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7代目はお嬢様に恋をする。
作:九条 要



【12話】 気持ちと距離


 翌朝…、お嬢様の大学入学式当日。
 
 今日からお嬢様は大学生になる。
 そして、俺の運転手業も本格的デビューだ。
 
 夕べ俺は心に決めた。
 好きになってもらえないのならそれでもいい。彼氏を作ると言うのならそれでもいい。
 俺はただ、運転手としてお嬢様に誠心誠意お仕えするって。
 だって、俺は彼女が好きだから…。
 彼女は俺の一番大切な人だから…。
  
 いつものように沢村の屋敷に向かって車を走らせている最中、助手席に置いていたケータイが自己主張を始めた。
「ん?誰だ?こんな朝から。」
 車を路肩に止めてケータイを手に取ると、着信は翔太兄。
 何だ、翔太兄か。
「はい、もしもし」
―「おはよう、拓。昨日はごめん。あれから悠斗坊ちゃんから電話あって、一週間ほどお休みもらえることになったんだ。ほんと、拓のおかげだよ。ありがとう。」―
 電話の向こうの翔太兄は、穏やかな声で礼を言った。
 そうか、悠斗の奴すぐに電話したんだ。
「ううん、俺のおかげじゃないよ。悠斗様、知ってたんだ。翔太兄の親父さんが入院してたこと。それで、もともと一週間ほど休みをあげるつもりだったらしい。俺にそう言ってた。だから、ゆっくりして来るといいよ。仕事のことは大丈夫だからさ。」
―「うん、ありがとう。拓には、仕事のこともお金のこともいっぱい迷惑かけてしまって、ほんとにごめん。戻ったら絶対お詫びとお礼させてもらうから。」―
 申し訳無さそうに声を落として謝る翔太兄に、俺は明るく言葉を返した。
「そんなのいらないって。困った時に助けるのは普通だし。…あっ!!やばい!悠斗様の出勤時間に遅れる!!翔太兄、ごめん。また後で。」
 腕時計を見ると、ぶっ飛ばさないと間に合わない時刻になっていた。
 うはっ、かなりやばやばだぞ。
―「あ、そっか。ごめん、拓。じゃあ、悠斗坊ちゃんのことお願いするよ。」―
「おぅ、任しとけって。じゃあ。」
 慌てて電話を切った俺は、速攻車をぶっ飛ばし…沢村の屋敷へと向かった。 
 遅刻なんかしたら、絶対嫌味言うからな、あいつ…。

 屋敷に到着したのは、悠斗の出勤時間の5分前。
 何とかギリギリセーフで車を玄関前に着けて間も無く、悠斗が姿を現した。
 ふぅ…。とりあえず嫌味は言われなくて済みそうだな。
「おはようございます、悠斗様。」
「おぅ、おはよ〜」
 深く頭を下げ挨拶をする俺に向かって、何やらご機嫌そうに挨拶をし返した悠斗。
 そっと頭を上げて彼を見ると、そこにあったのはにこにこ顔。
 何だ、超ご機嫌だぞこいつ。何かあったのか??
 不気味だ。
「お車へどうぞ。」
 後部座席のドアを開けて声をかけると、『おぅ、さんきゅ〜』と更に上機嫌で乗り込む悠斗。
 怖い…。
 何なんだ。
 不審に思いつつも、とにかくドアを閉めていそいそと運転席に乗り込んだ俺は、会社へ向けて車を走らせ始めた。 
 
