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短編 恋愛

ひな鳥の恋

作者:守野 伊音



 シェラには可愛いひな鳥がいる。シェラにたいそう懐いていた、それはそれは大切なひな鳥だ。


 朝に弱い母の代わりに米を炊きながら、シェラは食卓の上に便箋を広げて眺める。今日はこれだと色とりどりのシャボン玉が楽しげな便箋に決めた。
 羽ペンの先にインクをつけ、慣れた手つきで文字を綴る。
 手紙の始まりはいつもこう。

 ナルへ。ご飯食べてますか、ちゃんと寝てますか、野菜は残しちゃ駄目だよ。

 拝啓ナル様へ、なんて、形式ばった書き方はしない。何故なら、手紙を書き始めたのは今よりもっと幼い頃からだ。

 一人っ子であるシェラには昔、弟のような子がいた。
 父の遠縁の家族が事故で亡くなり、一人遺された男の子を引き取ったからだ。その子がナルだ。父も母もシェラとナルを分け隔てなく愛し育てた。しかし、突然愛する家族を失って遠く離れた地に連れてこられたナルは、なかなか懐こうとはしなかった。
 一つ年下のナルを、シェラはよく構った。それはもう、手塩にかけた構いようだった。言い方を変えれば酷く鬱陶しかっただろう。一人っ子で、兄弟のいる子が羨ましかったシェラは四つで、お姉さんぶりたかったときに突如として現れた弟が可愛くてならなかったのだ。

 ナル、ナル、ナル。
 家の中でも外でも、シェラがナルを呼ぶ声が途切れたことはなかった。そんなシェラに最初は戸惑っていたナルも、あっという間にシェラに懐いてしまった。家族を亡くしたショックから言葉も話せなかったナルが最初に発した言葉は「シェラ、まって」だったくらいだ。
 ナル、ナルと何をしていても構いたがるシェラに、シェラ、シェラとどこに行くにも後をついていくナル。まるでおや鳥とひな鳥だと大人達は笑った。
 さらさらとした金の髪に、大きな飴玉みたいな緑色の瞳のナルは、女の子みたいだとよくからかわれていた。小さな唇をぎゅっと噛み締めて涙をこらえるナルを救おうと、シェラは幾度もいじめっこに立ち向かった。

『ナルをいじめたらわたしがゆるさないんだから!』

 棒っきれを振り回し、自分よりも大きな男の子の前に何度だって立ちはだかった。その内、棒っきれが箒へと変わり、つっかえ棒に辿りついた時には、まさか自分がガキ大将になっているなんて思いもしなかったのだが。
 弟を守ろうという心構えは否定しない。だが、お前は強くなりすぎだ。そう頭を抱えた両親に、えへんと胸を張ったものである。
 シェラは、七つになってもナルが可愛くて堪らなかったし、ナルは六つになっても「シェラ」「シェラ」と後をついて回った。

 変化は、ある日突然訪れた。
 いつものように「シェラ」「シェラ」と、シェラを探して回るナルの声に呼ばれて、葉っぱまみれの頭でひょこりと顔をのぞかせる。

「おいで、ナル。裏山でひなが孵ったんだよ。見にいこう」

 そう言って手を開けば、ナルはぱっと笑って飛びついてくる。女の子の方が成長がちょっと早いから、年上であることも相まってシェラのほうが身長が大きい。すっぽりとナルを抱きしめて、二人できゃあきゃあ笑って駆け出す。
 しかし、二人は裏山の鳥の巣を見に行くことはなかった。
 納屋から飛び出した二人は、誰かの足にぶつかってころりと転がった。さっそくべそをかいたナルを宥めながら顔を上げたシェラは、弾んだ声を上げる。

「おじさん!」

 そこにいたのは、母の従兄弟であるベンおじさんだった。都で働いているおじさんは忙しく、滅多に故郷に帰ってこない。その代り、偶に帰ってきた時には珍しいおもちゃをたくさん持ってきてくれるし、面白い話をたくさんしてくれるから、シェラは彼が大好きだった。
 そう、この日までは。




