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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

井戸の中の短編集

干し柿

 大柿山おおかきやまと呼ばれる、名前ばかりは立派で柿の木なぞ一本も生えていない山の中。やくざ者の仁助は死にかけていた。
 もう何日食べていないか数えるのも面倒なほどにえており、身体を起こすのもだるくて仕方がないという様子である。汚いふんどしの他に着ている物と言えば、元は着流しだったぼろきれのような布を肩に引っ掛けているに過ぎない。目ばかりがらんらんと輝いていたが、痩せこけた頬は髭に覆われ、幽鬼(ゆうき)(ごと)き姿でごつごつとした石の上に仰向けに寝転んでいる。
 どうにか見つけた小川の水を飲みながら今の今まで生きながらえていたが、それも限界が近づいているのが自分でもわかっていた。あと一晩を越すのは難しいだろう。晩秋ばんしゅうの山中にあって、夜の寒さには、もう耐えられそうもない。
 ふと、滅多に人の通らぬはずの山道に小枝を踏み折る音が聞こえた。
 すわけものの類かと思った仁助は、最後が飢えて死ぬのではなく獣の餌になるというのは、いくら真っ当とは言えない人生を送った自分でもあんまりだ、と元より小さかった呼吸をさらにひそめて様子を窺った。
 すると、近づいてくる足音はどうやら獣ではなく人間のそれらしいとわかる。
「なんだい、柿どころか食べられる果実すら見当たらないじゃないか」
 ぶつぶつと文句を垂れながら歩いてくるのは、しわがれた声をした女だった。誰かに話しかけているのか、いや、会話ではなく一方的に愚痴ぐちをこぼしているにすぎないのだが、とにかく誰かに向けて言葉を続けている。
「大柿山なんて大層たいそうな名前してさ。ほら、そこの枝もちゃんと拾いな」
「うん」
 小さな声が聞こえて、同じくらいに小さな足音が走っていることを倒れている仁助に聞かせてくる。決して元気いっぱいとは言えないが、それでも、若くて命の力を感じる駆け足の音に、仁助はほのかに暖かいものを感じた。同時に、嫉妬しっとも覚えた。
 自分も小さい頃はあのように元気に駆け回っていたような気がする。いつの間にか後ろ暗い素性のやくざ者に落ちはしたが、最初からそうではなかったはずだ。
「枝一本拾うのに、何をもたもたしているんだい。さっさと、ほらそっちのも拾ってきな」
「はい」
 女の声は、厳しい。
 子供は男の子のようだが、叱責されて弱弱しく返事をすると、急いで枝を拾ってから、母親らしき女の下へと駆け戻ったようだ。
 仁助はここに来て、少しばかりこの親子と思しき二人に興味が湧いてきた。どうせ死ぬ身だが、良い見目の女なら目にしておいて地獄の釜の中思い出してやろう、と思ったし、子供が元気に走り回っているなら、それはそれで自分のようになるなと声をかけても良い。
 兎角とかく、死ぬ前に誰かと話したいという気もあった。
 力が萎えていたはずの身体に無理くり気を入れて、仰向けからうつ伏せになった仁助はいずるように小川から離れて、声がする方へと近づいて行った。腹のあたりが妙に痛かったが、今さらその程度のことを気にするものでもない。
 その間にも、親子の会話は聞こえる。
「これじゃあ、山に入ったのも無駄むだ骨折(ほねお)(ぞん)だ。お前、そこらの茂みに入って、何か食べられるものでも捕まえておいで」
 ちょうど、言葉の終わり際で草むらの陰から覗き込んだ仁助に、二人の姿が見えた。
「なんでぇ、骨皮筋衛門ほねかわすじえもんじゃあねぇか」
 思わず仁助が口の中で小さく呟いたほど、女の方はせていた。三十がらみのまだ若い女だが、晩秋の寒さをどうにか耐えられる程度の厚さしかない服を着て、ちらりと見える胸元は洗濯板のように骨が浮いて見えているほどだ。
 憎らし気に子供へ向ける目は黄色く濁っており、意地悪な性格を示すようにへの字にひん曲がった口元からは、草むらへ分け入るのをためらう子供への悪口が出るわ出るわ、口喧嘩も慣れたはずの仁助ですら顔をしかめるほどだ。
「わかった」
「さっさとお行き」
 正気か、と仁助が考えている間に、子供は仁助がいる草むらから十歩ほど離れた場所へと向かって、恐々こわごわと近づいていく。
 五歳くらいだろうか。母親同様に痩せた身体をしているが、それでも肌艶はだつやは段違いにつるつると輝いて見える。
 あるいは仁助が死にかけているからこそ、命の輝きが見えているのかも知れないが、理屈なぞはどうでも良くなっている仁助は、只管ひたすらそれが羨ましくも美しく見えた。
 正直に言えば、最後の最後で女でも襲って自分の人生を仕舞しまいにしようとも思っていたのだが、どうにも子供に比して女がみにくく見えて仕方がない。とくれば、仁助にはもう女が女に見えなかった。単なる骨と皮の、悪口を吐くだけの生き物でしかない。
「早くおし」
「うん」
 うなずき、ゆっくりと草をかき分けていく子供の様子は見ていて痛々しいほどだ。
