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ポンコツ勇者と聖母騎士団 作者:三島千廣

1章「剣の聖母候補」

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LV01「愛なき世界にただひとり」


「見つけた」

 シュポンハイム修道院長ミルフィーユ・エマールは供である修道女ドラフシェを従えながら涼やかな声で喉を小さく鳴らした。

 場所はかつて鉱山で賑わった南方の街シルバランドバレーの安酒場だ。

 ミルフィーユは二十二歳。かつて神託の巫女として世の人の尊崇を集め、輿望によって聖女と教会から認定された若き修道院長である。

 名もなき酒場は、かつて鉱山で汗を流した荒っぽい鉱夫たちがたむろした名残の強い、お世辞にも小奇麗といえる場所でなかった。

 聖女の纏う深紺色の僧衣はこの場において酷く不釣り合いである。

 酔客のひとりが濁った酒精で満たされたグラスを傾けながら、視線を寄越し「おっ」というような顔をした。

 それだけミルフィーユの容貌は際立ってすぐれていた。
 輝くような白い肌にすっと通った鼻筋。
 深い海のような青い瞳には強い意思が籠っていた。

 なにごともなければ無法者ばかりの酒場のことだ。ふたりの修道女を取り囲んでひと騒ぎにになっていたのだろうが、それを上回る騒動はすでに起こっていた。

 幸か不幸か。そのためミルフィーユは特に足取りを止められることなく、目的の男をハッキリと見定めることができた。

 肉が焼け煙や酒の芬々たる臭いが薄暗い酒場のすべてを表していた。

「いい加減にしろやいっ。毎度毎度のことながら、こっちも堪忍袋の緒が切れたぜ……! 

 ツケは今までの払いを綺麗にしてからっていってんのにそれも嫌だなんて道理が通らねぇ。

 あまつさえオレの店で暴れるたぁ、いい度胸してんじゃねぇか。死んだぜ、テメェ」

 太った肉塊を上質の衣服で包んだ四十過ぎの男が噛みつきそうな勢いで怒鳴っていた。

「だからいいがかりはやめろってんだコノヤロー。こっちは払わないなんてひとっこともいってねえじゃんかよ。

 俺はゆすりたかりはしねえって天に誓ってるんだ。ただ、いつ払えるかはわからないっていってるだけだろう」

 騒動の大本は店の中央で店主らしき人物と揉めている男のせいらしかった。

 若い。二十そこそこだろうか。巌のようなズッシリとした威圧感のある巨躯であった。

 身長は百八十五ほど。薄い上着から盛り上がっているはち切れそうな筋肉から相当に鍛え上げられている身体をしているのがわかった。顔は日に焼けて浅黒く、髪も瞳も真っ黒だ。

「払う気ねぇじゃねぇかよ、シモン!」

 シモンと呼ばれた男は痛いところを突かれたというように、唇をわずかに上げてニッとふてぶてしい笑みを作った。

「人間正直が一番だろ?」

 細くなった目になんともえいない愛嬌がある。
 大きな身体をした気のいい熊のようだった。

「すみません、聖女さま。本当にあのお方がお探しになっていた……」

 供のドラフシェが困惑顔で呟いた。

 無理もない。ミルフィーユが常日頃ドラフシェに語っていた英雄譚(サーガ)からは到底想像し得ない品の悪さだ。清貧を旨とする修道院で育った彼女からしてみれば「裏切られた感……」しかないのだろう。

「変わってない……本当変わってない……というか、悪化してるわね」

 ミルフィーユが知っていた二年前の男は旅塵の埃に塗れていたとはいえ、もう少し身なりに気を使っていた節があった。

 今のシモンは色落ちして薄汚れた蘇芳の上下を身に纏い、頬は幾分か痩せて削げ落ちていた。

 となれば、今の彼の周りに女の影はない。

 ミルフィーユは知らず安心した自分の気持ちの動きを顔に表さないよう、務めた。

「シスターさまよ。ワリィことはいわねぇから店から出てったほうが無難だぜ。ロドリゴの旦那、シモンのやつを今日ばかりはぐうの音も出ないほどとっちめるつもりだて」

 揉めごとを遠巻きにしていた若い男が、この場に不似合いな尼僧であるふたりを気遣ってか声をかけた。

「ぐう」
「聖女、さま?」

 いけない。ついつい、シモンを見て娘時代のノリを出してしまった。

 ドラフェシェと親切に声をかけてくれた若い男が妙なものを見たように目を丸くしている。

 ミルフィーユは拳を口元に当てるとわざとらしく咳払いをする。

「ん。こほん。ホラ、ぐうの音は代わりにわたしが出しておきましたから。そもそもわたしはそのシモンに用があってここまできたのです。出ていくわけには参りません」

「払うっていってんだろコノヤロー!」

 シモンのいらついた声が響き渡った。ミルフィーユは相も変わらない彼のワガママさに懐かしさよりも頭を抱え込みたい気分である。

「ええい、堂々巡りだ。今日とはいう今日は許さねぇぞ。シモンよう。今夜はおめえを骨の髄まで叩きのめすために、大枚はたいて用心棒を雇ったんだ。旦那、おねげぇいたしやすぜっ!」

