――現在。AW315年。
夜。傭兵舎。
違和感に気づいてクライブは目を覚ました。
今日は久々に良い夢を見ていたのに。
できれば朝日の昇るまで余韻に浸っていたかった。
クライブは辺りを注意深く見回した後、違和感の原因が意外と近くにあることに気がついた。
いや、まあいい。これはこれで幸せだ。
半ば呆れながら微笑んで、クライブはシーツの中の闖入者を見つめた。
まるで子猫のように体を丸めて安らか寝息を立て、クライブの腕の中であどけない寝顔を無防備にさらすネリスの姿がそこにあった。
彼女には若干だが夢遊病の気があって、夜な夜な、無意識にベッドを抜け出しては、翌朝になって想像もつかないところで発見される事がしばしばあった。
ネリスがクライブの寝台に潜り込んでくることはその中でも頻繁に起こることだ。無意識下で人肌の温もりを求めているが故の行動だとクライブは思っていた。
凛然としたたたずまいで、並み居る屈強な兵士達をいとも簡単に退けてしまう鬼神は、どこになりを潜めたのだろうか。クライブに身を委ねて眠る少女は年不相応なほど幼く、激しく保護欲をかき立てられる容姿をしている。
ネリスはクライブに弱さを見せることはほとんど無い。それがクライブには悲しいことだった。単純な強さではネリスの右に出る者はいない。だからこそ、クライブはネリスの支えになりたいと願っていた。単純に相棒としてだけではなく。
クライブはネリスの金髪を愛おしげに撫でた。ほんのりと香る白色火薬の匂い。
消せない硝煙を香水に纏う姫は、どんな夢を見るのか。
その横顔は出逢ったときと全く変わらないままだ。
しかし、あの頃の彼女がこんな寝顔をしていただろうか。
与えられた敵を見境無く、唯、激情のままに屠り続けていたあの時のネリスに。
クライブは思う。自分はネリスの隣に立てる相棒になれたかと。
「いや、まだまだ、だよな」
最近は手緩い任務ばかりで身体が劣化してきている。少し訓練でもしてこよう。
クライブはネリスを起こさないように気を配りながらベッドから抜け出した。
「どこ行くの?」
ネリスの小さな手がクライブのシャツの裾をつかんでいた。
久しぶりに本気で驚いたクライブは十センチほど飛び上がった後、小さくうわずった声で訪ねた。
「お、起きてたのか」
「どこへ行く?」
再度問うネリス。そこでクライブはネリスがまだ寝ぼけている事に気づいた。
「訓練場」
素っ気なく答えると「そう……」、と言ってネリスはまた船をこぎ始めた。
「やれやれ、この眠り姫は……」
ネリスにシーツをかぶせてやり、野戦服に着替えたクライブは静かに部屋を後にした。
――練兵場、第五訓練棟。
「妙だな」
クライブは訓練棟の入り口に立ち、取り出した鍵を仕舞いつつ呟く。
普段は施錠されている訓練棟の扉が開いていたのだ。
この時間にこの施設を利用する人間はほぼ皆無だ。射撃場やもっと兵舎の近くにある訓練棟にならまだ人は残っているだろうが、基地の外れに位置するこの古くさい建物にわざわざ足を運ぶ酔狂がいるのだろうか。ちなみに傭兵舎からはこの施設が一番近い。
土足厳禁なので入ってすぐの所で靴と靴下を脱いで靴入れに突っ込む。そしてもう一つの扉をくぐると施設内の全貌が見渡せた。
電源に手を伸ばそうとしたクライブだったが、今日は満月。
大きくとられた窓からは青白い月光が差し込み、辺りを明るく照らしている。
毎回の事だがここに来ると学生時代を思い出してならない。
板張りの床が敷き詰められていて、唯広いだけで何もない空間。
昔在籍していた学園の体育館にそっくりだった。
「――結局、私たちは最後まで、すれ違ったままでしたね……兄様」
息を吐くように小さな声だが、静寂を孕んだ空気はそれをよく伝えた。
