勇者の食事は破滅的
「うん! 上手いじゃないかっ! セラ!」
俺はさっぱりした頭を撫でつつ、散髪してくれた女性に向かって礼を言った。
手鏡の中には、髪を短く切りそろえられたイケメンが映っている。俺だ。
言いすぎた。まあまあイケメンの俺が映っている。
こうして手鏡をいろいろな角度にかざして見ると、なんとも感慨深いものがある。切り落とされた髪の毛の先の方は、俺がまだ「日本」で生活していた頃に短く生えていた髪だ。
苦楽を共にした長い髪が綺麗さっぱり切り落とされ、日本にいた頃の物がすべてなくなってしように思えた。心身ともに生まれ変わった……いや変わってしまったような気がした。
「お粗末ながら……。フジノフ様に御満足していただけて何よりです」
俺の髪を切ってくれた女性――散髪道具を片づけているサラは、かなり異質な姿をしている。
頭頂部から白く長い耳を伸び地肌は短い体毛で覆われ、まるで直立した兎がメイド服を着ているようだ。
彼女は兎の姿をした、獣人と呼ばれる存在である。
「ありがとう。さっぱりしたよ。いやいや、大したもんだよ。人間の髪なんて弄ったことがないんだろ?」
「ええ、まあ……。虎人の……たてがみを手入れしてましたので……。それよりは行くぶん柔らかく……」
「ああ、そうか……。ごめん」
たぶんセラは――彼女は辛い過去を思い出しているのだろう。俺は獣人の表情は読めないので、伺い知る事しかできない。
嫌な思い出を振り払ったのか、セラは人間の俺にもわかるように大げさな笑顔を作って見せてくれた。
「フジノフ様にこうして助けていただいたのですから……。気をお使わせ申し訳ありません」
俺はフジノフじゃなくてフジノな。と、訂正しようとしたが今更だ。
俺の名前は藤野 雄利。ここではユーリ・フジノフと呼ばれている。
発音方法が違うと名前を間違われたりするが、俺の場合はどこから「フ」が出てきたんだろうか?
セラは切った髪の毛が服の間に入らないよう、首から身体の回りに巻いていた布を取り払って払ってくれた。
床に散らばる髪。日本にいたころから伸ばしていた髪だ。バラバラと落ちていく髪が、今まで異世界で苦楽を共にした仲間だと思うと少し寂しかった。
俺は今、異世界にいる。
ここは様々な獣人たちが街をつくり、国を構えて生きる世界だ。
「ああ。これでまた日本もまたさらに遠くになりにけり……か」
ゴミ箱にまとめて捨てられる髪の毛を見送って、俺は栓もない事を呟いて見せた。
「ニホンですか。フジノフ様がいらっしゃった国ですね」
「そうそう。今じゃこっちもなかなかにいい環境だけど、元いた世界じゃ日本もトップクラスにいい国なんだぜ」
ここは異世界の国だが、日本の温暖な気候に似た風土を持っていた。
穏やかな性格の人々たち。清潔感のある町。
平和になってから二年ほど暮らしているが、自然環境や社会生活で不便を感じたことはなかった。
食事は多少不便ではあるが、文句を言っては美味しい食事を作ってくれるセラに申し訳ない。
「すみません。わたしたちのために――」
「ああ、もう帰れないのは残念だけど、この世界も快適だしね。いいんだよ。こっちに来たのは偶発的な事だったし、親切にしてくれて助かったのは右も左も分からない異邦人の俺たちの方さ」
今では生活に困らない程度の資産と地位を得たが、当初はいろいろと大変だった。
俺はこの世界の誰かに召喚され、この世界に来たわけではない。事故のような形でこの世界に放りだされた。
――あれは三年前。
俺と友人は偶発的な事故で、この奇妙な世界に放りだされた。
自然や文化に大きな違いはなかったが、文明と社会形態は信じられないほど異質なものだった。
近代に似た文明には俺と友人も驚かなかったが、社会とそこに暮らす人々に大いに戸惑った。