 運転しながら気になってちらりとミラー越しに後ろを見ると、やっぱりご機嫌そうだ。
 にへにへしながら書類に目を通している。
 気持ち悪い。顔が弛みきってやがる。いったい何だってんだ??
 はっ!もしや、天変地異の前触れか!?
 むむっ!!まさか!俺にどんな嫌がらせをしようか企んでるのか!?
 それとも…うはっ!!妹バカすぎて、とうとう気でも触れたか!?
 むむぅ〜〜〜、すべて疑わしいぞ。
「悠斗様、今日は朝からご機嫌ですね。」
 何気なく声をかけてミラー越しに顔を窺ってみると、『そうかぁ?』と彼はにへにへにまにま。
 怖い…、怖すぎる。
 何を企んでいるんだ??妖怪にへにへ男め。
「ええ、お顔がにへにへしてますよ。何かいいことでもおありですか?」
 更に突っ込んで尋ねた俺に、悠斗はにまーっと笑みを浮かべて話しだした。
「そうそう、いいことありありなんだ〜。ほら、今日から月華が大学生だろ?高校ん時の制服姿もめっちゃくちゃかわいかったけど、やっぱ大学生になると違うよなぁ〜。何ていうか、大人の女になったみたいでさ。もう、可愛いやら色っぽいやら…へへへっ♪…って、何でお前に話さなきゃいけないんだよ。今のは忘れろ。」
 にまにましながら嬉しそうに話していた悠斗は、急に恥ずかしそうに顔を背けてそう言った。
 俺は『喋れ』なんて一言も言ってないぞ。お前が勝手にペラペラ喋ってるんだろーが。
 変な奴。
 でも、お嬢様のことでにへにへしてやがったのか。
 なるほど。さすが、究極の妹バカ兄貴だ。
「はい、承知致しました。忘れます。」
 くすくす笑いながら応じると、悠斗がちらりと俺へ視線を戻した。
 ん?
「お前、昨日俺にあんなこと言われたのに、機嫌いいんだな?」
 意地悪な瞳で意地悪な質問をした悠斗。
 俺はその質問に、ひとつため息を吐いて笑顔を向けた。
「ショックでしたよ、昨日の悠斗様のお言葉。でも、私は運転手なんです。使用人なんです。その私に出来ることは、大好きなお嬢様の為に一生懸命働く。誠心誠意お仕えする。それだけなんです。」
「そうか。」
 俺の言葉に一言だけ返した悠斗は、書類を閉じてふぅっと息を吐いた。
「なぁ、早瀬。」
「はい?」
「お前がここに来た日、俺が言った言葉覚えてるか?」
 え?
 真剣な顔で聞く悠斗に、一瞬驚いた。
 何だ、いきなり。
「え、ええ、『妹に嫌われたくなかったら、変な気起こすな』でしたよね?それが何か?」
 変な気なんて起こしてないぞ。
 妄想は引っ切り無しにしてるけど…。
「あぁ。それをさ…、絶対守ってみろ。もしかしたら、お前にもいいことあるかも知れないぜ。」
 え?
「いいこと…ですか?」
 何だ?
「あぁ。」
 一言頷いただけの悠斗は、そのまま再び書類を開いて目を通し始めた。
 いいこと?なんだ?いいことって。
 分からん。
 