月明かりに独り照らされ、物憂げに独白する少女がそこに居た。
「私があなたの思いに答えられなかったのは、私たちが兄妹だからじゃありませんよ。私には、あの時から、――想う人がおりましたから……」
悲しげに故人のドッグタグを握りながら、今にも消え入りそうに呟く少女が誰なのか、判断するのにクライブはずいぶんな時間を要した。
影を成す黒衣は騎士の証。青白く照らされた頬には、一縷の涙が静かに輝いていた。
「セシリアじゃないか。何してるんだ、こんな時間に?」
あえてクライブは普段通りに話しかけた。
「――っ!」
一驚したセシリアの肩が跳ねる。次の瞬間には四五口径の銃口がクライブを睨み付けていたので、特別驚くようなそぶりも見せずに小さく両手を挙げる。正直、撃たれても文句は言えないので(死人に口なし)内心おっかなびっくりだった。
「何だ、クライブか」
「おまえ、判ってて抜いたろ」
「さぁ、どうだろうね。こいつのストロークが後二ミリ程浅かったら、もしやの事態になりかねなかったぞ。月夜ばかりと思うなよ」
憮然とした表情で言い放つセシリア。
もし、判っていなかったら、クライブの脳漿は所定の位置にはない。セシリアの引き金はテネジア軍人の中でもネリスに次いで軽い。そして、練度も高い。この距離で人頭を撃ち抜く位のことは目を瞑ってでも為せる。
グリップを握って安心したのか、その頃にはいつものセシリアに戻ってしまっていた。
親指でセイフティを掛けて拳銃をホルスターにしまい込むと、薄い藍色を帯びた黒髪を掻き上げてクライブの方に向き直る。
「それで、この夜分に何の用だ?」
「いや、このところ手緩い任務ばかりで身体が鈍っていてね。少し鍛錬でもしようかと思った次第ですよ」
「ブラックナイツから負傷者が出る程の激務を手緩いと評するとは……。おまえも言うようになったじゃないか。ストーナーの屋敷で温室暮らしをしていた頃とは訳が違うか」
「それは、まぁ。どこかのメイド長に鍛えられましたからね。ああまでされて何故死ななかったのか今でも疑問ですよ。ねぇ、師匠?」
「そのおかげで貴族の坊ちゃまには縁遠い世界が垣間見えただろう? 瀟洒なメイドに手を出すと痛い目を見る」
お互いに芝居がかった口調で鬩ぎ合う。とても、懐古しているようには見えなかったが、二人共妙に楽しそうだった。
誰に言われるでも無く、セシリアは壁際まで歩み寄り、そこに埋め込まれているラックの戸を開けた。中には、剣先と刃を鋳潰した稽古用の剣が整然と並べてあった。
「ところで、騎士長殿はこんな時間にこんなところで何をなされておいででしたか?」
セシリアはこれが答えだとばかりにその中の一本を取り、一本をクライブに投げて寄越した。
綺麗な弧をを描いて飛んだ剣はクライブの手中に見事に収まった。
クライブとセシリアは訓練場の真ん中で剣先を合わせて向き合う。
空には碧い満月。流れる群雲がその光を一瞬遮る。
それを見たセシリアはクライブと視線を合わせ、一度目を閉じ呟く。
「――月見だよ」
賽は投げられた。
月明かりさえも朧な宵闇の中。
先に踏み込んだのはクライブだった。
ただでさえ近い間合い。
細い刃は鞭のようにしなり、セシリアの胴を薙ぐ。
セシリアは軽い足裁きで後退し、一閃を凌ぐ。隙のできたクライブの胸元に突きを放つ。間一髪でそれに反応できたクライブは剣先を回して刺突をいなした。
再び二人は間合いを取る。今し方起こった刹那の剣戟が嘘のように、あたりに静寂が帰ってくる。
「ほう、銃を取るようになっても基礎は忘れていなかったか。なら、次は足裁きだ」
クライブは遠山の目でセシリアを捉えていた。剣先が動く前に手元が動く。手元が動く前には肩が動く。