 ロドリゴが芝居がかった調子で叫ぶと、カウンターのうしろにある扉が蝶番もはずれよとばかりに開いて、ひとりの巨漢が飛び出してきた。

「オークだ」
「オークのリガチョロだっ!」

 周囲の野次馬から歓声が飛び交った。
 オークとは。
 この世界における亜人と呼ばれる種族のことだ。

 一様に大兵肥満。
 豚の頭部と強靭な身体を持った者たちのことをいった。

 突き出た猪のごとき長い鼻と反り返った凶悪な牙。

 太鼓の様に出っ張った腹の脂肪は重く、なまなかな刃では内臓まで斬り裂けぬ文字通りの肉の鎧を持っている。

 腕は細身の女性の腰ほどもあり、彼らは概して生まれつき剛力の持ち主だ。

 なるほど。リガチョロの体躯は二メートルをはるかに超え、身体の厚みはどう見てもシモンの倍以上はあった。

 シモンとて決して虚弱そうな体系ではないのだが、オークと並べてみるとその差は歴然としていた。

「おまえかシモンて若造は」

 リガチョロはぶふっと荒く鼻息を鳴らしながら、湾曲した牙を見せつけるようにして、黄色く濁った瞳を光らせ威嚇する。

「そうだよん。あのさ、あんたそこのオヤジになんていわれたか知んないけど、個人同士の揉めごとに赤の他人が首突っ込むのはお門違いってやつじゃね?」

 対するシモンは感覚が鈍いのが、それとも胆が太いのか。手にした酒瓶を逆さにして、勢いよく酒精を空けつつ受け答えしている。

 リガチョロは丸太ん棒のような右腕をぶおんと振り回すと、自らの剛力を誇示するかのように手にした酒瓶を掴んで一瞬で握り潰した。

「あいにくとおれはおせっかいが過ぎる男でね。とはいえ、闘技場のレスリングで鳴らしたおれがひ弱なニンゲンごときにマジになるのも大人げない。

 今すぐ、そこに跪きロドリゴに今までの飲み代返済の算段をつけるというのであらば、半殺しですませてやってもいいくらいの慈悲はある」

「慈悲ねぇ」

 シモンはニヤニヤしながら火照った顔でツマミの鶏肉をねぶっている。

 獣脂でテカった唇がさも楽しそうに釣り上がった。それはどこかいい遊び相手を見つけた悪童のような邪気のない顔だった。

「聖女さま。あの方がお探しになっているその人ならなば、早く争いを止めないと」

「うーん、でもねぇ」
「違うんですかっ」

 ドラフシェは十四歳と年若く、まだあまり修業ができていない。

 このところ各地を供として連れまわしていたためストレスが溜まっていたのだろうか。

 どうにもこらえ性というものが消えうせていた。

「違くない。けど、どう見ても悪いのはシモンみたいだし。止めるのは筋違いのような……」

「いや、止めましょうよっ?」

 ミルフィーユたちが見守っている間にも事態は推移していった。

「どうもおまえさんみたいな跳ねっ帰りは口でいっても聞きやしねェみてぇだな」

 リガチョロは円を描いて自分たちを取り囲んでいる酒場の野次馬たちからよく見えるよう、すぐそばのテーブルに近寄る。

 それから乗っていた皿だの瓶だの食物だのを一気に払い落とすと、ふんと喉から詰まったような声を上げて片手で手刀を見舞った。

 樫でできた身の厚いテーブルである。大人が数人乗って飛び跳ねてもビクともしなそうなそれはただの一撃で真っ二つに割れて崩れ落ちた。

 周囲から巻き起こるどよめきにリガチョロは得意そうな顔で応えた。

 一方、シモンはとろんとした目つきで目元を指先でこすると、大きなくしゃみをひとつして余裕をまるで崩さない。

「仔豚ちゃん。みんなのものを壊しちゃダメってママに教わんなかったのかい?」

「ダボがァ……!」

 キツい獣臭がオークの全身から発散された。明確な怒りである。

 リガチョロは猛り狂って強烈な右ストレートを放った。

 ぶおう、と。

 風を切る轟音とともにそれは真っ直ぐシモンの顔面目がけて振り抜かれる。

 ドラフシェがひゃっと声を上げて両目をふさぐのを見た。

 確かに普通であるならば、あの距離での突きは防ぎきれるものではない。

