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違えた歯車と、ある一つの結末

作者:羽子茉礼志

「ふぅ、やっと終わった」

 講義の終了を告げるチャイムが教室内に鳴り響く。僕は手早く荷物をまとめて、講義室を後にした。
 そのまま大学を出て、そこから徒歩五分程の場所にある病院を訪れる。
 そして、通いなれた『神崎沙恵子(かんざきさえこ)』と書かれたプレートのある病室へと行く。
 ドアを開ければ、そこにはいつもと変わらない妹の姿が在った。

「よお」
「あ、お兄ちゃん」

 ベッドで体を起こし本を読んでいた沙恵子は、本を閉じて笑顔で僕を出迎える。

「今日はいつもより早いんだね」
「ああ、講義が一つ休講になったから。体調の方はどうだ?」
「うん、全然大丈夫だよ」
「そうか」

 そう言って、僕は沙恵子の頭を撫でた。
 沙恵子は腰まで伸びる、薄絹のような手触りを持つ黒髪と、色白な肌を持ち、小柄な体躯をしていて、可愛らしい日本人形のような見た目をしている。
 頭を撫でられた沙恵子は、くすぐったそうに目を細めて微笑んでいた。
 そんな沙恵子を見て微笑ましい気持ちになりつつも、しかし、視線がその白すぎる肌に行ったとき、今度は切ない気持にさせられた。彼女がこうならざるを得なかったのには理由があるのだ。
 沙恵子は生まれ持っての心臓病を患っている。体も弱く、そのため幼い頃から家に引きこもってばかりだった。
 日の照る外に出て遊ぶことの出来ない、その結果がこの白い肌なのだ。
 学校も休みがちで、沙恵子は今現在十五歳で中学三年だが、入院した今となっては学校には行っていない。卒業は出来ても、進学は恐らく無理だ。
 いや、そもそも体が年々弱ってきている彼女に、幾ばくの余命が残されているのか……。
 二十歳まで生きれるか、というのが医者の見解だが、それも当てには出来ない。

「どうしたの?」

 少し考え込み過ぎたようだ。沙恵子が心配そうにこちらを見ていた。

「いや、なんでもないよ」

 僕はそう返して、その後は雑談に興じた。大学であった事を僕が話し、今度は沙恵子が病院であった事を話す。
 話の種が無くなれば、二人してぼーっとのんびりしたり、本を読んだりと、とにかく一緒に過ごす。
 今までにずっと繰り返してきた光景だった。
 そうやって面会時間ぎりぎりになったところで、僕はようやく腰を上げた。

「そろそろ帰るよ。それじゃあまた明日な」
「うん…………ねぇ、お兄ちゃん」
「どうした?」
「無理、してない?」

 それがどういう意味なのか、僕には考えるまでもなく分かっていた。
 僕は講義の空き時間が面会可能な時間帯であれば、特別な用事でもない限り沙恵子の見舞いに来ていた。
 休日も同じであり、そうなると僕自身の時間は大いに削られることになる。
 だけど……。
 沙恵子の面倒を見ること、それは僕にとって義務であり、責任なんだ。
 だから――――

「大丈夫、何にも問題ないさ」
「……うん、分かった。じゃあね」

 僕は沙恵子に別れを告げ、帰りの途に着いた。そして道中、先程の沙恵子の鋭さに舌を巻いていた。
 これだけ一緒にいると、やっぱりお互いの感情の機微に気付けてしまうのかな……。
 沙恵子への見舞い自体は全く苦に思っていない。しかし、僕には目下の悩み事が、別に存在した。


(とおる)、あなたいつまでこんな生活続けるつもりなの?」
「続く限りは、いつまででも」
「彼女である私を放っておいて?」
「ごめん、柚香。でも、やっぱり僕は沙恵子の面倒を見ないといけないから」