「こいつは驚いた……」

 おじさんは髭を撫でながら呆然とした声を上げた。その前では、何かいけないことをしてしまったのかと身を竦ませたナルがいる。周りの大人達から呆然と見つめられたナルは、ぱっと椅子から飛び降りて転がるようにシェラの後ろに隠れた。それでも皆が凝視するもんだから、ついにナルはべそをかき、シェラのスカートの中に隠れてしまった。
 シェラはぷんすかと怒った。

「おじさん達がナルをおどろかせるから、ナルが泣いちゃったじゃない! なによ! 遊びでおこるなんて、おとなげないわよ!」

 ナルがスカートの中で両足にしがみついているから大人しく突っ立っているが、足が自由だったら憤慨して地団太を踏んでいたところだ。
 ぷりぷり怒るシェラに、おじさんは弱ったなとぼやいた。

「違うよ、シェラ。俺達は怒っているんじゃなくて驚いているんだ」

 シェラはきょとんと首を傾げる。
 おじさん達の視線の先には、さっきまでナルとおじさんが遊んでいた盤ゲームがある。黒と白の石で陣地争いする星打ちというゲームで、おじさんのお土産だ。簡単なルールを習って、じゃあ軽く一戦指してみるかと言ったおじさんが白で、六つ置き石をしたナルが黒。
 ナルは、一手一手打つのが凄く遅い。シェラは途中で飽きてしまって他のお土産を眺めていた。気が付いたらナルがシェラのスカートの隠れてしまったのだ。
 盤面を見ると、白と黒が半々に見える。

「どっちが勝ったの?」
「…………ナルが、半目(はんもく)勝ちだ」
「それってすごい?」
「凄いどころじゃないさ……義兄さん、姉さん、この子は天才だぞ」

 それから話は早かった。
 おじさんがナルを引き取って都に連れていくというのだ。父も母もそれはいいと飛び上がって喜んだ。

「この子は人見知りが激しくて、どんな職ならやっていけるだろうとよく話していたんだ」
「正直、まだ幼いから心配ではあるけれど、星打士なら早いうちから勉強したほうがいいに決まっているからね」

 村長さんや村中の人も、めでたいことだと喜んだ。お前にこんな才能があるなんてとお祭りにみたいに村中がぱっと華やかになった。
 子ども達だけが理解できず、当人であるナルは訳も分からず震えてスカートから出てこない。おじさんが屈みこんでナルを呼んでも、スカートの中からぐすぐす泣き声がするだけだ。シェラは仁王立ちで立ちはだかった。

「シェラ、これはきっとナルの為になるんだよ」
「こんな小さな村ではせっかくの才能が埋もれてしまう」
「星打士は軍師の才もあるということなんだ。これだけ強ければお城でだって働ける」

 たくさんの言葉が頭上から降り注ぐ。
 どれだけの視線に見下ろされてもシェラは泣かなかった。鼻息荒く肩を怒らせ、胸を張る。ナルは自分が守るのだと決して譲らぬシェラに、ベンを含む大人全てが弱り切った。べそべそ泣きじゃくるナルを入れたまま立ちはだかるので、ナルを宥め説得するにはまず猪の如く怒り狂ったシェラから攻略しなければならなかったからだ。


 結局、おじはナルを連れていってしまった。最後までぐしゅぐしゅと鼻を啜り、大人達の隙をついてはシェラを探し、「ざびじい、ジェラぁ……」と抱きついてスカートの中に潜り込んでいたナルを、任せてくれと撫でながら。
 あの日以来、シェラはおじが大っ嫌いだ。会いに来ても抱きついてあげないし、おひげしょりしょりもさせてあげない。


 インクが渇いてしまう前に、言葉を綴る。

 ナル、こっちではまた裏山に鳥が巣を作りました。去年の雛が帰ってきたのかもしれません。
 都は温かいと聞きますが、こちらは寒い日があります。風邪を引かないように温かくして、お腹だして寝ちゃ駄目ですよ。
 ナル。忙しいと聞きます。でも、たまには帰ってきてください。もう都の生活には慣れたと思います。でも、都はたくさんの人がいると聞きます。いじめられていませんか。泣いていませんか。泣きべそかいていませんか。
 ナル。私は元気です。
 ナル。ナルも元気だといいなと思います。


