「今日から、こちらの病院で研修する事になった、内科担当の高木先生だ。
本当は、内科医長の毛利先生に病院案内してもらうところだが、
休みなので、佐藤先生、お願いするよ」
なぜか額帯鏡をつけたままの、目暮院長はそう言った。
と、机の電話が鳴り、目暮がとった。
「ああ、みどりか、今日はなあ」
電話で話す院長を後にして、佐藤、高木両医師は部屋を出た。
「みどり、って誰です?」
「院長先生の奥様」
「って、事はこの病院の名前・・・」
「愛妻家なのよ。目暮院長」
総婦長室から出てきた、高木は、ほっと息をついた。
佐藤が笑った。
「緊張するでしょう。九条総婦長の前に出ると。
くれぐれも、注意しておくけど、看護婦を軽視するようなことしちゃ、ダメよ。
妃外科医長が、できるだけ弁護はしてくれるけど、
こちらが完全に悪いときは、弁護は無しで断罪されちゃうわよ」
『断罪』と表現される、それはどんな仕打ちなのか、
高木は、想像するだけで、自分の周りの温度が下がるような気がした。
「こちらが、レントゲン技師長のトメさん。
撮影技術も、読影技術もそんじょそこらの医者じゃあ足元に及ばないわ」
トメ技師は照れくさそうに頭をかきながら言った。
「いやあ、佐藤先生。そんなに褒めても、何もでやしませんよ」
「そうねえ、じゃあ、見合い写真でも撮って貰いましょうか。
レントゲン胸部正面と側面で」
「いいねえ、普通の写真より、健康さが分かって」
見たいような、見たくないような・・・、佐藤の胸元を横目で見ながら、高木は思った。
「新しい、内科の先生?
言っときますけど、患者さんのことも少しは考えて、
不必要な検査は、絶対出さないで下さいね。
若い先生は、すぐなんでもかんでも、検査に出すんだから。」
臨床検査部部長の宮野志保はそう言うと、再び仕事に戻っていった。
廊下を歩きながら高木は言った。
「宮野って、さっきの薬剤部部長も、宮野先生でしたよね」
「ええ、志保さんは、宮野明美部長の妹さんよ。
注意しておきますけど、明美部長に難癖はつけない方が良いわ。
志保部長から恐ろしい報復があるそうよ」
「どんな事が、起こるんですか?」
佐藤は、謎めいた笑みを浮かべた。
「死ぬかもしれないけど、試してみる?」
「毛利さん、どうしたの?」
外科の病棟に来ると、優しげな看護婦が、困惑した様子で、佐藤の元にやって来た。
「沼淵さんが、まだ元気になってないのに、退院させる気かって」
「やれやれ、生命保険目的の入院だってばればれなのに」
高木は、佐藤について病室に行った。
沼淵は、あらゆる不調をマシンガンのようにぶちまけた。
と、いきなり佐藤は、カルテを、沼淵に投げつけた。
驚くべきすばやさで沼淵はカルテをよけた。
壁に深々と刺さったカルテを引き抜きながら佐藤は、にこやかに言った。
「素晴らしい、身体機能の回復ね。今すぐ退院できるわ」
沼渕は、声も出せず、ただうなずいた。
病室の外に出た佐藤は、高木に言った。
「患者さんには、優しく、が基本だけど、時には、毅然とした態度も必要よ」
高木も声を出せず、うなずいた。
外科病棟の廊下の壁に大きな穴が開いていた。
「これも、佐藤先生がカルテを?」
「まさか、カルテでこんな大穴開くわけ無いじゃない。
毛利さんが、下半身が元気な患者さんを牽制したのよ」
「ちょっと、寸止め、失敗しちゃって」
優しげな看護婦は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。高木は、内心蒼ざめた。
みどり病院の一日は終わった。
高木は、職員食堂で夕食を食べていた。
日勤の職員は帰ってしまい、夕食を食べているのは、高木一人である。
と、看護婦がお膳を持って高木の前に座った。
「こんばんわ、私、外科病棟勤務の宮本由美って言います」
「準夜勤務?」
由美はうなずいた。
「先生、新人ですね、ここの病院の七不思議聞きました?」
高木の返事も待たず由美は話し始めた。誰もいない病室で鳴るナースコールを始め、どこの病院でもありそうな、ありふれた内容だった。
「・・・で、6番目の不思議は、目暮院長がなぜ額帯鏡をずっとしてるか」
「それは、確かに、不思議だ。で、7番目の不思議は?」
由美は、形容の仕様の無い不思議な笑みを浮かべた。
そして、無言で立ち去っていった。高木は変な娘だと思った。
入れ替わるように、白鳥外科副医長が、入ってきた。
「高木先生、お疲れ様です。一人で、御夕食ですか?」
丁寧な物言いが、どことなくたくらみを帯びて聞こえるのは
きっと自分の気のせいだろう、と高木は思った。
「いえ、さっきまで、宮本由美さんって言う外科の看護婦さんと一緒でした」
「宮本由美?外科にそんな苗字や、名前の看護婦はいませんよ。
高木先生、聞き違えたんじゃないですか」
「いや、はっきりそう聞きましたし、
それに、白鳥先生、こちらへ来る廊下で絶対にすれ違ったはずですよ」
「まさか。私は誰ともすれ違いませんでしたよ。
と、言う事は、まさか・・・」
目を伏せた白鳥の顔の青さに、高木は不安になった。
「どうされたんですか?」
「いえ、何でもない・・・ただ・・・
ただね、大分前に、この食堂で、くも膜下出血を起こして、
急死した看護婦さんがいるんですよ。
昔の話なので、彼女の名前はもうわから無いんですが、
彼女、寂しいらしくて、時々、呼びに来るそうです」
「呼びにって・・・」
「彼女に出会った人は、3日以内に命を落といいます。
その呪いから逃れるためには、
外来患者用のスリッパを履いて、帰宅しなくてはならないそう・・」
最後まで聞かず高木は、食堂を飛び出した。
外科の看護婦休憩室では、笑い声がはじけていた。
看護婦の鈴木が言った。
「高木先生、スリッパ履いて帰ったわよ」
「せやけど、白鳥先生、演技派やな」
遠山看護婦の賛辞を軽く白鳥は受け流した。
「高木先生は、素直すぎるようですね。由美さんも休みなのにわざわざありがとう」
「ストレスが多い職場ですもん。解消の機会は逃せませんよ」
皆の会話を聞きながら、佐藤は思った。
“高木先生、本当に、単純なんだから。ほっとけないタイプよね。
皆に、ストレス解消のカモにされないように、私が面倒見てあげなくっちゃ”
人は、それを、恋の始まりと言う。その事を、佐藤は知らない。
おしまい
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