった。謝る。でも、この役目はお前が一番適してるんだ。」
え・・・?
俺が、適してる?
「それって、どういうことですか?」
そろそろと振り返り尋ねると、悠斗は煙草を吸いながら俺を見やった。
「ん?あぁ。俺は、こいつに面が割れてしまってる。けどお前は、幸いなことにこいつと面識が無いだろ?それに、仕事復帰まではまだ日数もある。だから、自由に動けるってことだ。それから、月華に対しての計画実行は、兄貴である俺がやるわけにはいかんからな。」
かいつまんで説明をした悠斗は、ふっと息を吐いてから冷え切ったコーヒーを一口飲み込んだ。
確かに、そうだけど・・・でも・・・。
「確かにそうかも知れませんけど・・・。でもそれをすることによって、私は確実にお嬢様に嫌われます。・・・私はお嬢様に嫌われたくありません。」
好きになってくれなんて言わない。だけど、嫌いになってほしくない。
嫌われたくない。
膝に置いた手をぐっと握り締め吐き出すように言った俺の肩を、悠斗がそっと掴んだ。
「大丈夫だ。お前は絶対嫌われない。それは俺が保障する。これは、月華の為なんだ。あいつを泣かせない為なんだ。だから頼む、この計画に乗ってくれないか?そして、まずはこのミッション・・・頼まれて欲しい。お願いだ、早瀬。」
真剣な顔で俺を見つめて頼み込みむ悠斗に、俺はしばし押し黙った。
お嬢様の・・・為・・・。
泣かせない為・・・。
例えそうだとしても、お前の計画は・・・酷いよ。騙されてるお嬢様を救うために、俺にお嬢様を騙せなんて・・・。お嬢様のことを好きなこの俺に・・・。そんな・・・。
「頼む、早瀬。この通りだ。こいつは、この間のクソガキなんかとは全然違う。俺、許せないんだよ、月華の気持ちに付け込んで騙すこいつのことが。この男から月華を守ってやりたいんだ。だから・・・」
再び頼み込んだ悠斗は、深々と俺に頭を下げた。
悠・・・斗・・・。
使用人である俺に真剣に頭を下げた悠斗を目の当たりにした瞬間、一番大切なことを思い出し、それと同時に自分自身が無性に情けなくなった。
・・・バカだ・・・俺。嫌われたくなくて、自分の身を守ることばっか考えてた。
お嬢様をお守りするのが、仕事なのに。
その為に、素性を隠してまで面接受けて、ここに就職したのに。お嬢様の運転手になったのに。『必ず早瀬がお守りします。』ってお嬢様に約束したのに。
お嬢様のことを第一に考えなくてどうするんだ。
「・・・分かりました、悠斗様。その計画、乗らせていただきます。私も、お嬢様を平気で騙すこの非道な男が許せませんから。」
心を決めて拳を強く握り締め承諾すると、顔をあげた悠斗が『ありがとう、早瀬。』と穏やかに礼を言い、更に言葉を続けた。
「大丈夫、お前ひとりを悪者にするつもりはない。きっちり俺がフォローに回るから心配するな。・・・さて、そうと決まれば『舞台開演』だ。沢村財閥の令嬢を騙して天狗になってるこの『自称俳優野郎』を、徹底的に痛めつけて料理してやろうじゃないか。舞台降板を願い出るまでな。」
「ええ。当然です。地獄どころか、その果てを見せてやりますよ。」
言った最後にふっと口端を吊り上げた悠斗に冷笑を浮かべて返した俺は、まず『接近』と『探り』と言う、この2つのミッションをこなすことになった。
その後しばらく『元お華族様の自称俳優野郎』の話をしながら、ふとあることが気になって悠斗に問いかけた。
「あの、ひとつ伺ってもよろしいですか?第一段階のミッションですが、私のやり方でやればいいのでしょうか?それとも何か策が・・・」
尋ねた俺に悠斗は、『ん〜・・・』と顎に手を当て、しばし考えてから口を開いた。
「基本的にはお前に任せる。が、月華には探りを入れすぎるな。感づかれる。」
「分かりました。では、この写真をお借りします。何せ私は、この男に会ったことありませんので。ところで、お嬢様は今日は?」