 ああ、なんて身のない手紙なのだろう。いつもいつも似たようなことばかり。
 今更形式ばった手紙なんて照れくさくて書けやしない。
 シェラはペンを置き、手紙を眺めた。また一つついた溜息でインクを乾かして、丁寧に折り畳む。
 最初の頃は、ナルはおじに連れられて頻繁に帰ってきた。最初は二週間に一回。次はひと月に一回。手紙はしょっちゅうやり取りしていた。
 それが段々ふた月に一度になり、み月になり、半年になり、一年になり。手紙の返事も少なくなっていく。
 手紙が増えるのはシェラばかり。ナルはいつも一言二言で、元気でやっていることと、こっちは元気かとそればかりだ。でも、最後に「シェラ、またね」と書いてくれる。だからシェラは臆さず手紙を送りつけられる。

 丁寧に便箋を糊付けし、封蝋を垂らす。封蝋に押す印はもうずっと同じ。初めて帰ってきた時にナルがお土産でくれたもの。可愛い小鳥の印だ。今ではもう子どもっぽいけれど、ナルが「これでおてがみちょうだい」と泣きながらくれたものだから今でも大事に使っている。
 ため息をついて暖炉の上に手紙を置くと、何だか外が騒がしい。鶏の羽音が響く。来客だ。

 ストールを羽織って玄関の扉を開けると、シェラは眉を顰めた。朝露に濡れた外套を振っていた来客は、これは参ったと苦笑する。

「そんなに嫌わないでくれよ」
「ナルを連れてきてくれないおじさんなんて大っ嫌いだわ」

 つんっとそっぽを向いたシェラに、ベンは弱り切ったと肩を竦めた。






「お見合い?」

 のそのそ起き出してきた朝に弱い両親は、ぽけっとした顔でベンおじさんを見返した。父はびよんと跳ねた寝癖を撫でつけていた手をぽとりと落とした。その瞬間、寝癖はびよんと復活する。

「そうなんだ。知り合いからいい子はいないかって頼まれて。結構立派な商家の次男坊で、ちょっとのんびりしてるけどいい青年だと思うよ。長男がしっかり者だから、二人でちょうどいい感じに仲良く店を切り盛りしてるし」

 やかんの蓋を何度か開けて湯の温度を調整してお茶を淹れていた母は、あら、いいお話とすぐにうきうきとし始めた。

「この子ったらいつまで経ってもナル、ナルって困っていたの。ねえ、一度会ってみない? とってもいいお話じゃない」

 にこにこしながらベンおじさんに差し出された茶を奪い取り、一気飲みしたシェラに皆は目を丸くした。乱暴に茶器を置き、ぎろりとベンおじさんを睨み付ける。

「ありがとう、おじさん。すっごく余計なお世話だわ!」
「こら!」
「もう、シェラ!」

 父は声を荒げただけだったが、母はシェラの耳をひょいっと摘まみ上げた。

「あなたはもう十六なのよ? 同い年の子達はほとんどお嫁に行ったか、もうお相手が決まってるじゃないの。いつまでもナル、ナルって言っていないで、ちゃんと自分のこと考えなさい!」
「よそはよそ、うちはうちっていつも言ってるくせに、こんな時だけずるいわ!」
「シェラ!」

 摘まみ上げられた手を振り払ったシェラに、母の目がつり上がる。つかつかと暖炉に向かうと、さっき書き上げた手紙を暖炉に放り込んでしまった。白い便箋はあっという間に黒く崩れていく。

「何するの!?」
「いい加減にしなさい! ナルはもうお城で新しい人生を歩んでいるの! 史上最年少の星打士として、王子様の相談役まで立派に務めているのよ! それをこんな小さな村での数年で縛り付けてどうするの! こんな辺境の場所に帰ってくる暇はないし、私達じゃ彼の後ろ盾にだってなってやれやしないのよ。ナルは向こうでお嫁さんを貰って、よい縁を繋いで頂いた方がいいに決まっているわ。そうでしょう? 私達と縁続きになった所で、都では何の役にも立ってやれないのよ」

