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 一人の少女の物語。
 運命や宿命なんていう言葉で片付けるには不釣合いな、一つの物語。
 誰が物語るべくでもなく、誰に物語られるべきでもない。それは既に終わったことなのか、これから先に在ることなのか、或いは今まさに進行していくものなのか。誰にも解らない。
 けれどそれが物語である以上語るべき者も語られるべき者もいない世界の中でさえ、語り部は存在する。世界の心理を物語り、世界の果てを見据える語り部。
 もしもその物語が物語として成立し、認められ、或る一つの結末を持って大団円を描くことに成功したとして。
 その物語の前書きにはきっと、次の文章が綴られることだろう。

「この物語は現実であり、非現実であり、正常であり、非常であり、日常であり、超常であり、純真であり、邪であり、果てなく、須らく、この世界の全ての穢れを収束し、渦中となり、絶望となり、色褪せ、終焉さえも終演し、開幕から閉幕まで永遠の間を刹那の時と共に過ぎ行き――果たして、これはどこにでもあるようなくだらない、戯言のような喜劇。救いではなく断罪ではなく。登場人物は全て道化。世界の上で滑稽に転げ回る醜い道化。とても美しく。美麗。三千世界で燦然と輝く――もっとも忌み嫌われた、穢れた物語である」

 わたしは言った。
 加えて、

「尚、この物語はノンフィクションです。この物語に登場する個人、団体は現実の物と連結し、平行して存在する唯一無二です。ご注意ください」

 自虐的に、笑ってみる。
 小さい頃に考え付いたとびっきりの冗談だった。
 小さい頃。わたしがこんなことになってしまって間もない頃。世界の穢れを知ってそれでも尚、まだそこに救いが在ると信じていた頃。誰かに聞かされたわけでもなく、気づけば脳裏に焼きついていた世界の標語。
 その言葉を人前で口にしたのは初めてだったので、正直噛まずに最後まで言えたことには驚きだった。そして言っているわたしでさえ意味不明なそれを、御桜先輩は実に楽しげに聞いていたというのは驚きのようで不快。気に喰わなかった。
「――で、終わったかな、空ちゃん?」
「はい。ご静聴、ありがとうございます」
 拍手喝采こそ送られはしなかったけれど。
 拍手喝采など送られるべきでないけれど。
 ここ、二棟の屋上で彼女と遭遇することはわたしに取ってある意味で予想道理であり、予想外だった。単純に考えて、橙弥は昨日ここに来ていたというし普段からよく足を運んでいる。ならば今日ここで橙弥と会うことは何ら不自然でも不思議でもない。第三者がいないという確立も排除しきれないけれど――兼ねてから橙弥に注意しているようにここは生徒立ち入り禁止区域。可能性はかなり低いと考えていい。
 なら、単純な三択で言うならば。
 遙瀬橙弥に会う。七十パーセント。
 誰とも会わない。二十五パーセント。
 第三者と会う。五パーセント。
 といった具合だろう。橙弥が足繁く屋上に通う理由を、ここには人が寄り付かず静かだからと語っていたことも踏まえて凡そ現実的な数字と見ていい。
 それでも尚。
 単純な確率論では明らかに劣勢な立場でありながら蓋を開けてみれば答えは五パーセント。
 運命さえも捻じ曲げて。道理など突き破って。
 彼女に問いかければ即答するだろう。
 ――決まっている。だって、貴女はわたしに会いに来たんでしょう? 
