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  Absolute zero. 作者:清明
第一章 装填
『再会と別離』
『再会と別離』

 そこは施設の最奥部にある機密区画だった。
 戦闘機の格納庫ほどのスペースに何台もの巨大なコンピュータが佇んでいる。据え付けられた冷却装置が低く唸っていた。制御端末の画面の光が、照明の落とされた薄暗い空間を奇妙なコントラストで彩っている。
 中央付近に天井まで伸びる円筒形の水槽がある。根本のあたりのガラスが砕け散っていて、中に入っていたであろう物は既になかった。ガラスの破片と共に何かの液体が床にこびり付いている。
 そんな異様な空間。
 水槽の前でライフルを構えた三人の兵士と白髪の少女が対峙していた。
 アサルトライフルの銃口が一糸纏わぬ裸体の少女を睨んでいる。
 少女は今にでも発砲しそうな兵士達を前にし、眉根一つ動かさずに平然としていた。
 ひたひたと素足で固い床を歩く。確実に少女は兵士達との距離を縮めていった。
「動くんじゃない!」
 先頭に立った隊長格らしい男が、銃を少女に向けたまま安全装置を外した。後ろの二人もそれに倣う。 
 兵士達が少し指を引くだけで、少女は弾丸に体内を蹂躙され物言わぬ死体と化すだろう。
 しかし、人工物めいた精緻な美貌は揺るぎなく、月を映す水面のように静かで感情が見えない。少女が放つ雰囲気はあまりに無機質で鋭かった。
 髪の毛が漂白されているかのように白く、瞳は透き通ったワインのように紅い。起伏の乏しい身体はしなやかなラインを描いている。
 勧告に従わないしっかりした足取りに、自殺めいた倒錯感をも感じる。
「構わん。撃て!」
 兵下達が一斉に引き金を引いた。狭い空間の中で耳をつんざくような轟音が谺する。
 アサルトライフルの銃口で星が断続的に瞬き、弾丸が音の三倍の速度で飛び出す。
 銃の扱いに長ける兵士達が目前の的を撃ち漏らすはずはなかった。
 少女の薄い胸部を五・五六ミリライフル弾はきわめて正確に穿つ。
 兵士達の目に、少女の身体が着弾にあわせておこりのようにびくびくと痙攣するのが映った。肉体から力が抜け、そのまま冷たい地面に幼い躯が倒れ伏す――ことはなかった。
 彼女は眉一つ動かすことなく、まるで何事もなかったかのようにその場に立っていた。
 少女は胸に穿たれた穴を指でなぞる。桜のように可憐な唇に指先を持って行き、自らの血液を口に含んだ。くちゅり、と不気味な音を立てて赤い体液を咀嚼する。
「うわぁぁぁ!」
 得体の知れないモノに対する恐怖に、錯乱状態に陥った兵士達は弾数を気にする余裕もなく、少女に向かって一方的なフルバーストを浴びせかけた。彼女は身を貫く弾丸を物ともせずに兵士達に向かって近接する。
 それはあっという間の出来事だった。
 少女は兵士の頬にモミジのような掌を添え――その首を無造作に百八十度回転させた。
 筆舌に尽くしがたい嫌な音が高らかに鳴り響く。いつの間にか銃声は止んでいた。
 ぱっと手を離すと、既に死体へと変貌を遂げていた兵士は力なく倒れ、後ろの床にキスした。
 少女はやはりなんの感慨も抱いていない様子で、ただ淡々と死体を見つめている。
「ひぃっ!」
 生き残った二人の兵士は情けない悲鳴を上げた。恐怖に駆られて何も対応できずにいる。役立たずのアサルトライフルは弾切れでとっくに沈黙していた。気が付くと少女の両手には二丁の自動拳銃が握られている。兵士達の腰のホルスターがいつの間にか空になっていた。
 少女は器用に片手で安全装置を外した。腕を伸ばして拳銃を左右の兵士達の喉元に突きつける。ひたり、と冷たい感触を首筋に感じて二人は身体を硬直させた。
「やめてくれぇ!」
 悲痛な命乞い。ぱかん、という軽い発砲音。一発にしか聞こえない銃声が辺りで反響した。