肉食動物を擬人化したような支配者たちと、草食動物を擬人化したような被支配者たち。
そんな多種多様な獣人たちが、生活する奇妙な世界だった。
表層だけを見たら、ネット社会でいわゆるケモナーと呼ばれる人たちが狂喜乱舞するような世界だ。何しろサラのようにほとんど二足歩行する兎人もいるかと思えば、兎耳だけついたような兎人やその中間の姿をした者もいる。
ケモナーの深度が浅いものから深き者でも満足できる世界だ。
俺には分からないが、彼女みたいな兎人の女性が住み込みでメイドをしてくれるなど、ある趣味の人には堪らないシチュエーションだろう。
彼女たちのような獣人たちばかりで、この世界には俺のようにまっさらな人間の姿をした者をはいない。エルフやドワーフなどといった、ファンタジーで有名な亜人たちもいない。聞いた話ではおとぎ話の中にはいるらしい。その辺は地球と同じである。
ここは今でこそ牧歌的な動物たちの国だが、少し前までなかなかにハードな世界だった。
草食系の獣人たちは労役を課せられ、肉食獣人たちの食糧の役目まで負っていた。
労働力であり、食用にもなる奴隷。それがサラたちの身分だった。
俺と友人はそんな世界で、八面六臂の活躍を見せて肉食獣人だちから草食獣人たちを開放した。
最初に助けたサラは、何かと俺の面倒を見てくれてきた。彼女がいなければ、解放者とはいえこの世界の獣人たちとなじむのは難しかっただろう。
今では町から離れた不便な環境なのに、こうして住み込みのメイドをしてくれている。
彼女は俺が活躍したことによって、少ないくない恩義を感じている。
そのせいで「自分たちのために残ってくれた」と思っているのかもしれない。
「そういえば、伺いましたか? ボースタウンの話」
昔を思い出しながら短い髪の感触を楽しんでいると、床の掃除を終えたサラが訊ねてきた。
「ボースタウン? ああ、あの町かぁ」
俺は牛の姿をした獣人たちを思い出す。ボースタウンも俺が解放した町の一つだ。主に牛人たちが住んでいる乳製品で有名な町である。
動物性たんぱく質の少ないこの世界の料理で、彼らのバターやチーズは大切な栄養と食事の彩りだ。
「なにか行方不明事件があるんだって?」
町のうわさだが、どうにも妙な事件があるらしい。
「ええ……。もう今月に入って三人目とか」
「そうか。前に聞いた時より一人増えたな。……まさか、肉食型の生き残りか?」
つい先日まで、草食型の獣人たちは肉食型の獣人に支配されていた。草食型の獣人は地球の人間と同じような生活をしていながら、不意に肉食型の獣人の腹具合で襲われて食われるという、俺には信じがたい生き方に甘んじてきたのだ。
それを俺と友人の二人でひっくり返した。
よく言えば肉食型獣人の支配体制を打ち破った。
悪く言えば肉食型の獣人を滅ぼした。
もともと数の少なかった肉食獣人だが、生き残りがいないとも限らない。
「なんでしたら、私が調べてきましょうか?」
「いや、悪いよ。本当に肉食型の生き残りなら危険だ」
兎人であるサラは逃げ足こそ速いが、力の弱い草食獣人だ。肉食獣人の前に出すわけにはいかない。
ふむ、と俺はわざとらしく考え込むふりをした。俺が彼女たち獣人の表情が読めないように、彼女たちも俺の表情を読むことが難しい。いつの間にか、こうした大げさな仕草が癖になっていた。
とにかく、まずはふもとの町で情報を集めてくるか。ちょうど武器屋へ研ぎに出した剣が仕上がってるころだろう。取りに行くついでだ。
「よし、セラ。俺はふもとの町に用事があるから、そのついでに情報を集めて見るよ。実際に足を運ぶかは、それから考える」
「そうですか。では夕食の準備をしてお待ちしております」
「じゃあ、出かけてくるよ」