 それ故に、この結果が在る。
 と、そう、彼女は、御桜流深は答えるだろう。さも当然のように。さも当然で在るが故に。
 だというのならば、初めから確立なんて関係なかったのか。元より百分率ですらない。会うか、会わないか。それだけの二択。ほんの気まぐれでわたしがここまで足を運ばなければ、結果は後者だっただろう。そして、そうしなかったからこそ、この結果が在る。
 踊らされているんじゃない。踊ってやってるんだから。
「それで、わたしに何か話があるんだよね?」
「ええ。だからこそ、校則を破ってまで屋上なんかに立ち入ったんですから」
「え? ここって立ち入り禁止なの?」
「はい。……ご存知、ありませんでしたか?」
「…………よく、そんなこと知ってたね」
 どうやら本当に知らなかったらしい。人が格好よく独白を決めていたのに、なんだこの空気。
「まあ、わたしも一応優等生をやってますからね」
 軽口を利く。
 ……やっぱり、疲れるな。
 この人の前で『遙瀬空』を演じるのは。
「面倒なら止めてくれていいよ。本音で話し合おうよ、空ちゃん」
「…………」
 何もかもお見通しというわけだ。この先輩は。
 だからこそ、わたしは彼女が苦手だし。だからこそ、わたしは彼女が気に入ってしまった。
 ――好敵手。叩き潰すべき、明確な敵。
「そう――それじゃあ遠慮なく」
 語勢を改める。これ以上自分を偽り必要など無い。わたしはわたしとして、『世界の代弁者』である遙瀬空として応じることが出来る。
「話というなら」
 わざとそこで言葉を区切る、一度だけ必要ではないと解っていながら屋上がわたし達を除いて無人であると確認した。答えは言うまでも無い。屋上は世界から隔絶されたように、閉じていた。
 風に流される髪を押さえつけようともせずに、わたしは続きを発する。
「昨日の話の続きです」
 その為にわたしはここに来た。今なら断言できる。
 橙弥がいるかもしれないから――だから何だというのか。そんなのは偽物の理由でしかない。建前にさえなりえない。自分で自分に言い訳をしているだけ。
 本当は――わたしは御桜流深に会いたかった。
 会って話したかった。話して、はっきりさせておかなければならないのだ。
 わたしがわたしとして、わたしの物語をわたしの世界で進行させるために。そのために、一度こうして御桜先輩とは正面から向き合っておく必要があると判断した。幸運にも布石は昨日、向こうから打ってくれていたし。迷う理由なんて無い。
 長い間探していた答えに、やっと辿り着けそうなのだ。
 遙瀬空という物語の結末に。
 例えばそれは黒い男の登場であったり。変人教師との出会いであったり。遙瀬橙弥が兄であったり。わたしが、世界の全てを知ったりしたあの瞬間から――遙瀬空は終演に向かい始めた。
「隠す必要なんてないし、きっと気づいていると思いますけど――わたしは普通じゃありません」
「ふうん。もしかして人造人間だったり、サイボーグだったり?」
「……真面目な話をしてるんだけど」
 唐突な告白も一蹴された。シリアスな空気が断片たりとも存在しない。
 穏やかな、話にそぐわない空気の中でわたしは構わず続ける。
「普通じゃない――というよりも狂っている。端的に言うなら、『世界の全てが視える』とでもいうのかな」
 合いの手も無い。
 御桜流深は無感動の笑みを肯定して、聞き手を忠実に演じていた。
「未来予知。過去視。読心術。超感覚的にして『何かを知る』という能力に特化した異常、それがわたしです。もっとも、それを超能力とか便利な言葉で片付けるのは違うけれど。わたしのこれには、制御が利かない。否応に全てのことを知ってしまう。そんなところ。今では少しくらいなら抑えることも出来ないことも無いけれど。――そんなところです。蓋を開ければ、わたしなんてこんなもんなんですよ、先輩」
 誰にも言ったことの無いことだった。朔夜さんは不確定的にも何か普通でないものは感じていたようだけど、ここまで常軌を逸した真相には行き着いていないだろう。
 どういう訳かは解らない。わたしがこのことに気づいたのは幼い頃で、今日まで原因は全くの不明。時折意識が変なものを拾ってきては、知らない間に全てが終わって全てを知っている。とでもいうのか。そんなことが子供の頃からあった所為で、年齢が二桁に満たない頃からわたしは世界の全てを知っていた。綺麗なことも、汚いことも。純真も邪も。
 それが遙瀬空。それが、遙瀬空という異端。異端であり、破綻であり、異常だ。