 しばらく沈黙が続き、赤信号で車を止めたと同時に、聞こうと思っていた大事なことを思い出した。
「あっ!!」
 つい声をあげてしまった俺に驚いたのか、悠斗がバサッと書類を落とした。
 しまった。
「何だよ!いきなり!びっくりするだろーが!」
 足元に落ちた書類を拾いつつ悠斗が吼える。
「あ、すみません。悠斗様、ひとつ伺いたいことがあるんです。よろしいですか?」
「何だ?」
 書類を拾い終えてため息混じりに返す悠斗に、俺は涼太との話を切り出した。
「あのですね、『右手と友達』ってどういう意味なんですか?」
「へ?何だそりゃ。」
 いきなりの質問に訳が分からない様子で、悠斗が目をしばたかせていた。
「えぇ、昨日友達に言われたんです。でも、いくら考えても分からないもので。悠斗様に聞けば分かるんじゃないかと…。友達曰く『男に聞くと解る』とのことでしたから。」
 そこまで話した途端、聞いていた悠斗の顔が急に真っ赤になった。
 へ?
「早瀬、お前…ほんとに意味解らないのか?」
 持っていた書類で顔を半分隠しながら尋ね返す彼に、俺は素直に頷いた。
「はぁ。ですから悠斗様にお伺いを。」
 意味解るなら聞かねえよ。
「お前…もしかして、したことないのか?」
 更にぼそぼそと聞く悠斗は、耳まで真っ赤になっていた。
 したこと?何をするんだ?
「何をするんですか?」
 はにゃ?さっぱり想像つかん。
 でも、悠斗は知ってるってことだな??
 何なんだ、早く教えてくれ!
「な、何をって…。そりゃ…その…つまりだな…って言うか、朝っぱらからそんな質問するな!!」
 言葉に詰まっていた悠斗が、突然怒って俺の頭をべしっと叩いた。
 ぎゃっ!
「痛い!!何で叩くんですか!?別に変なこと聞いてないじゃないですか!!意味を教えてほしいだけですよ。解らないから…。」
 片手で頭を押さえてミラー越しに睨みつけると、悠斗はつんと顔を背けていた。
 何で俺が叩かれなくちゃいけないんだよ!
 むっ。
「じゃあ結構です。後でお嬢様にお伺いします。もしかしたらお嬢様ならご存知かも知れませんし。もう、悠斗様には伺いません!」
 負けじとつんと顔を背けて言い返してやった途端、悠斗がもう一発俺の頭を殴って吼えた。
「バカたれ!!んなこと月華に聞くんじゃねえ!!!そんなことしたら、それこそお前一生口きいてもらえなくなるぞ!」
 えっ!
 一生口をきいてもらえない!?それは嫌だ。
「だったら、教えてくださいよ。」
 じとっと見据えて睨む俺から逃げるように、悠斗は無言で視線を逸らしていた。
 むぅ〜〜〜〜。
 教えない気か、こいつ。
「分かりました。じゃあ、質問を変えます。悠斗様は右手と友達なんですか?」
「えっ!バ、バカ野郎!俺はそんな…その…時々…って言うかたまに…」
 俺の質問に、ものすごく真っ赤な顔で俯いてどもる悠斗。 
 時々??
「時々、友達なんですか??う〜〜ん、時々友達…。ますます解らなくなって来た。」
 考え込んでいると、突然悠斗が声を上げた。
「あぁ〜〜〜〜もう!分かった!!教えてやるよ!!教えりゃいいんだろ??その代わり一度しか言わないからな!『右手と友達』ってのは、…一人Hのことだ。もう言わないぞ!もう言わないからな!!」
 言い切った彼は、恥ずかしそうに顔を隠して俯いてしまった。
 そうか、何だ、一人…
 うぎゃっ!!そういう意味だったのか!?
 意味がようやく解った瞬間、一気に自分の顔が熱くなった。
 うぅっ、俺ってばめちゃくちゃ恥ずかしい質問を、すげえ真面目な顔して聞いてたのか…。
 最悪…。
 恥ずかしすぎだぞ。
 そりゃ、お嬢様に聞くなって怒るはずだ。反省…。
「す、すみません。変なことを伺ってしまって。」
 ミラー越しに謝りながら、ふとさっきの悠斗の言葉を思い出した。
 そういやさっき、『時々』…って。と言うことは…。
 ちろっとミラーで後ろを見やると、悠斗が俺と目が合った瞬間ビクッと反応した。
「な、何だよ…」
「いえ、悠斗様って時々してらっしゃるんですね。一人H…」
 にまーっと笑みを浮かべて言っやると、悠斗はもっと顔を真っ赤にした。
「ち、違う!!時々じゃない!!…たまに…だ」
 時々もたまにも同じだっつーの。
 ひゃっひゃっひゃ…、悠斗の弱みげーっと!!
「はいはい、『たまに』ですね。『たまに』。そうですかぁ〜、悠斗様はたまにしてらっしゃるんですね〜。へぇ〜〜〜」
 にたにた笑って意地悪のお返しをしてやると、『うるさい!!してねえよ!!』と、会社に着くまで悠斗はきゃんきゃん吼えまくっていた。
 悠斗の奴、恥ずかしがってやんの。初奴め。
 けっけっけっけっけ…。

