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世界に一人だけの医者  作者: 香坂 蓮
閑章 闇夜の誇り
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天才とドラ息子の狭間

職場のインフルパニックがようやく収まってきました(^_^;)

 カペッロ家といえば、ラージョンでその名を知らぬ者はおらぬだろう。古くからラージョンに本拠地を構えるこの商家は国内でも5指に入る規模を誇り、伯爵家は勿論のこと王家の者達とも大変懇意にしているもはや名家ともいえる存在である。少なくともこのミルネタ伯爵領でカペッロ家に睨まれた者は商売を行うことは出来ない。下手をすればこの商家の機嫌を損ねることでラストニア王国そのものが傾く可能性がある。それほどの家なのである。

 そんな名家の現当主はどのような者なのか?一言でいえば優秀な人材である。既に確立された通商網を維持しながら取り扱う商品を拡大し堅実に利益を上げる一方で、王家に掛け合い、隣国との貿易を開始するために自ら使者となるような開拓精神をも合わせ持つ。職人を積極的に支援し、数々の発明を世に送り出すこともした。自らの利益のためにえげつない手段を取ることはせず、仮にそのような手段を取ったとしてもそれを表に出すことは決してしない。そんな当主はラージョンの街で多くの尊敬を集めていた。

 そんなカペッロ家現当主には3人の子供がいる。上から男、男、女の順である。

 長男は現在22歳。14の頃から当主である父の手伝いを本格的に任されるようになり、18歳で販路の一部を管理するようになった彼は、自他共に認める次期カペッロ家当主である。父のような開拓精神や冒険心は持たないものの、堅実で顧客に貢献することで自らの家を盛り立て、最終的には社会に貢献しようとする三者共栄の思想を持つ彼は、父の代でさらに躍進したカペッロ家の地盤をもう一度固めなおすという意味でもっとも適した人物であると評されている。

 長女は16歳である。おっとりとした優しい性格の彼女は商売事には向かないと判断した父は、早くから「娘は幸せな家庭に入ってくれれば」と考えていた。もちろん彼女がやりたいと思うことがあるならばそれを応援する心づもりではいるのだが、現状彼女も父の意思の通り、花嫁修業にいそしんでいる。メイドに混じって笑顔で家事全般をこなす娘の姿を見ていると、自分の方針は間違っていなかったのかなと少し安心する父である。

 

 そして今回のお話の主人公、次男である。彼の名前はジャンパオロ・カペッロ。18歳になった彼の職業は、画家であった。幼い頃から絵を描くことが大好きだったジャンと呼ばれる少年が画家という道を歩むこととなったきっかけは、芸術を愛する父の勧めだった。絵を描くことが息子に自分の好きなことをやり通して欲しいという親心と、跡目争いを起こしたくないという当主としての憂いと、もし画家として大成したならば貴族や王族といった“芸術を愛でる人種”相手の商売が一層しやすくなるという下心が入り混じった父の勧めを息子は受け入れ、13歳の時に王都の著名な画家に弟子入り。16歳の時に発表した作品が西部の有力な貴族に絶賛されて以降、新進気鋭の若手画家としての地位を確立することとなった。

 その一方でジャンは自分の立ち位置というものをよく理解していた。“ Artist() wie() God()”などという大層な二つ名までつけられたが、もっともそれは所謂『芸術が分かる者』の間でしか通用していなかったのである。『芸術が分かる者』とはすなわち『芸術を愛でる余裕のある者』、つまりは金持ちということだ。ならばそれ以外の者にとってジャンという人間はどのような存在か?なんのことは無い、ただの金持ちの道楽息子である。素晴しい芸術が人生をより豊かなものにしてくれる、と思えるほどこの世界は芸術に対する理解が進んでいなかったのだ。国内屈指の大商家の家に生まれ、偉大な父と優秀な兄に甘えながら金持ち相手に絵を描いて過ごす怠け者。ジャンは自らがそのように思われていることを理解していた。そのうえで彼はひたすら絵を描いて過ごしていた。努力し続けることしか、自らに貼られたレッテルを剥がすための手段が思いつかなかったのである。

 そんな彼がラージョンに戻ってきたのが17歳の春のこと。その後約一年の間は屋敷を本拠地に人物画から風景画まで様々な絵を描いた。そんな中で彼は、まだ誰も見たことがない光景を描きたい、と強く望み始めた。誰も見たことのない光景を描いた絵とあれば、観たいと思う人はきっと多い。ならば多くの人に観てもらえる、と考えたのである。