 ――どこからか、意識が知識を拾ってくる。それは即ち、わたし自身は一つの場所に立ち止まっていてまるで進歩していないということ。つまりわたしは今でも十年前後昔のわたしと変わらない。歩き出すこともせずに立ち止まったまま。そうして時間が過ぎるのを眺めていた。
 全部知っていたから。知る必要はなかった。
 全部知っていたから。触れることを恐れた。
 遙瀬空は停止した存在。一つの場所に留まり続ける、異端。
 わたしが話し終えて口を閉ざした後も、御桜先輩はまだ聞き手に徹していた。これ以上こちらから言うことなんて無いというのに、まるでそれに気付いてないかのように。言うべきことをわたしが口にしていないと糾弾する――自分はまだ聞くべきことを聞いていないと訴える無言。
 僅かな沈黙が肌寒い空気を漂った。
 ややあって、
「――それが、どうかしたの?」
 御桜先輩は怪訝そうな表情でわたしに問いかけた。
「そんなこと。昨日の話の続きって言うんなら、そんなのはわたしが聞くべきことでもないし、貴女が話すべきことでもないよ。そんなの、どうだっていい。些細なことなんだから」
 きょとんと首を傾げて、初めて、御桜先輩は不満そうに表情を変化させる。その仕草が茶化す風でなく、純粋に真実を突きつけているだけだということを明確に示していた。
 昨日の話。昨日の話の続き。確かに、そう前置きしたのはわたしだった。ならば今の話は昨日の延長線ではなく、唯の自己満足な蛇足でしかないというのか。……そう考えれば、そう思えないことも無いけれど。それでも、昨日わたしが御桜先輩の前で自覚的にぼかしたことと言えばこのことだし――わたしが詳らかにするべきはこの部分ではないのか。
 でも確かに。昨日廊下で話したことの主題はこんなことではなかった。だから御桜先輩が違うというのなら、違うのだろう。わたしが口走ったことは全部彼女にしてみればどうでもいいことで、わたしがわざわざ屋上まで足を運んだのはもっと別の話があると彼女は思っていたのだ。
 つまるところ、御桜流深は――
「御桜先輩、今日ここでこれまでわたしが話したこと、少しでも覚えていますか?」
「ぜーんぜん」
 ……悪びれる風も無く、一切の罪は自分にないと言わんばかりに御桜先輩は語調を弾ませる。なるほど、素晴らしい忘却速度だ。わたしの話に対して大人しい聞き手を演じていたのも、単に興味が無かっただけということらしい。
「そういえばここ、立ち入り禁止なんだってね」
「……それはわたしが言いました」
 ていうか、そこは覚えてるんだ。
 少しだけ、わたしは少しだけこの人の常人的な部分を見た気がした。
 仕切り直しに。わたしは小さく、こほん、と咳払いをして御桜先輩を見返す。人畜無害の笑顔を湛えて、御桜先輩はやはり自分の発言権を放棄しているようだった。やはり、わたしが何か言うべき状況らしい。
 しかし一体何を言えばいいというのか。御桜先輩はわたしに何を求めているのか。
 それが解らない。……解ら、ない。
 昨日のこと。
 ――久しぶりだね。
 ここじゃない。
 ――覚えててくれたんだ。
 ここじゃない。
 ――へえ、記憶力。さすが、――生首席。
 ここじゃない。
 ――好きなんだよね、――――が。
 ……ここ、だ。
 初めから御桜流深はそこにしか興味が無かった。その後の話なんて全て蛇足でしかなくて、もしかしたら何もかも彼女の記憶として残っていないのかもしれない。御桜先輩が最初からずっと気に掛けていたことは、その一つだけだったんだ。
「で、答えは聞かせてもらえるのかな、空ちゃん?」
「…………」
 問答の命題にわたしが辿り着くのと同時に、そのタイミングを図ったかのように御桜先輩が問いかける。
 昨日の問い。わたしが意図的に忌避した、その質疑。解っていた。かわし切れないことなんて初めか解っていた。堂々巡りのように、いつかまた同じ質問を投げかけられるだろう事くらい容易に推測できていたはずなのに――それが、こんなに早いとは思ってなかった。
 願わくば、その巡り合わせはわたしが明確に提示できる回答を見つけ出してからやって来て欲しいと思っていたのだけれど。……こればかりはどうしようもないことで、それが今ならば、わたしはわたしの持てる解答をここで明らかにする必要がある。
 灰色の曇り空。曇天なる壁面。蒼天穿たれること無き、我が心象の具現。
 まったく。
 今日も今日とて、あっちの空は遙瀬空と心象を共有しているらしい。
 ため息一つ。見上げた視線を下ろしてくる。視界の中心に御桜流深という敵を見据えて、轟然としてわたしは言い放った。
「わかりません」
 それが、解答。
 威風堂々として言うには足りない解答だけれど、それが今のわたしに出来る精一杯。
 その答えに、御桜先輩は――心底怪訝な面持ちで首を傾げてしまった。
