お嬢様、まもなく3番線を『運命の人』が通過します。大変危険ですので黄色い線の内側までお下がりください。
穏やかな朝の日差しがバルコニーを照らしております。
爺や――当家の執事セバスチャン(本名ではない)――がワタクシの部屋のカーテンをサッと開けると、先ほどまでバルコニーで遊んでいたスズメが三羽ほど勢いよく飛び立ちます。
その様子を少し退屈そうに眺めた爺やはワタクシのベッドが設置されている天蓋に向かい話しかけてきます。
「お嬢様、おはようございます。今日も清々しい朝でございます」
ワタクシは爺やの挨拶が終わるのを待ち、返事を返します。
「爺や、おはよう。今日の我が社の株価はどうなっておりますの?」
爺やはワタクシの質問に何事もなかったかのように答えます。
「はい、お嬢様が経営なされておられました『健康ショップ奈倉』は、昨日不渡りが出まして倒産されております」
「あら、そうでしたか。では、今すぐ『奈倉ショッピングセンター』の社長に吸収合併させるよう、伝えておきなさいな」
私が、特に興味なさげに爺やに指示を出すと爺やが答えます。
「かしこまりました、お嬢様。では、少し失礼いたします――」
爺やが指をパチンと鳴らすと、後ろに控えていたメイドが電話機を爺やに渡します。
爺やは、そのまま『奈倉ショッピングセンター』の社長にワタクシからの連絡を伝えて受話器を置きました。
「お嬢様、失礼いたしました」
爺やはワタクシに一礼をすると、ワタクシに問います。
「お嬢様、そろそろお召し物を着替えられますか?」
「そうしてくれるかしら」
ワタクシはそう言うと、両手を挙げて待ちます。
爺やは一度部屋から出て行き、代わりに控えていたメイド二人が、ワタクシのネグリジェを脱がせ、学園指定のブレザーを着させてくれました。
ワタクシは爺やを部屋に呼び戻すと、こう伝えます。
「爺や、今日はワタクシ、電車というものに乗ってみたいと存じますわ」
ワタクシの言葉を聞いた爺やは目を見開いたかと思うと直ぐに優しい眼差しに戻って、こう言いました。
「お嬢様、電車という乗り物は大変危険でございます。聞くところによりますと、毎年数百人の者が命を落としているとか……」
「そうですの? でもワタクシ、一度も電車に乗ったことが御座いませんのよ。クラスの皆様は乗ったことがあると仰っていらしたのに……」
ワタクシの言葉に爺やは申し訳なさそうにして言いました。
「恐れ入りますが、お嬢様は奈倉家の当主でございまして、ああいった乗り物は相応しく御座いません」
「爺や、これは命令です。本日ワタクシは電車で通学いたします。準備なさい」
「かしこまりました。直ちに……」
爺やは慌ただしく部屋を出て行かれました。
「それでは、ワタクシは朝食と致しましょう」
ワタクシがそう言うと、爺やの代わりにメイドが呼び鈴をチリンと鳴らし、給仕の者が朝食を持って部屋に入ってきます。
ワタクシはテーブルに並べられた食事を見て驚きました。どれも見たことのない食べ物ばかりだったのです。
料理長が、一品一品説明をしてくださいます。
「今日の朝食は、カレーライスにラーメンでございます。大変珍しい『日本料理』ですので、健康にもよろしいかと存じます」
ワタクシは料理長の説明を聞き終わるとスプーンでラーメンを掬い、一口飲みます。
口の中をハーブの香りが満たします。
「なるほど、噂には聞いておりましたが、これは大変健康的なスープでございますわね」
次はカレーライスを頂くことにしましょう。
ワタクシはライスを丁寧にナイフで切りわけ、フォークに乗せて一口食べました。
この甘みは……マーマレードジャムでしょうか? 柑橘系の味が口の中に広がります。
ワタクシがそのまま咀嚼をしていると、途中から少し刺激的な味に変わりました。
どうやらこの刺激を軽減するためにマーマレードジャムをたっぷり使ってあったようです。
「これはとても不思議な味ですこと。今まで食べたこともございませんわ」