「ん?あぁ、デート。そいつと。もうそろそろ帰って来るんじゃないか?『原稿書かなきゃいけないから早く帰る』って言ってたし。」
足を組んで煙草を吸う悠斗は、時計を見ながらそう言った。
同じく時計へと視線を移すと、既に4時前。
「そうですか。それでは、お嬢様がお戻りになられる前に、私は悠斗様のお部屋から退出させていただきます。」
「あぁ、そうだな。じゃ、玄関まで送ってやるよ。」
ソファをゆっくり立った俺に同意した悠斗は、すくっと立ち上がってドアの方へ歩いて行った。
そうして玄関まで送ってもらった俺は、悠斗に一礼してから待機室の建物へと戻った。
トボトボと歩き建物の前で足を止めた俺は、しばらく立ち止まった後・・・待機室へは入らず踵を返し庭へと向かった。
池のほとりのベンチに腰を下ろし大きなため息をついた後、ごそごそとスーツの内ポケットから取り出した『片桐 蓮』の写真。
それをじっと見つめながら、悠斗の言葉を思い出した。
「こいつの口癖・・・『女なんてのは、貢がせて金を巻き上げる為の道具だ。』だとさ。上等だと思わねえ??」
『女は貢がせて金を巻き上げる為の道具』・・・か。笑わせるじゃねえか。・・・って、俺もちょっと前までは似たようなこと言ってたっけ。
はははっ・・・。
そういや、こいつのことで、もうひとつ聞き捨てなら無いこと言ってたな、悠斗の奴。
確か、『自分は男前で、女に振られたことは一度も無いらしい』とかなんとか。
『振られたことは一度も無い』・・・ねぇ。俺だってそうだっつーの。
しかもだ!!!こいつなんかより、俺の方が何百倍もかっこいいし、数千倍男前だぞ。
なのに・・・。なのにぃ〜〜・・・。
「あぁ〜〜〜〜〜〜、お嬢様ときたら、何ゆえこのような下郎とお付き合いをなさろうなどと・・・。男前を御所望ならば、ここにお嬢様をお慕い申し上げる『男前な早瀬』がおりますのに。何故に早瀬を好いては下さらず、よりによってこのような下郎を・・・。早瀬は・・・、早瀬は、とても悲しゅうございます・・・うぅっ・・・。・・・おのれ〜〜、愛しのお嬢様を誑かし、狼藉を働く憎き下郎『蓮』!!必ずやお嬢様の御為、貴様を成敗・・・いや、腹をかっさばいてその首を取ってくれる!!」
しくしく嘆き悲しんだ後、一変・・・写真を睨みつけてひとりメラメラ野望に燃えていると、突然背後から声が聞こえた。
「た、拓・・・、拓の周りだけ時代背景が戦国になってる・・・」
へ?
写真を握り締めたまま振り返った先にいたのは翔太兄。
「あ、翔太兄・・・。」
「何だか、めちゃめちゃ怒りに燃えてるみたいだね。ん?それは・・・お嬢様の『今彼』の写真。坊ちゃんの用事ってそれだったのかい??」
隣りに腰を下ろした翔太兄が、写真を見ながら俺に尋ねかけた。
「あぁ・・・うん。」
写真をくしゃっと握り頷くと、翔太兄は『そっか。』とだけ返した。
「なぁ、翔太兄・・・」
「ん?」
ふと声をかけた俺に、翔太兄がにっこりと笑顔を向けた。
「お嬢様は、どうしてまた彼氏作ろうと思ったんだろう。前にさ、俺が入院してたときに言ったことがあるんだ、『お嬢様ならすぐに彼氏が出来ますよ。』って。でも、その時お嬢様は、作る気無さそうだったんだ。なのに・・・何でこんな早く・・・。」
『彼氏作っても、どうせまたライバルがいて、嫌がらせされたりするかも。』・・・そう言って切なげに笑っていたお嬢様。
なのに・・・、よりにもよってこんな(女に振られたことがないと豪語する)イケメン。
絶対、二股三股だってされてるに違いないのに・・・。お嬢様だって、きっと分かってるはずなのに。
どうして・・・。
「さぁ・・・、お嬢様のお心はお嬢様にしか分からないよ、拓。」
穏やかな眼差しで言った翔太兄は、いつもの如く優しく俺に笑いかけた。
お嬢様にしか・・・分からない・・・か。
「そうだな。」
ぼそっと呟いた俺に『うん。』と頷いた翔太兄が、ふいに屋敷の方を指差した。
「お嬢様、帰って来られたみたいだよ。」
え?
