【18話】 夢
ゴールデンウィーク明け。
今日からまた、いつもどおりの仕事が始まる。
でも、GW中に草津で会ってることはお嬢様には秘密にしておかなければ・・・。
「あぁ、二日ぶりにお嬢様に会える。お元気になったかなぁ〜、お嬢様。」
にへにへしながら沢村の屋敷へと出勤し、待機部屋に入ると翔太兄が笑顔を見せた。
「拓、久しぶり。お土産にお菓子買ってきたから拓も食べなよ。」
「え?何?何?どっか行って来たんだ?翔太兄。」
翔太兄に手招きされてソファにちょこんと座ると、テーブルの上にはお菓子の山。
おお!うまそうなおやつが・・・。
「高知帰って来たんだ。親父の具合見にさ。で、これはお土産のお菓子。あとは・・・はい、これ。拓の分。」
にっこり笑顔で翔太兄が俺に手渡したのは、『四万十川の海苔』。
おおぉ〜〜!これは!
俺の好きな海苔。
「これ俺大好きなんだ!うまいよな、この海苔。これあるとメシがいっぱい食えるんだよ。」
海苔を持ってにへにへする俺を見て、加藤さんが口を開いた。
「そうそう!アツアツのご飯にのっけて食べると、実にうまいんだよなぁ〜これが!」
腕組をしてしみじみ言う加藤さんに、『そうなんですよ〜』とうんうん頷いて同意していると、翔太兄と山中さんが俺たちを見て笑っていた。
「さっそく、今晩から食お〜っと。ありがとう〜翔太兄。あっ、そうだ、俺もみんなにお土産があったんだ。えっと・・・これ。」
3種類のお菓子の箱をドンッと乗せると、みんなが『おお!うまそう!』とにまにま顔になった。
「ほぉ、早瀬くん、草津行って来たんだ?もしかして、彼女とかい?」
にやにやしながら尋ねてくる山中さんに、俺は軽く手を左右に振って笑った。
「嫌だなぁ、山中さん。違いますよ、家族旅行です。普段なかなか行けないもので、何とか一泊だけ。」
そう言って苦笑すると、加藤さんが視線を細めた。
「親孝行してきたってわけか、早瀬くんも。そりゃ、親御さんも喜んでただろう。」
「えっ?あははは・・・どうでしょうか。何せ、『行こう』って言い出したのは親父なもので。」
「早瀬くんちは、商売か何かしてるのかい?普段行けないってことは?」
苦笑いの俺に不思議そうに尋ねたのは山中さん。
うげっ。
その質問が飛んだ瞬間、翔太兄がフォローに入った。
「いえ、そうじゃなくて、拓んちのお父さんは会社のえらいさんらしくて。それで、忙しくて暇が取れないんですよ。ね?拓。」
「あ、あぁ、うん。そうなんです。うちの親父、仕事忙しくて。」
『銀龍会6代目が親父です』なんて口が裂けても言えない。
「そっかぁ?じゃあ、なかなか家族旅行も行けないね。」
素直に納得した山中さんは、ふむふむと頷いていた。
はぁ〜・・・、翔太兄に救われた。
「あ、拓、そろそろお嬢様の登校時間だよ!行かないと!」
翔太兄に言われて腕時計を見ると、お嬢様の登校時間5分前。
「うわっ!!ほんとだ!行って来ます!」
慌ててリムジンの鍵をボックスから取り、俺は駐車場へと走った。
リムジンを屋敷の玄関前に着け・・・降りたのと同時に、玄関の重いドアが開いた。
あっ、お嬢様。
二日ぶりのお嬢様は、やっぱりかわいい。
「おはようございます、お嬢様。」
深く頭を下げて挨拶をした俺に、お嬢様が笑顔を向けた。
「おはよう、早瀬。」
風邪はすっかり良くなったみたいで、元気いっぱいな彼女。
その姿を見て、俺はほっと安堵した。
「お車にどうぞ、お嬢様。」
後部座席のドアを開けて声をかけると、彼女は『ありがとう。』とにこっと笑みを返しゆっくり乗り込んだ。
そっとドアを閉めて運転席に移動した俺は、大学へと車を向けて走らせた。
車が走り出してだいぶ経った頃、本を読んでいたお嬢様がそれをパタンと閉じた。
「ねぇ、早瀬。」
声をかけてきた彼女に、俺は思わずドキッとした。
来た。落ち着け、拓海。お前は、GWは家にいたんだ。何処にも行ってないんだ。
何度も自分の中で呪文のように繰り返していると、お嬢様が言葉を続けた。
「早瀬って、GW何処か行った?」
「いえ、何処にも。家でゆっくりさせていただきました。」
大丈夫だよな?俺、普通に喋ってるよな??
