隔離領域
「潜り込めたのは、私たちだけみたいね」
「そのようだな」
堅牢な建物の間に、少しだけ開いた隙間。手を広げれば、両方の壁に触れられるほどの狭さだ。
「薄暗い路地裏か。俺たちに似合っているじゃねえか」
「似合っているのはあんただけよ、トロイ」
「ケッ、お高くとまっても、同じ穴の狢じゃねえか。女スパイさんよ」
「しっ」
口を押さえられたトロイは押し黙る。
「見つかったか?」
「大丈夫……と思う。何、ニヤついてんの!」
「密着されたら、こんな顔にもなるさ」
「やめてよ、そういうの」
名残惜しげに伸びたトロイの手をはたき、女スパイは軽やかに離れた。
「待って」
「ん?」
「出口が塞がれてる!」
わずかに開いていた入口が消えていた。さきほど何かの気配がしたのは、勘違いではなかったのだ。
「あちゃあ、しくじっちまったか」
トロイは頭をぼりぼりと掻いた。
「なに悠長なこと言ってんのよ!」
「隔離されな、こりゃ」
隔離という言葉に、女スパイは力なく膝をついた。
「こうなったら、どうにもならん。年貢の納め時ってやつだ。二人だけの世界ってのも、まんざらじゃねえな」
うそぶいたトロイに、女スパイは返事をする気力を失った。
「しけた面すんな。せっかくの美貌が台無しじゃねえか」
「うるさい!」
振り上げた拳は、トロイの胸板を軽く叩いただけだ。
「どうせ、いつかはこうなったんだ。それが今になっただけだろ。せいぜい、笑って死のうや」
トロイは女を抱き寄せた。彼女は震えていた。
「死にたくない。いやだよ……」
女スパイの頭を抱え込み、トロイは彼女の額にキスをした。思わぬ行為に女スパイは頬を染めた。
「最期の望み」
「なんだそれ?」
「本当はね。あんたのこと、嫌いじゃなかったの」
細い指が腕の筋肉に食い込んだ。もう助からないと覚り、彼女ははじめて素直な気持ちになった。
「違うわね。好き、だった」
肩に手をついた姿勢で、二人は見つめ合う。
「でも、言えなかったの。私は子供を作れないから」
「知っていたよ」
「え?」
「この世界じゃ、子供を作ることが義務だろ? だから、俺はあちこちで女を作った。だけどさ、俺が本当に惚れていたのはお前だ」
「トロイ」
「もう時間のようだ」
二人は不気味な音を聞いた。地響きのような音と振動が伝わってくる。地面と壁が揺れ、お互いの身体も震え出す。
「今度生まれ変わったら――」
男女は抱きしめ合い、そして光に包まれた。
「あれ、なんだこれ。トロイの木馬が検知されたって」
「なんですって! スパイウェアもあるじゃない! あんた、また変なサイト見てたんでしょ!」
「ち、違う、誤解だ」
「いいから、早くウイルスチェックしなさい!」
【留意事項】
・パソコンには必ずウイルス検知ソフトウェアを導入すること。
・ウイルスの定義ファイルは常に最新の状態にすること。
・定期的にスキャンすること。
・いかがわしいサイトにはアクセスせず、知らない宛先からのメールは開かないこと。
※スパイウェアは増殖機能を持ちません。