彼の指差す方へ視線を向けると、玄関前に止まる一台の車。
そこから降り立ったお嬢様は、彼氏もどきを見送った後、俺たちの方へ視線を向けた。
お嬢様・・・。
こうして見るのは、2週間ぶりだ。
でも、今の彼女は人の物・・・いや、にっくき下郎の物。
「あ、じゃあ、俺は待機室に戻るね、拓。」
気を利かした翔太兄が、俺に囁いてからベンチを立った。
えっ。
「あ、別に、戻らなくても・・・」
慌てて翔太兄の腕を掴んだが、その手は彼によって離されてしまった。
「な〜に言ってるんだよ。邪魔者は退散しないと。じゃ。」
そう言ってふふっと笑った翔太兄は、ひらひらと手を振り待機室へ帰って行った。
翔太兄・・・。
翔太兄がいなくなってから、写真をポケットにしまい込んでしばらく後・・・、俺のもとにやって来たお嬢様が声をかけた。
「は〜や〜せ。」
「あ、お嬢様お帰りなさいませ。お久しぶりでございます。」
立ち上がって頭を深く下げ挨拶をすると、お嬢様がベンチにちょこんと腰を下ろし、隣りをトントンと叩いた。
「早瀬も座りなよ。」
「え、は、はい。」
言われるままにお嬢様の隣りへ腰を下ろすと、彼女が俺をちらっと見上げて口を開いた。
「退院おめでと、早瀬。」
「ありがとうございます。入院中は、お見舞いに来てくださりありがとうございました。」
「ううん、私こそ、途中からお見舞いに行けなくなっちゃってごめんね。」
ちょっぴり言いづらそうに答えたお嬢様は、池の方へと視線を落とした。
「いえ。悠斗様がお見舞いに来てくださった際に仰っておられました。お嬢様に彼氏がお出来になった・・・と。良かったですね。やっぱり早瀬が申したとおりだったじゃないですか。すぐに彼氏がお出来になった。19歳の大人の女性になられたお可愛いお嬢様を、世間の男が放っておくわけがないじゃないですか。」
お嬢様の横顔に優しく笑顔で返したと同時に、彼女がぷっと頬を膨らませ・・・池を見つめたまま口を開いた。
「嘘ばっかり。散々子供扱いしてたじゃん。そんなお世辞、言わなくてもいいよ。」
お嬢様・・・。
「お世辞じゃないですよ。お嬢様は、とってもとってもお可愛いくて綺麗な大人の女性ですよ。」
ほんとだよ。君は最高に綺麗で可愛い大人の女だ。
俺が、『男の本能』を堪えるのに苦しむくらいね。
ふくれっ面のお嬢様を覗き込んでにっこり笑いかけたが、彼女はぶすっと膨れたまま。
あははは・・・『お子様ですね。』って言ったこと、相当根に持ってるな、こりゃ。
う〜〜ん。謝って済むかな・・・。けど、一応謝っておくか。
「『お子様』などと申してすみませんでした。謝ります。お許し下さいお嬢様。」
不機嫌極まりないお嬢様に深く頭を下げて謝罪すると、しばし沈黙があってから『もう言わない?』とお嬢様が小さく聞いた。
「ええ。申しません。お約束します。」
「じゃあ、・・・仕方ないから許してあげる。はい、約束の指きり。」
まだ不服そうに、しかも偉そうに言いつつ小指を出すお嬢様がめちゃめちゃおかしくて、笑いが込み上げたのを必死に堪えた。
「はい、ではお約束の指きりを。」
お嬢様おもしろすぎ。やっぱお子様じゃん。
お嬢様と指きりを交わしながら、彼女の行動が可愛くておかしくて・・・腹の中で爆笑してしまった。
ダメだ、おかしすぎて腹が痛い。
「あっ、そう言えば、早瀬がここにいるってことは、今日からお仕事復帰なの??」
指きりをしてご機嫌になったのか、突然笑顔で話題を変えたお嬢様に、俺は一瞬間を置いてから首を振った。
「・・・いえ、違います。今日はその件で悠斗様に呼ばれて来たんです。」
「そうなんだ?いつから復帰していいって??明日?明後日?ねぇ、いつから??」
嬉しそうにいくつもの質問を投げかけるお嬢様が、妙に可愛いくてまた笑いそうになってしまった。
お嬢様、可愛すぎ。
「さぁ、いつになるのか分かりません。悠斗様のお話では、お嬢様の彼氏はとてもお優しい方だそうで、送り迎えもして下さっているとか。ですので、私の仕事が無くなってしまった以上、復帰させていただくのも申し訳なく思いまして、悠斗様とお話をした結果『しばらくお休みをいただく』ことにしました。」
適当に言い繕って答えた次の瞬間、お嬢様が俺の腕をぐっと掴んだ。
え・・・。
「そんな・・・。それじゃ・・・、それじゃ・・・明日からまたずっと来ないの??早瀬に会えないの??」
尋ね返すお嬢様は、先程の笑顔とは異なり、寂しさをいっぱいこめた瞳をしていた。
「ええ、悠斗様からのお呼び出しで時々顔を出す程度になると思います。ですが、お嬢様にはお優しい彼がいらっしゃいますし、お出かけもお困りではありませんでしょう??先程、遠目ですがちらっと拝見しましたよ、噂の彼。」
お嬢様の髪をそっと撫でて優しく告げると、彼女は俺を掴んだまま俯いた。
お嬢様・・・?
