旅立つモノ達
春は旅立ちの季節と言える。
卒業を迎えた多くの少年、少女達がそれぞれの道を進むべく巣立っていくのだ。
それは今年高校を卒業する俺にも当てはまることだった。都会の大学へと進学することが決まっている俺は、明日にもこの住み慣れた街を離れる。
家族や友人、そして……幼馴染の由香里とも。
静かな春の夜。
ささやかなパーティのような物を身内で開いた後、二階の自室に戻った俺の携帯が着信メロディーを流した。
それはさっき別れたばかりの由香里からだった。
―――いつもの場所で待つ。
俺は窓の外を見た。
ちょうど由香里が自室の窓から身を乗り出しているところだった。由香里は俺に気づくと指を上に向けて合図した。
それに大きく頷いて見せた俺も窓を開けて外に出る。
由香里は俺の家の隣に住んでおり、屋根伝いに行き来することができる。
いつからかそれを利用し、夜になってからこっそり抜け出しては、どちらかの家の屋根の上で話をするのが俺たちの楽しみとなっていた。
屋根を慎重に歩きながら、俺は由香里の家に飛び移った。いつだか踏み外して落ちそうになり、由香里が大泣きして親にばれそうになったのも、今ではいい思い出だ。
「こんばんわ、勇介」
先に上って待っていた由香里の傍に俺が行くと、彼女はそんな挨拶をして微笑んできた。
「こんばんわって、さっき俺の家で会って別れたばかりだろ」
「いいじゃないのよ。いつも言ってるでしょ? ここで会う私はさっきまでとは違う私。正真正銘、素の状態の私。だから今日会うのは初めて。だから挨拶、挨拶ぅ」
「はいはい……こんばんわ」
俺は半分あきれ気味で挨拶を返すと、屋根に座り込んだ。
つまりはこういうことだ。
由香里は普段驚くほど猫を被って生活をしている。
学校では品行方正な優等生、ご近所や俺の親の前では礼儀正しいお嬢さん、両親の前でさえも聞き分けの良い娘を演じていたりする。
そんな彼女が化けの皮をはがせる場所。それがこの屋根の上であり、俺と二人きりの時ということだ。そこで俺達は由香里の愚痴を聞いたり、俺の馬鹿話をしたりして過ごす。
初めて屋根の上で話をした時以来からの、習性みたいなものである。
「で、何の用だ? 俺は明日早いし、今日はあまり付き合えないぞ?」
俺がそう言うと、由香里は頬を大きく膨らました。
「何よその言い草。こうして屋根の上で話すのも当分できなくなるでしょ。だから最後の日くらい私に付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「……悪かったよ。確かにそうだよな。俺が次にこの街に帰ってくるのは夏か、もしかしたら暮れだもんな」
俺はこの街を出る。
でも、由香里はここに残る事になっていた。
俺よりも遥かに成績の良い由香里が進学をしないと聞いた時、俺は何故かと尋ねてみた。そしてもし特にあてがないのなら一緒の大学に行ってみないかとも提案してみた。
しかし、返ってきた否定の答えは至極当然の物だった。
「だって、お母さんを残していけないから……」
由香里の母親は体が悪い。死に至るような物ではないのだが、誰かが面倒を見て看病してやらなければならないほどには重い。ここから通うということもできなくはなかったのだが、どうしても通学に時間がかかりすぎてしまう。父親だけでは仕事と家事を両立することはとてもできなかった。
だから由香里は進学をあきらめ、地元の就職を選んだのだ。
少し考えればわかるような―――幼馴染ならなおさら―――由香里の家の事情に頭が回らなかった俺は、そんな浅はかな自分が情けなくて慌てて謝った。
「いいよ、別に」
そう言って由香里は笑って許してくれたが、その時に一瞬だけ浮かんだ寂しそうな横顔を俺は忘れない。
それからは由香里に勉強を見てもらいながら必死で受験勉強をし、晴れて俺は大学に合格することができた。
あの日馬鹿なことを訊いてしまった由香里のためにも、落ちるわけにはいかなかった俺は由香里と共にその喜びを分かち合った。