不安でドキドキする俺を、ミラー越しにじっと見つめたお嬢様は『そっか。』と少し寂しそうな瞳で頷いた。
お嬢様・・・?
「どうかなさいましたか?お嬢様。」
「ん?ううん。気のせいなのかなぁ?って思って。」
「何がですか?」
「あ、うん・・・。私、旅行中に熱出しちゃって。その時に、誰かが薬を飲ませてくれたような気がするんだけど・・・。」
う〜んと思い出しながら喋るお嬢様に、俺は内心ドキドキしっ放しだった。
「桜さんだったのでは?」
ぼそっと突っ込んでみると、彼女はぶんぶんと首を振った。
「ううん、桜じゃないと思う。あれは絶対男の人だよ。でね、声が・・・早瀬に似てた気がしたの。だから、もしかしたらと思って。」
真面目な顔で返すお嬢様をミラー越しに見ながら、俺はくすくすと笑った。
「お嬢様の旅行先を知らない私が、お嬢様にお薬を飲ませてさしあげるのは不可能です。きっとそれは、お宿の方だったのでしょう。」
「そっか。そうだね。じゃあ旅館の人だったのかも。」
俺の説明に素直に頷いたお嬢様は、にっこりと笑顔を向けた。
良かった、信じてくれたみたいだ。
「ご旅行中お熱があったのでしたら、ゆっくり温泉に浸かれなかったのではありませんか?」
どうだったんだろう?あれから熱・・・。
さり気なく尋ねてみると、お嬢様は軽く首を振った。
「ううん、薬のおかげで熱も下がって、いっぱい温泉入って来たよ。あっ、そうそう!早瀬にもちゃんとお土産買って来たの。えっとね・・・、まずは『温泉饅頭』でしょ・・・、それから『草津温泉に行って来ましたクッキー』と『おせんべい』に・・・、あとは・・・これ!『草津温泉の素』三箱詰め合わせ!ほら、早瀬ってばGW何処にも行かないって言ってたし。少しでも、温泉行った気分になれればいいと思って。」
鞄の中からゴソゴソとたくさんのお土産を取り出し、にこにこ笑顔で見せるお嬢様。
そんな彼女がやっぱりとても可愛くて、俺はミラー越しにじっと見つめていた。
お嬢様、可愛すぎ。
出来るなら・・・、思いきりぎゅって抱きしめたい。
「そんなにたくさん・・・。よろしいのですか?」
饅頭にクッキーにせんべいに温泉の素が三箱詰め合わせ・・・って。
ほんとに貰っていいのかな。ちょっと気が引ける。
「いいんだってば。だって、早瀬には、助けてもらったり休日出勤や残業してもらったりしてるしね。」
ふふふっと笑って俺を見るお嬢様。
なるほど、そのお礼って訳か・・・。
「ありがとうございます、お嬢様。では、有難く頂戴致します。」
「あ、もしかして他のお土産の方が良かった?」
「いいえ。とんでもございません。お嬢様からのお土産は、何でも嬉しゅうございます。」
俺の顔を伺うように尋ねたお嬢様に向かってにっこり笑顔で答えると、彼女はほっとしたような顔をしていた。
初めて君から貰った物・・・、嬉しくない訳無いじゃん。
最高に嬉しすぎて、食べるのも使うのももったいないよ。
間も無く大学の門前に到着し、俺はゆっくりリムジンを止めた。
「お嬢様、到着いたしました。」
運転席を降りて後部座席のドアを開けると、お嬢様が『ありがとう。』と笑顔で降り立った。
そこへやって来たのは桜さん。
ひっ!桜さん!