「わかりませんよ、先輩」
 再度わたしは繰り返す。それが素直な気持ち。
「わたしはですね、先輩。誰のことでも知ってるし、世界の理の上に在るものなら何だって知ることが出来ます。けれどそれだけは――自分の気持ち、遙瀬空の中身だけはどうしても解らないんです。誰が言ったか知りませんけど、空は人を映す鏡だそうです。でも鏡で解るのは自分の表面だけ。わたしが知りたいのは外じゃなく中ですが、あまつさえ、今日だって空は曇っていて鏡として機能さえしていない。遙瀬空という『空』は――ずっと、ずっと曇り続けているんです」
「…………」
 御桜先輩は何も言わない。今度の沈黙は本当に聞き役に入っているということのようだけれど、彼女の表情を形容するならむしろ聞き入るよりも驚いているといった方が正しい。まさかわたしの解答がイエスでもノーでもない、曖昧なその場凌ぎでありながら、それでいて完膚無いまでの本心だとは予想も付かなかったんだろう。
「……わたしは、わたしのことが解らないんです。だからずっと探しています。何でも知っているのに自分だけが曖昧な靄を帯びているようにはっきりしない。言うならば……わたしは自分の『色』が解らないんです」
 そこで一息置いて、

「もしかしたら、本当はそんなの、初めから無いのかもしれません」

 ずっと解らなかったこと。
 世界の心理。
 人間の真理。
 因果の審理。
 そんなことは全部知っているのに、どうして、わたしは自分が解からない。
 確かにここに在るのに。確かに実在している筈なのに。迷子のように彷徨い続け、一生見つからない何かを探し続ける――確かに世界に在るのに、そうと実感できない亡霊のような存在。
 それが、わたし。
 それが、遙瀬空。
 御桜先輩はわたしに訊いた。兄――遙瀬橙弥のことが好きなのか、と。
 けれどその質問は今更他人にされるまでも無く、何度も自身で繰り返してきた。何度も何度も。始まりは思い出せないくらい遠いところに置き去りにして――停止しているはずなのに――今では面影さえ見当たらない。
 どうなのだろう。
 遙瀬空は、遙瀬橙弥をどう思っているのだろう。
 幾らわたしだって社会的なルールくらい心得ている。わたし達は近親である。兄妹である。そんなことは解っている。小説や漫画じゃないのだから、妹が兄を好きになるなんて事は無い。ある筈が無い。それは禁忌だし、それ以前に倫理的に有り得ない。けれど近親だとか、倫理も道徳も何もかも無視してしまったなら、わたしは兄をどんな風に認識するのか。
 解らない。解らないから、怖い。解らないことは、怖い。
 だって、解らないから。
 わたしは、知らない間に大切な何かを零してしまいそうだから。
「――違うよ、空ちゃん」
 唐突に、御桜先輩は言った。
 違う。わたしの言葉を、否定した。
「いつだったかな、これを話すのは二回目なんだけどね――たった一人だけで存在してる人間なんていないんだよ。人間はね、みんな世界で繋がってる。わたしたちがいる世界は誰か一人だけの物じゃない。無数のそれが重なり合い、影響し合って存在している。――ずっと遠い、世界の起源。全ての現象の根源としての中枢で――人間は繋がってる。どれだけ派生しても、元を質せば一つの原因に行き着く。だから世界に孤独はない、孤立だって無い」
 語る御桜先輩の表情は酷く哀しそうだった。
 何か、思い出したくない過去を思い出しているような。そんな表情。
 その表情の裏側を、わたしは知ることが出来ない。
 このわたしが、世界の代弁者たる遙瀬空が知りえない。
 だって、初めから、この人だけは――
「だからね、空ちゃん」
 言葉を区切って、御桜先輩は言った。
「貴女は破綻してなんていないよ。――貴女はまだ、世界と繋がってるんだから」
 きっと、自分の色だって見付かるよ。その言葉が、静かに遙瀬空に浸透した。
 満面の笑み。哀しそうな笑顔。
 途方も無く遠い、誰に向けるでもなくスイッチで展開した空っぽの、無表情の笑顔。
 それを初めて、わたしは、
「でもさ、近親相姦は違法だよ」
「うるさいですよ!」
 尊く……なんてコンマ数瞬間でも思ってしまった自分が赦せない。何を血迷っていたのか。
「あれ? 好きじゃないんだよね。だったら関係無いよね」
「いや、まあ……そうですけど。ていうか、貴女にそんなことを言われる筋合いはありません」
「ってことはさ、好きなの?」
「何でそうなるんですか!」
「だーかーらー、好きなんだよね」
「いや、ですから、ですね――その……」
「近親相姦は違法だよ」
「ええい、しつこい!」
