第4話 平和な学校生活の崩壊
お天気雨に降られて森に入ったのがいけなかったのだろうか?
その森で怪我をしている狐を見つけたのがいけなかったのだろうか?
手当てする為にその狐を家に連れ帰ったのがいけなかったのだろうか?
そんな風に考えが混乱している自分でも確かだと分かるのは、紗那さんとの出会いによって今までの日常や常識が崩壊したという事実。
それを再認識させられた。
目の前で繰り広げられている信じられない現実。一体どうしてこんな事になったのか?恐らく、紗那さんと出会った朝の時点で決まっていた未来だったのだろう。
ため息を吐きながらも共に帰宅した凛と澄香は、今後について紗那と話していた。
凛も自分の事を好きになってくれるまでは決してやましい事はしないと紗那が宣言した為、最大の問題点だった部分に関しては取りあえず先送りにされていた。
だが、予想通りと言うべきか、紗那は凛の家で共に住む事を頑なに主張し続けていた。
「あなたは一体いつになったら諦めるの?」
「だから私は諦めないって言ってるでしょ。凛の事が大好きだし、森の塒とは比べ物にならないくらい居心地が良いもの。それと、名前で呼ばないとまた耳生やすよ?」
「う・・・」
「今度は、1週間くらいどうやっても消せないようにしようかな〜」
「分かったよ!・・・し、紗那」
「はい、よろしい♪」
澄香を翻弄する紗那の姿は、どこからどう見ても楽しんでいるようにしか見えない。今朝の話を信じるなら、紗那は少なくとも300年以上生きている事になる。その年季の違いを考えれば、当然の結果なのかもしれない。
「・・・大体ね、そこらの話に出てくる妖怪なんて人間に悪さをするようなのばっかり。あな・・・紗那がそうじゃないって保証がどこにあるの?」
「えっとね、誤解の無いように言っておくけど、そもそも妖と人間は生まれ落ちた世界が違うの。やっぱり妖界の方が居心地良いし、人間と関わる必要だってない。確かに人間に危害を加えるような妖はいるわよ?でも、わざわざ妖界を抜け出して、挙句には人間相手に襲い掛かるなんて、余程ひねくれた奴くらいのものよ」
「余程ひねくれた奴、に当てはまってるとボクは思うけどね」
「まぁ、自分がひねくれてないとは言わないけどね。少なくとも、凛に危害を加える事だけは絶対に無いわ」
「だから、どこにそんな保証があるっての?」
互いに一歩も譲らない二人だったが、やりとりに置き去りにされていた凛が入ってくる。
「あのさ、澄香。紗那さんの言う事は信用出来ると思うんだ」
「凛!?どうして、肩なんて持つの?」
「だって、紗那さんが何かするつもりなら、いくらでも機会はあったよ。今朝とか、それこそ今この場でだって」
凛もやはり男だから、一目惚れしたと言われて嬉しい気持ちはあった。そして何より根が優しい凛は、森よりも居心地が良いという紗那の同居を既に認めつつあった。自分を庇うそんな凛の言葉に、すかさず紗那が追従する。
「そうそう。疑われてるんだから、やるなら今ここでやっちゃってるわよ」
「そんなの油断させる為かもしれないでしょ」
「でも、やっぱり信用出来ると思うんだ。何かするつもりなら機会はあったとかそういう事じゃなくて、そんな感じがするというか・・・う〜ん、何て言えばいいのかな・・・」
引き下がるつもりのなかった澄香だが、悩み始める凛を見て引き下がる事にした。少なくとも信用云々については。
「はぁ・・・分かった。もういいよ。凛がそこまで言うんだったら、それに関してはボクはもう何も言わない」
「ありがとう澄香」
「でも!」
澄香は身を乗り出し、お礼を言う凛の眼前に指を突き出す。
「もう一つ、大事な問題が残ってるよ」
「え?」
「紗那、あなただって食事ってするんでしょ?」
凛に向かって指を突き出した姿勢のまま、紗那の方に顔を向けて尋ねる。
「そうね。基本的には、人間と同じものを食べるわ」
「だったら、お金はどうするの?単純に計算しても食事の量が倍になるんだよ?」
「何か、急に現実的な話になったね・・・」
「でも、大事な事だよ」
妖などという存在を相手に食費の話をするなんて、マトモではない。澄香自身もそれは自覚していた。だが、紗那が凛の家に住み着くというのを阻止する為には、もうお金の問題を指摘するくらいしか思いつかなかったのだ。
「なんだ、そんな事気にしてたの?」
当事者であるはずの紗那が、心底意外そうな声を出す。
「あ、あのね!妖の社会がどうなってるかは知らないけど、人間の社会ではお金っていうのは―」
思わず声を荒げる澄香が言い終わる前に、紗那がそれを止めた。
「うん、お金が必要だって事は分かってる。だから、私が働いてお金稼げばいいんでしょう?凛が学校に行ってる間は家で待ってても暇だし、言われなくても働くつもりだったわ」
そう言われれば、澄香も反論出来ない。凛が紗那を信用し、お金の問題まで片付くとなれば、これ以上は反論する材料が見つからなかった。
一夜明けた朝、凛の家は以前の静けさを取り戻していた。
昨日の話し合いの後、澄香は凛を心配しながらも自分の家に帰り、また紗那も森にある塒を整理しに行っていた。なので、昨晩は凛にとっては一人暮らし最後の夜だったのだ。
凛が起きた時にも、紗那の姿は無かった。よく見てみるとリビングのテーブルの上に『仕事に行ってきます♪』と書かれたメモがあったので、凛が寝ている間に一度戻ってきたのだろう。
朝食を食べ終わった後、凛はふと考えていた。
(そう言えば・・・仕事って、いったいどこで働いてるんだろ?元々、どこかで働いてたのかな?)