「月華〜、おはよ〜。」
明るい声で手を振り駆けて来た桜さんは、ちらりと俺を見た。
ぎくっ。
お願いだから、お嬢様には言わないでくれ。
「おはようございます、早瀬さん。」
笑顔で挨拶をしてきた桜さんに、俺は慌てて頭を下げた。
「おはようございます、桜さん。」
挨拶を返してから苦笑する俺を、お嬢様が不思議そうに見つめて口を開いた。
「どうかしたの?早瀬。」
「あ、いえ。何でもありません。行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
「うん、じゃあ行って来る。桜、行こ。」
桜さんに声をかけたお嬢様は、にこにことご機嫌で歩いて行った。
しかし『うん』と返事だけした桜さんは、お嬢様の後を追いかける風でもなく、逆に彼女が少し離れたのを確認してから俺に小さく声をかけた。
「大丈夫ですよ、早瀬さん。月華には、何も話してませんから。」
「ありがとうございます、桜さん。出来れば、このままお嬢様には秘密にしておいて下さい。」
「はい。でも、早瀬さんって月華のことすごく心配されるんですね。」
桜さんは俺に穏やかな笑顔で言ってから、ご機嫌で講義に向かうお嬢様の後姿を見つめていた。
「いえ、運転手として、主の心配をするのは当然のことですから。」
「それだけですか?すごく優しい顔・・・されてましたよ、早瀬さん。月華に・・・。」
そう言って微笑む桜さんに、俺は見透かされたようで一瞬ドキッとした。
ダメだ、動揺するな拓海。
「それは、お嬢様に対してだけではありませんよ。私は、沢村のお屋敷の皆様には『いつも笑顔で優しく』を、モットーにしておりますので。」
にこっと笑みを浮かべて答え返すと、桜さんは『そうなんですか。』と素直に納得していた。
ふぅ・・・。
「桜〜〜〜〜早く行かないと講義遅れるよ〜〜〜!!」
ちっとも来ない桜さんに気付いたらしく、立ち止まって叫んだお嬢様。
「あっ、ごめん!すぐ行く!」
お嬢様に急かされた桜さんは、『ちゃんと秘密にしておきますから!』と俺に言い残し慌てて駆けて行ってしまった。
あははは・・・。お願いしますよ、桜さん。
沢村の屋敷に戻ってひとりで庭をふらふらしていると、屋敷からだいぶ離れた場所に来てしまった。
「ほんっと、広いよなぁ〜・・・。いったい何坪あるんだろう、敷地。うちが何軒建つのかな?むぅ〜・・・想像がつかん。」
きょろきょろしながら歩いていると、目の前に見えたのはテニスコート。
「うはっ、こんなのまであるのか。」
「あぁ、あるんだ。ちなみに、ヘリポートもあるぞ。それに、クレー射撃場だろ、プールだろ・・・あとは茶室もある。それから・・・」
俺の背後から答えを返してきた誰か。
しかも、その声は・・・
「うぎゃっ、悠斗様!」
振り向いて悠斗の姿を見た瞬間、驚きで数メートル離れてしまった俺。
何でこいつがここにいるんだ!?仕事はどうした??
「そんなに驚くなよ、俺は化け物か。」
むっとした顔で俺を見据える悠斗に、俺は苦笑いをした。
「す、すみません・・・。誰もいないと思っておりましたから。それより、どうしてここに?お仕事では?」
不思議に思い尋ねると、悠斗はにひゃっと笑った。
「長期休暇中だ。いいだろう〜。おお!そうだ!ちょうどいい、相手になれ。」
にへにへ顔で言った悠斗は、俺に何かを放り投げた。
咄嗟に掴んだそれは、テニスラケット。
ほえ??
