08 その資格が、ありません
「それがあるから、かな子さんは成仏できないんでしょ。一人ぼっちで、泣いてきたんでしょ」
山崎は、真剣な眼差しだった。かな子さんが逃げるようにくるりと背を向ける。
「あの、陽ちゃん。私お祭りまだ途中だから、あっち行きたいですぅ」
巧ちゃんもぉ、お腹すいてますよねぇ、と笑いながらふらふらと歩き出す巧の(かな子さんの)腕を山崎が取った。
「ここのどこに埋めたの。今を逃したら、手遅れになってしまうかもしれないから言うんだよ。――教えて」
かな子さんが山崎から身を離す。逃げるように、怯えるように。
「かな子さんっ! もういつ取り壊し工事が始まるかわからない。宝物が壊れちゃうかもしれないんだよ。それでもいいの?」
彼女は目をぎゅっと閉じて唇をかみ締める。肩をすくめ、叱られるのをぐっとこらえる子どものような態度に、山崎がつかんでいた手を放した。かな子さんは、いつも押さえつけられてきた人だ。こうして貝のように周囲と自分を乖離し、嵐が過ぎるのを待ってきたのだ。
山崎は、「あ……」とばつが悪そうに腕を開放した。責めるつもりはないが、かな子さんが怯えているのはわかったのだろう。
「印があるはずやねん。や、印とは言わへんかもしれんけど」
それまで黙っていた巧が、ぼそりと言った。かな子さんを押しのけ、無理やり出てきたのだ。山崎が、巧ぃ、とホッと息をつく。
「ここのどっかにあるはずや。たぶん傷が……幹の皮剥がされた木が。その下にかな子さんは、宝を埋めたんや」
「おっしゃ、わかった!」
山崎が手近な木に飛びついた。巧がそれに続こうとすると、ストップがかかる。
「いい、それぐらいやるから。ライト一つしかないし、だいぶお疲れだろー」
山崎が丹念に木々を調べ始めた。ごつごつした木の幹に触れてペンライトをかざすのだ。四方から眺め、上から下まで光を当て、目印がないかを探していく。うわ、毛虫! 蛾!? うあああ、何かいる、何か! という悲鳴は、どこか楽しそうに聞こえてきた。
山崎の言葉に甘えた巧は、コンクリートのある校舎付近まで下がってへなへなと腰を下ろした。ふう、と息を吐いてまぶたを閉じると、身体が自然と傾いていく。胸が大きく上下していた。噴き出るようなべたつく汗が気持ち悪い。冷たいコンクリートが心地よかった。これで、柔らかくて寝心地がよければ最高なのに。
寝具があるなら、一瞬で眠りの国に旅立てた自信があった。しかし、簡単には巧を休ませてくれないらしい。
『どうして……どうして巧ちゃんが、知ってるんですか。陽ちゃんを止めてくださいっ』
頭の中で、かな子さんが噛み付いてくる。頭痛に響いて、巧は顔をしかめた。
「視えたんや。泣きながら何か埋めてるあんたが」
な、とかな子さんがたじろいだのがわかった。
予想外の反応に、巧ははてなと首をひねる。しばし考えて、
「俺らの会話、聞いてへんかった? かな子さんに憑かれとるからかな、あんたの記憶が時々俺に流れてくるんや。白昼夢みたいな感じで、さっきから何度か。――なぁ、あのときごめんなさいって、だれに謝ってたん?」
かな子さんが警戒を強めている。身体があったなら、身構えてこちらを凝視してそうだ。
『そういう部分は……、わからなかったのですか?』
巧は、自分の視たものが曖昧でぼやけていることを伝えた。かな子さんの記憶すべてを把握できないこと、千切られた断片を元に推測していること。もし、宝物を探すことがかな子さんのタブーに触れるなら、自分たちが代わりに行うことも、巧は言った。
かな子さんは、そうですか……と静かに応じた。
『探さなくていいんですよ……。あれは、もう私には相応しくないものなんです。あなたたちが見つけても何の価値もない……』
すると巧は顔をしかめた。「無理や。聞けへん」と即答する。
『どうしてですか。余計なお節介だと言ってるんです!』