セシリアは極小の振りかぶりで斬檄を放ってきた。何度となく繰り返し斬り返されるそれにクライブはついて行くので精一杯だった。衝突し合う金属と金属の奏でる音楽が遠くまで良く響いた。隙を伺うようにセシリアの足取りが右へ、左へ変化していく。緩急をつけて流れるように、クライブは翻弄されつつあった。
そこでクライブは動きを変えた。目一杯振りかぶった状態から打ち下ろし、セシリアの剣を弾きつつ斬りつける。あと少しのところで肩に直撃するところで、回り帰ってきた刃に防がれてしまった。
また局面が変わる。そこからはクライブが切り攻める番だった。振りかぶりを大きく取り、正確に斬檄を紡ぐ。防御に回ったセシリアの刃が右へ、左へと揺さぶられる。
「全く、解せないな」
「何がだ?」
防戦に回り、苦戦を強いられているはずのセシリアが紡いだ言葉は、苦し紛れではなく、まるで感慨に耽っているかのようなモノだった。
「公爵家の嫡子として生まれ、何不自由ない人生を送れるはずのおまえが、凡てを捨ててまで戦火に身を投じる理由がだよ!」
セシリアはクライブの剣戟の隙間を縫って、喉笛を掻き斬るべく、しならせた刃を振るう。
「そんなの単純だ」
クライブのシルエットがセシリアの視界から消える。低い体制を取り、セシリアの死角に潜り込んだのだ。剣を握り突き出された手を剣先で切り上げる。
「――っぁ!」
小気味よい音がして、セシリアの剣が天井近くまで舞い上がった。
勢いをつけるために剣を持つ手を内側に引き寄せる。
「ネリスの為だよ!」
クライブの突きがセシリアの額を撃ち抜いた。
「がぁっ!」
弾かれたかのようにセシリアの身体が宙を舞い、仰向けのまま床に倒れた。
額は割れ血が溢れていた。だが、荒い息を付きながら、セシリアは笑みを零していた。
「ふふふ……。あはははははは! おまえらしいなクライブ。おまえに初めて一本取られたよ」
「今のはネリスの仇だからな。私怨は含まれていないので」
セシリアは差し伸べられた手を握った。
「全く、手加減をするなんて、すこぶるセシリアらしくない」
「おや、気づいていたのかい?」
「少女相手に真っ正面からやり合って勝てる男は居ない」
「そうだな。たぶん月のせいだろう。――ああ、いい月だ」
煌々と光る満月は昔と変わらない色をしていた。
「――そうだな」
「おい、何処へ行くんだ?」
二人きりになったのは久しぶりだったので、旧交を暖めんとこれから酒でも共に酌み交わそうかと思ったところだったのだが、セシリアは剣を元の場所に仕舞うと、一瞥をくれる事もせずに出口へと踵を返してしまった。
「隣だ」
しかし、その背中から突き放す様な感情は見て取れなかったため、付いていっても良いのだろう。寧ろ、付いてきて欲しがってるようにも見て取れた。
現在隣の第六訓練棟は臨時モルグ(遺体安置場)として機能している。明日の合同葬儀に向けて、すべての遺体は小綺麗に死化粧され、厳かな作りの棺に込められて眠っていることだろう。
「レンブランドか……」
「おや、坊ちゃまが一使用人に過ぎない庭師のことを覚えていたとはね。結局、死ぬまでろくに顔も会わせられなかったからな。……兄上は莫迦だ。ストーナー家の屋敷で今も庭師を続けていればこんな事にはならなかっただろうに……。私が本当は軍に居ると知ったとたん、何の考えもなしに入隊してきてしまった。鋏しか持ったことの無いような手に銃を取って。元から、住む世界が違っていたんだよ……。なのに――」
クライブにはレンブランドの気持ちがよく解った。考えてみると、自分もネリスとは違う世界を生きてきた。だが、数奇な運命により、道は一度だけ交差する。それでも、それから二度と交わるはずの無かったはずの世界だ。