「あの、悠斗様・・・これは?」
「ん?テニスラケットだ。そんなのも知らんのか?」
「知っとるわ!!・・・あ、すみません。これで何をするのでしょうか?」
思わず吼えた俺を見て、悠斗がくすくす笑いながら『テニスだ。』と告げた。
「テニス!?すみません、私はやったことありませんからご辞退します。」
そんなもん出来るか!
喧嘩と射撃なら得意だぞ。
はっきりきっぱり断る俺を無視して、悠斗はラケットとボールを持ってネットの向こう側のコートに行ってしまった。
おいっ!
「こらぁ!!人の話はちゃんと聞け!!・・・あ、すみません。」
いかん、どうもこいつには普通に喋ってしまう癖が。
ダメだぞ、拓海。こいつは、曲がりなりにもお前の雇い主だ。
「やっぱお前っておもしろい奴だな。ほれ、始めるぞ。コートに入れ。」
ケラケラ笑って命令した悠斗は、ボールをトントンついて俺のコート入りを待っていた。
うぅっ、やらないとダメなのか。
渋々スーツの上着を脱いでネクタイを緩めた俺は、袖を捲くってラケット片手にコートへ入った。
「おっ、いいねぇ。上着を脱いでネクタイを緩めた男前。絵になるじゃん〜。俺の次にな。」
俺を見ながらにまにま言う悠斗。
はいはい、自分が男前だって言いたいんだろ。
認めるよ、お前は男前だ、悠斗。
「あの、悠斗様。私は、テニス初めてなのでお手柔らかにお願い致します。」
「おぅ。じゃあ行っくぞ〜〜〜〜。」
そう言っていきなり始めた悠斗。
「んぎゃっ!!!」
『スコーン』と言う軽やかな音とともに、自分目掛けて飛んできたテニスボールに驚いて、反射的に逃げてしまった。
こ、こえぇ〜〜〜〜〜
こんなもん打てる訳ねえだろ!!!
「こらっ!!逃げるな早瀬!」
俺を指差して怒る悠斗に俺は切れた。
「バ、バカ野郎!!んなもん、逃げるに決まってるだろーが!!俺は初めてだって言ったの聞いてなかったのかてめえ〜〜〜!!!!」
あまりの怖さに怒号してからハッとした。
ぎえっ、しまった。また雇い主に失礼な言葉遣いをしてしまった。
「気合いが足りないんだ!気合いが!!ほら、もう一回行くぞ!今度はちゃんと打つんだぞ!テニスぐらい出来ないと、月華に嫌われるぞお前!」
えっ!お嬢様に嫌われる・・・。
それは嫌だ!
まんまと悠斗の挑発に乗ってしまったおバカな俺は、気合いメラメラでラケットをかまえた。
「こうなりゃテニスのひとつやふたつ、やってやろうじゃねえか〜〜〜〜〜!!おっしゃ!来い!!」
お嬢様に嫌われてなるものか!
「おお!やる気になったな、早瀬。ふむふむ。じゃあ行くぞ!!俺の球を打てるものなら打ってみろ!!」
そう言って始まった悠斗とのテニス。
昼前まで続いたそれは、まさに『部活の朝練』のようだった・・・。
うぅっ、地獄だ。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・死ぬかと思った・・・。」
へにゃへにゃと崩れ落ちた俺は、ラケットを杖がわりにして荒い息を何度もした。
くそっ。何で俺が、こんなことをせにゃならんのだ。
しかも、お嬢様のお迎えがまだあると言うのに・・・。
最悪だ。めちゃめちゃ汗臭い男になっちまったじゃねえか!