「あんたが泣いとるからな」
巧がへの字に口を結び、むっつり黙り込む。巧では埒が明かないと悟ったのだろう、かな子さんが強引に表へ出てきた。それを巧は察して意識を潜らせた。この辺りの『交代』も慣れてきたものだ。気だるい身体が無理に動く。
「陽ちゃん、放っておいてください! 私はアレを持つ資格なんか、ないんです。もういいんです。探さないで!」
何言ってんだよー、という声が暗がりから届いた。山崎は木々を調べる作業をこなしつつ、
「請け負ったんだから最後までやらせて。これは俺の我侭なんだ」
我侭って、とかな子さんが絶句する。巧は内に潜みながら意識だけで笑った。山崎の反応は予想通りだった。
「巧が言ったでしょー? 傷ついて欲しくないって。今を逃したら絶対後悔するよ。そしたら悪霊にレベルアップしちゃうって。そんなの嫌なんだ。だから、許してよ」
自分たちのためだと二人から断言され、かな子さんは沈黙する。説得を諦めてひざを抱いた。顔を腕の中にうずめていく。
『二人とも……どうして、そんなことを言ってくれるのですか。私に手を貸したっていいことなんてないのに。迷惑ばかりかけているのに』
「そうや。だからあんたは俺ら納得させてくれなあかん。――理由あるんやろ。言うてみぃや。あの箱が何なんか。山崎は見つけてまうで」
この暗がりで、細いライトを頼りに、かな子さんの宝物を。
「どうするんや、かな子さん。いつまで逃げ続けるつもりや。ええ加減開放されてええんちゃうか。……気づいとるんやろ?」
ぴくん、と巧の指が動く。
「後どんだけ時間が残されとるん?」
時間がない、とかな子さんは言っていた。時間がない、と繰り返して。
ずっと校舎が潰されるからだと捉えていた。しかし、気づかざるを得ない。かな子さんがどんどん消えていく事実を。巧の内側にありながら、刻一刻と消えようとしている彼女を。
ここに囚われている理由、津路崎を恨んでいた理由を忘れていた彼女は、もしかしたら本当に未練を失っていたのかもしれなかった。巧たちが引っ掻き回さなければ、自分が誰であったのかさえ思い出せないまま、時間切れで消えていたのでは。
「巧! こっち来て」
のろのろと巧が重い腰をあげると、山崎が「たくみ!」とライトをぶんぶん振り回す。木々の間を光が四方八方に切り裂いて、思わず巧は手をかざした。こっち照らすな、と悪態をつく。
「見つけたんか」
「たぶんね」
どう、と山崎が一本の木を照らし出した。確かに生皮を剥がれた幹が上部にある。予想より上のほうにあったが、あれだとすぐにわかった。かな子さんの記憶では、自分の胸か腰辺りだった。それだけ長い時間が過ぎたのだと、複雑な気分になる。
「でもさ、ちょーっとこれじゃ掘れねぇよな」
ざっざっ、と山崎が地面をつま先で蹴った。しゃがんで手で触れた巧も顔をしかめた。――かたい。やはりシャベルがないと、掘り返せない。
「と思って」
巧は後ろ手に隠し持っていたシャベルを取り出した。山崎が木を探している間に、ふらつきながら用務員室から借用したものだ。用意いいじゃん、と山崎が一本を受け取った。もう一本で巧も土を掘り返す。固い土は予想外に力が必要だった。かな子さんの記憶ではさほど苦労はしなかったのに。
「なぁ、大切なもん見つけんのに資格っているもん?」
いらないよ、と山崎が答える。
「大切だってわかる奴に資格があるんだ。価値のわかんない奴が探したって意味ないよ」
せやな、と巧も頷いた。きっとこの宝物は、再びかな子さんの手に戻ることを願っていた。そのために埋められたのだ。長い時間をかけて、ずいぶん遠回りしてしまったけど。
「だからさ、かな子さん。俺らじゃなくてかな子さんがちゃんと受け止めなきゃ。辛いことも一緒だったけど、それ全部ひっくるめて大切なんだから」
「お前、ええこと言うなぁ」