今、クライブがネリスの隣にいるのは、彼が確固たる意志を持って他人から与えられた運命と戦い続けてきた結果である。だが、未だに二つの道は完全に交わることは無く、互いに不完全な螺旋を描き続けているのだ。その果ては、収束か離散か。クライブがレンブランドのような末路をたどらないという保証はどこにもないのだから。それでも、もう後戻りはできない。運命に一太刀浴びせた瞬間から彼は逸脱した存在であり、異端なのだから。
クライブは淡々と歩くセシリアの背中を追いかける。この時ばかりは、戦場に勝利と死を振りまき続ける黒騎士の背中が、とても小さく儚いモノに見えた。
「クライブ。おまえも世界に喰われないように精々気をつけることだな」
「覚悟はできてるよ」
「いつかおまえが頽れた時にもその台詞が聞けるかどうか、今から楽しみだよ」
「なんだか、満身創痍な俺の額に銃を突き付けるセシリア。という構図が脳裏を過ぎったのだが……」
「そうならないように注意しろと云っているのだよ。私とておまえを撃つのは避けたいからな。……しかし、やはり解せんな」
「なにがだよ」
「何故、おまえが私でなくネリスを選んだのかだ」
また振り返り、面と向かってクライブの目を見るセシリア。息を飲むような瞬間だけ音が止まった。クライブはセシリアの目を覗き込む。先ほどまでは暗闇の中でも爛爛と光を放っていた黒瞳も、今はなりを潜めていた。
そして目を反らし、一度息を小さく息を吐いてから答えた。
「一目惚れなんだから仕方がない」
それを聞いてセシリアは屈託無く笑った。寂しげで有りながらも、自然な笑みだった。
「相変わらず嫌なやつだおまえは。ますます気に入った。そして、ネリスがますます嫌いになった」
クライブは乾いた笑みを漏らすしかなかった。
銃は良い。
手にした瞬間に伝わる、重厚な鋼の感触。
曇りなく磨かれたフレームは、まるで漆黒の鏡のように無垢だ。
逆に、錆と砂に埋もれた古銃も味があって良い。
塗りたくられたガンオイルの香りが鼻腔を突く感覚も好きだ。
何のカスタムも施されていない少女も、様々なオプションでドレスアップした豊満な肉体を持つ淑女も。一丁一丁が設計段階、または同じモデルでも製造ラインで個性豊かな特徴を持つ。刀剣もまた魅力的だが、考えるだけでこれほど胸が躍る武器は他にない。
肩に吸い付くようなアサルトライフルのスリーバーストも、小気味よい九ミリのダブルタップも、フィフティキャリバーの全身を叩きのめすようなシングルトリガーも、わたしを陶酔させるに事欠かさない。
どんなイルミネーションよりも美しい、まるで終焉を迎える星のように瞬くマズルフラッシュ。弾き出された空薬莢が奏でる怜悧な音は、轟音に掻き消されているはずなのに、ひどく明瞭に耳へと届く。
嗚呼――なぜ、こんなにも美しい芸術品達が人を殺めることしかできないのだろうか。
否、彼女達は純粋な破壊をもたらすためだけに創られた。
それ故に美しい。どこまでも無垢で、どこまでも気高く、どこまでも哀しい。
亡くすことが身の常で。壊す事が目的で。殺す事がその意義で。気づけばすべて喪われ。
トリガーハッピーな己の人差し指を切り落とし、愛する者へと手向けたところで、一つも変わりはしないのだろう。
この身、総てが一振りの鋼なのだから。
セシリアが物を取ってくると言って一度兵舎に戻った。
訓練棟の前に佇み、もの凄い早さで遠ざかっていく小柄な背中を見送った後、クライブも何か思い当たる節があったか、目と鼻の先にある傭兵舎の方へと踵を返した。
さほど、時間を待たずにセシリアが戻ってきた。先ほどクライブに突かれて割れた額に大きな絆創膏を貼って。その様子が思いの外シュールだった為クライブは苦笑した。