ワタクシは朝食を堪能し終えると、ラーメンを飲み干し、食事を下げさせました。
食事を終えたワタクシは料理長に言います。
「ラーメンの中に入っていたパスタは、次回より取り除いてからお出ししなさい。少し飲むのに邪魔ですわ」
料理長は「かしこまりました」と言って、部屋を後にしました。
メイドがワタクシの身支度を整えて出発できるようになったところに、爺やが戻ってきて言いました。
「お嬢様、電車通学の準備が出来ました」
「ごくろうさま、では、出発致しましょう」
ワタクシたちはリムジンに乗り、『駅』と呼ばれる場所に向かいました。
駅に着くと、いつものように爺やがレッドカーペットを敷き、ワタクシはその上を歩きます。
駅の中に入ると、爺やがワタクシに説明をしてくださいます。
「お嬢様、これが西瓜でございます」
「爺や、西瓜は確か赤い三角形の果物でしょう。このような黒と緑が交互に縞模様を描いているボールが西瓜の筈がございませんわ」
ワタクシがそう言うと、爺やは一度頷いてからこう言います。
「左様でございます、お嬢様。
ですが、この『駅』という場所では『西瓜』を使って『カイサツ』というゲートを通るルールになっております故、果物では無い『丸い西瓜』が必要なのでございます」
「なるほど、ワタクシの勘違いでしたわ。それで、どのように『カイサツ』を通ればよろしいんですの?」
ワタクシの質問に『駅の係員』と呼ばれるスタッフらしき人物が答えました。
「カイサツを通るのには、その丸い西瓜を『この位置』から、あそこにある『三角形に並べられた十本の白いピン』に向かって転がしてください。
二回転がして十本全てを倒すことができれば、通ることが出来ます」
なるほど、三角形に並べられたピンまでの距離は見た感じだと二十メートルくらいでしょうか。
これだけの距離があると、二回で全部倒すのは難しそうです。
ワタクシが思案していると、爺やが西瓜を手にとって言います。
「お嬢様、僭越ながら、まずは私、セバスチャンが転がしてみましょう」
爺やがそう言って西瓜を転がしました。
コロコロと西瓜が転がると、一番手前のピンに当たり、その勢いで全てのピンが倒れました。
係員が「ストライク」と、告げました。
はて、これは野球では無いはずなのですが……
ワタクシが疑問に思っていると爺やが教えてくれます。
「お嬢様、ストライクというのはHTMLタグの一つで取り消し線を引きたい時に使うものでございます。
つまり、『今のは無効だ』とこの係員は言ったものと思われます」
「なるほど、つまり一度で全部倒すのは無効、必ず二回目で十本を倒す必要があるのですね。
とりあえずワタクシも転がしてみましょう」
ワタクシが西瓜を転がすと、横の方に転がって行き、溝の中に落ちてしまいました。
係員が突然「ガター」と言いました。ワタクシは係員を睨みつけます。
「あなた! 突然こんな場所でなんというハレンチなことを仰るのですか! もしかしてワタクシのスカートの中が見えてしまったのですか?」
係員が慌てて言いました。
「側溝に落ちたことをガターというのです。決してスカートの中が見えたわけではありません」
ワタクシは自分が間違っていたらしいことを指摘されたので、素直に謝っておきます。
「そうですの。ワタクシの勘違いでしたわ、あなたにはご迷惑をお掛けしたようですので、これはほんのお詫びです」
そう言うと、ワタクシはポケットからまだ金額の書かれていない小切手を渡します。
「あなたの気が済む金額を書いてくださいまし。いくらでも構いませんわ」
係員は、プルプルと震えるだけで小切手を受け取ろうとはしませんでした。
なんと奇特な方でしょう。ワタクシが今まで会った方は皆様、一千万円とか十億円とか書かれておりましたのに……
ワタクシはこの男の無欲さに感心してしまいました。世の中にはこのような御仁がまだまだいるのですね。
その後、三時間ほどかけてようやくカイサツを通ることが出来ました。
ずっと西瓜を転がし続けていたため、腕が疲れました。