 三人分の物言わぬ死体が転がり、赤い水たまりが少女の足下で展開されていった。
「すばらしい」
 少女は声がした方向に胡乱な視線を送った。そこには一人の兵士が居た。
 初老の男性だった。精悍な顔つき。髪はロマンスグレーに染まり、それほど背は高くはないが鍛え上げられた肉体が威圧感を放っている。おそらくは歴戦の猛者だろう。
 兵装はそこに転がっている兵士達の物とは異なり、身をぴっちりと包む特殊スーツとアサルトライフル。いくつかの手榴弾と四十五口径自動拳銃がホルスターに一丁。
 少女は冷めた目で男性を見つめた。片手の拳銃を向け、少女はさも当然そうに引き金を引く。
 兵士は少女が挙動する前に動いていた。一瞬で少女に肉薄し拳銃のスライドを鷲掴む。 銃口を自分の身体を斜線からずらすと同時に乾いた銃声が響いた。しかし、弾丸は明後日の方向に飛んで征き無機質な床で跳弾した。スライドが後退しきった状態で押さえているため次弾の発射はできない。
 兵士は掴んだ拳銃を少女の手首ごとひねった。少女の手から容易く拳銃をもぎ取る。
 直ぐさまもう片方の拳銃を兵士に向けるが、同様の手でいなされてしまった。
 少女の貌に初めて動揺の色が浮かんだ。目を大きく見開いて目前の手練れを見つめ直す。
 初老の兵士は間合いを開けることはせずにそのまま突っ込んできていた。
 少女は兵士の頭部に鞭のような上段蹴りを放つ。兵士はそれを華麗に受け流して、残った軸足をはらう。すると少女の体はすんなりと体制を崩して引力に従い体を沈めた。
 受け身もとれず無様に地を転がる。起き上がった時には目の前にアサルトライフルの銃口があった。
「その凝り固まった殺戮衝動を何とかした方が良いな。君は身体能力が高いようだが、それが逆にネックだ。一直線過ぎて読みやすい」
 兵士は諭すように少女に告げた。まるで訓練後のおさらいをしているように。
 「俺と一緒に来い。俺はラルフだ。そして、おまえの名はツェザリカだ」
 ラルフは威厳に満ちた微笑を浮かべていた。
「あたしの名前……?」
 きょとんとした表情を浮かべて少女は自分に付けられた名前を口の中で反芻した。
 ラルフは銃口を下ろして手を差し伸べた。
 逡巡しているかのような時が流れ、少女は唐突にラルフの手を取った。
「行こう」
 ツェザリカはラルフの背を細かい歩調で追って行った。
 

 消音されたサブマシンガンが気の抜けた射撃音を奏でる。それが戦闘開始の合図となった。この場の仲間はネリスを含めて四人。近くの事務室で使われていたデスクを使い、狭い通路上にバリケードを構築して怪物の大群と対峙していた。
「生き残りたかったら弾を節約しなさい!」
 ネリスはバリケードに身を隠しながらフルオート射撃を行っていた仲間に檄を飛ばす。
 状況は圧倒的に不利。横幅が狭いためほとんど弾を外すことはないが、化物達は数で攻めてくる。醜い死体の山がうずたかく敷き積もっていく中、その勢いは一向に減る気配を見せない。
 今ある武装は武器庫から調達したサブマシンガンとアサルトライフル。それと手榴弾が数十個。弾数を考えると五分の応戦が限界だろう。
「グレネード!」
 ネリスは仲間に注意を促して手榴弾の安全ピンを抜いた。
 三秒信管の起動したそれを怪物達の真ん中に投げ込む。
 全員がバリケードに身を伏せて爆風から身を守った。弾体が炸裂し閃光と鉄片をあたりにまき散らした。耳鳴りを引き起こすような爆音が腹の底に響く。
 破片が怪物達を巻き込んで、肉を引き裂き壁に叩き付ける。
 ネリス達は爆煙が晴れる前に身を乗り出して掃射を再開した。
 眼前は死屍累々の様相を呈している。にもかかわらず怪物の数が減る気配はいっこうに訪れない。これではきりがない。ここは退却した方が良いだろう。
「後退する! 武装をまとめて三階まで上がるぞ!」