 それから間も無く会社に着いて彼を降ろすと、行きかけた悠斗は足を止め振り返った。
 ん?何だ?何でも来い!お前の弱みはもう握ってるんだ。ひゃっひゃっひゃ。
「早瀬、ひとついいこと教えてやるよ。」
「またですか?どうせ、ろくなことじゃないんでしょう??」
 呆れがちに適当に返した俺に向かって、悠斗は真剣な瞳をした。 
 え…。
「聞き流すかどうかは、お前に任せる。月華のこと、自分の『妹』だと思って接してみろ。俺が言ってやれるのはそこまでだ。じゃあな。」
 それだけ言った彼は、片手をひらひら振ってそのままビルに入って行った。
 妹…?
 妹…。俺にも妹バカになれってか?
 う〜〜ん。

 結局よく分からないまま屋敷に戻り、リムジンに乗り換えて玄関前に着けた。
 妹だと思って…?
 さっぱり解んねえ。あいつの言ってる意味。
 リムジンの傍らでぼんやり立って悠斗の言葉の意味を考えあぐねていると、玄関が開きお嬢様が出てきた。
 彼女は、春っぽくパステルカラーのワンピースにジャケット姿。
 髪の毛は、少し染めたのか茶色で、すそをクルクルと巻き髪にしていた。
 か、可愛い!めちゃくちゃ可愛いすぎる!!あぁ、俺の大好きなお嬢様ぁ〜。
 くそ〜〜〜、思いきり抱きしめたい!!この手でぎゅーっと抱きしめたらどんなだろう…。 えへ…えへへへへ…
 うおっ、ヨダレが。
 はっ!!こんな可愛いお嬢様を、これから4年間…あの大学に通うバカ男どもが、にへにへにまにま鼻の下伸ばして見やがるのか!?そんなの、そんなの絶対に許せん!!片っ端にぶん殴ってやりたい!!
 はっ!ダメだダメだ。俺は使用人なんだ。運転手なんだ。
 落ち着け、拓海。落ち着け…。妄想に突っ走るな。
 心の奥で大きな深呼吸を一度してから彼女に笑顔で声をかけ、頭を下げた。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはよう、早瀬。今日からよろしくね。」
 同じように笑顔で挨拶をしてくれた彼女に、『はい。』とだけ答えて後部座席のドアを開けると、彼女はふわっとその中へ身を沈めた。
 彼女が乗り込んだのを確認してゆっくりドアを閉めた俺は、運転席に移動して早速大学に向かって出発した。

 大学へ向かう車中。
 さり気なくミラーで彼女を見ると、少し緊張した面持ちだった。
 そうか、入学式だからな。
「お嬢様、大きく深呼吸を二、三度すれば気持ちが落ち着きますよ。」
 にっこりと優しく言葉をかけた俺を、お嬢様がじっと見つめた。
「ほんと?」
「はい。早瀬に騙されたと思ってしてみてください。」
「うん。」
 言われた通り大きく二、三度深呼吸をした彼女は、俺を見返し口を開いた。
「ほんとだ。何だかちょっとドキドキがマシになった。ありがとう、早瀬。」
「いいえ。ようございました。」
 ふふっと笑い返すと、後ろで彼女も柔らかく笑っていた。
 良かった、リラックス出来たみたいで。
「あ、今日の入学式ね、二時間ほどで終わるみたいなの。だから、大学の駐車場で待っててもらえる?」
「はい、かしこまりました。」
 にこにこ顔の彼女に頷いたところで、ようやく大学の門が見えてきた。