 僕の彼女である石動柚香(いするぎゆか)は、納得した様子もなく、腹立たしいとでも言わんばかりの表情でこちらを睨め付けていた。思えば、大学に入ってからこの押し問答も何回やったことだろう。
 柚香とは高校からの付き合いで、一緒に同じ大学・学部へ入ったが、僕がより妹にばかり構うようになった事に対して、いい顔をしていない。
 事情があるとはいえ、ずっと放っているようなものなのだから、そういった態度を取る事は当たり前と言えた。今では大学で会うほかは、メールや電話ぐらいでしか、柚香とは接していなかった。

「……まだ二年前の事引きずってるの? あれは不運な事故だったのよ。徹がそこまで気に病む必要は……」

 二年前の事故。それは沙恵子の病状が悪化する契機ともなった出来事だった。


 僕が高校二年、沙恵子が中学一年の時の話。
 あの頃の僕は、妹の面倒を渋々ながらに見ていた。
 大事な家族の事とはいえ、遊び盛りの僕には、自身の自由な時間を削る事は苦痛に等しかったのだ。
 そんな時に出会ったのが柚香だった。
 暇がない事でストレスを溜め込んでいた僕に、明るく話しかけてくれた。
 そんな彼女といれば気分が紛れたし、柚香のその人を癒す性格に、僕は惹かれた。
 だから、彼女から交際を申し込まれた時は、正に飛び上がらんばかりの嬉しさだった事を覚えている。
 そして、柚香と一緒に過ごす時間が増えるごとに、沙恵子と過ごす時間は減っていき、忘れもしない、その日がやってきた。
 ある休日の日、柚香とデートの約束をしていた僕は、両親が居ない時は沙恵子を一人家に残す事はしないという、自らに定めていたルールを破った。

『お兄ちゃん、今日も出掛けるの?』
『ごめんな。でも、今日は大事な約束があるから……。頼む、お土産は買ってくるからさ』
『でもっ……』
『それじゃあな』

 そうやって僕は、話を強引に押し切って出掛けた。
 そして、日が暮れる頃に帰って来た僕が最初に見たものは、階下で倒れている沙恵子の姿だった。


 本人はその時の事を覚えていないらしい。
 ただ、状況から見て、丁度階段を上り下りしている時に、発作か目まい起こし、そのまま階段を踏み外して……というのが、一番考えうる要因だった。
 幸いにも、怪我は大した事のないものだったが、元々体の弱かった沙恵子は普通の人の倍近くの日数かかって、ようやく傷が完治した。
 しかし、不運な事に、その頃には別の要因で、沙恵子は入院を続けざるを得なくなった。
 持病……心臓病の進行が早まったのだ。

「誰が何と言おうと、あれは沙恵子を一人家に残した僕の責任だよ。だから、僕が責任を取らないといけない」
「そんなの、徹が居たって助けられなかったかもしれないじゃないっ!」
「それでも、だよ」

 柚香は溜息をつくと、もう知らないとでも言わんばかりに一言呟き、後ろを向いてしまった。

「彼女放っておいて、妹ばっか構うなんて、どんだけシスコンなのよっ」
「ごめん……」

 僕はそれだけ言って、その場から逃げるように立ち去った。


 このままの関係でいることが、本当に正しい事なんだろうか……。
 その後の病院までの道すがら、僕の頭の中を占めていたのは先程の柚香とのやり取りだった。
 柚香は、僕の彼女との付き合い方の煮え切らなさに腹を立てている。
 ここは、僕もはっきりと決断をしなければいけない。その方が、柚香の為、僕自身の為にもなる。
 僕は別れる事を決意し、柚香にメールを送った。

『明日、大事な話がある』



「お兄ちゃん?」
「お、おう」

 微睡みかけていた意識が、沙恵子の声によって引き戻される。

「どうしたの? すっごく眠そうだけど」
「今日は中間試験があって、昨日は遅くまでのそれの勉強してからさ……」
「そうなんだ……。そんなに眠たいなら、寝てもいいよ?」

