欲望の夜は発明の母
深夜の研究室に悲鳴が響き渡った。
「馬鹿なことはやめるんだ」
頭から血を流しながら、そいつはどうにかそれだけ言ったが、次に振り下ろされた俺の一撃でぴくりとも動かなくなった。この研究所とやらにある一番大きなスパナで、力任せに殴りつけたんだから、そりゃあそうだろう。床一面に広がる血溜まりが、すでにそいつがただの死体に成り下がった事を示している。
「さてと」
俺は、がらんとスパナを投げ捨て、死体とは逆の方を見た。そこには銀色に輝く車。いや、正確にはタイヤさえないから、車ではない。セダン車をベースに改造した、いわゆる瞬間移動装置だ。
足元に転がる爺は、つい先程完成したこの装置を、実働させない、と言いやがった。その理由が笑える。
――こんなもの、災いの元になるだけだ。
だと。
それなら、開発などしなければいいのに。だが、研究者ゆえの探究心というものか。原理を思いついたら、作らずにはいられなかったらしい。しかし、せっかく作っておきながら、ただの一度も使わないなんて本当に馬鹿げている。長年この爺の助手として尽くしてきたその成果が、変人の自己満足で終わるなんて到底我慢できない。
この装置を独占して、俺は巨万の富を得てやる。これを使って盗みをやれば、世界中の金を手にする事だって出来る。当然、証拠は一切残らない。アリバイも完璧だ。完全犯罪だ。
俺は晴れ晴れした気分で、瞬間移動装置を起動した。
『移動したい地点を座標で示してください』
装置が立ち上がるや、機械的な声でアナウンスがなされた。この声、なんという古いセンスだ。昔のSFか。
俺は、操作画面を見た。どうやら移動する地点は、緯度経度の座標を入力しなければならないらしい。
「くそ、面倒だな」
基本的に俺はハードの方を担当していた。瞬間移動装置の回路とソフト面は爺の担当だったため、実際に起動させたらどうなるかは、この時初めて知った。爺め、もっと簡易なインターフェイスにしておけってんだ。
いきなり自分自身を移動させるのが不安になった俺は、まず爺の死体で実験をする事にした。爺の机の上にあった地球儀を持ってくると、太平洋のど真ん中の座標を調べた。ここなら、誰も見つけられやしないだろう。死体を隠すのには、うってつけだ。
俺は操作画面でその地点の座標を打ち込むと、転移装置であるセダンのシートに爺の死体を乗せ、スタートボタンを押して、すばやく車から離れた。
『……三、二、一、転移』
機械の声の後、バシュッと空気が抜けるような音がしたかと思うと、もうそこに爺の死体は無く、ただ転移装置だけが残されていた。
「やった、成功だ!」
俺は歓喜の声を上げた。
これできっと爺は太平洋の真ん中を漂い、誰にも見つけられることも無いまま、魚のエサになるのだろう。そう考えると、腹の底から笑いが込み上げてくる。
――だが待てよ。
本当に指定した座標に爺が瞬間移動したかは確認できない。もしかしたら、とんでもない場所に飛ばされているかも知れない。それに爺は死体だったが、もし生きたモノを移動させたら、果たして生きたままで目標地点に到達できるのかも分からない。
「これはもっと実験が必要だな」
もっと言うならば、もっとこの装置について知らなければならない。そうでなくては、恐ろしくて、とても俺自身を転移させられない。そう考えた俺は、爺が残したこの装置の研究資料を片っ端から調べることにした。
金の欲望が俺を完全に支配していた。
調べていくうちに、今まで知らなかった事実がいくつも見つかった。
まず、この装置自体、爺が始めから作ったものではない、という事だ。爺は、以前師事していた研究者から引き継いでいたのだった。
「なんだ、爺の奴。さも自分の手柄のように言いやがって」
さらに調べていくと、この装置には重大な欠陥がある事が分かった。
何とも間抜けな話なのだが、瞬間移動させた後、元の場所に瞬間移動で戻ることが出来ないのである。つまり、爺やその先代の研究者は、移動させることばかりに頭が行って、帰る手段を考えていなかったのだ。
「救いようの無い馬鹿だ」
俺は笑う、というよりも、大変な宿題を残したまま完成だ、などと言った爺に怒りを覚えた。
しかし、研究を進めれば進めるほど、元の場所に戻ってくるというのが、いかに難しいことなのかが分かった。装置と一緒に瞬間移動できれば、またもとの場所へ戻ってこれる。簡単なようだが、問題は質量だった。移動させられる物体の質量には限界があって、装置自体があまりにも大きいため、一緒に転移させられないのだ。おそらく爺たちは、戻る事を考えていなかったのではなく、実現できなかったのだろう。
色々と調べた結果、質量の限界値を増やすよりも、この装置をもっと小型化する事の方が現実的だと分かった。
だが、それは言うほど簡単なことでは無い。もっともっと研究が必要になってくる。そうなれば、俺一人ではとても手が足りない。
――最低でもあと一人は手伝ってくれる助手が要る。
始めのうちは欲に駆られて研究を行っていた俺だったが、方々探して見つけた助手は研究熱心な若者で、一生懸命俺についてきてくれた。それは今まで感じた事の無い、充実感に満ちた日々だった。その日々が、研究者の端くれだった俺に、再び熱意というものを吹き込んでくれた。
純粋に研究が楽しかった。やはり俺は根っからの研究者だったのだ。
そして長年の成果が実を結んだ深夜。
俺はもうこの装置を使って億万長者になりたいなどという欲望はなくなっていた。完成したことで満足だったのだ。
助手である彼も、同じ気持ちでいてくれるはずだ。
「馬鹿なことはやめるんだ」
次の瞬間、俺はそう言いながら頭から血を流していた。
五分企画の練習で書いてみました。
やったことのないSF(?)です。また構想&執筆二時間……。
本番はもうちょっと練ります(笑)。