こんなんじゃお嬢様に会えない・・・って言うか嫌われる。
「ふぅ〜、いい汗かいた。何だ、こんな程度で息が切れてるのか?情けない奴だな。」
けろっとした顔で言い放つ悠斗。
この野郎〜〜〜〜
「俺は・・・俺は・・・部活の朝練並みのテニスをしろとは、一言も言ってねえぞ!!こんな汗臭い身体でお嬢様の迎えに行ける訳ねえだろーがぁ〜〜〜〜〜〜!」
ラケットを握り締めて目じりを吊り上げ吼えた俺を見て、悠斗は『はぁ〜。』とため息をついてからビシッと俺を指差した。
「早瀬。その喋り方、月華の前でしたら即絶交されるぜ。」
悠斗の指摘に、思わず自分の口を両手で押さえた。
うっ。
「はい、すみません。気をつけます。」
「おっ、そろそろ月華の迎えの時間じゃないのか?」
パカッとケータイを開いて時間を見た悠斗が俺に告げた。
「ひえっ!!やばいっ、お嬢様をお待たせしてしまう!それでは、私はこれで!!」
慌ててスーツの上着を掴んで走り出した俺は、真っ直ぐリムジンのある駐車場へと向かった。
急いでリムジンに乗り込んで大学へと向かい、到着したのは講義が終わって15分後。
大学の門前では、お嬢様がぼんやりとひとりで待っていた。
「お嬢様、申し訳ございません。」
上着を着るのも忘れてお嬢様に駆け寄り謝ると、彼女は不思議そうに俺を見つめた。
「早瀬、マラソンでもしたの??」
「え?あ、いえ・・・。すみません、汗臭いですか??」
彼女から少し離れて恐々聞くと、首を振られた。
「ううん、そうじゃなくて。汗でべったりだから、そのまましてると風邪引くよ?」
え・・・。
てっきり『汗臭いから近寄らないで』って言われるものと思っていた俺は、意外だった彼女の科白に驚いた。
「あの、汗臭くないですか?私・・・。」
「別に。それより、早くタオルで拭いて着替えた方がいいよ。帰ろ。」
笑顔で言った彼女は、ツカツカとリムジンに向かって歩き出した。
「あ、はい。」
急いでお嬢様を追いかけ、後部座席のドアを開けて彼女を乗せた俺は、沢村の屋敷へと車を走らせた。
『別に。』と言われたものの、それでもやっぱり自分の汗臭さを気にしながら運転していると、ふいにお嬢様が口を開いた。
「ねぇ、早瀬。」
「は、はい。やっぱり汗臭いですかね?」
引きつる顔で聞き返すと、お嬢様は首を振った。
「ううん、大丈夫。そうじゃなくてね、やっぱりGW・・・何処か行ったんじゃない?」
え?
終わったとばかり思っていた話を持ち出した彼女。
「いえ、今朝も申しましたとおり、家でゆっくりしておりました。」
もしかして、俺・・・ボロを出したのか??
どうしよう。
「ほんとに?」
疑いの目を向けるお嬢様に『はい。』と笑顔で答えた俺は、内心『早くこの話題を終わらせたい』と強く思っていた。
「それがどうかされましたか?」
そろそろと尋ねてみると、彼女が真剣な瞳を俺に向けた。
「同じだったの。」
へ?
何がだ??