カイサツを通ると、爺やの話では、次は『エスカレーター』と呼ばれる動く階段に乗るそうです。
階段が動くとは、どういう意味なのでしょうか。
ワタクシたちは、暫く歩くとエスカレーターの場所にたどり着きました。
その場所に着いてワタクシは驚きました。なんと、階段が動いているではありませんか。これでは乗ることが出来ません。
「爺や、この階段には、どうやって乗れば良いんですの?」
ワタクシが尋ねるといつも優秀な爺やが冷静に答えます。
「お嬢様、この階段は生きております故、まずは足を切り落とす必要がございます」
「それは、少しばかり可哀想ではございませんか?」
ワタクシが尋ねると爺やが目を細めて言いました。
「いいえお嬢様、この階段の足は、どれだけ切り落としてもまた生えてきますので、お気になさらずに」
それならば大丈夫ですわね。ワタクシはメイドからショートソードを受け取ると、階段に斬りかかります。
「ヤアアーッ」
ワタクシは剣を振りかざすと、ブォンという重い音とともに振り下ろしました。
しかし階段の逃げ足が速く、うまく当たりません。
「仕方がございませんな。お嬢様でも斬れるように致しましょう」
爺やは、そう言うと氷魔法を使いました。
『フリーズ!』
爺やの放った氷魔法のおかげで階段の動きが遅くなりました。これならワタクシでも斬れそうです。
「ヤアアーッ!」
ガキィーンという音とともに階段の足を切り落とすことが出来ました。
「やりましたわ! 爺や、このまま階段を上れば良いんですの?」
ワタクシが尋ねると爺やはいつでも的確な答えをくれます。
「お嬢様、エスカレーターというものは、一段だけ自分で上れば、後は勝手に『上にある目的地』まで連れて行ってくれるものです」
「まあ、するとこのエスカレーターというものが『電車』でしたのね。ワタクシ、ついに『電車』に乗りましたわ」
ワタクシが感動していると爺やがそれを訂正をします。
「いえ、お嬢様。エスカレーターというものは、電車に乗るための三つの試練の一つに過ぎません」
「つまり、電車に乗るまでに、まだ試練があるということですの?」
ワタクシはおそるおそる尋ねました。
「御安心くださいお嬢様、三つの試練のうち二つは既にお嬢様も制覇されておいでです。
既に制覇された試練は『カイサツ』と『エスカレーター』でございます。
残る一つの試練は『プラットホーム』と呼ばれる場所で目的の電車に乗ることでございます」
爺やは、そう説明をしてワタクシに優しく微笑みます。
「それでは、先へ参りましょう」
ワタクシは、逸る気持ちを抑えながら爺やに提案しました。
「お嬢様、この駅にはプラットホームが全部で十六個ございます。
その内、学園へ向かうものは『3』と書かれたものでございますので、お間違えのなきよう……」
「流石ですわ。爺やは何でもご存知ですのね」
ワタクシたちは『3』と書かれたプラットホームに向かいます。
案内板が至る所に設置されていたため、すぐにたどり着くことが出来ました。
「ここが、『3』のプラットホームですのね」
ワタクシは辺りを見回しながら言います。
「お嬢様、ここが『3番ホーム』でございます」――
爺やがそう言い直します。なるほど、その方がスマートで聞こえが良いですわ。
さらに爺やが話を続けます。
「此処で『こちら』にあります二本の線の上を『電車』が走ってきます。
ですが、我々が乗るものは、このプラットホームで停まった電車に限ります
乗るべき電車が来た際には係員より案内がありますので、それまで暫しお待ちを……」
ワタクシたちが少しばかり待っていると、何やら音楽が聴こえた後、係員の声が聞こえてきました。
『まもなく3番線を列車が通過します。黄色い線の内側までお下がりください』
「なんですの? 何処からか係員の声が……」
ワタクシは辺りをキョロキョロと見回しますが、係員の姿は見当たりませんでした。
「お嬢様、今のは『ホウソウ』でございます」
爺やがそう教えてくれます。
