フィールドの死神
学園内にある庭園に開かれたカフェテラスに突如現れた黒い影は、早朝駅前を飾る半透明のゴミ袋の中身を貪るしたたかなカラスのように空を飛び、実体のない僕らを責めるように嗄れた声で鳴いている。
「お腹が空いているのなら、仕方がないわね。新たに餌を撒きましょう」
このカフェテラスによく似合うと学園長が取り寄せたアンティークな新品の椅子は無惨にも粉々に破壊されていく。
そこから転げ落ちるようにして逃げ惑う生徒達を横目に、胸ポケットから取り出したノンフレームの眼鏡を掛け、授業に使用しているノートパソコン"エリー"で冷静に高速計算を始める少女は、クラスメイトで僕の祖母、アリス。
彼女は瞬時にカラスにピッタリの餌をはじき出したエリーにキスをして、餌データの転送を始めるようにエンターキーを指でなぞり命令を下した。
目の前のテーブルを吹き飛ばし、芝生を削り、風の中現れたのは、泥に手を汚す幼き少女。
「ごめんなさいね。あなたの記憶、すべて消去します」
アリスの鷹揚の無い声と言葉に、少女の顔が悲壮と絶望に歪んだ。彼女の手に握られた黄色の砂遊び用スコップがナイフに変わる前に、僕は胸のロザリオを剣に変え小さな心臓目掛けて突き刺した。
届けたいものがあるの! 届けたいものがあるの! 少女は剣を胸に刺したまま、必死で僕の足にすがりついてきた。僕はそんな少女を見下ろしながら、剣を握る手に力を込める。
「そのまま放り込んで頂戴。口は無理にでも開くから」
アリスの手によりこじ開けられた黒の世界の中、僕は躊躇うことなく少女を投げ入れた。落ちていく少女の瞳は僕らを捉えたまま、小さな体は吸い込まれるように暗闇へ落ちていった。
カラスの口が閉じられた瞬間、くぐもった少女の声が僕らの耳に届く。
――何故、お前達が生きているんだ、と。
「あたしで済むのならいつだって行くわ。エリーに転送してもらう前に」
暗いフィールドを見据えるアリスの横顔。僕は血に濡れた剣をロザリオに戻し、エリーに差し込む。虹色の画面いっぱいに広がる少女の記憶は、一枚のディスクに収められ、僕はエリーからそを受け取ると制服の胸ポケットの中にしまった。
この世界に突如現れたカラスという名の死神は、適合する人間の記憶を喰らうまで他の人間の記憶を喰らい続ける。
それをくい止めるためには仕方がないことなのだ。餌になる人間が例え幼き少女でも、大切な記憶でも、価値ある命の記憶を守るため政府が下した決断に、僕らは逆らうことを許されない。
僕らに許された罪の償いは、温もりを失った記憶を現実世界に届けるだけ。
そして届けた後も残る痛みを、罪悪感と消された者の無念の痛みを僕らは永遠に忘れること無くこの胸に留めている。
けれど、君を犠牲にする代わりに君の痛みを受け止めるなんて考えは、酷く偽善的で卑怯だと思う。
選ぶのはエリー。
死神の腹の中、最後に付き落とすのは僕ら。
おそらくアリスもそれをわかっている。
僕らは痛みを逃がせない。逃がす道が存在するのかわからない。偽善的な自分を許す事が出来ないという悩みさえきっと、持ってはいけないような気がしている。
終わりなき罪の意識に足を踏み入れ歩き始めた僕らに、納得する道などおそらく存在しないだろう。
いっそ感情なんて捨ててしまえれば楽になれるだろうか? 果たしてそれが僕らに許されているのだろうか?
「フィールドの人口が一万を切った。日に何百人と消えていくわ」
「そうだね」
僕は青空を覆う巨大な黒い影が雨を降らすのを見ながら、新たに覚えた一つの小さな肉を断つ感触を制服に擦り付ける。
「急がずとも僕らはいずれ奴らに飲まれるから」
アリスは僕を一瞥すると、エリーに別れを告げ静かにノートパソコンの電源を切った。僕は手のひらの感触が消えないことを過去の経験から思い出し、制服で汗を拭うのをやめた。
結局冷酷になるしか方法がないのかと、付き落とされた"餌"の悲鳴を遠くに聞きながら、僕らはけして耳を塞ぐことはなかった。
to be continues……? |