第7話 夜中の訪問者
既に日も落ち、辺りに広がる夜の闇を建物の明かりや街灯が照らしている。
その明かりの一つ、とあるマンションを道から見上げる女性がいた。
それ自体は別に不思議な事ではない。
ただ、その女性の衣服が特異だった。白の小袖と緋袴。巫女装束そのものだが、背中に紅葉の紋様が入っている点だけが微妙に違う。
さらにおかしいのは、そんな格好の女性が道端に居るというのに、他の通行人がまったく気にしていない様子である事。
「森の塒はもぬけの殻。僅かに残った気配をなんとか辿ってみればこんな所とは・・・・・・結界まで張っているようですし、まったくもって紗那殿は何を考えているのか分かりません」
ため息と共にそう呟いた女性は、見上げるマンションの入り口へと歩いていった。
ピンポーン!
凛が夕食の後片付けをしている最中、来訪を告げるチャイム音が鳴った。
一階の共用玄関からではなく、戸別の玄関に設置されたインターホンからだ。
「こんな時間に誰だろ?」
「ボクが出るからいいよ。凛は片付け済ませちゃって」
後片付けを中断して対応しようとした凛を澄香が止め、チャンネルを適当に選んでいたテレビを消して玄関に向かう。
ちなみに紗那は、澄香の特製タレによってダウンしソファーで横になっている。
「どちら様ですか?」
澄香が玄関のドア越しの来訪者に尋ねる。
「今日ここに引っ越してきた者です。荷物の整理に手間取って遅くなってしまったのですが、引越しのご挨拶をと思いまして」
ドアの覗き穴から見れば、そこに居たのはTシャツとジーンズを着たラフな格好の若い女性。
相手の姿を確認した澄香は、取りあえずドアを開けようとする。
その瞬間、今までソファーで横になっていた紗那が跳ね起きて叫ぶ。
「澄香!開けたら駄目!」
「は?」
突然の制止は間に合わず、既にドアは開けられていた。
「すみません。ちょっと待っててもら―っ!?」
紗那の叫び声に気を取られていた澄香は、取りあえず来訪者の応対をしようと振り返った所で驚き、そのまま絶句する。
ほんの数秒前までTシャツにジーンズという格好だった筈の女性が、今は神社の巫女さんのような格好をしていればそれも当然の事だろう。
そして、その女性は平然と家の中に上がり込む。
「やっと見つけましたよ、紗那殿。森の塒にいないので、数日かけて気配を辿って探し回りました」
女性が話し掛ける相手は驚く澄香ではない。
いつの間にかリビングからやって来ていた紗那がその相手だ。
「これくらいで撒けるとは思ってなかったけど・・・・・・緋翠もしつこいね」
「しつこくもなります。敬愛するあの御方から与えられた任務ですから」
「戻るつもりはない、って何度も伝えたと思うけど?」
「それは承知しています。ですが、私も諦めるわけにもいきません」
「ちょっと待った!」
言葉の応酬をする二人に、大声で澄香が割り込む。
「緋翠さん、って言いましたか?話を聞いてる限りじゃ紗那の知り合いみたいだけど、あなた一体何者なんです?紗那と同じ妖狐族とかいう妖なの?」
緋翠と呼ばれた女性は、澄香のその言葉に反応した。澄香の方を一瞥した後に嘆息し、鋭い視線を紗那に向ける。
「・・・・・・呆れました。まさか人間に私達の正体を明かすとは」
「そんな大げさな事じゃないわよ。一緒に暮らすっていうのに、自分の事を何も話さないのは礼儀に反するでしょう?」
「一緒に暮らす・・・?」
紗那はその疑問に、何事かと様子を見る為に傍まで来ていた凛と澄香に視線を送りながら答えた。
「えぇ、この二人とね」
それを聞いた緋翠は、信じられないといった表情を見せる。
「長身で強気な女性と・・・」
澄香に視線を送り。
「華奢で可憐な女性ですか・・・」
凛に視線を送り。
「いつから、そういう趣味になったのですか?」
一瞬、周囲に沈黙が生まれた。
沈黙を破ったのは紗那の笑い声。
「・・・・・・ふふっ、あははっ♪しゅ、趣味って・・・くっ、ふふふっ。駄目、息出来なく・・・なりそ・・・はははっ♪」
若干怒りを含んだ凛の声がそれに続く。
「僕は男です!」
「・・・・・・ご冗談を」
再び視線を向けた後に発せられた言葉に、凛は語気を弱めながらも主張を続けた。
「確かに体つきは華奢だし、女顔だし、おまけに声も高めですけど、男なんです」
「分かりました、信じましょう」
「・・・絶対信じてませんよね。棒読みですし・・・」
緋翠はこれ以上関わってられないとばかりに、凛を無視して言葉を紡ぐ。
「こちらの世界にいるだけならまだしも、ただの一般人に我らの世界や種族の事を教えたとなれば話は別。お戻り下さい、紗那殿。今ならまだ、あの御方もお許しになるでしょう」
「あのね、何度も言ってるけど私とあいつは同格―」
「あぁ、もう!ちょっと待ったって言ったのに、人を無視して話を進めるな!」
紗那の言葉を途中で遮ったのは澄香の怒声。
「ええと、あなたの名前、緋翠・・・でいいの?もう緋翠って呼び捨てにするけど、他人の家に上がり込んで来て一体何のつもりなの?」
「私は紗那殿と話をしているのです。邪魔をしないで下さい」
「なっ・・・!?」
「貴女が扉を開けてくれたので、紗那殿がこの部屋に張っていた結界に進入出来ましたが、それ以外の役割は求めておりません。少し、静かにして頂きます」