俺は軽くなった頭に帽子をかぶり……軽くなった頭って言うとバカになったみたいだ。
訂正。
俺は寂しくなった頭に帽子……これはなんか頭髪が残念になったようだ。
重ねて訂正。
俺は快適になった頭に帽子をかぶり、ふもとの町へと出かけた。
町まで歩いて小一時間ほど。今の俺が全力で駆ければものの十分ほどでつく距離だが、時計のないこの世界でそんな生活をしても意味はない。
そのうち俺は地球で言う十分とかいう単位も忘れてしまうことだろう。
俺はのんびりと山道を下っていく。
ふもとの町は周辺と繋がる中継地点として、商業で成り立っていて賑わっていた。
この町は草食型の獣人が、雑多に集まり暮らしている。
通りには馬やら牛やら鹿やらなんやらと、姿の違う人たち目まぐるしく行きかっていた。
この町はとっても雑多だ。
豚耳の少年を、ウサギ耳の少女が追いかけていく。羊の老人が反芻しながら、チェスに似た遊戯盤を鹿人の若者と興じている。
みんながみんな、俺に挨拶をしてきてくれる。
勇者様だ、英雄様だと、手を振ってくる子供たち。静かに頭を下げるような礼をする老人たち。
俺はそんな人たちに手短に挨拶をしながら武器店に向かう。
「最近、老若男女の区別がつくようになってきたな」
なれとは恐ろしいく素晴らしいものだ。ここでの生活に不便がなくなってきている。
小腹の空いた俺は、途中で野菜の串焼きを買って食べた。
――物足りない。
もともと、さほど肉は好きじゃなかったし、この強制的なベジタリアンの生活も苦ではない。この世界独自の食材には、どういうわけか豆腐や麩に似た物がある。お陰でタンパク質の摂取にも困らない。
「だけど、露店じゃもっとガツンとしたもの食べたいよなぁ」
独り言を呟きつつ武器店に向かう途中、噴水のある広場に出る。
そこには狼を打ち倒す俺の像が立っていた。
勇者とはいえ、少し気恥ずかしい。
この恥ずかしい勇者像は俺だけではない。二人の勇者が並んで立っている。
俺と――もう一人。トオルの像だ。
もう一人の勇者。トオルはもういない。
* * *
「おい、雄利。こいつを――食ってみないか?」
炎上する砦の一室。炎を背にした少年が、俺に向かって恐ろしいことを言った。
俺より少し背の低い少年……桓本 公は、狼人によって惨殺された豚人の死体を指している。
日本から一緒に異世界へ迷い込み、苦楽を共にして戦った友人。そんなトオルが獣人を食べようと、俺に持ちかけている。
「しょ、正気か? トオルッ!」
「正気も正気。いやお腹が空いてちょっと朦朧気味かな」
「彼らは俺たちの世界でいう動物とは違うんだぞ! それを……食べるだと!?」
「言葉が通じるから、食べるな……て言うの? あのさ……ボクたちはもともとお肉を美味しく食べてた世界の住人だよ。この間だって、キミもいっただろう? 豚の生姜焼き食いたいなーってさ」
彼はそれほど餓えてなどはいない。腹は減ってはいるだろうが、極端な飢餓状態でないはずだ。
単に肉を食いたかった。それはよくわかってる。理解してる。
だが、彼らは人の言葉を話さない動物ではない。人と同じといっていい。ちょっと頭がいいから人間に近いとかそういうエゴ的な判断でもない。
文明と文化と感情と理性を持つ人たちだ。
死体とはいえ、そんな人を指差してトオルは言う。
「豚だよ。おためしで、食ってみようよ。火なら……ほら。そこにある」
「彼は人……だよ」
トオルを怒鳴りつけたかったが、辛うじて抑えた。
「はは……。食欲っていう暴力でキミと喧嘩か。いやぁ食うってのは暴力だよねぇ。なにしろ命を奪って体内に取るわけだから」
トオルは剣を担いで憎たらしく笑う。