 諭す声に、だって、と、飛び出しかけた言葉をぐっと飲み込む。これはシェラとナルの秘密なのだ。
 仮令、ナルがもう二年も村に帰ってこないのだとしても。
 黙り込んだシェラに、おじはそっと声をかけた。

「なあ、シェラ。お前達は仲が良かったから寂しいとは思うけど、ナルは城でちゃんと頑張ってるよ。これはまだ極秘なんだけど……王女様との縁談の噂もあるんだ」
「…………え?」

 一瞬、おじが何を言っているのか分からなかった。
 呆然と顔を上げたシェラに、おじは優しい笑顔で頷いた。

「だから、な? シェラもシェラで幸せになろう?」

 世界がぐるぐる回る。
 見慣れた小さな我が家が夢の中のように遠くなった。ぐるぐる回る世界の中心で、泣きじゃくる幼いナルがいる。お別れの前の晩、おんなじベッドの中で抱き合って眠った。泣きながら、ナルは言った。

『ぼく、シェラがいちばんすき。シェラ、ぼくのおよめさんになって。ぼくをいちばんにして』

 ぐしゃぐしゃに泣きながら一生懸命そう言い募るナルの頬にキスをして、シェラは約束した。

『分かったわ。ナルがいちばんよ。ナルが一等だいすき。ナルのおよめさんになってあげる。だから、ナル。あんまり泣いちゃだめよ』

 いっぱい泣くナルを抱きしめてお姉さんぶった。何度も頬に額に瞼にキスをして、一生懸命慰めた。
 だけど、今なら分かる。
 シェラだって泣きたかったんだ。ナルの前でお姉さんぶりたかったけど、本当は、シェラも大声で泣き喚いてしまいたかったんだ。

 分かっている。あんなに小さな頃の約束なんて、あってないようなものだ。ナルだってもう忘れているだろう。あんな幼い口約束を信じて待ち続けるなんておかしい。分かっている。分かっているのだ。シェラだって分かっているのだ。
 ぎりりと噛み締めていた唇をゆっくりと開放する。

「…………分かった」
「シェラ!」

 ぱっと喜んだ三人の顔を順繰りに眺め、シェラは一つだけ条件を出した。一気に曇った顔色は予想していたので怯みはしない。感情をしまいこみ、自分の中でけじめをつけたいのだと言い募るシェラに、三人は渋々許可をくれた。








「シェラ、そっちはもう終わったかい?」
「はい、これで最後です」

 最後のシーツを干し終わり、シェラはまくっていた袖を下ろした。三つ編みにして結い上げていた髪を解いて一つに結び直しながら、視界いっぱいに広がる洗濯物越しに空を見上げる。はためくシーツの隙間から、天にそびえる大きな建物が見えた。
 この中のどこかにナルがいる。そう思うと、恋しさと苦しさがない交ぜになってシェラを掻き乱した。

『一度だけナルに会いたいの。ううん……会えなくてもいい。一目でいいからナルを見て、自分の中でちゃんとさよならしたいの』

 そう言い募るシェラに、渋い顔をしていた三人はこれでちゃんと最後にするんだよと約束して許可をくれた。おじの伝手で城の洗濯婦として雇われたシェラは、十年ぶりくらいにおじに抱きついて礼を言った。おじは涙で目を潤ませながら『俺の所為でお前達を引き離してしまったんじゃないかってずっと思ってたんだ』と言った。それはその通りだと思ったので真顔で頷いておいた。