 が、苦痛の声を上げたのはオークのほうだった。シモンは顔の前で拳を受け止めると余裕の表情で掴んでいたオークの拳を握り潰したのだ。

 くしゃりと紙のように丸められたぶ厚いリガチョロの掌が砕けて激しく出血した。オークの腕力は決して見かけだおしではなく、普通の人間とはかけ離れた強さだ。

 鋼鉄の棒すら容易に捻じ曲げるといわれるオークの太い指先が奇妙に折れ曲がって異様な方向に踊っていた。

 シモンは笑みを崩さぬまま、砕かれた手のひらを抱えて呻くリガチョロをジッと見ていた。

 ピクピクと目玉を血走らせながらリガチョロはシモンへと掴みかかっていく。

 シモンは流れるような動きでオークの懐に入り込むと襟元と左腕を掴んで軽やかに投げを打った。

 やはり変わっていない。シモンはあの頃のままだ。

 ミルフィーユが確信すると同時にリガチョロの巨体がポーンと毬のように弾け飛んで、周囲の野次馬とテーブルを巻き込んで轟音を立てた。

(って、こっちに投げないでよっ!) 

 冷静に過去を振り返っている場合ではない。ミルフィーユはドラフシェの襟首を掴んで大きく横っ飛びをする。これでも反射神経はちょっとしたものだ。

 が、飛んできた皿がべしゃりと頭巾の上に上手いことかぶさった。

「……聖女さま?」
「う、うふふふ」

 わかっていた。

 こういう男だということは。今日のために念入りに化粧をして香を衣服に焚きこめ感動の再会シーンを目論んでいたというのにすべてが台無しだ。

 ぬるぬるした料理の肉汁をモロに浴びてとっときのウィンプルが汚れた肉汁でいい色に染まった。

「あの、お怪我は」
「大丈夫。ぜんぜんへーき。大丈夫ですから。うふふ」

 ミルフィーユはシモンの鮮やかな手並みに歓声を上げている無法者たちに向かってずんずか進んでいくと、手にした杖をしごきながら瞳をギラギラと光らせた。

「ちょっ、あんたなにを――」
「おどきなさい」

 あたりに散乱した食器やテーブルの破片をスカートを翻して飛び越えると、野次馬たちを手にした杖で打ち据えながらシモンに向かってまっしぐらに駆け出した。

「なんだ、このシスターは――」
「おいっ。ちょっ、やめっ――」

 どけ。私はそこなシモンに用がある。邪魔をするなら容赦はしないのだ。

 速度がつけばもはやミルフィーユを止められるものは存在しない。

 宝玉の飾りがついた杖は男たちの急所を的確に打ち据えながら、紙人形のように吹っ飛ばしていく。

 ドラフシェが驚いて目を剥いているのは振り返らなくてもわかった。

 何人かはミルフィーユに対応しようとして構えるが、たかだか常人では勝負にすらならない。

 杖を風車のように回転させながら、視界の肉壁を排除する。

 ついにはシモンと対峙していたロドリゴの後頭部を無慈悲に打ちつけて昏倒させると、騒いでいた酔客たちは残らず水を打ったように静まり返った。

「おまえ、ミルか……?」

 シモンが怯えの表情を見せあとずさった。

 まあ、たかだか二年間程度でこの顔を忘れられたら悲しくてやりきれない。

 どうにか視線からはずれようと左右に移動していくシモンを追い立て、ついには壁際まで追い詰めると、手にした杖を脇腹のあたりへとすいと押し込んだ。

 鈍い音とともに漆喰の壁へ杖の先端が埋没した。

 あらら。手加減したつもりだったのに――。

 ミルフィーユはいささかはしたなかったかしら、と自戒を込めて頬に手を添えてニコリと笑って見せた。信者たちからはやたらと評判のいいスマイルだ。

 シモンのやつめもさぞ気分がやわらぐだろうかと、いつも以上に口元をゆるめて目を細めてあげると、あからさまに怯えの色をさらに濃くした。なぜだ。

「久しぶりねシモン。ずっと探していたのよ」
「お、俺を殺すつもりか……」

 だからなんでよ。

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