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ガールズカルテット 作者:双色
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 ……



「ねえ、どうしてセカイは汚いのかな」
「……さあね。そんなこと、わからないよ」
 声は質問に答えられないというよりも、そもそもお前は何を言っているのかわからない、と言っているみたいだった。それが気に入らなくて、わたしは少し口調を強くして問いかける。
「みんな、ウソツキばっかり。本当のことなんて一つもないの。ねえ、どうして?」
「ううん……。ウソツキばっかりとは思わないけど、でも、それは仕方ないことじゃないかな」
「どうして仕方ないの?」
「だってみんな、人には嫌われたくないから」
「違うよ」
 わたしは首を振った。
「そんなの、絶対に違う。だって、嫌われたくないからウソなんて言わないんでしょう?」
 わたしの反論に、う、と痛い所を疲れたように少年は口ごもる。
 本当は、少しだけ意地悪してみたくなっただけだった。
 だって、わたしの言ってることはそもそも矛盾してるんだから。でも、幼い少年にはそんなこと解らない。
 人に嫌われたくないから、嘘を吐かない。それが出来るなんて、理想だ。嘘無き平和な仲なんて幻想に過ぎない。だって、人間はみんな汚い世界に生きているんだから――それとも、汚い人間ばかりだから世界が汚いのか――誰だって心のどこかに汚い部分を持っている。それを隠すために嘘を吐くんだ。
 それが、結果として自分を汚しているとも気づかずに。或いは、気づきながら。
 負の連鎖は螺旋のように続いていく。出口のないトンネルみたいに。明けない夜みたいに。
 わたしもそうだった。
 だから、もしかしたら、それを否定して欲しくてこんなことを言っているのかもしれない。わたしだけは違うんだと、綺麗な誰かに言って欲しかったのかもしれない。それこそ、幻想でしかないというのに。
「でもさ、ウソをついてまで好きになってほしいって気持ちが本当なら、そのウソも本当のことなんじゃないのかな」
「そんなのは都合のいい理屈です」
 少しだけ、歳にそぐわない口調をしてみる。
「相手を欺いて、自分を偽るなんて、それこそ偽者の自分を押し付けてるだけ」
 少年は首を横に振った。
 それから困ったような顔になって、考え込む。その動作があまりにも歳相応過ぎて、どこか羨ましい。汚れを知らない、純粋無垢なその少年の瞳には確かに綺麗な理想が見えているだろうから。それがわたしには遠すぎて泣きたくなる。その感情は少年への憧憬でも、わたし自身への嘲笑でもない。名前なんて無い、どんな定義も無い、戯言みたいな一片の感情。
「なんて言うか……わからないけど、それは違うよ。好きになってほしいから、ウソをついて……それで、結果が騙すことになってしまっても……ううん……えっと、それは」
 言いたいことは解らないでもない。でも、正しいのはわたしだから、少年は反論できずにいる。
 その姿が可笑しくて、羨ましい。
 自分には無いものを見ている気がして、遠い。直ぐ隣にいる一人の何でもない平凡が、ずっと眩しい。やがてとおくを見ながら少年が言う。数秒、ともすれば実際は数瞬の刹那。そんな途方もない間を置いて、兄は、言った。
 それはきっとわたしの原風景。遙瀬空のはじまりの物語。


 ……



 固い感触が頬に触れている。それは少しひんやりとしていて、冬という季節なのにどこか心地好くもあった。
 首を起こす。冴えない思考。瞬きをしてやっとはっきりする視界。腰の痛み……というよりもだるさ。足下の冷え。それから……体温が妙に高くて、それでいて外気との差が寒いくらいに感じる。
 そうか。ぼんやりした意識でわたしは自分の状況及び状態を理解した。
 ここは朔夜さんの私室、もとい国語科の準備室で現在その主は不在。留守を預かるとは言えないけれど、現状この部屋の鍵はわたしが所有していて今後のことは任されている状態だ。