「みんなお疲れさん。後は遅番に任せよう」

 城は一日中稼働しているから、洗濯婦も早番と遅番に分かれている。遅番になるものは年かさのある女が多く、若い女は早番になることが多い。シェラも例に漏れず早番に配属され、朝からずっと盥とにらめっこしていた。
 仕事仲間と談笑しながら後片付けをしていると、誰かが見て見てと囁いた。顔を上げると、そこじゃないわと教えてくれる。もっと視線を上に上げると、風が吹き抜ける渡り廊下を若い男女の集団が歩いていた。
 遠目でも一目で身なりが良いと分かる。当たり前だ。あの人達はこの国を背負っている王族と、その騎士達。
 そして、王子様と王女様の間で何かを聞き、小さく笑った人は。

「…………ナル」

 この二年でぐっと背が伸びた。丸みを帯びていた頬が薄くなり、鼻が高くなった。変わらないのは光を散らす金髪と、新緑より美しい瞳だけ。声も低くなったのだと思う。けれど、遠すぎて聞こえない。
 度々こうしてナルを見かけた。その度に城に来てよかったと思い知った。
 これが今のお前とナルの距離だよと突きつけられる。

「シェラもナル様派?」

 年の近い同僚がきゃっきゃとはしゃぎながら抱きついてきた。男が揃えば利権の得を選ぶが、女が揃えば好みの男を贔屓するものだ。掃除婦に限らず、掃除婦もメイドもあちこちで、王子様派だの、なんとか騎士派だの、ナル派、だの。
 シェラはにこりと笑った。

「ううん、サム派かな」
「ええ――!? 庭師のお爺ちゃんじゃない!」
「シェラの好みって分かんない……」

 彼女達はナル派らしく、いろいろと力説してくれる。
 今日の星打試合に勝てば、史上初の百連勝を飾るのだそうだ。凄いねと微笑みながら、シェラはきゅうっと痛む胸を握り締めた。そんなこと知らなかった。ナルは全然自分の事を教えてくれなかったのだ。何度手紙を交わしたって、きっと今のナルのことをシェラは一番知らない。一番ナルの事を知っていたはずなのに、今ではこんなに遠いのだ。
 見上げた先では、ナルが立ち止ってどこかを眺めていた。王女様がナルの腕にするりと腕を絡めて何事かを耳打ちする。するとナルは頬を赤くして顔を逸らした。王子様もそんな様子を咎めもしない。
 再び歩き出した集団に騎士の一人が何か書類を渡す。それを開いた王子様は、ナルと顔を寄せて難しい顔で話しながら歩いていく。まるで当たり前のように。ようにも何も、当たり前だ。だってナルは王子様の相談役であり、軍師なのだ。星打士であり、軍師でもある。良き友であり、もう少ししたら義弟になるともっぱらの噂だ。
 小さな子どもの約束を盾にナルを縛り付けるなんて頭がおかしいんじゃないか。ナルだってきっと忘れてる。分かっている。分かっているのだ。シェラの可愛いひな鳥はもういない。シェラをおや鳥と慕った可愛い小鳥は、もういないのだ。
 それでも、好きだった。段々少なくなる手紙、忙しいからと減る来訪。それでも、ずっと。
 約束を確かめられなくなるほど、本当に好きだったのだ。
 会えなくても、手紙に一文添えればいい。『あの約束覚えてる?』でも『あの約束は今でも有効?』でも、なんでもよかったのだ。
 それなのに、そんな一言すら添えられなかった。『え?』って言われたら、『何の事?』って言われたら、『あんな昔のこと、まだ本気にしてたの?』って言われたら、きっと死んでしまいたくなる。
 分かっている。そっちのほうが正しいのだ。あんな昔の、幼い子どもの口約束。そんなこともあったねと笑って思い出にしてしまうべきだったのだ。そうできたはずだ。
 シェラが、ナルを好きでさえなければ。

 ここで働いてもう一か月。充分思い知った。ナルはいつでも誰かと一緒にいて、いつでも何かと忙しそうで、いつでもそれなりに幸せそうだ。辺境の田舎で数年暮らしただけの縁に縋り、いつまでも未練たらしく手紙を送るのも、もうおしまいにしなければならないのだろう。せめて会いに来る気概があったのなら、一文添えるだけの勇気があったのなら、そうする権利もあったかもしれない。けれど、何も出来ずにただ待ち続けただけの自分には、もう縋る権利すらない。
 せめて彼の幸せを祈ろう。邪魔しないように、優しい彼が心痛めることがないように、幸せにならなければ。
 一つに纏めた髪を掴み、苦笑する。