「いかがされました?彼と何かあったのですか?」
下から覗き込むようにお嬢様を見て尋ねると、悲しげな瞳で首を振った彼女。
違うのか?じゃあ・・・。
「では、お体の具合でもお悪いですか??」
何だか心配になって質問変えてみたが、やはりお嬢様は何も答えず首を振るばかり。
どうしたんだろう。俺、何か気に触ること言ったのかな・・・。
サッパリ分からず困り果てて悩んでいると、突然お嬢様に抱きつかれた。
「うわっ!お、お嬢様・・・。」
何だ、何が起こったんだ??
状況が把握出来ずオロオロする俺を、お嬢様が見上げた。
え・・・。
「蓮くんにちゃんと言うから。早瀬の仕事取らないから・・・。お出かけも、早瀬と一緒に行くから・・・。だから・・・毎日来ていいよ、早瀬。ね?ね?」
上目遣いで俺に必死に訴えてくるお嬢様がとてつもなく愛しくて、思わずぎゅっと抱きしめてしまった。
ほんと、君って子は・・・何でそんなに可愛いんだよ。
「お嬢様、早瀬に気を使って下さらなくてもいいんですよ。お出かけを早瀬と一緒にしてしまっては、その“蓮”くんが悲しまれますよ。そうでしょう??」
髪を撫でながら言い諭す俺を見上げ、『でも・・・』と口ごもったお嬢様。
「お好きなのでしょう?その“蓮”くんという方のこと。早瀬には、どのような方かは存じませんが、お嬢様がその彼をお好きなことくらいは分かります。」
さり気なく蓮の話を振ってみると、お嬢様は俺から離れて俯き・・・小さく口を開いた。
「うん、好き・・・だよ。すごく優しい人だもの。」
優しい・・・か。
「そうですか。なら、お出かけは彼として差し上げた方が、よろしいですよ。」
「でも、は・・・」
俺に続くように何か言いかけたお嬢様は、慌てて口に手を当て言葉を切った。
ん?
「お嬢様?何でしょうか?」
優しく聞き返してみたが、彼女はぶんぶんと首を振り『・・・何でもない。』と呟いて、それ以上喋ろうとしなかった。
何を言おうとしたんだろう?お嬢様・・・。
途中で止めたってことは、知られるとまずいことか?もしや、下郎『蓮』の秘密・・・??
んな訳無いか。
「さて、私はそろそろ失礼します。家に友達を置いてきてるので。お嬢様も、お仕事があるのでしょう??先程、悠斗様がそう仰ってました。」
ほんとは、『蓮』のことを少し探ろうかと思ったけど、今日はやめておくか。
久しぶりに会ったお嬢様と、いきなり奴の話しはしたくない。
「友達・・・?」
小さく聞き返したお嬢様は、俺をじっと見つめた。
「ええ、昼間ここへ来る前にうちに来ましてね。部屋で待ってるように言い置いて来たんです。早く帰って来いと言われてるので、そろそろ失礼しないと。」
ベンチを立って苦笑いをした俺に、お嬢様が『部屋で・・・。そう・・・。じゃあ、早く帰ってあげないとね。』と呟き同じくベンチを立った。
「それではお嬢様、早瀬はこれで失・・・」
軽く頭を下げて挨拶しかけた俺の腕を、突然お嬢様が掴んだ。
「早瀬、明日も明後日も・・・毎日来て。」
え・・・。
「お嬢・・・様・・・?」
予想してなかった彼女の科白に驚いて頭を上げ・・・目を見張っていると、『仕事は、ちゃんと私が用意するから。だから・・・。』と恥ずかしそうに言葉を付け加えたお嬢様。
君って、ほんとに可愛すぎだよ。
「はい、承知いたしました。では、お嬢様のご命令どおり、明日から出勤致します。」
にっこり微笑み応じる俺を見たお嬢様は、ほっと表情を和らげた。
「うん。じゃあ、明日待ってるね、早瀬。それじゃ。」
そう言って照れくさそうに手を振ったお嬢様は、屋敷へと駆けて行った。
お嬢様・・・。
ごめんよ。俺は、君にとってきっと酷い男になる。
でも、これだけは本当だよ。俺は、世界で一番君を愛してる。
「さて・・・と、ミッション開始と行きますか。」
お嬢様の姿が小さくなるのを見届けてから、大きな息を吐き・・・気持ちを切り替えた俺は、沢村の屋敷を後にした。
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