 掛け合いが掛け値なしに稚拙だった。というか高校生同士の、しかも先輩後輩の交わすような会話ではない。しかし結果として、それまでの重苦しい空気はどこかへ行ってしまったのも事実だ。場面的にも、わたしの内情的にも。
 これが御桜先輩の手腕だというのなら素直に感嘆するしかない。
「と、とにかく」
 短めに言って咳払い。わたしは自分でも驚くくらいに慌てた声を出していた。
 気づけば普段よりも早い心臓の鼓動が収まるのを無心で待って、
「……わたしは橙弥のことをどう思っているのか、解らないんです」
 会話は不毛なやり取りの末に、こうして最初に提示した結論へと回帰を果たした。
 近親。兄妹。御桜先輩じゃないけれど、倫理的には、絶対に恋仲なんてありえない。
「うん。解ったよ。それが正直な返事なんだからわたしもこれ以上は追及しないよ」
「ご期待に添えなかったのなら、謝りますよ、先輩」
「うん。酷くご期待を裏切られたかな」
「……そこ、素直に言うところじゃないです」
 ファーストコンタクトから半年。
 その間に話をしていなかったとはいえ、実質それだけの期間が経過していることには変わりない。わたしはそれだけの長期間を有して、やっと御桜流深という人間を理解した。
 そうだ。やっと気付いた。この人は……変人だ。
「では、この回答は保留ということで。いつか、わたしが確かな答えを出せたらその時に」
 御桜先輩は、楽しみにしてるよ、と微笑む。
 その屈託無い笑顔のまま、御桜先輩は続ける。
「ところで空ちゃん、これはわたしの個人的な疑問なんだけどね、答えてもらえるかな?」
 興味はなくても目の前に占い師がいたら自分の運勢を尋ねてしまう、そんな程度の心境なのだろうか。無駄な考察を少しだけして、わたしは首肯する。ただしそれは、答えるべきことが今のわたしに答えられる事柄ならば、という前提を暗黙の了解とした上での了承だった。
 御桜先輩は笑顔を崩さずに、その詰問を口にする。
「――わたしの中、視える?」
「…………」
 それは。それだけは。
「いいえ。……何故だかは解りませんけど、わたし、御桜先輩だけは……理解できません」
 だって、初めから、この人だけは――わたしでさえ、看破出来なかったから。
 理解できない、の部分にささやかな侮蔑の意思を込めて、わたしは正直に返答する。
 忘れてはいけない。遙瀬空にとって御桜流深は明確に敵だということを。
 とはいっても、彼女がわたしにとってどんな敵で、何をめぐって争い、どのようにして対立しているのかなんてことはわたし自身にも解らない。御桜先輩からしてみれば、わたしの苦手意識や敵対意識なんかは一方通行でしかないのだろうし。直感的に、わたしが判断しただけなのだ。この相手だけは未来永劫和解すること無き『敵』なんだと。
 理解できない、と答えたわたしに御桜先輩は肩を竦める。その動作も相まって彼女の笑顔が苦笑に見えてしまったりしたけれど、それほど残念そうにも見えない。御桜先輩は別にわたしの悪意が読み取れたから、ではなく元より返事は解っていた、という意味でそれをしたようだった。
「そっか、ありがとね」
 お礼を言われることはしていないけれど、感謝の言葉を貰っておく。
 そしてこれを以って――わたし達が語ることは無くなった。全部、終わった。
 後はわたしが先の問いに答えるだけの解答を導き出すまでの、保留。いつになるかは解らないし、そんな時はいつまで経っても来ないかもしれない。完全終結という訳じゃないけど、昨日から続いたこの対立関係(そう思ってるのはわたしだけだけど)は一先ず終戦を迎えた。
 お互いにこれ以上言葉を交わす必要は無くなって、御桜先輩は金網のフェンスへ歩いていく。転落防止のフェンスに指を絡めながらグランドを俯瞰する御桜先輩の姿は、妙に絵になっていた。なまじ美人なだけに仕方が無いのだけれど……それが、なんだか気に食わない。
 別れ際に一言何か言うべきかとも思ったけれど、わたしは結局何も言わないことにした。
 無言のまま振り返って、鉄の扉に手を掛ける。心なし入って来るときほどの重量を感じない。暗闇ばかりの踊り場を開放して、わたしが一歩足を踏み出したのと同時のことだった。
「わたしはね、空ちゃん」
 既に語ることなど残っていない、そう思っていた御桜先輩がわたしに言った。
 脚を止めて、振り返る。
 御桜先輩は依然として外の世界を俯瞰しつつ、わたしを見ないまま、

「――――二年前に、遙瀬くんを壊したんだ」

 寒さが張り詰めた空気の中。御桜先輩の言葉はよく響いた。
+注意+
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