『シェラがぴょんぴょんしてたら、ごきげんなしっぽみたいでかわいい』

 そう言ってナルが好いた髪も切ってしまおう。髪の短い花嫁でも笑って許してくれる人だったら、きっと幸せになれるだろう。



 その晩、シェラは宿舎で手紙を書いた。
 ナルへ、から始まる、いつも通りでありきたりな。

 さよならの手紙を。


 封蝋に印を押し、この小鳥を眺めるのも最後になるのかと溜息で固める。いつものようにそうしてしまって、慌てて首を振る。最後を溜息でしめてどうするのだ。
 彼の幸せを祈るのだから、もっと美しいものでしめなければ。
 シェラは手紙を両手でそっと掲げ、額につけた。

 好きになって、シェラは臆病になった。嫌われるのが怖くなり、疎ましがられるのが怖くなり。その内、彼の口から幸せを聞くことすら怖くなった。
 あなたが好きよ。あなたが一等好きよ。
 そう伝えられなかったくせに。過去の約束に縋って新しい約束も出来なかったくせに、彼の笑顔を喜べなくなった浅ましい自分が嫌いで、どんどん臆病になっていく。

 だからせめて、あなたの幸せを祈ろう。
 もう遠くから祈ることしかできないシェラの可愛いひな鳥に、もうとっくに巣立っていた大切な小鳥の幸せを。空っぽの巣で、何もしないでぴーちくぱーちくと待っていただけのシェラも、そろそろ巣立たなくては。


 ごく限られた職種の人しか行き来していない早朝の道を黙々と歩く。村だとひと月前には既にストールが必要だったけれど、都はまだストール一枚で事足りる。だってここは山間ではない。
 いつも通りの住所を記し、さよならをしたためた手紙をポストに入れる。ここは都だから、きっと彼の元に届くのも早いだろう。もしかしたら今日中に届くのかしらと考えて、少し嬉しかった。あの村にいた頃よりとっても近くにいるんだななんて、馬鹿なことを。
 緊張で冷たくなった手に息を吹きかけて、今日の予定を立てる。仕事が終わったら、婦長に申し出よう。元々短期で雇い入れて貰ったのだ。そろそろ潮時だろう。同僚達には今まで世話になったお礼に何かお菓子を差し入れて、宿舎も片づけなければ。長居するつもりのなかった身だ。荷物は少ないし、すぐに終わるだろう。
 そうすれば、シェラは二度と城には訪れない。商家に嫁ぐのだから都に訪れる機会はあるだろうが、相手の男性は分家として暖簾を貰うらしく少し離れた場所へと店を出すという。だから、ちょうどいい。
 空を見上げても鳥は飛んでいない。
 あの時、ナルと見たかった小鳥達はどんな色だったのだろうと、そんなことが今でも気になっている自分に自嘲する。この期に及んでなんて未練たらしいのだろう。




「最後のシーツ終わったかい?」

 盥を傾けて水を捨てていると、後ろではーいと軽やかな声が上がる。顔を上げたシェラの前でシャボン玉が一つ弾けて、くしゅんとくしゃみが飛び出した。

「はい、今日もお疲れさん。後は遅番に任せようね」

 いつものようにしめた婦長の元に袖を下ろしながら近づいていく。濡れたエプロンを外し、畳みながら声をかける。婦長は首を傾げながらくるりと振り向いた。

「どうしたんだい、シェラ」
「あの、私、暇を頂きたく」

 て、と、そこまで云い切ることはできなかった。
 何やら城が騒がしい。何事かと集まる視線の先を辿る。辿った先には品の良い服を着た集団が子狸の兄弟のように絡まり合っていた。いつもは渡り廊下を見上げていた集団が地上にいる。それだけでどきりとしたのに、騒動の中心で声を張り上げている人を見て、シェラの心臓は止まりかけた。