そして、セシリアがゲシュタニウム軍刀を腰に帯び、アサルトライフル向けと思われるサイズのガンケースを携えていることに気がついた。
「考えることは皆一様か」
「そうらしいな」
相づちを打つセシリアは、無機質な作りのライフルケースを一度持ち上げて見せ、腰に差したゲシュタニウム軍刀の柄の位置を調節した。
一方のクライブが携えていたのは、何の変哲もないヴァイオリンケースだった。いや、何の変哲も無いと言ったら語弊が生じるだろう。随所から漂う静かな気品は、それ相応の業物だと言うことを語らずとも主張している。
「それが親衛騎士隊のブラックカービンか」
「ああ、これは儀仗銃としても機能するからな」
「ネリスが前に言っていたな。五・五六ミリ突撃銃の中でも最高峰の性能を誇るってな」
「旧式化しつつはあるが、扱いやすさは他の追随を許さない。何より、黒騎士の名にふさわしい高貴なシルエット。レイルインターフェースシステムによる万能と呼ぶにふさわしい拡張性。製造ラインから高度に選定されたヘヴィバレルはそこら辺の突撃銃じゃまねのできない命中性を誇る。まさに『女王陛下の突撃銃』に相応しい。ネリスが欲しがるのは無理もないだろう。だが、ブラックナイツ専用だから隊員以外は手にすることはできないがな。これを女王陛下から直々に託された時の感動は今でも忘れない。こいつは騎士の生き様そのものだよ」
そう捲し立てたセシリアは、己が剣の収まったケースを誇らしげに撫でた。
その実、ネリスは同銃の保守パーツをブラックナイツから横流し続けて、膨大な労力と時間をかけ一丁を完成させてしまったと言うのは絶対に内緒である。
「じゃあ、行くか」
「応」
その時、一陣の風が二人の間を薙いだ。
一機の戦闘機が哨戒任務を終え、暖まったターボファンエンジンの出力を絞りながら、おのが羽を休めんと滑走路にアプローチしてきていたのだ。それは手を伸ばせば届くような低空を滑るようにして飛び抜け、目と鼻の先にある滑走路の誘導灯へと危なげなく着陸していった。
セシリアは轟風に棚引く黒髪を宥めながらその様子を暫し見守っていた。
また、空が光った。
一瞬、後続機が降りてくるのかと思い、再び空を見上げてみたがそれは違っていた。
二人がこれから訪れようとしていた、臨時モルグが設営されている第六訓練棟。
なんの面白みもない形状の建造物。格納庫のそれに近いアーチを描く屋根。その屋根を突き抜けて、照明弾のように強烈な光を放つ球体の群れが、ゆらゆらと不規則な軌道を描きながら空へ上っていく。一つ一つ、大きさがまちまちで、明度も色彩も異なる。二人はその幻葬を目の当たりにして立ちすくむ。
クライブにしてみれば初めて見る物でも、珍しい物でもない。
だが、その光景は何度見ても、平常心を養う事ができない。寒気を覚えるような、物言えぬ感動が身を支配する。背骨の中を何かが走る。鼻孔の奥に蘇る懐かしい記憶。それが何だったかはずっと思い出せないままだ。実のない既視感が支配し、網膜は血液に焼かれ、その映像を一層のこと鮮明に映し出すだけだ。膝が嗤う。頽れることもできないまま、二人はお互いに顔を見合わせ、その現象の根源へと向かって走り出していた。
風が身を切るような速度で疾走した二人はモルグへとなだれ込み、慣性の法則も無視するが如く音も立てずに制動し、止まった。
そして、その光景を目の当たりにする。
――銃声。
いや、それは歌声だった。
銃口から吐き出される硝煙。
彼女の唇から紡がれる旋律。
辺り一面に整然と鎮座した大量の棺たち。あたりに立ちこめる無数の光の束。月明かりに誘われて空に上ってく様は、目に映ろう現を疑ってしまいたくなるほど幻想的だ。