その後は高校の卒業、引越しの準備、そして今日の今に至る。
そんなことを思い返していると、突然肩を揺さぶられて現実に引き戻された。
はっとなって隣を見ると、由香里が不機嫌そうにこっちの顔をじろりと睨んでいた。
「……ねえ、私の話、ちゃんと聞いてるの?」
当然、聞いてない。
ここは誤魔化すよりも素直に謝ってしまうことにした。
「す、すまん。考え事して聞いてなかった」
「もう! 人の話を聞かないなんて最低だよ! ばかばかばか!」
「わ、ちょ、悪かったって! お、落ちる、落ちるってば!」
突き飛ばされるような勢いで叩かれた俺は、思わずバランスを崩して屋根から滑り落ちそうになる。
「本当に反省してる?」
「してる! してるからやめてくれ!」
その言葉を聞いて、ようやく由香里は叩くのをやめてくれた。
俺は体勢を何とか戻し、元の場所に座りなおした。
……時々、由香里はこんな危ないことをやらかしてくれるから怖い。
「……まったく、旅立つ場所があの世に変更されるところだったぜ。で、今度はしっかり聞くから話を続けくれ」
「ん、あらためて話そうとすると何か恥ずかしいんだけど」
「おいおい、ここまで来てそれはないだろ。俺が命を張った損じゃないか」
今度は俺が抗議すると、由香里は少しためらい気味な調子で呟いた。
「タンポポの話、覚えてる?」
「タンポポ? ああ、あれか……」
それは俺と由香里が小学校五年生の時のことだった。
当時、由香里の母親の体調は今よりもずっと悪く、病院と自宅を行ったり来たりを繰り返していた。
そんな母親を元気付けたいと考えた由香里は、何かいい案はないかと俺に相談してきたのだ。
「……花を贈るってのはどうだ? たしかおばさん好きじゃなかったっけ?」
俺は少し考えてから安直にそう提案してみた。
「そうだけどお花は高いよ。二人のお小遣いじゃ大した物は買えないと思うし」
「う、俺この間ゲーム買ったばかりだからなぁ。お金をかけずに喜ばせて、ついでに驚かせそうなこと……」
二人して頭をひねって考える。
少したってから俺は思いついたことを言ってみた。
「タンポポならどうだ? おばさんは庭の側の部屋で寝てるんだろ? 二人でタンポポを採ってきて庭に種をまけばお金もかからないし手っ取り早い。どうだ?」
「うーん……タンポポかぁ。ありきたりな花だからあまり喜んでくれなさそうだけど……」
「ばっか、そういうのだからいいんじゃねぇか。おばさんあまり外に出て歩くこととかできないんだし、そういう野原に咲いている方のが新鮮に感じると思うぞ」
今思えばかなり強引な論理だったが、だんだん考えることが面倒になってきた俺は強引にそれを推し進めようとした。
由香里も最初は迷っていたようだが、説得したおかげで最終的に乗り気になってくれた。
その後、俺達は行動に早速移すことにした。
まずは近くの道端や野原を巡って綿毛のついているタンポポを集める。これは二人で手分けして探したためかなりの数を集めることができた。
次はいよいよ庭にまく段階だが、昼間に庭に出てやればおばさんに見つかってしまう。
というわけで俺達は夜になるのを待ってから、屋根の上で庭に向かって種を飛ばすことにしたのだった。
「マヌケだったよね。二人して必死になってふーふー言いながら種をまいてる様子って」
由香里がその時のことを思い出してくすりと笑う。
夜中に屋根の上でひたすらタンポポの種をまく子供が二人。
いくら田舎の住宅街とはいえ、人が通りかかっていたらぎょっとする光景だっただろう。
「だけど結局あまり咲かなかったんだよね。後でかなりがっかりしたよ」
「まあな。たしか風はなかったような気がするけど、それでもほとんどの種はどこかに飛んで行っちまったんだろ」
俺は屋根の上から由香里の家の庭を見下ろす。
暗くてよくわからないが、今年もきっと何本かタンポポが咲いていることだろう。