 大学の門前にリムジンを止めると、登校してきた学生たちが珍しいのか足を止めてジロジロ見やる。
 そんな中で運転席から降りた俺は、後部座席のドアをゆっくりと開けた。
「お嬢様、どうぞ。」
「ありがとう、早瀬。」
 リムジンの中から颯爽と降り立つお嬢様。
 そのお嬢様の容姿に、大学生の男どもが立ち止まって見とれていた。
 当然だ。こんなにかわいいんだから。見とれない方がおかしい。
「早瀬…」
「はい、何でございましょう?」
 名前を呼んだお嬢様に返事をするが、彼女は落ち着かない様子。
 ん?
「どうしよう、やっぱり緊張する。今日、代表で挨拶しなくちゃいけないの。」
 そうか、財閥のお嬢様ってのはこういう時ターゲットにされるんだよな。
 可哀想に。
「そうですか。それではこれを…」
 俺は自分の腕にはめていたお守り用の白檀の数珠をはずして、そっとお嬢様の腕にはめた。
「数珠?」
 自分の腕にはめられた数珠を見て、彼女が首を傾げた。
「はい。お守りです。私のなので、お気に召さないかも知れませんが。でも、白檀の数珠ですから気持ちが落ち着くはずです。」
 彼女の手をそっと掴んで、そのまま顔に近づけてあげると…彼女がハッとした顔で俺を見上げた。
「凄い、いい香り!」
「少しでもお嬢様がリラックス出来る様に、早瀬からのおまじないです。」
「うん、ありがとう。じゃあ、ちょっとだけ借りるね。」
「はい。」
 嬉しそうな彼女に笑顔で頷いたところで、お嬢様を呼ぶ声がした。
「月華〜〜〜〜。」
 視線を移した先には、たった今車から降り立った一人の女の子。
 あの子は…確か、去年の見学会でお嬢様と一緒だった子だ。
 そっか、あの子も受かったんだ。にしても、あの子も高級車から降りて来たってことは、お嬢様…なのか??
 やっぱり、お嬢様の友達も“お嬢様”…なんだ。
 むぅ〜〜〜。
「あ、桜〜。おはよ〜。」
 友達に笑顔で手を振るお嬢様はものすごく可愛くて、叶うものなら抱きしめてしまいたいくらいだった。
 でも、そんなの俺には許されないことだ。
 自分が一番よく解ってる。
 お嬢様のもとに駆け寄って来た友達は、俺を不思議そうに見てからお嬢様の腕を突いた。
「ねぇ、月華。その人誰?」
 俺に聞こえないように言ってるつもりなのだろうが、丸聞こえ。
 あははっ。聞こえてますけど。
「え?あぁ、前に言ってたでしょ?お兄ちゃんが勝手に雇った私の専属運転手だよ。」
 か、勝手に雇った…
 うぅっ…。
 さらりと平然な顔で説明する彼女に、思わず俺はブルーになってしまった。
 そんなはっきりきっぱり言わなくてもいいじゃないか…。
 お嬢様のバカ…。
「あぁ、言ってた運転手ね。」
 頷く友達にお嬢様は、『そうそう、ただの運転手よ。』と笑顔で告げた。
 グサッ。
 ただの…運転手…。
 その通りだけど、でもお嬢様に言われると凶器だ。
 しくしく…。
 あぁ、このままリムジンの中でひとりさめざめ泣きたい。
「あっ、急がないと遅刻しちゃうよ桜。じゃあ早瀬、駐車場で待ってて。」
 腕時計を見て驚いたお嬢様は、俺にそう言い残し…友達と走って行ってしまった。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
 走り去る彼女の後姿に頭を下げながら、まるで涼太の如く『拓海泣いちゃう』…って心境だった。
 あぁ…、お嬢様と俺の間に何だかもの凄く距離を感じる…。

 大学の駐車場に車を止め、運転席で俺はひとりダークブルー状態。
「お嬢様は意地悪だ。あんなにはっきり言わなくてもいいじゃないか…。それも笑顔で…。うぅっ。」
 ハンドルにもたれてさめざめと泣きながら、ふと悠斗の言葉を思い出した。
 