 そう言うと、沙恵子はベッドの上で体をずらし、スペースを空けた。

「悪い、今日はお言葉に甘えさせてもらう……」

 僕は椅子に座ったまま、上半身だけを空いたスペースに預けた。
 そんな僕を見ながら沙恵子は微笑み、いつもとは逆に僕の頭を撫でる。
 シーツから香る沙恵子の匂いと、頭から伝わる手の温もりで、眠気が一層強くなる。
 はは……これはシスコンなんて言われても……反論できないなぁ……。
 そうして僕は、甘美な誘いへと意識を手放した。


「お兄ちゃん起きて、もう時間だよ」
「え……うわっ、もうこんな時間か!」

 沙恵子に起こされてみれば、既に面会時間ぎりぎりになっていた。
 どうやら相当眠ってしまっていたみたいだ。僕は荷物を引っ掴み、病室を後にしようとした。
 しかし、昨日と同じく沙恵子に引き止められる。

「頑張ってね、お兄ちゃん」
「?」

 一体何に対しての頑張ってなのだろうか?
 意図を図りかねた僕は、適当に大学の勉強の事だろうと当たりをつけ、返事をしてから病室を出た。


 翌日。
 結果から言えば、柚香との別れはすんなりと終わった。
 恐らく、昨日のメールから覚悟はしていたのだろう。
 話を切り出す前から柚香は憂い顔で、切り出した後はもっと沈んだ表情になっていた。
 そして、一言こう言った。

『徹が決めたことなら、しょうがない』

 果たして、柚香はどういった心境でこの言葉を述べたのだろうか。
 妹に遠慮してくれたのか、その言葉通りなのか、それとも……。
 何にせよ、問題が一つ解決したにも関わらず、僕の心が晴れることはなかった。
 当然だ。二年もの付き合いが、終わってしまったのだから。
 落ち込んでるの、沙恵子に気付かれなきゃいいんだけど……。
 こんな事があっても、足は自然と病院の方へと向いていた。
 いや、そもそもこの為に別れたのではないのか。
 とにかく、僕は沙恵子に心配をさせたくない一心で、空元気を出し、上機嫌を装って挨拶をした。

「よお、沙恵子。遅れてごめん」
「…………」

 しかし、帰ってくる返事はなく、沙恵子は無表情でこちらを見詰めていた。
 ……もしかして、表情に出してしまっていたのだろうか?
 早速やってしまったのかと、取り繕う言葉を探していると、沙恵子から先に口を開いた。
 その言葉は、僕の予想だにしないものだったが。

「そう……あの女の人とは、別れてくれたんだね」
「…………え?」
「落ち込んでるから、そんな元気なふりをしてるんでしょ?」

 表情に出た、などという話ではない。
 沙恵子の口ぶりは、さも全てを知っていると言わんばかりのものだった。

「いや、ちょっと待ってくれ。そもそも何でお前がそんな事を知って――――」
「携帯電話のメールを見たの。昨日お兄ちゃんが寝ている間に。ううん、今までも、お兄ちゃんがここで寝るときにチェックしてたよ」

 携帯を勝手に見られた事には、怒りなんて欠片も湧かなかった。
 何を思って沙恵子がそんな事をしてきたのか、ただそれだけが、今の僕には疑問だった。

「本当に良かった……。私、不安で不安で……仕方なかったの……」

 沙恵子は目の端に涙を溜め、上気した顔で言う。
 その、僕を見つめる眼差しは、最早兄を見るそれではない。

「お兄ちゃん……私ずっと好きだったの、お兄ちゃんのことが。家族としてじゃなくて……お兄ちゃんのことを……」

 沙恵子はそう言うやいなや、僕の胸に飛び込んできた。
 先程までの動揺が嘘のように引いていく。
 そこには、何故かこの状況を冷静に受け止められている、自分の姿があった。
 胸の中の沙恵子を抱き締める。僕は沙恵子の想いを、受け入れた。