もしかしたらそれは俺達があの時にまいた種がどこかで花を咲かせ、その種があちこちを巡り巡って戻ってきた子孫のタンポポかもしれない。
おそらくありえないだろうけど、確率はゼロじゃない。
そんなことを想っていると、いつの間にか由香里が黙りこくっているのに気づく。
「どうした、寒くなったのか? ……春とはいえまだ冷えるからな。そろそろ部屋に戻るか?」
何だか様子がおかしい由香里に俺がそう訊くと、由香里は首を振ってから答えた。
「ううんそうじゃないの。タンポポって偉いなって思ってさ」
「は?」
「だってタンポポって、まだ種の頃から親を離れて遠い外の世界に出て行くんだよ? きっと心細かったり離れたくない子もいるんだろうけど、それでも我慢して綺麗な花を咲かせる……それってとってもすごいことだと思うんだ」
「……」
「でも私はだめだよね。お母さんを置いて外に出ることができない。本当は勇介に一緒の大学に行かないかって言われた時、すっごく嬉しかった。でもお母さんが寂しがることを考えると、どうしても無理だった。お父さんもお手伝いさんを雇うからいいよって言ってくれたんだけど、うちの家計が大変なのは知っているし……」
由香里の家は支出の大半が母親の医療費で大きな負担となっている。それが削れない以上は確かに人を雇う余裕がないだろう。
それを理解して由香里は自分が犠牲になることを選んだのだ。
たしかに愚かな選択なのかもしれない。
由香里が望めばどんなところへも行けたかもしれない可能性を捨てて選ぶ未来は、決して幸福な物とは言えないからだ。
もっとわがままに、自分の素直に生きてもいいと俺は思う。
昔から人の望む通りの姿を演じてきた由香里には酷かもしれないが、それくらいの自由は許されて当然なのだ。
それでも―――俺はそんな彼女の選択を尊重してやりたかった。
「いいんじゃないか。それで」
その言葉にうつむいていた由香里が顔を上げる。
「タンポポだって何も好き好んで外の世界に出たいわけでもないだろ。さっきお前が言ったように、離れたくない奴はきっと残していく親のタンポポが心配なんだろうよ。それでも行かなきゃいけないそいつらの運命に比べて、由香里は自分でここにいることを選べる。それって幸せじゃないか」
「でも……私は本当は勇介と一緒に行きたいんだよ? 一緒にキャンパスを歩いたりして、一緒のサークルに入って、もっともっと一緒にいろんなことをしたい。それを選べない自分が嫌で―――」
「だっからそんなネガティブに考えるなって。もしかしたらおばさんの調子がよくなるかも知れないだろ? 機会はいくらでもあるし、やり直しだってできる。そうしたらまた勉強して大学に入ればいいんだ。お、俺だったら留年してでも何でもお前を待っててやるからよ?」
その俺の言い草がおかしかったのか、ようやく由香里は微笑を取り戻して頬を緩めた。
「だめだよ、そんなことしちゃ。留年なんかしてたら、私が来たときにあっという間に追いつかれて抜かれるかもよ?」
「む、それは困るな」
何だかありえそうな話に俺も笑みを浮かべる。
「やっぱり由香里は笑っている時が一番だよ。まあ、なんだ。もし何かあったらすぐに連絡しろよ? すぐに飛んで帰ってくるからよ」
「……うん。どこにいてもどんな時でも、きっと帰ってきてね。待ってるから」
俺達はタンポポにはなれない。
全てを捨てて遠くに行けるほど、できちゃいないからだ。
それでも綺麗な花を咲かせたい。
そんな気持ちだけは負けないつもりだ。
何故なら残してきた物は一生忘れない。
だからがんばることができる。
きっとその想いだけは、一緒なのだろうから。
今回、「三題噺」の作品として投稿させて頂きました。
テーマを絡めるため、多少、ご都合主義的な展開ではありますがお許しください。
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