「放せ! 放せって言ってるだろ! 僕は帰る! 村に帰る!」

 ナルはいつもの控えめな笑顔をかなぐり捨て、後ろから羽交い絞めにしている王子を引きずりながら歩いている。
 儚げな印象のどこにそんな力が合ったのか、他の騎士に腕を肩を掴まれても全て一緒くたに引きずっていた。

「いまお前に帰られると軍議が困る!」

 必死にしがみつく王子の顔に星打定石の本を叩きつけ、ナルは怒鳴った。

「勝手に困れ! シェラが結婚しちゃったら僕がお前を滅ぼすからな!?」
「まあ落ち着け! お前に本気を出されるとやりかねん!」
「大体お前が妙な条件出した所為でこんなことになったんだろうが! 何が若い星打士は後世に残る成績を残せないと所帯を持てないだ! あれ、単にお前が自分の仕事を手伝わせるために帰れないようにしただけだろうが! 僕が手紙書くのも散々邪魔しやがって! お前に妙な書き足しされないように必要最低限しか書けなかったじゃないか! 僕は条件の通り全試合欠席なしで百連勝したぞ! だから帰る! 誰が何と言おうが帰って、シェラに求婚するんだから放せ!」
「妹の恋心を応援してやろうとだな!」
「王女が好きなのはサムだよ、サム!」
「サム!? あの髭爺!? 御令嬢口説くために花を一本拝借したら鎌振り回して地獄の底まで追いかけ回してきたサム!?」
「僕もサムはわりと好き! 少なくともお前よりは百倍な!」

 ぎゃあぎゃあと威厳も何もかもかなぐり捨てた一幕を呆然と見つめる。
 全力で成人男性数人を引きずっていくナルがぐしゃぐしゃに握りしめている便箋には見覚えがある。さよならをしたためて、つい今朝方ポストに出した手紙だ。
 届くのは早いのかしらなんて思っていたのに、あまりに早過ぎるのではないだろうか。届くのも早いし、忙しいナルが手紙を開くのも早い。少なくとも夜寝る前に確認するくらいだと思っていたシェラは呆然と立ち尽くした。
 聞こえてきた情報を整理する。ちょっと書きだして整頓したい。暗算は苦手ではなかったはずなのに、どうにもうまく理解できないのだ。


 周り中がぽかんと見送る集団が洗い場の前を通っていく。どうやら向こうの厩に行きたいようだ。
 シェラは握りしめたエプロンを無意味に畳む。どうしよう。まったく訳が分からない。とりあえず暇を、婦長に暇を。
 混乱を極めたシェラは、別に今じゃなくていい用事を何故か優先してしまった。

「あの婦長、わた、し…………」

 暇を頂きたいんです。
 そう続けようとした言葉はぴたりと止まった。ナルの首がぐるりとこっちを向いたからだ。あれだけ大声で怒鳴り、怒鳴られ、尚且つ大勢に羽交い絞めにされている状態で何故小声にも近い震え声を聞き取れたのか。
 背が伸びたね。声も二年前より低くなったし、何よりこんなに大勢相手ともみくちゃになって泣いていないなんて凄いね。
 そんなことがぐるぐる頭を巡ったシェラは、にこりと微笑んだ。
 そして、くるりと踵を返す。

「あ、シェラ!」

 スカートを翻して全力で逃げだしたシェラの後ろで、凄い音が上がる。まさかと思って振り向けばナルが追ってきていた。王子様は、騎士様達はどうなったの。
 そんな疑問を問う暇もなくナルが追う。当然、シェラは逃げる。ここで満面の笑顔で胸に飛び込んでいけるのなら最初からそうしていた。それこそ、この城に来た初日にだ。

「シェラ、待て、シェラ!」

 どうして逃げているか自分でも分からないシェラには、ごめんとも待たないとも返答の仕様がない。とにかく落ち着きたいのにナルはそんな暇を与えてはくれないらしい。
 見知った顔も見知らぬ顔も、皆一様にぽかんと口を開けて二人を眺めている。衛兵もシェラを止めるどころか呆然と見送る始末だ。シェラはまだしもナルは走りづらそうな星打士の衣装であるにもかかわらず結構な速度である。