「何がでしょうか?」
「香水。早瀬って普段香水付けてるじゃない?私に薬飲ませてくれた人もね、香水の香りがしたの。早瀬と同じ香水・・・。」
ぎくっ。
しまった、ついいつもの癖であの日も付けたの忘れてた。
「お嬢様、私と同じ香水をつけてる人間など、山のようにいますよ。」
くすくす笑いながらミラー越しにお嬢様に告げると、『それもそうね。』と彼女は苦笑した。
「そうですよ。」
「でもその人ね、私のこと『お嬢様』って呼んだ気がするの。ほら、旅館の人だったら、『お客様』って呼ぶでしょ?だから変な気がして・・・」
腕を組んで悩みこむ彼女をミラー越しに見ながら、俺は返答に困った。
そう言えばあの時、『お嬢様』って呼んでたっけ。
まずい、まずいぞ。
「夢でもご覧になっておいでだったのでしょう。お熱のせいで。」
冷や汗タラタラの俺の言葉に、お嬢様がふっと視線を落とした。
「夢、だったのかな。じゃあ、私ってば夢の中の早瀬に言ってたのかな・・・。」
え・・・。
「何かおっしゃったのですか?」
「え?ううん、別に、たいしたことじゃないよ。」
へへへっと笑ったお嬢様は、その後口を閉ざし再び本を読み始めてしまった。
お嬢様、ちゃんと早瀬はお聞きしましたよ。
『嫌いじゃないよ。』って。
たとえお嬢様が私のことを、『お兄ちゃん』として見ているとしても、とてもとても嬉しかったですよ。
夕方・・・。
駐車場で車を磨いていると、翔太兄がやって来た。
「やっぱり、リムジンは磨くのも一苦労だね。」
「あはは、まぁね。でも、お嬢様をお乗せする車だから。汚れてるとお嬢様に失礼だしね。」
「そういや、お嬢様もGW中草津温泉行ってたらしいね。さっき坊ちゃんをお迎えに行った時に、お土産貰ったって嬉しそうに話していらしたよ。」
辺りを伺い、声を抑えて言った翔太兄。
「そっか。」
手を休めずに一言だけ返すと、翔太兄が小声で俺に尋ねかけた。
「もしかして、向こうでお嬢様と会った?」
「えっ。」
ドキッとして手を止めてしまった俺を見て、翔太兄がふっと笑った。
「会ったんだ?お嬢様と。」
「会った・・・って言えば会ったかな。でも、お嬢様は俺と会ったことを知らないんだ。だから、翔太兄も悠斗様には言わないでくれ。」
「え?それどういう意味?『会ったことを知らない』って。」
不思議そうに首を傾げた翔太兄は、真っ直ぐ俺を見つめた。
「まぁ、ちょっといろいろあってさ。とにかく内緒にしててくれないかな。」
それだけ言って車を磨き始めた俺に『分かったよ。』と、翔太兄は何も聞かず了承してくれた。
夢ってことにしておきたいんだ。
だって、本当のことを知ったら・・・きっとお嬢様はいい気がしないだろうから・・・。
「そうだ拓、今日帰りに飲みに行こうか。で、そのあとうちに招待するよ。かわいい女の子紹介してあげる。」
突然の誘いに車を磨く手を止めて、俺は翔太兄へ視線を向けた。
「いいね、久しぶりに飲みたい気分。でも、かわいい女の子を紹介って?はっ!もしかして翔太兄って、同棲してるのか??」
誰かに聞かれないようにひそひそ声で聞き返した俺に、翔太兄はおかしそうにケラケラ笑い出した。
「そうそう、最近同棲始めたんだ。まだ、ちっちゃい女の子だけどね。『にゃ〜にゃ〜』鳴くんだよ。」
え?『にゃ〜にゃ〜』鳴く?
それって・・・
「まさか、同棲相手って『猫』?」
「うん、『猫』。かわいいロシアンブルーの子猫なんだ。ほら、ひとり暮らしって寂しいじゃん。だから、GW前に買ってさ。今同棲中なんだ。すっごいかわいいよ。大きくなって子猫産んだら、拓にもあげるよ。」
にこにこ笑顔で言う翔太兄は、既に親バカ状態。
「えっ、ほんとに??じゃあ楽しみにしてる。俺も最近一人暮らしって寂しいなぁ〜って思ってたんだ。」
それに、もしペット飼ったら、つけたい名前があるんだ。
猫だったら、かわいくていいかも。
「だろ??ペットいるのといないのとじゃ、全然違うよ。あ、じゃあ、子猫産まれた時はすぐに拓に教えるよ。まだ先だけど。」
「うん、待ってるよ。そういや、翔太兄のとこのは、何て名前なんだ?」
「うち?『そら』だよ。あっ、もしかして、拓ってば何て名前にするか、もう決めてたりする?」
おかしそうに笑いながら問う翔太兄に、俺はにこっと笑顔で頷いた。
「うん。決めてるよ。名前は・・・『月』・・・。」
ふふふっと笑った俺を見て、翔太兄は名前の由来が分かったのか『いい名前だね。じゃあ、女の子をあげなくちゃね。』と穏やかな笑みで夕焼け色の空を見上げていた。
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