 仲間に指示して目の前にまで迫っていた怪物の頭に五・七ミリ弾をお見舞いする。
「走れ! 走れ!」
 バリケードから抜け出して階段まで走った。途中何度か振り返りながら追って来る怪物の群れをフルオート射撃で牽制する。もう弾数にかまっている余裕は無かった。
 かしゅん、とトリガーから引き応えがなくなって連射が途絶える。見るとシースルーマガジンは弾切れを訴えてきていた。手早い動作で空のマガジンを銃から引き抜き、新しい物をポーチから取り出して差し込む。ボルトハンドルを引いて、弾丸をチャンバーに送り込んだ。しかし、そこに生まれた一瞬の隙に一体の怪物がネリスの喉元を引き裂かんと飛び付いてきた。
 銃を構えている暇はない。瞬時に判断して、ネリスは左手でナイフをホルスターから抜き怪物の額に突き立てた。ばぎり、と冷凍庫に何年間も放っておいたチョコレートをへし折った時のような小気味よい音がした。
 怪物は悪夢のような悲鳴をあげて絶命する。ネリスの足下にまた一つ死体が転がった。
「へぁ……、ぁは……、はぁ!」
 荒い息を吐き出して、血糊を飛ばしたナイフをホルスターに仕舞い、射撃を再開すべく銃のストックを肩に当て引き金を引く。
 だが、フルロードのマガジンを入れたはずなのに連射はいきなり途絶えた。
 ボルトの閉鎖不良だ。こんな時に動作不良が起こるなんて。見るとボルトが戻りきる途中で止まってしまっている。
「――っ!」
 顔が驚愕に歪む。味方はすでに上の階に行ってしまったようで影も形も見えない。つまり援護は居ないのだ。攻撃の手が緩まると怪物たちの勢いは殺しきれない。
 肉薄してきた怪物の丸太のような腕が振り下ろされる。ネリスはそれを正面から喰らってしまう。
「っ、がっぁ!」
 無様に殴り飛ばされて壁に激突し、擦るように体がずり落ちて床に倒れた。
 怪物は乱杭歯の生えた口を大きく開けてネリスにかぶりつこうとしてくる。
 腰の拳銃はもうとっくに弾が切れていた。身体はまともに動いてくれない。
 戦士として常に死は覚悟して生きてきた。が、こんな化物に喰われるくらいなら自分で自らの頭を打ち抜いて死にたかった。
 しかし、痛みと死は何時まで経っても訪れなかった。
 雷の直撃のような轟音が響くと同時に、怪物の頭が熟れた果実みたいに弾け飛んだ。脳漿のかけらや肉片がネリスに降り注ぐ。全身が汚濁した粘液に包まれた。
 気が狂いそうになりそうな嫌悪感が背筋を這いずり回り、鳥肌が体中の皮膚という皮膚に展開された。
「な、に……?」
 ネリスは一瞬だけ呆然とへたり込み、轟音のした方を見た。
 白い少女が立っていた。巨大な銃を平然と構えている。
 銃口からもうもうと硝煙が上がっているところを見ると、怪物の頭部を木っ端微塵にしたのはその銃だろう。
 二十五ミリ口径ペイロードライフル。
 一撃で装甲車を吹き飛ばす威力を持ち、国際条約で対人使用を禁止されている非人道的な兵器だ。
 少女はその紅い目をスコープに通し、怪物の群れに向かって速射を開始する。
 自分の背丈ほどもありそうなライフルを巧みに操り、迫り来る怪物達を順番にミンチにしていった。銃は次々とエジェクションポートから太い空薬莢を弾き出し、銃口から視界を覆うほどに硝煙を吐き出していく。
 その光景は怪物達の虐殺にしか見えなかった。
 あるものは胴体から弾けるように身体を引き裂かれ、あるものは頭部を粉々に破砕されて絶命した。よく見ると少女は一発の弾丸で三体ほどの怪物をいっぺんに貫いている。
 五発目をもって少女の虐殺ショーは終幕を迎えた。弾が切れたようだ。しかし、怪物はまだ数体残っている。
 ネリスは銃のボルトを力任せに殴ってこじ開けた。
 閉鎖不良を解除して再び戦闘に参加する。
 少女には負けていられないといった感じに、長年鍛えた正確無比な射撃技術を惜しげもなく披露する。サブマシンガンのレーザーポインターをめまぐるしく走らせ、怪物たちの頭部を目にも止まらぬ早さで撃ち抜いていった。