 今が何時かは解らないけれど――多分わたしは眠ってしまってたんだろう。いや、多分というより確実に。体の状態と不自然に途切れた意識がそれを証明している。伸びをして、それから時間も確認するために上半身を立てる――かさり。衣の擦れる音がした。
 違和感がある。寝起き独特の妙な体の重みとは違う、まるで体重そのものが重くなったみたいな違和感。そしてその違和感は比喩ではなく実際に存在し、わたしの背中を滑るようにして、床へと落下した。
 意識は完全といっていい程に覚醒していたけれど、体は――頭の方が特に――まだ本調子でないらしい。わたしは床に落ちた黒のコートを拾い上げて、眠くはないけどそうするのが寝起き人の社交辞令であるかのように目を擦りながら、言った。
 当然、デスクに既知の人物が座席して煙草をふかしていると思いながら。
「……すいません、眠ってたみたいです。これ、コート、ありがとうございます」
「いえいえ。あまり気持ちが良さそうに眠っておられたので。ええ、本当に。悪戯でもしたくなるほどに。おっとご心配なく。飽くまで形容ですので。なにもしていませんよ。その程度のことで喜んで、感謝していただければそれは至極光栄に余りますよ。いやいや、ええ、まあ。人に感謝されるというのは実に気持ちがいい。むしろ私の方がお礼を言いたいくらいですよ」
 ………………。
 わたしは、まだ夢うつつでも見ているみたいな気分になった。それは間違いなく、今が冬で来月が新年であるくらいに間違いなく、わたしの知る朱空朔夜さんの口調と声ではなかった。
 わたしは急いでこの部屋の中にいるその人物の姿に目の焦点を合わせ、同時に身構える。
 その人物は、一言で言うなら黒かった。歳は二十代半ばといったところで、長い前髪が右目を隠している。服装は上下黒のスーツを着込み、加えるなら中のカッターシャツまで真っ黒。鋭利なようでけれど柔らかい目付きの奥にある瞳も。短髪ながら前髪の長い髪の色もまた。唯一真っ赤なネクタイが際立って鮮やかに見えてしまうくらい、彼を占める色の割合は圧倒して黒が多かった。
 言うまでもなく、彼は朔夜さんではない。間違うはずなど無く。声や様相なんかを全部ナシにしても、常に高圧的な朔夜さんと彼では纏う空気が反対過ぎる。それでも一つだけ共通するのは、両者が共に他人を寄せ付けないということ。高圧で立ち回り、他人を拒絶するように突き放す朔夜さん。対して、この男性は突き放すというよりも周囲が離れていく感じだった。
 この場に朔夜さんはいない。そのことは目覚めてからかなり初期に自ら認識していたはず。なら、睡眠とはヒトの思考を簡単に狂わせてしまう行為だということか。それとも、そんな数秒前のことも忘れてしまうほどに寝起きのわたしは記憶力に乏しいのか。
 後悔先にたたず。というかする必要なんて無い。だって、わたしは少し思い違いをしただけで何も失敗はしていないんだから。この程度のことに動揺してそれを悟られてしまう方が、よっぽど屈辱的で気に入らない。
 さて。と、わたしは冷静に黒い男性を見据えて思考する。ここを訪れて不審の無い人物。該当、三名。朱空朔夜、遙瀬空、遙瀬橙弥。彼はその誰でもない。在校生? 身長も服装も雰囲気も、何もかもがそれだけは有り得ないと言っている。教師でも然り。こっちは確信なんて無くて、雰囲気から判断した。
 …………。
 だとしたら……。
 わたしは思考の末に辿り着く疑問を後少しで口にしてしまいそうになる。見覚えなし。思い当たる節なし。ならば必然、一つの疑問に行き至る。
 フー、イズ、ヒイ。
 彼は誰ですか。
 ……こんなこと、本来なら真っ先に出てくる疑問のはずなのに。
「ええと」
 何と言ったらいいだろう。こんな体験は初めてで対応に困る。というかこんな体験をすること事態が生涯に於いて稀有ではないだろうか。例えば仮に、学校の普段なら誰も立ち入らないような部屋でうたた寝していて、目が覚めたら映画に出てきそうなマフィアか何かみたいな黒ずくめが人畜無害な微笑みを向けていたら――って、これじゃ例えになってないか。