 こうして18歳の春、ジャンはミルネタ伯爵領の東部から広域に広がる“森”へと足を踏み入れることとなった。森はエルフの領域である。彼らはその高い知性を誇りにしているので無差別に捕えられ殺されることは無いだろうが、一方で例え殺されることとなったとしてもそれが森の中であるならば王国は原則干渉することは出来ない。それがエルフと人間との約束である。そんな“聖域”を描くことが彼の目的だった。

 とはいえジャンは大商人の息子で、しかも富裕層の間では将来を期待される著名な画家である。馬鹿正直に『森に絵を描きに行きます』などと言うわけにはいけない。そのためジャンは、最も大切な妹にだけは本当の行先を告げ、他の者にはもう一度王都の師匠の元に戻ると言って家を出た。妹は心底心配して引き留めようとしてくれたが、最終的にはジャンの意思を尊重し、「すごい絵を期待してるね」と涙を浮かべた笑顔で応援してくれた。

 見送りを辞退し、一人で街の外に出たジャンはすぐに馴染みの職人と合流、その後連れ立って森へと歩いていった。幼い頃からの友人である職人には、アトリエを作ってもらうようお願いしていたのだ。材料については、森とラージョンとを結ぶ街道を通る行商人から買えば問題ない。木を切ることが出来るのはエルフだけ、これも王国とエルフとの間に結ばれた契約である。その代わりに、エルフはその切った木に耐久性を向上させる魔法をかけて人間に融通しており、この魔法がかかっているか否かが違法に木を切っていないかどうかを判別する基準となっていたりもする。

 結果から言えば木材は簡単に手に入った。ちょうど木材を扱う行商人が森から帰ってくる頃合いを狙って出発しており、しかもその行商人はジャンの家の息のかかった者である。口止めと誤魔化しを駆使することで相場よりもかなり安い値段でなかなかのアトリエが立つくらいの木材を購入出来たのだ。

 材料が手に入れば簡単なアトリエくらいはすぐに建つ。彼の職人はすでに修行を終え、大工として必要な魔法を一通り使うことができたので、1泊の野宿を我慢するだけで翌日の夕方には十分すぎるアトリエが建っていた。場所は森のはずれの何も無い草っぱらである。ここならば森には入っていないのでエルフと揉めることは無いはずだし、そもそもエルフはこんな森の端っこまでは来ないだろう。食糧についても、先の行商人に以後運んでもらう旨の了承を得ており、多少距離はあるものの40分程歩けば川も流れている。こうしてひとまず、ジャンの生活の拠点は整ったのであった。

 彼は絵を描き続けた。外から見た森、たまたま遭遇した魔獣の羊の群れ(クラウドシープという魔獣らしい)、夕焼けに染まる川に流れ。どれも美しく、そしてジャンが見たことのない景色であった。何度か森にも入った。無論、森に腰を据えて絵を描いていればいざと言うときに逃げられない。なので身軽な恰好で森に入り、美しいものを見つければそれを必死で頭に叩き込み、アトリエに戻ってそれをキャンバスに復元するという作業となった。ジャンは楽しかった。ここには彼の作品に過剰に期待を寄せる声も彼を怠け者だと馬鹿にする声も届かないのだから。ただひたすら絵と向き合う生活の中でジャンは、初めて柄絵を描いた日の興奮を思い出せた気がしたのだった。


 そんな充実した素晴しい毎日の中で唯一心に影を落とした出来事がある。それは或る夏の日の、思いがけないエルフの来訪だった。流れるようにさらさらな金髪とサファイアのように輝く淡いブルーの瞳。エルフと揉めることになるのではということへの警戒と、後で絶対に絵に描こうという決心とが入り混じったジャンに対し、そのエルフは礼儀正しく自分の名を名乗り、そしてジャンの作品を見せてくれと申し出てきた。自分が絵描きだということを知っているということは、少なくともこのエルフは自分のことを監視していたのだろう、そう考えたジャンは一層警戒を強めながらも笑顔でそれに応じた。ひとしきり作品を鑑賞したそのエルフは、ジャンの方を振り返ると爽やかな笑顔を見せた。