「こっちだ!」
 轟音で麻痺した耳が威厳を感じさせる男性の声を捉えた。
 その声には少なからず聞き覚えがある。
 脳裏にはある男性の姿が浮かんだが、ネリスはその映像をあわててかき消した。
 その想像を否定するために声のした方を恐る恐る振り返った。
 しかし、甘い希望など容易く打ち砕いてしまうのが現実というものだ。
 其処に立っていたのはネリスの師であり、父同然だった男……。
「師匠!」
 ラルフ・アーセック。幼い頃のネリスに戦いの術と生きる術を教えてくれた。
 再会するのは十年ぶりだろうか。伝説の兵士と呼ばれ、前大戦を戦い抜いた英雄である。
 ネリスがこの世で一番あこがれていた人。
 彼は自動式グレネードランチャーを装着したアサルトライフルで三バースト射撃を行い、迫り来る怪物達を危なげもなく撃ち倒していた。
 ネリスはラルフの横に駆け寄り、フルバーストで弾幕の密度を上げた。
「師匠! なぜここに? あなたは……」
「話は後だ。ツェザリカ。上に行くぞ!」
 ツェザリカと呼ばれた白髪の少女が巨大な銃を縋り付くように持ち、弾倉の交換を終えたところだった。ツェザリカがラルフの指示を聞いて階段を上っていく。ネリスとラルフも後に続いた。
 この施設は衛星に見つからないように地下に埋没されている。
 地下一二階まであり、ネリス達が居るのは地下十一階だった。
「脱出するぞ。上にヘリがある。急げ!」
 階段を全力で駆け上る。少しでも気を抜くと地下から次々と這いあがってくる怪物に地獄まで連れ戻されてしまう。
 ネリスは途中何度も息が上がりそうになる。
 そのたびに追いついてきた怪物をフルオートで蹂躙して足の倦怠感を紛らわせた。
 平和ぼけというのは怖いものだ。鍛錬を怠っていた過去の自分を叱咤したい。
 ラルフは力強い足取りで階段を三段ほど飛ばしながら駆け、ツェザリカは目分量でも十五キロはある銃を抱えて羽のような軽快さで先頭を行く。
 ネリスはラルフの背中を見ながら、今すぐにでも彼を撃ち殺すべきかと悩んだ。
 そこに私的な感情が含まれていないと言えば嘘になる。
 外にはもう車両は残っていないだろうし、彼のヘリが使えないと脱出に困る。
 そんな利害関係を持ちだしてネリスは自分の行いを正当化した。
 おそらくはネリスの命よりも彼を殺すことは優先されるべき事なのである。
 でも、引き金を引くことはできなかった。ネリスは一度上げた銃口を下ろしてしまう。
 そんな彼女の心境を見透かしているのかいないのか、ラルフは一度振り返り、
「もう少しで地上だ」
 と、言ってきた。ツェザリカはその光景を見ていても始終無言だった。
 考えているうちに階層を示す表示の数字はどんどん少なくなっていき、ついには地上に出た。
 そこは広々としたドーム状の格納庫のような場所だった。近くに資材搬入用のトラック用のトンネルが通っていて、あたりは停止したフォークリフトや荷解きされていない機材でごちゃごちゃしていた。
 隅っこの方に天蓋まで続く長い梯子があった。高さにして二十メートルはあるだろうか。 ネリスは自分が高所恐怖症でないことに心から感謝する。
 ツェザリカは誰に言われるのでもなく、またしても先手を切って梯子に組み付いた。
 ペイロードライフルはスリングベルトを通して背中に背負っているが、後続のラルフにとっては顔の前にストックが来てかなりの障害になるだろう。あんなでかい銃、置いていけばいいのに。
 ラルフは眉根をひそめることもなく黙々と梯子を登っていった。昔から何事も黙ってやる人だった。今でも同じらしい。
 こんな事を無意識でも考えるあたり、彼と過ごした五年という短そうで長かった日々は重くのしかかってきている。その辺は深く自覚している。
 今ではないとしても、いつか彼を殺せるだろうか?