 半ば混乱する心中を気取られないように、表面上だけは冷静に努めて黒い男を見返す。それが、裏目だったかもしれない。次ぐ言葉を口に出来ないわたしに、男は変わらぬ微笑で言った。
「ご心配なく。怪しい者ではありませんよ」
 にこり、と怪しいまでに無害すぎる笑顔。男は右手を差し出して、
「はじめまして。棺木(ひつぎ)境介(きょうすけ)と申します。以後、お見知り置きを」
 求められた欧米風の挨拶に応えて、わたしは男、棺木境介の手を握る。何となくそのまま何度かハンドシェイクがあるのかと思っていたけど、それはなかった。結ばれた手は、ただそれだけで何のアクションもなくほどかれる。至極あっさり。それこそ数秒前に握られていた手が、幻だったみたいに。
「遙瀬、空です。こちらこそはじめまして……」
 なんだか奇妙な光景だった。はて、ここはどこだっただろうと思ってしまうほどに。
 互いに簡易の自己紹介を済ませて、さてここからどうするべきか行動に困る。一応お客さんのようなので、コーヒーくらいは出した方がいいのだろうか。――と、ちょっと待った。
 寝起きでかつ不思議体験をしてしまった為か、どうもわたしは根本的なところを気に掛けていなかった。知らない間に自己紹介まで持っていかれて、完全に場の主導権を握られていたことも作用しているだろう。学校内に在りながら殆ど無法地帯となっているこの部屋に、どうして客人がやってくるのか。もっと言うなら、学校への来訪者なら隠れ家的喫煙スペースみたいなこんな所に訪れること事態が間違っている。場違いも甚だしい――て、だったら、それだからこそ逆説としてこの人、棺木境介の正体が解るんじゃないか。
 頭の調子もやっと軌道を取り戻してきたみたいだ。ここに訪れる人物など、普通では有り得ない。故にその結果は偶然。だけどその逆も成立する。ここを訪れることが普通では有り得ないなら、つまりそれは異常ということ。そしてここの主は、朱空朔夜さんは異常を好んで招き入れる性質を持つ。それはつまり、ここに在るのが必然なら、ここに在るモノは何らかの意味で異常である。そういうことが言える。
 異常、異端、異形、破綻。
 その言葉に敏感に成らざるを得ない話を、わたしは今日聞いたばかりだ。その為に思考などより先に記憶が告げる。
 沸き上がる好奇心と、
 狂乱する警告サイレン。
 理性や衝動よりもずっと遠くにある何か。名前すら見当たらない、わたしという存在の起源。遙瀬空の世界が、告げる。
 彼に関われ、と。
 ソレに近付くな、と。
 二つの感情が同時に頭の中を駆け巡って、何がなんだかわからなくなる。何が正しいのか。誰に従えばいいのか。逃げるのか。向き合うのか。問うのか。答えるのか。見るのか。見ないのか。純真か。邪か。清純か。汚濁か。――世界か。自分か。
 少しの、空白。
 思考は止まって、何も考えられない。正常な判断ができない。わからない。どうするべきか。わからない。どうすればいいのか。わからない。また、自分が見えない。わからない。呼吸が出来ない。息の吸い方が。わからない。何も考えられない。考え方が。わからない。始められない。邂逅が。わからない。終わらせられない。終焉が。わからない。
 世界が歪む。
 見果てぬ夢を永遠に見ているような。現実感が削がれ、消失してしまったような感覚。ぽっかり明いた空白に別の何かが浸入し、満たしていく感覚。嫌悪。憎悪。怨念。怨嗟。呪詛。
 視界が揺れる。吐き気がする。嘔吐感は吐き出すことも飲み込むことも許されない。光速で逆回転するメリーゴーランドに乗っている様な感覚だけが大きくなっていく。
 やがて、音もなく、世界が崩れ始める。砂粒みたいに風に流されて、虚無が形を得ていく。遥か彼方の地平線が終わりと始まりを告げていた。邂逅より先にある終焉が、すぐそこまで迫っていた。
 けれど。