「待って、シェラ、待って! お願い、待って! 一等って、一等って言ったじゃないか! 僕が一等好きだって、言ってくれたじゃないか!」
「言ったけど、でも、私達もう大人になっちゃったわ!」
「だから結婚できるんだろ!? それに、約束は昔の事だけど、僕には昨日のことだよ!」
「私にだって昨日のことよ!」

 思わず叫び返したら、背後で息を飲んだ音が聞こえた。

「お願いシェラ、僕と結婚して! 他の人と結婚しちゃいやだ! 結婚するなら僕として!」

 悲痛ともとれる叫び声に、シェラはぐっと唇を噛み締めてぐるりと振り返った。この声を無視できるのなら、そもそも好きになんてならなかった。彼のおや鳥になんてならなかったのだ。
 突然向きを変えたシェラにナルが慌てて足を踏ん張って停止をかける。その顔を思いっきり掴み、覗きこむ。

「ナルが私のこと、まだ一番大好きって言ってくれるなら」

 変わらない緑の瞳が潤んで、ぼろりと大きな雫が零れ落ちた。シェラの頬にも涙が伝う。何よ、泣き虫ナル。
 自分だって泣いているけれど、それは棚上げすることにした。
 ナルはぶつかる勢いでシェラの身体を抱き寄せて、強く抱きしめる。
 ぴよぴよぴよぴよ、シェラの後をついて回ったナル。何かあるとすぐにシェラの背に隠れてしまったナル。恥ずかしがっても怖がってもシェラのスカートに潜ってしまったナル。
 そのナルがシェラを包んでいる。シェラを抱きしめて、泣いている。

「一番も何も、二番なんていないよ……君が好き、君がずっと好き」

 シェラが、大好き。

 耳元でささやく告白がずいぶん涙で湿っていて、シェラは苦笑した。一番大事な部分が変わっていないなんてひどいじゃないか。シェラより背が伸びた。シェラより力が強くなった。シェラより足が早くなった。シェラより声が低くなった。なのに、ナルのままだなんて、ひどいじゃない。
 だって、こんなのじゃ、自分は一体何に怖がっていたか分からなくなってしまうではないか。

「ふ……ふふ、あははははは!」
「シェラ?」

 堪えきれずに声を上げて笑い出したシェラを覗きこみ、ナルは困っている。そんな様でさえ小さな頃から変わらず、笑いが止まらない。おかしいのに、涙が止まらない。笑いながら泣いて、泣いて笑って、シェラはそれらすべてに今まで溜めこんだ痛みを溶かして流し切ってしまった。
 弱り切ったと眉根を下げるナルの手を握り、額をこつりと合わせる。

「ねえ、ナル」
「なぁに?」

 シェラが呼べば全部の意識をこちらに向けてちょこりと小首を傾げる様すら変わらず、シェラはまた一つ噴き出した。

「隠れるのは私のスカートだけにしてね!」
「…………………………君のことだから他意はないと分かっているけれど、それ、とんでもない台詞だからね?」

 今度はシェラが首を傾げる番だった。
 伝わりにくかったかと言い直す。

「私、あなたの巣になりたいの。あなたの帰る場所は私だけがいいなって」
「…………言っとくけど、僕が君のスカートに帰って困るのは君だからね」
「うん?」

 やっぱり今一分からない。
 不思議そうに首を傾げたシェラに深いため息をついたナルは、傾げられた首に合わせて自らの首の角度を変えた。

「つまり」
「ナル?」

 ぐわりと咢が開く。

「僕も君も、もうひな鳥じゃないってことだよ」

 ひなだったはずのナルが、ひなを喰らう側に代わっていただなんて誰も教えてくれなかった。誰か教えてくれたってよかったんじゃないか。そんな文句と一緒に、そういえば自分よりおじさんの結婚相手を探したほうがいいんじゃないかと、そんなどうでもいいことが過っていった頭の中をナルでいっぱいにして、シェラはうっとりと目を閉じた。


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