「素晴しいですね。どれも自然をそのまま切り取ったかのような臨場感がある。しかしその一方で、現実では有りえない絵でしか表せないような雰囲気も醸し出している」

「……光栄です」

「いやぁ良いものが観れた。実は私、エルフの里を出てこれからラージョンの街へと向かうところだったのです。それが森を出ようとした瞬間に貴方が絵を描いているところに出くわしまして。お恥ずかしいことに生まれてこのかた森から出たことがなく、なんと声をかけてよいのか分からずしばらく様子をうかがわせていただいたのですが、どうにも貴方が描いてらっしゃる絵が観たくなりまして意を決して声をかけさせていただいたのです」

「そうだったのですか」

「はい!しかし本当に声をかけてよかったですよ。このような素晴しい絵はエルフの森ではお目にかかれないですから」


 そこまで褒められれば悪い気はしない。ジャンはそのエルフをアトリエの中に招き食事を共にした。互いの身の上話を話し、酒を飲み、絵が完成した時用に置いていた高級干し肉を腹いっぱい食べた。久々の賑やかな食卓はジャンを大いに楽しませてくれたのだった。

 そして翌朝、ジャンはまだ酔いの少し残る身体をなんとか起こしエルフを見送ろうとした。するとエルフが、『一宿一飯の礼にはならないかもしれませんが……』などと言いながら目を瞑り、こちらに手をかざしてきた。そして、再び目を開いたエルフの顔はひどく沈痛なものであった。


「どうした?」

「大変言いづらいのですが……ジャンさんはどうやら“呪い”にかけられたようです」

「……はぁっ!?」


 あまりにも突拍子のない宣告に、思わずジャンは呆気にとられた。


「エルフの中でも一部の者は“呪い”を見ることが出来るのです。念のためにと思ってジャンさんのことを見たのですが……残念ながら間違いなく“呪い”がかけられています」


 悪い冗談にしては表情が沈痛すぎるエルフを前にして、ジャンは対応に困っていた。少なくともジャンは“呪い”というものが存在するとは思ってもいなかったのだ。しかし目の前の森の賢者はさも“呪い”が存在するかのように語っている。


「一応聞いておくが……俺はどうなるんだ?」

「ジャンさんにかけられた“呪い”は、おそらく“麻痺の呪い”です。この“呪い”は徐々に身体を蝕んでいって、身体の自由を奪います。進行すると身体の中にまで麻痺が広がり、食事を摂ることも水を飲むことも難しくなります。最終的には呼吸が出来なくなるか、心臓が麻痺して死に至ることになります」

「……なんとまぁ無残な死に方だな」

「申し訳ありません……今の私では、この“呪い”は解けないのです」

「気にすんな。別にお前さんを信じていないわけじゃないんだがその……どうもその“呪い”とやらが信用できなくてな。だから今の所まったく死ぬ気はないし気にしてないからお前さんも気にすんな」

「そうですか……。いえ、その方がいいですね」


 ジャンの返答を聞き、エルフは寂しそうな顔で微笑んだ。


「あぁっと……一応聞いておくがその“呪い”とやらは……うつったりすんのか?」

「“呪い”が感染するという話は聞いたことがないです。ただ確証はありません」

「そうか……ちなみに俺が死ぬのはどれくらい先なんだ?」

「はっきりとは分かりませんがおそらく2年~5年の間には……。早ければ今年中にも症状が出始めるかもしれません」

「分かった!なら5年間なんの症状も出なかったら俺はその“呪い”とやらに打ち勝ったってことになるわけだな?」

「そうですね。縁があればその時にもう一度確認させて頂きたいです」

「だったら5年後にこのアトリエにもっかい来い。ビンビンな姿を見せてやるからよ」

「分かりました。楽しみにしていますね」


 エルフがその微笑みの下にどのような本心を隠しもっているか、ジャンには解らなかったし解ろうともしなかった。せっかくエルフと友人になれたのだ、別れは爽やかな方が良いに決まっているし、次に会う約束が出来たのだからそれでいいじゃないか。こうしてジャンは、彼の友人となったエルフが自分の故郷へと向かう姿を見送ったのだった。

 その後しばらくは、再び絵を描き続ける毎日だった。エルフから聞いた『森の中でも入っても問題のない領域』の情報のおかげで、以前よりも少し奥の森まで行けるようになった。また食卓に木の実や野草が増えたことも、彼の心を豊かにした。特に身体の不調もなく充実した生活を送る中で、いつしかジャンは“呪い”のことを忘れていたのだった。