「あっ、ホウソウというのは聞いたことがございますわ。確かラッピングのことですわね。
ま、まさか、係員が何処かで箱に詰められてしまっているのですか? 大変です。事件ですわ」
ワタクシが係員の身を案じていると、爺やはワタクシを落ち着かせて下さいました。
「お嬢様、係員様はご無事でございます。それよりも先ほど係員様が仰っておられたように、この黄色い線の内側にお下がりくださいませ」
そう言うと爺やはワタクシを抱え、そのまま後ろに下がりました。
それから暫くそのまま待っていましたら、とても長い何かが物凄い速さで二本の線の上を走り抜けました。
「爺や、先ほどの長い物体は、一体なんだったのかしら?」
ワタクシが爺やに尋ねると、爺やが答えます。
「お嬢様、先ほどの長い物体は、東方を司る神『青龍』にございます」
爺やのその言葉を聞いて、ワタクシは感動いたしました。
青龍といえば、我が奈倉家の家紋に使われている伝説の龍神でございます。
まさかこのような場所でお目にかかれるとは思いもしませんでした。
「爺や、今すぐ、先ほどの青龍を追いかけます。手配なさい」
ワタクシは爺やに命令をします。
「しかしお嬢様、先ほどの青龍は既に遠くへと行ってしまわれました。追いかけるとしても今から乗り物の手配をしていては間に合いません」
爺やがそう言いましたので、ワタクシは周りを見まわします。
「そこにちょうど乗り物があるではありませんか。それに乗って追いかけましょう」
ワタクシは隣の『4』と書かれたプラットホームの向こうにある線の上に、リムジンを八台ほど連ねたような乗り物を見つけて、指をさしながら爺やに言いました。
「お嬢様、あれは反対方向行きの『電車』でございますが……。わかりました。あれに乗って追いかけましょう」
ワタクシたちは、その『電車』に乗りました。少し待っていると、電車は青龍の向かった方角へ向けて走り始めました。
「爺や、この電車、なんだか先ほどの青龍より遥かに遅いですわ。もっと速く走れないんですの?」
ワタクシは爺やに愚痴を零しました。
「お嬢様、『ダイヤ』の調整に時間が掛かっておりますので、暫くお待ちくださいませ」
爺やがそう言います。
ダイヤとは……ダイヤモンドのことですわよね。
「爺や、世界中のダイヤモンドを買い集めてでも、青龍に追いつきなさい」
ワタクシは目的のためならばお金に糸目をつけません。
「かしこまりましたお嬢様。世界中全ての列車のダイヤを買い占めましょう」
爺やはそう言うと、何処かへ電話をかけ始めました。
三十分ほどすると、電車の速さは変わっていないにも関わらず、青龍に追いつきました。
見ると、青龍の周りには何百台もの『電車』が巻きついておりました。
ダイヤモンドがどう関係していたのかはよく分からないのですが、ようやくワタクシは青龍に会うことが出来たのです。
青龍の背に、どなたかが乗っていらっしゃいました。
ワタクシはその方に問います。
「あなたは、ワタクシの一族に関係があるお方ですか?」
そのお方が『ニンゲンよ、我を捕らえたこと後悔するが良い』と言ったかと思うと、青龍が雷を放ちました。
すると青龍を捕らえていた数百台の電車が全て大破してしまいました。
青龍に乗っておられたお方が高らかに笑うと、青龍に乗ったまま、天に昇って雲の上へと消えて行きました。
それを見ていた爺やが言います。
「お嬢様、どうやらあのお方は神様だったと思われます」
ワタクシたちは、呆然と神様が消えていった空を見るのでした。
★ ★ ★ ★ ★
後日、ワタクシの家に一枚の請求書が届きました。
その請求書には、日本円にして百恒河沙円という、あまりにも膨大な金額が書かれていました。
我が家は当然のように破産。
電車とは、こんなにも危険な乗り物だったのですね。
ワタクシは、神様の言ったとおり一生を後悔することになるのでした。
――バッドエンド――
読んでて頭が痛くなった方へ、大丈夫あなたは正常です。
正直、書いてる自分も頭が痛くなりました。私も正常です。多分……