 『自分の妹だと思って接してしてみろ』

「俺の妹だと思って…接する…か」
 どういう意味なんだ?
 妹…妹…
 そうか、妹だと思えば自然と優しくなれる。しかも、妹相手ならいちいちドキドキしなくて済むし、妄想も減るかも知れない。
 なるほど。
 要するに、適度な距離が置けるってことか。
「でも、そんなことでどんないいことがあるって言うんだ?何もありゃしないだろーが。」
 悠斗の奴…。
 まぁ、いっか。
 あいつが言ったようにやってみるのも、案外悪くないかも知れないな。
 ふぁ〜〜〜、それにしても陽射しがあったかくて眠たくなって…きた…。

 
 どのくらい経ったのか、突然窓をコンコンと叩く音で目が覚めた。
 びくっ。
「うはっ!やばい、寝てしまった。」
 慌てて目を擦って窓を見ると、叩いた犯人はお嬢様。
 ぎえっ!俺としたことが…。
「す、すみません。お嬢様。」
 急いで運転席から降り、後部座席のドアを開けながら謝った俺。
「ううん、今日あったかいもん。実は私も入学式で居眠りしちゃった。」
 くすくす笑って白状した彼女は、ゆっくりと車に乗り込んだ。
「お嬢様と私は違いますよ。私は運転手ですから、居眠りはダメなんです。」
 運転席に乗り込んでからお嬢様に説明すると、彼女は首を傾げていた。
「何で?そうなの?でも、春って眠いじゃん。」
 あははっ。…まぁ、確かに春は眠いけど。
 そういう問題じゃないんだよ。
「そうですが、私が居眠りすると仕事をサボってることになってしまうんです。」
「ふ〜ん。眠い時は寝たほうがいいと思うけど。その方が、後で頭スッキリするよ?」
 そう言ってえへへっと笑ったお嬢様をミラー越しに見ながら、俺は『確かに、仰るとおりですね。今スッキリしてます。』と穏やかな笑顔を返した。

 屋敷に向かって車を走らせている途中―――、お嬢様から『ねぇねぇ』と話しを振ってきた。
「はい、何でしょう?」 
「このお守りね、すごく効いたよ。ありがとう。」
 腕にはめられた数珠を触り、お嬢様がにこにことご機嫌な顔で言う。
「そうですか。そのような物でも、お嬢様のお役に立てたのでしたら良かったです。」
 挨拶うまくいったのか。良かった。
「うん、すごく役に立ったよ。でね、桜とも話してたんだけど、これいい物だよね?何処で買ったの?私もこんなの欲しい。」
 え?
「あぁ…、それはうちと…あ、いえ。ただの安物です。」
 やばい、うっかり言いかけた。
 うちと裏で繋がりのある寺の住職から、かっぱらった物だなんて…とてもじゃないけど言えない…。
「安物には見えないけど。」
 マジマジと数珠を眺めて呟くお嬢様に、俺は苦笑いしか返せなかった。
 何とか話題を変えないと。
「あ、そうだ。それはそうと、早瀬に頼みがあるんだけどいいかな?」
 思い出したように突如話を変えた彼女に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
 助かった…。
「はい、何でございましょう?」
「うん、あのね、再来週の土曜なんだけど、夕方からでいいの、出勤してもらいたいんだけど、ダメかな??」
「再来週の土曜…ですか?」
 えっと、再来週の土曜って確か、見回りが…。
 ちらりと後ろを見やると、お嬢様が縋るような瞳で俺を見ていた。
 うっ。そ、そんな瞳で見ないでくれ。
「ダメ?」
 更にお嬢様の、瞳うるうる攻撃が俺に突き刺さる。
 んぎゃっ!それ以上やめてくれ。車止めて抱きしめたくなる…。
 ダメだ、拓海。女として見るな。彼女は妹だ。六つ年下の妹だ。
 妹に欲情するんじゃねえ!落ち着け…落ち着け…。
「い、いえ、用もございませんから、出勤できますが。」
 これじゃ、まるで拷問だ。
 う〜〜〜。
「ほんと??良かったぁ〜。その日ね、桜の…ほら、さっきの友達の誕生パーティーなの。だから送ってもらいたくて。」
 ほっとしたのか、嬉しそうににこにこ笑顔で話し出す彼女。
 よほど楽しみなんだな、そのパーティー。
 でも、誕生日パーティーってこの年でするか?普通。
 あ、そうか。相手もお嬢様だし、いろんないいとこのお嬢さんやお坊ちゃんなんか呼んでするのかな。
 金持ちのすることは、俺にはサッパリ解らん。 
「では、再来週の土曜は夕方から出勤いたします。」
 仕方ない。圭兄にお願いして、見回りは延期してもらうか…。
「うん、お願い。休日出勤手当てのことは、私からお兄ちゃんに話しておくから安心してね。」
 任しといてと言わんばかりに、えへへっと笑った彼女。
 あははっ、“休日出勤手当て”ねぇ…。
 やっぱ、俺はただの足代わりな訳ね。いいけど、その通りだし。
「はい、お願いします。」
 軽く頭を下げた俺は、その後屋敷に着くまで無言だった。