 しかしそれは徐々に忍び寄っていた。どうも脚の動きが悪い。歩こうとする際にしばしば脚に違和感を覚えることが出てきた。しかし意識しなければ分からない程度だったので、ジャンはこれを疲れのせいだと思うことにした。また、指先の動きも悪くなっていた。繊細なタッチが要求される場面で指先が震えてしまうのだ。「もしかしたら……」という疑念がジャンの中にも生まれたが、結局彼はこれを秋の寒さのせいにしたのだった。



 その日はいつもと変わらない朝だった。天気は快晴で気温も穏やか。最近の冷え込みから開放されたかのような穏やかな陽気と、前日の夜遅くにまた一つ作品が完成したことも加わって、ジャンは昼前までうとうととしていた。作品が完成した次の日は、なかなか何もする気が起きない。しかしせっかくの良い天気なので、せめて散歩にでも出かけようかとジャンは考えた。


(釣竿でも作って魚釣りってのも悪くねぇな)


 そんなことを考えながらドアを開く。暖かい陽気が入り込み、神々しくも思える森が視界に入る。そこまではジャンの日常だった。しかし視線を下げると、そこには明らかな非日常が存在していたのである。


「うぉっ!?」


 そこにいたのは、『大きな黒い馬』だった。一点の曇りもない純粋な黒は、もはや色彩の芸術であった。少なくとも自分にこの色は出せないとジャンは思う。たっぷりと時間をかけてその深い黒の毛並に感動したジャンは、普通の人がもっとも最初に気づくであろう違和感に気づく。


(ん?よく見たら……上半身が人間っぽいな)


――下半身が馬で上半身が人、しかし顔は馬。これなんだ?

 

 それは子供でも分かる常識であった。


(これが……ケンタウロスか!?……かっけぇ!)


 家の扉を開けると、そこにケンタウロスがいた。

 なんとも素晴しい非日常である。興奮したジャンはその黒いケンタウロスに歩み寄ろうとし……。


「ブルルッ!フン!」


 思いっきり威嚇されることとなった。そしてその行為がジャンに今まで見えなかったものを見せることとなる。


「お前……ケガしてるじゃないか!?」


 威嚇をした瞬間、明らかにケンタウロスの動きには違和感があった。注意して見ると何やら棒が身体に突き刺さっており、かなり血も出ている。


「……すぐに抜いてやるからな!」

「ブヒヒーン!」


 慌てて駆け寄ろうとしたところで、先ほどよりも激しい威圧が飛んでくる。


(……怖がられてんのか?まぁそりゃそうだわな)


 ケンタウロスは警戒心の高い生き物である。ジャンの記憶によれば、彼らは森の奥に群れで暮らしており、そもそも人間の前には姿を現さないはずだ。


(群れからはぐれたうえに大けがしてるんだ。なんとか助けてやりてぇな)


 ジャンは手を大きく横に広げ、ケンタウロスに語り掛ける。


「俺はお前に何もしない。……分かるか?」


 ケンタウロスは知能の高い魔獣のはずだ。言葉は通じないだろうが、何かを感じ取ってくれるかもしれない。静かに、そして優しくジャンは語りかけ続ける。


「俺はお前さんと友達になりたいんだ。そのケガも治してやりたい。俺にお前を助けさせてくれないか?」


 ケンタウロスは、じっとジャンの方を見つめていた。表情から感情を読み取ることは出来なかったが、なんとなく困惑しているようにジャンには思えた。


「お前さんはケンタウロスで俺は人間だ。しかも今日が初対面。そりゃあお互い怖いと思うこともあるだろうよ。でもな?その怖さを乗り越えて初めて友達になれるってもんだろ?俺はお前さんと友達になりたいんだ。お前さんがケンタウロスだろうがなんだろうが関係ねぇよ」


 ケンタウロスはやはりジャンのことを見つめている。ジャンはその目をしっかりと見つめながら、今度はゆっくりとケンタウロスに近づく。威嚇の声が飛んでくることは無かった。


「よろしくな」


 そう言いながら差し出した右手をケンタウロスは不思議そうに見つめ、おずおずとその手に頭を当てたのだった。


加筆・修正を行う可能性があります。

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