 蛇や毒虫どくむしがいるかも知れぬ山林へ裸足はだしで行けと抜かす女をにらみつけ、すぐに子供へと憐憫れんびんの目を向ける。忙しく目をギョロギョロとさせていた仁助は、子供が草を踏みつけ、枯葉かれはがしゃきしゃきと砕ける音を耳にしてから、じっくりと女を見ていた。
 仁助は、この親子を可哀想かわいそうだと思っていた。死にかけのやくざ者がそんなことを考えるのは自分でもおかしなことだとわかってはいたが、子供のころから飢えが身近にあった彼にとって、親子が懸命けんめいに食べ物を探す姿は胸に響くものがあった。
 貧しい家に生まれた者は、まず生きるためにそうしなければならないのだ。山や川で採れる物は何よりもご馳走ちそうであったし、町で盗むよりもずっと安全だった。
 もちろん、時には熊や野犬の類に襲われて死ぬ者もいたが、そういう連中は単に運が悪いとしか考えられない。仁助は、できれば今見えた親子がそうならぬことを祈っていた。
 神様か仏様かは判然としないが、この時に仁助は初めて、誰かのために祈った。
 不思議と良い心持ちだった。相変わらず腹は減っているが、子供がもし何かを見つけてもそれを奪おうとは思わない。自分は死に、親子は生きる。そうなるべきだと自然に思えてきた仁助には、今まで知り合いの中で死んでしまった連中が思い出された。
嘉兵衛かへえの兄貴も吾郎ごろの奴も、ろくな奴じゃあなかった。だから碌な死に方をできなかったんだ。そしておれも同じか」
 悪いことをすればひどい目に遭う。今の今まで考えなかったことだが、誰かに言われたそんな言葉を思い出す。結果として合っていた。それを知れたことが妙に嬉しかった。刺されたり縛り首になったりした連中に比べれば、枯葉(かれは)()う山の中で静かに最期が迎えられる自分は、多少腹は減っていたとしても、マシな方だとも思えた。
 ところが、仁助は目の前にいた女の行動を見て、考えを変えることになる。
「行ったね。やれやれ、愚図ぐずなんだから」
 本人がいない間も文句を垂れている女は、右に左にと首を向けると、たもとから茶色く乾いた笹の葉で包んだ何かを取り出した。
 がさがさと包みから取り出したのは干し柿だった。
 柔らかに熟した濃いだいだい色の実に白い糖が浮いた干し柿は、仁助が息を飲むほど甘くうまそうに見えた。かじり付けば柔らかな果肉がぷっつりと歯切はぎれ良く千切ちぎれて、甘い香りと共に豊かな味が広がるだろう。それは仁助にも楽に想像できた。
 ほどなく、女が干し柿に噛り付く。
 隙間のある歯でくちゃくちゃと不器用に口を動かし、ようやく一口分を嚙み千切ったかと思うと、まるで仁助に聞かせるかのようにもちゃもちゃと音を立てて咀嚼そしゃくする。
 どうにも汚らしい音だ。
 仁助は咀嚼音が鼓膜を打つたびに怖気が奔るような苛立いらだちを覚えて、居ても立ってもいられなくなってきた。身体をもぞもぞと動かすと、まだ腹のあたりが痛い。
 ふと腹のあたりを見ると、川原から這ってきた時に着物にでも引っ掛けたか、拳三つ程の大きさがあるごつごつした石が、うつ伏せになっている仁助の腹の下にある。
 どうせ死ぬからと言って余計な痛みを我慢がまんすることも無い、と石を掴む。するとこれが不思議なくらいに手に馴染なじむから妙なものだ。
 顔を上げると、相変わらず女は細い顎を動かして干し柿を食らっている。二口めを頬張ほおばり、甘い匂いをまき散らしながらも、その顔はまるで渋柿でも食っているかのように(しか)(つら)をしていた。
 再び聞こえて来た咀嚼音に、仁助ははらわたが煮えくり返ってきた。子供を危険な処へ追い遣っておいて、どうして自分ばかり腹を満たそうなどと考えられるのか。
 仁助自身、自分が良い奴などとは微塵みじんも考えていないが、飢えた子を放って飯が食えるような外道では無い、と胸を張って言える。
 むしろ幼少期には仲の悪い兄に飯を()(さら)われていた方だ。増々ますます、食い物を探して草むらへ分け入って行った子のことが不憫ふびんに思えてならない。
 仁助の考えはそこで止まり、行動が始まった。
 女と同じくらいにやせ細ってしまっている身体をどうにかこうにか動かして、仁助が草の中から這い出ると、女は驚いた様子で、干し柿を喉に詰まらせむせていた。
「ひぃ、ひぃ」
 髭面ひげづらあかで黒々とした顔もそうだが、らんらんと光る仁助の目は如何にも恐ろしいものであり、女は食べかけの干し柿を放り捨て、腰を抜かして背を向けた。痩せた尻を右に左にと振りながら逃げようとするが、どうにものろまだった。
 油もろくに使わずにまとめたボサボサの丸髷まるまげを目掛けて、仁助は表情も変えずに持っていた石を振り下ろした。二度、三度あたりまでは悲鳴が聞こえたが、五度、六度と殴っているとそれも収まり、うつぶせに倒れた女はぴくりとも動かなくなる。
 女が死んだとわかると、仁助は赤い血がねっとりとはりついた石を放り捨て、そのままふらふらと元の小川の近くへと歩き、水の中に顔を押し込むようにして倒れた。
 ぶくぶくと水面へといくつかの気泡きほうが上がり、水の中に差し入れた手から血が全て洗い流されてしまうよりも早く、仁助は死んでしまった。
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