「たまーにね」
かな子さんが巧の中で拒絶している。それを抑えての作業は辛く、巧はやがてシャベルにもたれかかった。汗が滝のように流れ落ちた。目に入って痛い。少ししか動いてないのに消耗が激しすぎる。
「いいよ、俺が掘る」
平然と山崎が言った。すまん、とへたって巧は力を抜いた。ああ、もう寝てしまいたい。疲労がピークを超えている。節々が悲鳴をあげた。持ってきていたペットボトルの中身は、すでに空だった。食料も底をついている。
がっがっと土を掘る音と、川のせせらぎと、梢の音と、虫の音と。少し蒸し暑いが、このまま眠ってしまえそうだ。
「巧、ちょっと見て。何かに当たった」
ペンライトをかざして山崎がしゃがんでいる。重い身体を引きずるように前進した巧は、内側からの叫びに頭を押さえた。その目から涙がぽたぽたと零れ落ちる。か細いライトの光が、箱を浮かび上がらせたのが、引き金となったのか。
巧? と山崎がこちらを見る。
「何もな……かな子さんが泣いて……その箱」
それだけで伝わったのか。うん、と山崎が慎重に土を掘り返していく。箱を傷つけないよう周囲から掘り返し、土をかき出した。指先が真っ黒になって、汗ばんだ肌にTシャツが張りつく。結構な深さを掘ってそれは姿を現した。
「これだよな」
嬉々として箱を取り出した山崎が、巧へ強引に押し付けた。目をそらして首を振っていた巧は、箱の感触に身体が凍りついた。
「――すけさん」
そんな呟きとともに、優しい記憶がいっせいに押し寄せてくる。気がつけば胸元にかき抱いて、巧はくずおれていた。嗚咽が止まらない。涙が後から後から押し寄せてくる。
「遠くから見つめるだけで、よかったんです。そんな私が、あの人とお話をできた。あまつさえ、私を好きだとあの人は言ってくれたんです。だけど私は……」
小さな幸せ以上を決して望んではいけなかった。
二人一緒の未来を夢に描くことさえ、許されなかった。
あふれる感情に翻弄されながら、巧は今こそ唇を笑みの形に変えた。ほら、あんたがずっと触れたかったもんは、これや。俺の身体貸したるから。
「かな子さん、開けてみなよ。宝物確認してあげなよ」
巧が――かな子さんが――怯える眼差しで仰げば、山崎は「ね?」と微笑んだ。改めて見つめる箱は、手のひらサイズのブリキの箱だった。元は飴か何かが入っていた鮮やかな色の箱だったのに、現実に抱きしめたそれは赤茶けてさび付いていた。
ふたを開けようとすると、耳障りな音が鼓膜を撫でた。手のひらにボロボロと錆がつく。何十年分ここに詰まっているのだろう。半ば壊れるようにして開いた箱の中には、さらに小さな巾着が入っていた。あでやかな布地は着物の端切れだろうか。元は赤い模様の巾着だったのに、虫に食われて穴が開き、茶色く汚れていた。その中にはさらに折りたたまれた封筒がある。
「かな子さん宛の手紙?」
山崎が不思議そうな顔をする。両手で口元を押さえるかな子さんに代わって、山崎がペンライトで照らしながら封筒をつまんだ。
封筒に書かれた宛名は滲んで読み取りにくいが、かな子さん宛てのものだ。裏返して確認した差出人の名前は『津路崎 陽介』とあって、山崎が弾かれたように顔を上げた。封は切られていない。
「これって」
乾いた声で尋ねる山崎に、かな子さんはうつむきながら首を左右に振る。
「かな子さんこれ『若様』じゃないの。ねぇ、どうして手紙読んでないの? かな子さんっ」
「読めません」
「どうして」
「そこに何が書いてあっても、私たちは一緒の未来を歩けません。読む前から、私はあの人の想いを裏切っているんです。その資格が、ありません……」
そうだ。かな子さんは、待つことさえ許されなかった。それを今なお悔いているのだ。だから、かな子さんは想いを過去形では話さない。
しゃがんだ山崎が『かな子』さんを覗き込んだ。