犯人は田中
「一体犯人は誰なんだ…っ!?」
姿の見えない殺人鬼に、私は苛立って壁を拳で叩いた。
もうこれで、三度目だ。今回は、紅茶に毒を盛られていた。たまたま零した紅茶を飼い犬が舐め、突然痙攣し出したから発覚したものの、一歩間違えれば間違いなく私がやられていた。私は無意識のうちに歯軋りし、残り少なくなった髪を掻き毟っていた。
「今すぐ、この部屋に全員を集めろ!全員だ!早く!!」
「か、かしこまりました、旦那様!」
先ほどから床に零れた紅茶を拭いていた女中の佐々木が、私の怒鳴り声にビクッと肩を震わせ立ち上がった。逃げるように私の部屋から出て行く彼女を、私はその姿が見えなくなるまで疑り深く眺めていた。紅茶を運んできたのは佐々木だ。年端も行かない小娘とはいえ、彼女も立派な容疑者の一人だ。
「フン!一体警察は何をしているんだ…くそっ!」
私は部屋の窓を打ち付ける激しい雨粒を、恨むような目で睨んだ。全くこの嵐のせいで、一等地の別荘が陸の孤島になってしまった。およそ犯罪とは無縁の穏やかな避暑地が、自分に殺意を持った狂人と一緒に閉じ込められることになるなんて、笑えない冗談だ。
警察がすぐに動けない以上、こうなったらもう、自分の身は自分で守るしかない。
私は深々と椅子に腰掛け、時化た煙草を咥えなおした。一度、状況を整理してみよう。苛立ちの収まらない頭を質の悪いニコチンでどうにか丸め込み、私は一昨日此処にきた時のことを思い返してみた。
今現在、この別荘にいる人間は私以外に七人だ。
妻の光代。古い友人であり、ビジネスパートナーでもある佐藤。還暦を迎えた警備員の鈴木に、女中の浜田、佐々木。若い庭師の武田。それから専属料理人の、田中。
…この中の誰かが、私の命を狙っていることになる。なんせここは人里離れた山奥にある私個人の別荘で、一番近くの町まで車で一時間はかかる。此処にきてすぐ嵐に見舞われてしまったので、他に誰か部外者が侵入したとも考えにくい。
犯行動機については心当たりはなかったが、「自分の命が狙われている」ということに、不思議と驚きもしなかった。私もこの年まで小さいながらも社長をやっていたものだから、何かと恨みは買っている。誰かは判らないが、たとえ身内だとしても驚きはしない。だが、だからと言って黙って殺される訳にもいかない。何か証拠はないだろうか。
そういえば…。
一回目に命を狙われた時は、暗がりの庭園で、突然後ろから刃物で襲われた。生憎犯人は逃がしてしまったが、あの時犯人が慌てて落としていった凶器は、果物ナイフだった。
二回目の殺人未遂は、私が離れで読書している際、あろうことか小屋に火を放たれた。幸いこの嵐ですぐ火は収まったのだが、一歩間違えれば私は焼け死んでいた。そして今回の紅茶の毒…。何か共通点があるはずだ。私は煙草の火を力強く揉み消した。
「し、失礼します。旦那様、全員を呼んできました」
「…入れ」
木製の重厚な扉が開けられ、この別荘に来ていた全員がぞろぞろと私の部屋に入ってきた。私は「容疑者」の彼らをじろじろと眺めた。妻の光代などは、こんな時間に呼び出されてあからさまにイライラしている。所在無さげな彼らに私は咳払いし、重々しく口を開いた。
「おはよう、諸君。集まってもらったのは他でもない。まただ。また私の命が狙われた」
「なんですって!?」
「静かにしてくれ」
私はざわつき出した彼らを右手で制し、先ほどの経緯を話して聞かせた。その間、彼らに何か不審な動きはないか、私はじっと観察していた。
「……で、あるからして、この中に犯人がいることは、間違いないだろう」
「まさか!?」
「いいや、そうだ。それに実は、犯人にはもう、検討がついておる」
「ええ!?」
皆の顔に緊張が走った。私は重々しく、白い制服を着た料理人の田中を指差した。
「そうだろう?田中!…君が犯人だ!」
「ええ…!?だ…だんなさま…!」
「黙れ。一回目の殺人…私は一命をとりとめたが、君は凶器を落としてしまった。そう、果物ナイフだ。そして二回目の小火騒ぎ。皆、覚えているだろう。あの後、厨房から大量のアルコールが無くなっていたことを。火を掛ける時に、犯人は酒を使ったんだ。そして今回の紅茶…」
「そんな…私は…決して…!」
全ての共通点は、凶器が調理道具だということだ。
このことを指摘され明らかに動揺する田中に、私は確信を持った。ゆっくりと皆の元へと歩を進める。怯える田中だけを残して、周りがさっと一歩引いた。私は皆の輪の中で、もう一度料理人を指差し重々しく言い放った。
「田中!貴様が犯人だな!」
「違います、旦那様」
突然、私は背中に熱いものを感じ、振り返った。
背中から、果物ナイフが生えている。私は目を見開いた。刺されたのだ。次に襲ってきた痛みに、私は思わず顔を歪め膝をついた。嫌な感触を残して、ナイフの刃が私の背中から抜けていった。私は驚きのまま、背中にいた人物を見上げた。天井から伸びるシャンデリアの逆光の中、ナイフの柄を持っていたのは…。薄れ行く意識の中で、「犯人」が口を開いた。
「…私たち全員が、貴方を恨んでいたんですよ。貴方を殺そうとしていたのは、此処にいる全員です。殺意の元凶、こうなるまで皆の恨みを買った張本人…その犯人は田中様、貴方です」