 夕方。
 沢村の本社ビルまで悠斗を迎えに行き、彼を乗せて屋敷へ戻る途中…声をかけられた。
「なぁ、早瀬。月華何か言ってたか?入学式のこと。」
「いえ、私も詳しくお聞きしておりません。」
「そうか。じゃあ、帰って直接聞こ〜っと。」
 にへにへと嬉しそうに言って窓の外を眺めた悠斗。
 そんな彼が可笑しくて、俺は笑いたいのを堪えていた。
 ほんと、妹バカって言うより妹に片想いしてる男みたいだな、こいつ。
 妹に片想い…?まさか…な。
 そんなの有り得ないよな。漫画じゃあるまいし。
「それはそうと、どうだ?月華と上手く距離置いて接しれるようになったか?」
 にへにへしていた悠斗が、急に真面目に問いかけた。
 え…。
「ええ、まぁ。」
 まだ、“完全”には程遠いけど。
「そっか。ま、頑張れ。屋敷に着いたら起こしてくれ、俺は少し寝る。」
 そう言ってふふっと含み笑いをした悠斗は、そのまま腕を組んでウトウト眠ってしまった。
  
 屋敷に戻って悠斗を降ろし、駐車場で悠斗用のセンチュリーを拭いているところに山中さんがやって来た。
「早瀬くん、じゃあお先に失礼するよ。」
「はい、お疲れ様でした。」
「それじゃ、また明日。」
 笑顔で言った山中さんは、軽く手を振って帰って行った。
 そっか、加藤さんは旦那様の車を綺麗にしてるのか。
「さて、俺ももうちょっとで終わりだから頑張ろうっと。」
 う〜んと一度伸びをしてから車を拭き始めた矢先、ポケットの中でケータイが鳴り出した。
「誰だよ、まだ仕事中なのに。」
 ゴソゴソ取り出すと、着信は涼太。
 あいつ〜〜〜〜〜
 悠斗にした恥ずかしい質問を思い出し、メラメラと怒りが沸いてきた。

「こら!涼太!!お前なぁ〜〜〜〜!!!」
―「ほえ?あ、意味解ったんだぁ〜?拓海〜。ひゃひゃひゃひゃ〜」―
 電話の向こうから聞こえる笑い声。
 むっ。
「お前のせいで恥かいただろーが!!今度会ったらぶん殴ってやるから覚悟しとけ!!」
―「いや〜だね〜。で??早速今日からお友達になるのかな?拓海くん。」―
「なるか、ボケ!!お前がなってろ!!」
―「酷いわ!拓海くん。この僕に右手と友達になれだなんて。そんなのなるくらいなら、女抱いてる方がいいに決まってるじゃない!!うううううぅぅぅ…」―
 しくしくと泣きマネをする涼太に呆れつつ、『仕事中だから切るぞ、じゃあな。』とだけ言って一方的に電話を切った俺。
 疲れる…。
 はぁ〜…。仕事しよ。
  
 こうして、俺の本格的な運転手デビューは何とか終わったのだった―――。      












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