「いいじゃないか、食べたって。狼人や虎人たちを虐殺したボクらが今更……。ああ、そっか。せっかく味方した相手を食べたら、ボクたちの功績を評価する人たちがいなくなるか」
「そういう意味じゃないっ!!」
自分でもびっくりするほどの大声で、トオルを怒鳴りつけた。あいつはそんな俺の怒声を浴びても涼しい顔だ。
「そうか……。いいよ。わかった。食べないよ」
「わかってくれたか」
ホッと胸を撫で下ろす。
だが、トオルはその隙をついて豚人の死体の一部を握り、俺から大きく飛び退いた。
「キミの前では食べないよ」
そう言い残し、トオルは燃え盛る炎の向こうへと消えていった。
* * *
アイツとは、そのまま喧嘩別れだ。
トオルの像を見上げて俺は呟く。
「トオル……。今頃どうしているのか……」
「飯を食ってるよ」
独り言に誰かが反応した。俺は咄嗟に低く身構え、その声の主を探し鋭く視線を走らせる。
裏路地に向かう薄暗い入り口。そこに転がる石に腰かけ、強い香りを放つ串焼きを食べるトオルがいた。
「トオル……」
二年前と変わらない姿で、トオルがそこにいた。
懐かしさがこみ上げてくる。彼を見ると日本にいた頃の記憶が溢れてくる。トオルと遊んだ公園や学校の風景が、いくつも脳裏に浮かぶ。
「ッ!? これはっ!」
懐かしいそれらを打ち消す『匂い』を感じ、脳裏から思い出が打ち消されて唾を飲む。
串焼きの香りに刺激されたのか、それともトオルを目の前にして固唾を呑んだのか俺にも分からない。
そんな俺に向けてトオルが串焼きを差し出してきた。
「よう、雄利。食うか? 牛串だよ」
牛串――。
こんがりと焼けた物体が刺さった串は、確かに日本の縁日で見た『それ』に似ていた。この香りにも覚えがある。
「まさか……」
「旨いねぇ、肉は。お前は……食わないんだっけ?」
トオルの幼い顔が笑顔に満ちている。悪意など欠片も見えない。だが、その顔を張り倒したくなるのは何故なのか。
俺は連想する。
彼の持つ串。牛肉と言った。牛人が多く住むボースタウンでの行方不明事件。肉食獣人との決戦で、トオルと袂を分かった理由。
組み合わせれて出た答えに、俺は戦慄する。
牛肉――いや、ボースタウンの住人の犠牲者を片手に、トオルが笑っている。
「おまえが……犯人なのか?」
血が出るほど拳を握りしめ、不敵に笑うトオルに問いかける。
「なにの?」
「ボースタウンだよ! お前が住人を殺して――そんな姿にしたのか!」
「冤罪だよ。ボクは何もしていない」
白々しくトオルがとぼけた。
「じゃあ、その手に持っているのはなんだ!」
俺は思わずトオルに掴みかかり激しく揺さぶる。その最中に彼の手から串焼きが落ちた。
落ちた串焼きにトオルの視線も、俺の視線も奪われる。
「あーあ。勿体ない」
「そ、それを拾うな!」
串焼きを気にしてしまった仕草を隠すため、俺は声を張り上げた。屈もうとしたトオルを引き起こし、力任せに壁へ押し付ける。
――と、彼の身体が壁へとめり込んだ。
「なっ!」
何が起きたんだ?
俺はトオルを掴んだまま身を引き締める。そんな俺をバカにしたように笑い、トオルがわざとらしく肩を竦めて見せた。
「じゃあな、お別れだ。とにかく……ボースタウンでヤったのは俺じゃないよ」
そう言い残し、彼はどこへともなく消えて行く。壁の向こうへ消えたようにも、地面に沈んだようにも見えない。
俺の中へと消えて行くような感覚……。
残された串焼きの肉を見下ろし、俺は唾を飲み込む。
鼻をつく香り……いや臭いを振り払って路地を抜けだした。路上に落ちた串焼き……ボースタウンの誰かの遺体をそのままに。
「剣を……剣がいる!」
ヤツが凶行を重ねる前に、すべてを終わらせなくてはいけない。
武器が必要だ。
必要ならばこの手で、トオルを……。
同郷の俺が止めなくてはいけない!