 いつの間にか、梯子を登り切っていた。
 先頭のツェザリカは天蓋の重いハッチを開け、ネリス達を太陽の下へ誘う。
 ずっと地下勤務だったので久々に見た自然の光は目に染みて、慣れるのに時間がかかった。視力がだんだん戻ってくるとそこはヘリポートだった。足下にHのマークが書かれている。目の前に一機のヘリが駐まっていた。特殊部隊が使う中型の兵員輸送ヘリで、長距離移動用に予備の燃料タンクが外部に据え付けてある。
 目をしばしばさせながら太陽を長いこと眺めていたツェザリカがヘリの操縦席に飛び乗った。この少女に操縦できるのかと思ったが、容易くヘリのエンジンがかかり、ローターが指導し始めたところを見るとおそらく大丈夫だろう。いざとなったらヘリの操縦はできる。ネリスとラルフは後部の兵員スペースにドアを開けたまま乗り込んだ。
 まもなくして、ヘリは虚空へと飛び立つ。
 施設のドームが小さくなっていく。その光景をネリスはドアを開け、手すりにつかまりながら眺めていた。
 あたりには見渡す限り密林が広がっていて、施設の他に人工物は見えなかった。
 高空の新鮮な空気を肺一杯に吸い込んで、ネリスは振り向く。
 彼と話の続きをする決心がついたからだ。
 ネリスが今彼を殺さないにしても、彼があの施設にいた理由くらいは聞いておきたかった。そしてこれからどこに向かうのかも。
 しかし、彼はネリスのすぐ背後に居た。
 口をあうあうさせているうちに、彼はあろう事かネリスを抱きしめてきた。
 しっかりとその太い腕を絡めて。
「……師匠? ラルフ……」
 なぜ、彼がネリスを抱いているのか解らなかった。
「すまない」
 彼が耳元でささやいたその言葉は過去の行為についての謝罪か。
 ラルフは肩に寄せていた顔を離す。
 そして、ネリスの眼をじっと見つめてきた。
 彼の瞳は透き通るように青かった。
 そして彼はネリスから少し距離を置き――銃を抜いた。
「え……?」
 彼が安全装置を解除する挙動も、トリガーを引く指も、落ちる撃鉄も。
 ネリスには全てスローモーションのようにしっかりと見えていた。
 飛んでくる四五口径弾さえもひどく緩慢に。
 それがネリスの左目に着弾すると同時に、彼女の躯は弾かれたようにヘリから高度数千メートルの蒼穹に投げ出されていた。
 目下の密林へとネリスはひどくゆっくりと墜ちていく。
 そんな様子をヘリから身を乗り出して、悲しげな顔で見送るラルフ・アーセック。
 薄れゆく意識の中、ネリスは走馬燈のように彼と過ごした日々を思い出していた。

 ――あの時、この手を取ってくれた大きな手は、もう、ないのかもしれない。


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