そう言うと、緋翠の手が傍に居た澄香の額にすっと伸ばされる。
すると、いきなり腰が抜けたかのように澄香がその場にへたり込む。
「ふぇ?あれ、何で・・・・・・力、入んない」
「これ以上口を挟むようなら、今度はそちらの貴方も―」
「緋翠」
緋翠が凛に対しても視線を向けた所で、紗那は普段より低めの声で緋翠の名を呼んだ。
「これ以上、この二人に、何かしてみなさい。その時は、今度こそ本気を出すわよ」
「「「っ!?」」」
一瞬の内に、部屋中を凄まじい圧迫感が満たしていた。
敵意の対象になっていない凛や澄香でさえ息苦しさを感じる程の圧迫感。それを生み出しているのは紛れも無く紗那だ。
「引きなさい、緋翠。さっさとあっちに戻って、私の意思をあいつに伝えてくるのよ」
敵意を直接向けられている緋翠は、まさに蛇に睨まれた蛙のような状態となっていた。
それでも何とか、口を、体を動かそうとする。
「・・・・・・わ・・・かりました。戻って・・・あの御方に報告しましょう。紗那殿の力が鈍っていないと、確認出来ただけでも収穫にはなります」
「なら、すぐに行きなさい」
「・・・はい」
表情を堅くして、背を向ける事を恐れているような様子ではあったが、その言葉に従って緋翠は玄関から出て行く。
そうして緋翠の姿が消えるのと同時に、辺りを満たしていた圧迫感も霧散した。
「・・・・・・・・・ふぅ。ごめんね、二人とも。驚かせちゃったね」
紗那は未だに固まったままの凛と澄香の二人を安心させるように笑いかける。だが、その笑顔には普段とは明らかに違う陰りが混ざっていた。
緋翠が去った後、家の中には居心地の悪い空気が流れていた。
「出て行ってもらうべきだよ!こんな訳の分からない、危険そうな事にボク達を巻き込んで!」
発端は澄香のこの主張。
「・・・・・・・・・・・・」
そして、紗那がそれに対して口を噤んだままでいる事が問題を発展させていた。
「黙っているばかりじゃなくて、何か言ったらどうなの!?」
この一方的なやり取りも、もう何度も繰り返されている。
「澄香」
それまで二人のやり取りを傍観していた凛が、落ち着いた声で幼馴染の名を呼ぶ。
「なに!?」
「落ち着いて、澄香」
「ボクは落ち着いて・・・・・・っ」
反射的に答えた自分の声が荒げている事を自覚し、澄香は途中で言葉を止めた。
「・・・ごめん。ボクはしばらく静かにしてるよ」
澄香が落ち着いたのを確認し、凛は紗那に向き直る。
「紗那さん」
「・・・・・・・・・」
凛の呼びかけにも紗那は黙ったまま。
「僕は、紗那さんに出て行ってもらおうなんて、これっぽっちも思っていません」
「え?」
その言葉を聞き、紗那がようやく反応を示す。
「だって紗那さんは、僕と澄香の事を守ろうとしてたじゃないですか」
「それは―」
「ただ、説明して欲しいんです。それが無いと、僕も澄香も納得出来ません」
「・・・・・・」
紗那はなお沈黙を続けていたが、それも凛の次の言葉までだった。
「正直言って奇妙な縁でしたけど、それでも、これから一緒にやっていきたいと思います。だから、話して下さい」
「・・・ぅ・・・・・・わたし・・・も」
震える声で、何とか言葉を絞り出そうとする。
「私も、凛や澄香と・・・一緒に・・・・・・暮らし・・・たい」
「・・・僕もそう思ってます。話して、くれるんですね?」
まるで子供をあやす様に、涙ぐんだ紗那に声をかける。
「・・・・・・・・・・・・うん」
少し時間をかけたが、紗那は確かに頷いた。
何となく良い雰囲気になりかけているそこへ、ずっと黙っていた澄香が口を開く。
「あー、ちょっといいかな?静かにしてるとは言ったけど、ここまで割って入る隙が無いとは思わなかったんだけど・・・」
「ご、ごめん澄香!それで、何・・・かな?」
「はぁ・・・本当は色々言うつもりだったんだけど、今のやり取り見てるとね・・・・・・確認しておくけど、凛はこれでいいのね?」
澄香は嘆息しながらも、凛の意思を確認する。
「僕はいいけど・・・澄香こそいいの?一番ひどい目にあったのは澄香なんだから―」
「それはもういいって。これで反対したら、ボクが悪者みたいじゃん」
少々なげやりな感ではあるが、澄香は肯定の意を示した。
「でも!話してもらうよ?さっきの緋翠とかいう女の人は何なのかって事を含めて、色々とね」
次の行動として、指を突き付けながら紗那の方に身を乗り出した。
それを受ける紗那は、先ほどまでの態度が嘘のようだ。真剣さが加わってはいるが、数時間前までのそれと大きく変わってはいない。
「そうね、ちゃんと話すわ。・・・長い話になるかもしれないけど、疑問に思った事があったらすぐに言って」
「勿論そのつもり」
紗那は即答した澄香に対して苦笑をこぼすが、すぐに真面目な表情になる。
「まずは・・・・・・緋翠の事だよね」
その表情に合わせて、凛と澄香も身を引き締める。
「澄香がさっき言ってたけど、緋翠は私と同じ妖狐族。私の事を、妖界に連れ戻そうとしてるの」
「連れ戻すって、何でですか?」
凛が発した当然の疑問に、紗那の表情は一層真剣さを増していた。
「それを説明するには、妖界の事を話さないといけないね。・・・・・・もう400年くらい前になるんだけど、妖界で戦があったの。妖達の間では『大戦』と呼ばれている、妖界全体を巻き込んだ戦がね」 |