「ただいま」

 空がオレンジ色に染まる頃、僕は自宅へと帰り着いた。家の中から返事は返ってこない。
 鍵がかかっていたし、どうやら両親は出掛けているようだ。
 僕は着替えも済まさず、スーツ姿のまま、妹の部屋へと向かった。
 ドアを開け、何とは無しに中を見回す。
 沙恵子の部屋は中途半端に片付けが進められ、以降はこうして度々僕が訪れる以外はずっと放置されている。
 僕は近くの椅子を手繰り寄せて背もたれ側を前にして座り、最早使う者の居なくなったベッドを眺めながら、思考を巡らせた。
 大学卒業後、僕は無難な会社へと就職した。
 正直、今の無気力な自分がよく就職など出来たものだと、自分でも驚いている。
 僕は、心にぽっかりと穴でも開いてしまったかのように、空虚な日々を送っていた。
 原因は無論、沙恵子のことだ。
 あれから、沙恵子と一緒の時を過ごす中で、僕は色々と話を聞いた。
 沙恵子が入院する契機となったあの事故は、柚香にばかりかまう僕の気を引こうと、沙恵子自ら起こしたことなのらしい。
 それを聞いて僕はぞっとした。
 単に気を引こうというような軽い目的で、何故そんな危ない事をやってのけてしまうのかと。
 もしかすると、自分の命を失う可能性すらあったのかもしれないのだ。
 そう語る沙恵子の表情が非常に無邪気なものだったから、僕は余計にそう思わせられた。
 だが、それだけの事をやっていても、その時はまだ、子供ながらのかまってほしいという程度の思いしか、沙恵子は僕に抱いていなかっと思うのだ。
 問題はその後だろう。
 沙恵子は小さい頃から学校を休みがちだったから、入院してからはなおのこと、接する異性が僕一人に絞られてしまった。
 病院という、ある種の牢獄のような場所で、僕と二人で過ごしていくうちに、その情念を更に大きく歪ませていったのだ。
 あくまで、僕の推察でしかないのだけど……。
 でも、僕はそんな沙恵子の想いを受け入れた。
 それは、沙恵子に余命を幸せに過ごしてほしかったからだ。
 もし告白を断って、その後の関係がぎくしゃくしたものになってしまったら?
 その事を考えれば、とてもじゃないが断ることなど出来なかった。
 沙恵子に内緒で、僕はこの事を両親に話した。
 始めは難色を示していた両親も、僕と接する沙恵子の幸せそうな笑顔を見て、その後は見て見ぬふりを決め込んでくれた。
 両親も、僕と同じ選択をしたのだ。沙恵子に幸せになってほしいという……。
 僕と沙恵子を見守る両親のその顔は、非常に複雑そうなものだった。
 沙恵子の部屋の片づけを僕に命じたのは両親だ。こちらも、色々と慮ってくれたのだと思う。
 あいにくと、片づけは途中で止まったままになってしまっているが……。
 妹の部屋に来る度に、僕はこうして思いあぐねている。
 そして、最終的に行きつく先は、『本当にこれで良かったのか』という自問。
 果たして、これが沙恵子にとって最良の選択だったのか。
 兄妹同士の恋愛が社会的にも倫理的にも認められないことなど、当然僕は分かっている。
 でも、その事について考える度に、沙恵子の最期の笑顔が頭の中に浮かんできてしまうのだ。
 それは、僕の中にこびりついて消えず、僕の思考をがんじがらめに縛っていく。
 一体どこでなにをどうすれば、違う結末を迎えることが出来たのか。
 そんな事、今更考えてもどうしようもないではないかと、思索を放棄させようとしてくる。

「……やめだ」

 結局、結論など出ないままに、いつも通り僕は沙恵子の部屋を後にした。
 いつになったらこの部屋は片付くのだろう。そんなことを、ぼんやりと考えながら。

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