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静御前

作者: 遠堂瑠璃

 心など、疾うに捨てました。貴方を無くしたこの現世(うつつよ)に、心などもう必要ございませぬ。

                                           

 娘は閉ざした目蓋を、そっと開いた。はらはらと風に散ってゆく、薄紅の花弁が見えた。微かな息を洩らし、物憂げに佇む。手にした扇に風の重みを感じ、気怠く視線を下ろした。目の覚めるような、緋色の袴が見えた。娘の心とは裏腹に、鮮やかに咲き誇るように映えている。遠く視線を移す。澄まし顔でそこに座すは、あの人の敵。

 

 (私からかけがえのないものばかり奪い、これ以上まだ何を求めるのか)


 この現身(うつせみ)は、酷く空虚で儚い。


 娘は、空を仰ぎ見た。重い雲間から覗く天に、在りし日の彼の人の貴い姿を映し描いてみる。只一人、貴方を奪った敵陣の中で。

 水干の上に、花弁が散った。風が、烏帽子の下の黒髪を撫でた。娘の白い頬に、春の風が触れる。彼の日の、貴い指先を想う。

 灰色の雲が、天の岩戸のように重厚に空を動いていく。


 嗚呼、天照大神よ……。


 意にそぐわず人目に晒された娘の姿を照らしながら、雲間に光が満ちていく。

 

 そして、雨。

 霧のような微かな雨。

 柔らかな陽射しを纏い、天より舞い降りる。

 それはまるで、光の剣のように鋭く娘の頭上に降り注いだ。湿気を帯びた風が、娘の耳元を掠める。虚ろに揺れていた娘の眼が、はっきりと見開かれた。



 (こえ)……。

                                            吹きゆく風の中に、確かに聞いた。忘れえぬ、貴方の聲。

                    


 静……。

                                            嗚呼、其処に居られたのですね。

                              

 娘の口元が、穏やかに綻んだ。扇を持たぬもう一方の手で、慈しむように水干の下の腹を撫でる。両の眼に、得も云われぬ憂いを秘めて。俄に娘は、強い光を纏い、しかと前を見据えた。



 今一度、この私を見ていて下さいませ。貴方のお傍に参る前の、私の最後の舞い姿を。そして、再び相見えましょう。



 娘は紅の唇から、温い(ぬるい)空気を吸い込んだ。たゆたうように、扇を手にした腕を揺らし上げる。眼の先には、貴い人の敵。



 私を殺したければ、殺すがよい。あの方のお命を奪い去った、そなたの思い通りにはなりませぬぞ。 


 緩やかな笑みを浮かべた口元が、鈴の音と共に開かれた。



 しずや、しず……。                       ❬終劇❭

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― 新着の感想 ―
[良い点] 抒情詩のように美しい物語だと思いました。濃やかな、静御前の心持ちがよく表現されていました。烏帽子や袴や扇の端々にまで、彼女の情が籠っているのですね。最後、有名な義経を恋う歌を、全て聴きたい…
[良い点]  本作は静御前の優しさと強さ、そして最後は切なさでしめる……良くできていると素人ながらに思います。数々の伝承――武勇伝みたいなものが多いですが、中にはこんな乙女な部分があったと書かれていた…
2017/05/09 04:22 退会済み
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