 わたしがそれに気付いたとき。
 何かが、確かに。
 世界が、確かに。
 わたしの意思とは別に、断ち切られた。
「…………――――っあ」
 スイッチで切り替えたみたいに簡単に、意識は元の場所に戻ってきた。首を振って確認する。古い木造建築の一室。電気ストーブの発熱。蛍光灯の発光。窓を鳴らす風の音。黒いスーツの男。……背筋を伝う汗の冷たさ。
 はあ、と息を吐き出す。それは安堵から無意識に吐き出された吐息。……もう少しで危ないところだった……かな。
「なるほど。そういうことでしたかー」
 ずるずる、なんて緊張感のない間抜けな音が室内に響く。いつの間にか、棺木さんは湯気の上がる急須を手にしていた。至福のときを過ごしているような、緩んだ表情。変わらぬ微笑が薄い白のベールの向こうにあった。
 急須を朔夜さんのデスクに置いて、棺木さんは初見から寸分違わぬ顔をわたしに向けた。
「いやー、お疲れだったんでしょうね。すいません、どうやら安眠妨害をしてしまったようで。立ち眩み、それか貧血でしょう。しかしながら、大事に至らなくて安心しましたよ」
「……貧血、ですか?」
 にわかに信じがたい。有り得ないと言い切れるくらいだ。
 この時期に、このタイミングで。そんなの、絶対に有り得ない。
 意識的にも無意識的にも、衝動に流されるのはどこまでも容易で楽だった。空白だった脳の一部に確かな確信を得て、抑え切れずわたしはそれを口にする。
「――わかるんですか?」
 自分でも頭の悪い質問だとは思う。でも仕方無い。これ以上になんといっていいのか解らない。言語で伝達できない意思思想は、どうやったって言語以外の伝達手段でしか疎通することが出来ないのだから。
「さて、どうでしょうね」
 肩を竦めるようにして棺木さんは言った。
「全ての現象は因果関係の上に成り立ちます。わかりますか? 空さん」
「…………」
 黒いスーツ姿が黒いコートを羽織る。先刻までわたしの背に掛けられていたそれは音静かに翻り、それ自体に意思があるみたいに狂いなく主の身を包んだ。
 朔夜さんとは違う、無表情。
 今なら解る。彼は、ソレは、根源から朔夜さんとは違う。
 気づかないわけが無い。気づけないはずが無い。
 だって、彼は。
 だって、ソレは。
 全人類全てと異なっていてそれで――わたしに、近い存在だから。
 無情にして冷徹。孤独過ぎるソレの微笑が告げる。
「言い換えましょう。そうですね、よく言うでしょう? 類は友を呼ぶと」
 最高の冗談でもいい放つように高らかに。まるで無意味な戯言を溢すように儚げに。決して笑わない笑顔のソレは、言った。
「ではまた。近い内……明日にまた会いに来ますよ。もっとも、それは結果論ですけどね。今日がそうであったように、飽くまで私は朱空朔夜さんの客人として訪れますので」
「ちょっと待ってください! 話はまだ、その……聞きたいことがあるんです……!」
「ですから、それはまた明日です。今日は突然で驚かせてしまったようですし。そうですね。今の私に言えることは、『無理はせずに』くらいですね」
 黒い背中が別れを告げる。わたしは引き止めたいはずなのにそうできず、扉が閉まっていくのを見送るしかなかった。
「朱空さんにはよろしく言っておいてください」
 最後、思い出したように棺木境介という仮面が付け加えた。
 再び取り残されたみたいに一人になる。冬の冷気が一瞬浸入して、直ぐに消えた。
 虚無感と、喪失感。
 二つがわたしの頭の中で廻っている。
 話はまた明日。お預けを喰らったみたいでいい気分にはならない。けれど同時に、何かしらの期待が生まれていたのも事実だった。
 もしかしたら。と、そう思ってしまう。
 ……ふうん。
 こんな気持ちはいつ以来だろうな。
 わたしは、どうしようもなく明日が楽しみだった。
 棺木鏡介。知る人ぞ知る人。詳しくは後日、ブログで報告します。
+注意+
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