だが、その考えはすぐに中断させられる。
ピンポーン!
「あ、澄香かな」
凛が玄関に向かうと、その目前で玄関が開く。
「凛、まだ生きてる!?」
そこにいたのは、やはり合鍵を手にした澄香だった。
「おはよう澄香。そんな大げさな・・・」
「大げさじゃない。ボクは心配してたんだよ?・・・・・・あいつは?」
澄香は家の中を伺い見るような仕草をしながら聞いてくる。
「紗那さんならいないよ。仕事に行ってきますってメモがあったから、一度戻ってきたんだとは思うけど」
「ふ〜ん。朝からいないって事は、本当に仕事行ったのかな・・・」
「たぶんね」
澄香はまだ納得がいかない様子だったが、それ以上追求する事はなかった。
「凛、もう準備終わってるの?だったら早く学校行こ。ボクはもう、昨日みたいに遅刻するのは嫌だからね」
「あぁ、うん。鞄取ってくるからちょっと待ってて」
そう言って凛は、自分の部屋に向かう。
10数秒ほどで玄関まで戻って来て、そのまま澄香と共にマンションを出て学園へと歩く。
しかし、二人は昨日もっと詳しく聞くべきだったのだ。紗那がどこで働くのかという事を。
「おはよう、お二人さん。今日はいつも通りだな」
教室に入った凛と澄香に真っ先に声をかけてきたのはやはり隆也だった。
「隆也おはよう」
「おはよ」
挨拶を交わした後、凛の席がある方へ向かう。
「そうそう、ビッグニュースがあるぞ」
「ビッグニュース?」
オウム返しに尋ねる凛に、隆也は力強く頷いた。
「うちのクラスの副担任として、新しい先生が来るらしいぜ」
「確かに副担任が居ないままだったけど・・・そんな話、ボク聞いた覚えないよ?」
「なんでも、赴任してくるのは前から決まってたんだが、学園長が伝達するのを忘れてたとかでな。それで昨日の夕方になってようやく話が伝わったそうだ」
隆也は澄香の疑問にすらすらと答えていく。
「隆也がそんなに詳しいって事は、女の先生なの?」
「ふふふ、その通りだ。俺が直接見たわけじゃないが、後姿を見たやつによれば、綺麗な金髪でモデルみたいな体形だったらしい」
後姿だけの情報だと言うのに、隆也は嬉々として語る。それを凛は苦笑しながら聞いている。隆也の女性好きは今に始まった事ではない。黙っていればカッコイイのに、その軽いノリのせいであまりモテた事はないのだ。
「ねぇ、凛。金髪でモデルみたいな体形って・・・気にならない?」
隆也に気付かれぬように、澄香が小声で話しかける。
「紗那さんの事?でも、前から決まってたって言うし違うんじゃないかな?」
「うん・・・そう、だよね。そんなわけないよね」
だが、そんな二人の考えは次の瞬間打ち砕かれる事となった。
ガラッという音がした方を見ると、クラス担任がやって来ていた。
「ちょっと早いがみんな席につけ。もう知っている奴もいるかもしれんが、うちのクラスに副担任が来る。学園長が話を伝えるのを忘れていて、こんな急な事になった。それでは、狐塚先生」
促されて教室に入ってきたのは女性。確かに隆也の言う通りだった。透き通るような金髪。モデルのようにすらっとした体形。おまけに顔立ちも、日本的ではあるが美人のそれだ。
「皆さん初めまして。このクラスの副担任になる狐塚紗那と言います。個人的な事情で、このような中途半端な時期の赴任となりました。その旨は学園長も分かっておられたのですが、他の先生方に伝えるのを忘れていたようで。突然の事で皆さんも驚いているでしょうが、これからよろしくお願いします。ちなみに、担当する教科は日本史です。日本史を選択している人とは、授業でも会うと思います」
その女性、狐塚先生の美しさに男子は熱狂し、女子も見惚れている。さらに、日本史を選択している男子はガッツポーズまでしていた。
そんな教室の中で、呆然としている者が二人いた。凛と澄香だ。それもそのはず。
狐塚紗那として紹介された女性は、間違いなく二人の知る紗那そのものだったのだから。 |