ネリスはその中心に居た。
青白い光が彼女の金髪を撫でつける。薄紅を引いた唇に、温かみに欠ける表情。だが、それは人形のような人工美とはまたかけ離れていた。無機質にも見える藍色の独眼も、よくよく見ればどこか物悲しそうに伏せられている。
ネリスはたおやかに四肢を操り、幾何学的な軌跡を描く。力尽きて頽れたかと思えば、低い姿勢からゆっくりと頭を上げる。官能的な上目遣いに、長い睫毛。
その艶姿は、美しいというより既に神秘的で、見る物すべての魂が震える。
なめらかなソプラノで彼女は歌い続ける。歌詞に使われている言語系は既に失われて久しい為、その意味を知るものは誰もいない。唯、その歌だけが遙か古代から口伝されている。それは少女神信仰にある送葬演舞だった。
ネリスが掲げたレバーアクションのショットガン。儀仗兵用の装飾が施されている。
モデルはだいぶ古い物で、二百年以上前に原型が世に出回った物だ。当時としては画期的な連発式のショットガン。
銃口からもうもうと立ちこめる黒色火薬のガンスモーク。
ネリスはそれを、レバーを軸にして片手で回した。ストックとバレルの位置が瞬時にして入れ替わり、そして元の位置に戻る。空砲の空薬莢が弾け飛び、チューブマガジンから次弾が装填される。通常、このタイプのショットガンは片手での排莢・装填はできない。ネリスが行ったのは、長大な銃本体をまるでリヴォルバーのようにスピンさせて行う荒技だ。先ほどまでの繊細な動きとはまた違った大振りのモーション。曲調が強くなり、それが頂点に達したところで引き金を引き、黒色火薬の怒張を解放する。
クライブは息を飲んだ。あたりをふよふよと漂う光球の群れが、まるで吸い寄せられるかのようにネリスを中心にして集まっていく。そしてそれらはゆっくりと空へ帰って逝く。だが、ショットガンが激発する瞬間には急に加速する。
舞踊と旋律。轟音と硝煙が彼らの背中を押しているのだろうか。
「硝煙の死神が死臭を嗅ぎ付けてきたか。律儀なやつだ。黙っていても明日の合同葬儀で皆召されるというのに……」
クライブの隣にたつセシリアが、息を吐くように呟いた。彼女は徐にガンケースを開けて、アサルトライフルを取り出した。キャリングハンドルを鷲づかみにし、その優美な漆黒を目の前に掲げてみせる。それは、ストックが木製のネリスのショットガンとは違い、ゲシュタニウムで形作られたフレームが鋭利な冷たさを醸し出していた。
「五百人近い人間の御霊だ。あいつ一人には荷が勝ちすぎる。私も舞うとするか」
セシリアはクライブの方を流し目で見つめる。
「音を貰えるかな?」
クライブは黙って頷くと、ヴァイオリンを構えた。
轟音が反響する空間に、ヴァイオリンの主旋律が投じられる。
それにより場の空気が一変する。
淀みなく前後する弓。流れるように、それでいて激しく。鳥肌が立つほどにその音は清んでいた。
セシリア右手にゲシュタニウム軍刀を抜き放ち、左手でアサルトライフルを握りしめる。
一度高く掲げたアサルトライフルを、緩慢な動作で横に振る。同時に指切り三回トリガーを引いてスリーバースト。上を向いたエジェクションポートから薬莢が躍り出る。
身体を独楽のように回転させながら、刃がそれに付き従う。アサルトライフルのストックを肩に当てたまま身体を開く。それは典雅な舞だった。
セシリアはその身に纏わり付く死霊の群れを、無慈悲に切り捨て撃ち据えて空へと送る。それはこの世に対する未練を払拭する行為。慈悲深く送り出すネリスのそれとは本質が異なる。
セシリアとネリスは互いに目配せをし、刻む足取りを合わせる。
曲調は淡々と変容し、加速していく。