街の獣人たちの挨拶を無視して預けた剣を受け取るため、混雑する路地を駆け抜ける。獣人たちは俺の剣幕に驚き、道を開けてくれる。
そうして空いた道を走り抜け、武器屋まであっという間にたどり着いた。
勝手知ったるなんとか。
俺は通りに面した店ではなく、裏口から鍛冶部屋に直接飛び込んだ。
「オヤジ! 剣の研ぎは終わったか?」
鍛冶屋のオヤジである豚の獣人が困惑している。
作業の手を止めて俺の形相を見ると、鍛冶屋の豚人は「ひっ……」と怯えた様子を見せた。
いけない。二年前の余計な怒気が出てしまったようだ。
大きく一息つき、俺は改めて鍛冶屋のオヤジに訊ねた。
「すまない。驚かせた。預けた剣は仕上がってるか?」
覇気と怒気を抑えて
「剣? ……剣ですか? フジノフさんからは預かってませんが……。というか、お持ちになられてませんか? ほら、その腰のもの」
「……あれ?」
いつの間にか、俺の腰には剣があった。しっかりと腰に愛剣を履いている。念のため鯉口を切って、刀身を確認した。
活きのいいサンマみたいな刀身が見えた。間違っても竹光などではない。
「トオルさんのは預かってますよ。……残念ながらそれっきりですが」
なぜ?
なぜ、俺は剣を持っていて――。トオルの剣が預けられている?
「……どうして? あ、ああ。俺が預けたのか」
「ええ、そうですよ。フジノフさんが、行方不明になったトオルさんのを持ち込んで――。おや? フジノフさん。どこへ行くんですか? フジノフさん!?」
「ああ……そうだった。そうだったな、トオル」
ふらりと外に出て、誰もいない壁に向かって俺は独白する。
その壁を背にしてトオルが浮かび上がった。
『ボクはキミに殺されてるんだよ。あの時に』
俺の独白に合わせてトオルが口を開く。俺の口に合わせて、トオルが口を開く。トオルの言葉は、俺の独白で、目の前のトオルは……、俺と同じ言葉を……。トオルは、ここにいない?
違和感を感じて口元を拭うと、甘辛いタレが指先に付いた。舐めるとどこか懐かしい味がする。
これは……トオルの食べていた串焼きか?
ちょっと待て――。なんで俺の口元に?
いや、それよりもあの時……。トオルと袂を分かった二年前、俺はいったい何をした?
豚人に手を伸ばしたトオルを――俺は――どうした?
彼は攻撃を躱したか? 受けたか? そもそも気が付いていたのか?
背後から剣を――。
いや違う。
豚人に手を伸ばしたのはトオルじゃない?
背後から斬りかかってきたのは――。
「トオル。俺がお前を……じゃなくて、もしかしてお前が俺を止めようと?」
震える声で問うと、薄らいでいくトオルが笑い返してくれた。
彼の笑顔を見て、やっと俺はすべてを思い出した。
* * *
「よぉっし、完成だぁっ!!」
日も沈み切った夜。自宅の厨房で思わず歓声を上げてしまった。
調理道具を放り出し、俺は夕飯の出来上がりに小躍りで喜んだ。
料理後の後片付けが大変そうだが、どうせ自分の家だ。後で掃除すればいい。気にすることはないさ。
「おおっと!」
厨房脇に寄せて置いたバケツに躓く。
蹴飛ばしたバケツから真っ赤な大ナタが転がり出たが、腹が空いてるので片づけるのが億劫だ。後で片づけよう。
さあ、それよりも夕飯だ。
半日かけてよく煮込んだ鍋は、いい香りを放っている。
よく煮込んだ具材を木のボールに盛り付け、パンとサラダをテーブルに並べる。
椅子に座り、待ちきれないとばかりに煮込み料理に取りつく。
濃く煮上がった具材を掬い上げ、たまらず顔を突き出しスプーンを咥える。口の中で柔らかく弾けるような味がいっぱいに広がった。
「うん! 旨いじゃないかっ! セラ!」
元々は5万字程度の中編を想定した小説でしたが短編で仕上げてみました。