52.邪神の一日頭取④
バンクオブブリトン周辺の騒動は収束したが、全員が帰ったわけではない。
生活費とかを下ろしたいという人は多少なりともいたのだ。
本日より銀行は通常営業を再開する。
しかし、後片付けがあるので彼らには少し待ってもらう。
革袋をすべて銀行の奥にしまっていく。
一応お立ち台も。
銀行の1階奥には百をゆうに越える革袋が置いてある。
行員が皆集まり、喜び合っていた。
「す、すごいです新頭取!」
マーサが目をキラキラと輝かせている。
「一体どれだけの金を持っているんですか……ってあれ?」
マーサは無神経に革袋の一つをあけた。
中に入っているのはスコットヤード通貨。
ただし、銅貨である。
「こ、これ銅貨ですよ?」
「そうだな」
俺はさも当然といった風に頷く。
「全部金貨、白金貨じゃないんですか?」
「そんなこと一言も言っていない」
マーサは次々と革袋を開けていく。
袋の中身は銀貨と銅貨がほとんどである。
「金貨袋なんて数えるほどしかないじゃないですか!」
なぜかマーサが怒っていた。
俺は不思議に思いながらも説明する。
「そんな大金持ってるわけないだろ」
「全部で4~5000万ポンドといったところですかな。いや、きっちり数えてないのでわかりませんが」
ガレスがのほほんと答える。
「そもそもこの人たち誰ですか」
マーサがガレスを指差す。
たち、というのはアドリゴリを含めてのことだろう。
「俺の部下だ。気にするな」
「気にしないわけにはいかないんですが。いや、それよりもこれはどういうことなんです?」
「何か問題があるのか?」
「色々とあると思いますけど……」
俺が自信満々なので、マーサのほうが自信なさそうになってしまった。
必要なのは安心であって、実際に金があることじゃない。
皆が金を下ろそうとした場合。この金では足りなかったであろう。
ちなみに差し迫った国の返済額にもぜんぜん足りないと思われる。
この数倍、あるいはそれ以上必要であろう。
「作戦がうまくいかず、みんなが下ろそうとしたらどうするつもりだったんです? まさか一か八かのハッタリだったんですか?」
「俺がそんな馬鹿に見えるのか。見てみろ」
俺は銅貨を取り出す。
「完全幻覚」
俺が魔法を唱えると、銅貨は金貨になった。
「すごい、見た目とか手触りとかも完璧に金貨です」
「さっきまでは全部にこの魔法がかかっていた。必要がなくなったから解除した」
「これは永続効果がある魔法ですか?」
「まさか」
俺は首を左右に振る。
そこまで万能ではない。
「じゃあ後日ばれちゃいますよね」
「大丈夫だ。小口の客には本物で払う。それだけなら余裕で払える」
それに大量の銀貨と銅貨を使うだろうということで、金貨を両替しておいた。
「貴族がドッサリ下ろしたら?」
「大口預金者の貴族なら偽金だな」
「それだと――」
「その貴族は偶然にも全員、帰る途中に暴漢に襲われる。金は奪われるから確認不能。ばれることはない。偶然て怖いなー。でも今この町の治安は悪いからなー。ちゃんと警告はしたんだぜ」
俺はマーサのツッコミを遮って説明する。
今ローダンの町の中には覆面をかぶった謎の集団が潜伏している。
彼らに襲われてしまうのだ。
ないとは思うが、万が一見逃したら屋敷を襲撃する。
だが残念ながら彼らの出番はなかった。
さっさと撤収するように連絡しておかねば。
「は、はぁ……」
マーサはついて来れずきょとんとしていた。
「すごいのかすごくないのかよくわからない」
「小娘。これだけ説明してもじゃ……アシュタール様のすごさがわからないというのか」
アドリゴリがイライラして口を挟む。
「まったくです。いやいや申し訳ない。まだ新人なので許してくだされ」
そう述べて頭をかいているのはベン・スプリングフィールド。
元頭取である。
「このすごさがわからないなら銀行員失格だな。いいか、実際に金があったんなら、それはすごい大金持ちだなで終わりだ。金があるなら今回の騒動はワシでも、いやどこの誰にでも解決できるわ」
それはそうだ。
この騒動はブリトンが金融的には脆弱であるという点を突かれたのだから。
「だがこの方は違う。この未曾有の危機を知恵で切り抜けられたのだ。聞けば聞くほど完璧すぎる策だ」
ベンは興奮しながら語る。
「私も銀行家として分かっておりました。解決するには民衆をなだめるしかないのだと。彼らの不安を取り除くしかないのだと。しかしどうやればいいのか皆目見当もつきませんでした。あなたは恐ろしいバンカーですな」
「な、なるほど」
マーサはやっと納得がいったようである。
「それに、スコットヤードの密偵も調査済みでしたね。一体どうやったんですか?」
「奴らは昨日もさりげなくああいう行動を取っていたのだ。だから監視していた」
「ほへー」
こっちには素直に感心するマーサ。
「密偵の件もありましたな。奴らはそれで墓穴を掘った」
「掘らなくても騒動は収束していた。奴らにできたのは早期撤退か破滅かだ。もっとも、スパイ達にあの状況で撤退の判断などできないだろう。仕えた上司が悪かったのさ」
「たしかに。我々はすばらしい頭取を迎えることができて、感動に打ち震えております。今後ともよろしくお願いします」
ベンがマーサの頭を抑えて、二人とも頭を深々と下げた。
「何を言っているんだ。頭取はあなただ」
「えっ? 朝頭取の座をお譲りしたはずですが」
「言ってなかったかな。一日頭取だと。明日からはまたあなたが頭取だ」
ベンはポカーンとしている。
「え。じゃあ、あの1000万という額は?」
「一日頭取の金額にしては法外すぎたな」
「あ、もしかしてあれも魔法で偽装した銅貨でした?」
「さて、どうだろうな。大体あなたも袋をこっちに投げてよこしたではないか」
ゆえに、確認不能である。
俺がそれを指摘すると、ベンは少し照れた。
「あれはその……熱くなってつい」
「そういうのは嫌いじゃないぞ」
俺はベンの肩を叩く。
「今日の件でこの銀行の評判はうなぎのぼり。預金者も殺到するだろう。これから忙しくなるだろうから、がんばってくれ」
そう告げて俺はバンクオブブリトンをあとにしたのであった。