時には流麗に。時には厳かに。時には情熱的に。
そして終曲へと向かっていく。
終わりは唐突に訪れる。
クライブが最後に弓を引ききると、そこには静寂が殺到してくる。
空薬莢が地面を申し訳なさそうに転がる。
そこには先ほどまでの幻想的な風景は失われていた。
まるで短い夢を見ていたかのようだ。
辺りに充ち満ちていた光の群は形を潜め、窓から差し込む月光が儚く見える。
「本当に、今日は妙な日ね」
ネリスは困ったようにはにかむと、セシリアとクライブが小さく同意した。
「全くだ」
その時、まるでタイミングを身計ったの如く、心臓を跳ね上げるようなけたたましい大音量がそこら中に響いた。
――レッドアラート。
ネリス。クライブ。セシリア。三者三様の驚愕を浮かべて身構える。
「敵襲?!」
クライブが叫ぶ。
「馬鹿な! ここはテネジアのど真ん中だぞ! 敵がここに来るまで気づかないはずがない!」
セシリアは取り出した情報端末に走った文字を喰い入るようにして読み、目を疑った。
「なっ!? 王都が攻撃を受けているだと……!」
「往くわよ、クライブ!」
真っ先にネリスが駆けだしていた。
「セシリア! またアパッチを借りるぞ! スクランブルいいな?」
「頼む! 情報は逐一送る。ブラックナイツも地上部隊を編成して市街地に向かう!」
クライブとネリスはヘリの駐機場に。セシリアは軍司令部に向かって急行した。
クライブは思う。
「やっぱり今日は厄日みたいだな!」
ネリスとクライブは出撃準備を整えてヘリの駐機場に急行すると、整備兵が離陸準備を整えて待っていた。
セシリアが話を通していてくれたらしい。傭兵隊の二人がブラックナイツのヘリを使う事に嫌な顔をされなくて済んだ。セシリアとクライブは分担して離陸前の簡易点検を行う。いくら腕利きの整備兵が丹精込めて整備した機体でも万が一の事があってはいけない。
一通りのチェックを済ませて搭乗する。
ネリスは後席でパイロットを務め、クライブは前席で火器管制のガナーを受け持つ
整備兵に合図を送り、戦闘ヘリは離陸を始める。
翼下にヘルファイアミサイルとハイドラロケットランチャー。胴体下に三十ミリチェーンガンをぶら下げた空飛ぶ戦車は、戦火に紅く染まった空へと飛び立つ。
コックピットのディスプレイには戦況が順次追加されていく。
それを読み取っていくと、ネリスはまた悲しい顔をした。
「今情報が入ったわ敵の侵入経路は、空路。さっき空軍の戦闘機が敵輸送機を撃墜したらしいけど、積み荷は投下された後だからあまり意味はないわね。戦闘機部隊は今、輸送機についてきた敵護衛戦闘機と交戦中で航空支援は期待できない。戦力差が圧倒的だから、すぐにけりはつくだろうけど、それまで地上戦力だけで王都を守らないと」
「にしても、敵さんはなんて馬鹿なことをやりやがるんだ。レーダー警戒網の隙間をかいくぐり、哨戒機の目をくらまし、空中給油を繰り返してやっとの事で王都に辿り着いても、後方支援も補給も援軍も期待できない。征ったらそれっきりの特攻だ。テネジアがどれほど他国に恨まれているかよく解るな。あるいは、別に目的があるか」
「それはまだ解らないし、私達が気にする事じゃないわ。降りかかる火の粉は払うまでよ」
「そうだな。よろしく頼むぜ相棒!」
「ええ」
そして、レーダーで敵影を確認したクライブは思わず呟いた。暗視装置に映った光景を見て、思わず自分の目を疑いたくなった。
「おいおい、なんだこれ……」
王宮の一角に設置された軍総司令部は有事の慌ただしさで包まれていた。
