黒髪の彼女は「奇妙」を考える
「『本当に奇妙なこと』って何だろうね?」
彼女は今日も唐突に言った。いつもそうだ。彼女はいつも唐突にものを言う。
「霊とか、妖怪のことですか?」
俺は少し意外な気持ちでそう訊いた。いつも現実的な話ばかりする彼女がそういう話をするとは、思ってもみなかったからだ。
「今、意外だなって思ったでしょう」
「え」
彼女には全てお見通しのようだ。
「私が霊とかの話を持ち出すなんて意外だなーって」
「あぁ……はい」
「いつもと違うなって」
「その通りです」
「ふふっ」
彼女は嬉しそうに小さく笑った。
「……私だって、霊とか妖怪には興味あるよ?」
「そう、ですか。失礼しました」
「まあ、それは置いといて。私が今言ったのは、そういうことだよ」
「……はい?」
彼女の言う、「そういうこと」が何を指しているのか、俺にはよく分からなかった。
「どういうことです?」
「私が今話したいのは、霊とか妖怪とか言う非日常的な『奇妙』じゃなくて、もっと日常的な『奇妙』だよ」
「つまりあなたの論は、『本当に奇妙なことは日常にある』ってことですか?」
「『日常にもある』が正確だけどね」
彼女は足を組みかえた。
「『奇妙なこと』。君の周りにもたくさんあるでしょう?」
「うーん、これは……『当たり前』から脱しないと見つからないでしょうね」
「私と君との議論は、いつだって『当たり前』を突き詰めてきたはずだけど?」
彼女は目を細めて、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「そう……ですね確かに」
俺はもう1度自分の日常を振り返ってみた。
「えーと……地球上に『自分』が存在すること?」
「大きいねぇ」
彼女は天井を仰いだ。
「もっと身近なところを見ようよ。言ってみれば今回の議論は、これまでとこれからの議論の原点になる話なんだ」
「原点回帰か……何か今までしてきた議論が蘇ってくるようですね」
「足跡を見るだけの思い出話なら他でやってよ」
彼女は手をひらひら振りながら言う。
「いい、もう1度言うけど、今回の議論はこれまでとこれからの議論に繋がってる原点なんだ。今回の議論を深めることはこれからの議論に大いに役立つってこと。分かる?」
「すいません」
俺は素直に謝った。彼女との議論をここで終わらせたくなかったからだ。
「再考して」
彼女は教師が生徒に指図するような口調で言った。
「そうですね……時間が『流れる』っていうのも不思議な気がします」
「まだ大きいなァ」
彼女は再び天を仰ぐ。
「じゃあ、家に帰った時になんとなく起こる安心感」
「あ、いいね」
「夕暮れ時の寂しさとか」
「なるほどなるほど。君は『心』に『奇妙さ』を感じるんだね」
「あなたは、どうなんですか?」
頃合いだと思って俺は問いを彼女に返した。俺の意見を聞いてから自分の意見を表明する。これが彼女との議論の常だった。そしてこの時……彼女が話をする時が、俺にとっての楽しみだった。
「うーん、私にとっての『奇妙』は沢山あるよ」
彼女は椅子に深く腰掛けて、足をパタパタさせた。
「例えば、『目の前に広がる日常をありのままに受け入れる人たち』とかね」
「あー……、それは確かに考えてみると不思議ですね」
「でも、今特に気になってるのは―――」
彼女はそこで一旦言葉を切って、俺を見た。
「……なんです?」
「今一番の『奇妙』は、君の存在だね」
彼女は俺を指差して言った。
「えっ?」
「なんで君がここに……私の前に現れたのかってこと」
「……えっと、それは……」
それは、俺に対する好意の表れと取っていいのだろうか?
「具象的過ぎたかな……」
彼女は心持ち首を傾げて小さく唸ってから、顔を上げた。
「つまり私が奇妙に思っているのは人と人との『縁』だよ」
「え」
「人と人との繋がり。これは本当に不思議だね」
「……」
どうやら少し主観的に捉え過ぎたようだ。
「……私さっき言ったよね?」
彼女は肩を竦めて息を吐いた。
「今日はこれからに繋がる議論だって」
「……ええ」
「私はその『これから』に君が欲しいんだ」
「えっ?」
「だから、私は『縁』の奇妙さを解消したいって思ってるんだよ」
彼女は少々不機嫌そうにそう言った。
「……こういうこと言うのはキライなんだけどなァ」
「ありがとうございます」
俺は礼を言った。わざわざそういう話をするような人でないことは、よく知っている。
「まだ私に言えるのは、今のが精いっぱい」
彼女は椅子に深く腰掛けて言った。
「君との議論を続けていたいってことだけなんだよ。……それは君が私に望むものとは違うでしょう?」
「十分です」
俺は自信を持って答えられた。
「十分ですよ、それで」
「……変わってるね、君」
彼女は笑った。
「いや変わってるのはあなたの方でしょう」」
俺も彼女につられて笑った。
「あなたにかかったら、この世の中奇妙なことばかりじゃないですか」
「奇妙なことばかりな方が楽しいじゃないの」
彼女は人差し指を立てた。
「私は一生その『奇妙』を追求していられるんだから」
「それは確かに、楽しそうですね」
「何他人事みたいに言ってんの」
彼女は驚いた様子で言う。
「え、それはどういう……」
「君にも手伝ってもらうんだからね」
彼女は本当に楽しそうに言った。
俺と彼女との議論は、まだまだ終わりそうにない。