何台ものモニターが並んだ壁際ではオペレーター達が全軍に向けて指示を送り続けている。誰もかれもが不足の事態に当惑と焦燥を浮かべていた。終戦以来このような大規模な攻撃を受けたことが無い上、状況を鑑みてもう戦いは起こらないだろうという弛んだ空気が軍に流れていたせいでもある。だいたい、前大戦で敵国だったソレイユ連邦とは固い不可侵条約を締結した。疲弊した隣国は常に亡国の危機に晒されていて他国に攻め入る余裕など在りはしない。こんな状況で大規模な軍事侵攻を行える組織は存在しないし、してはいけないはずなのだが。それは希望的観測でしかなかったと、セシリアは司令部に着いた瞬間に思い知らされた。
逐一書き換えられていく情報の大波。それを精査し、的確に状況を把握するのが指揮官のつとめ。
「陛下!」
セシリアは右往左往する軍人の群の中に主を見つけて駆け寄る。
「セシリア。来てくれましたか。状況は不透明です。敵軍の国籍は不明。詳細も把握し切れていません。ですが、王都が攻撃を受けているのは確かです。これを見てください」
オリヴィアが指し示したモニターに映った映像を見て、セシリアは今日何度目か解らない驚愕を浮かべた。
「陛下……。これは……」
それは前線の状況を写した偵察映像だった。
おそらく偵察機が空から写したものだろう。あまり画質は良くないがそのものの全体像をつかむには十分だった。
「二足歩行兵器! 実用化されていたのですか?!」
それは全長十メートル程の人型兵器が、腕に装備された機関砲を市街地に向けて発砲しているシーンだった。シルエットは消してスマートとはいえない。どちらかというと建設用重機を戦闘用に改修したかのような不格好な姿だった。
特に目立つのは背中に背負った、ここから見ただけでは用途不明の不気味なコンテナ。
太い両腕部にはそれぞれガトリング砲と、速射砲らしき中口径の砲が装備されている。
肩に搭載されいているランチャーは、赤外線誘導対戦車ミサイルのたぐいだろうか。
周囲には数人の追随歩兵の姿も確認できる。各部が分厚い装甲に覆われている上に、映像を見る限り機動性も悪くはない。無人の乗用車を踏み越えても、バランスを崩す様子も見せない。
「この兵器が確認されただけでも十二機の三個小隊。それに伴った追随歩兵と観測用の無人機も前線に投入されているようです。市民はいち早くシェルターに避難したようで、被害は少ないと思いますが。王都での暴挙、これ以上許すわけにはいきません。どうやらあれは、ここを目指して進行しているようですし。セシリア。征ってくれますか?」
「Yes,Your Majesty!!」
セシリアは傅いて最敬礼。即座に待機させておいたブラックナイツの元へ向かうべく、踵を返したその時、妙に楽しそうなアルバートが、普段と変わらない暢気な足取りで、逼迫した司令室へと入ってきた。
「あれはソレイユが前大戦の後期に開発していた人型特装兵器。通称Fire Arms。略してFAなんて呼ばれていたね。向こうも古代技術の軍事転用に躍起になってたからねぇ。それが他国に渡ったのかな? 僕の知りうる限りの情報は全軍に流しておいたから。詳しいことはそっちを参照してね」
「解った! 協力感謝する」
アルバートはそれをいつも通りの薄ら笑いで見送り、ひらひらと手を振った。
オリヴィアは刻一刻と動き続ける戦況を見つめながら、物憂げな表情を崩さなかった。
「あちらさんのお人形と僕の作品。どっちが強いのか。いやぁ、楽しみだなぁ……」
アルバートはもう声を潜めることもなく、不吉に笑いだした。
それを見た多くの軍人が気味悪そうに視線を送っている中、オリヴィアは眉根一つ動かすことはなかった。祈るようにその手が握りしめられる。
「――どうか無事に……」
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