SECT.4 パーティ
しかしながらそれからの生活が何か変わったかと聞かれれば、そうでもない。でも、あの酒場には何となくもう近寄れなかった。また迷惑をかけてしまいそうだったからだ。
何より、あの紫の瞳を見ていると自分の中がひどく乱されて――怖かった。
酒場のバイトのリッドはたまに街で見かけることがあり、そのうちに仲良くなった。
人懐こく明るいリッドと一緒にいると楽しい。
その日も昼に中央広場で待ち合わせして、バイトの時間まで一緒にいるつもりだった。
遠くから茶髪の青年を見つけて手を振ると、彼も手を振り返してきた。フード付きの半そで短衣と7分丈のパンツ姿だった。ところが何と半袖の裾からのびる上腕から手の甲にかけて黒々とした刺青が入っている。これまでずっと袖のある服を着ているところしか見たことがなかったから驚いた。
愛らしい子犬のような笑顔と不似合いな仰々しい炎を模した紋様だ。そしてよく見れば茶髪に見え隠れしている耳にはいくつもピアスの跡があった。
あれ、なんだかちょっとイメージと違う。
その感情が伝わったのか、リッドは困ったように笑った。八重歯が見え隠れしている。
「やっぱりちょっと……怖いかな?」
左腕の刺青を隠すように撫でながらリッドが問う。
「ううん、ちょっとびっくりしただけだよ。かっこいいね、それ」
「……ありがと」
リッドは肩をすくめるようにして笑った。
嬉しそうな悲しそうなそんな複雑な表情だった。
いつしか街では噂になっていたようで、二人でアイスを食べながら街を歩いていると、ジェシカさんがニヤニヤしながら呼び止めた。
「知らないうちにずいぶん仲良くなってるね、二人とも」
「グレイスが馴れ馴れしいからだよ……年いくつ?」
「ん、たぶん20歳」
「えっ、オレより上じゃん?! せいぜい17くらいかと思ってたのに」
20と17はそれほど変わらないんじゃ……と思いながらも一応聞く。
「リッドはいくつ?」
「オレは今度の誕生日で19になるよ」
「へへ、んじゃ弟だ」
ぽんぽん、と少し高い位置にある茶髪を撫でると、リッドは唇を尖らせた。
「本当に20歳? 嘘ついてない? どう見てもオレより子供に見えるよ?」
「リッドに言われたくないな」
「私にしたら二人とも似たようなもんだよ」
ジェシカさんは呆れたように言い放った。
「それよりジェシカさん、フィオナさん知りませんか? 最近店で見ないんですけど」
「ああ、フィオナなら数日前から体調崩して休んでるよ。毎晩のようにあの店で飲んでるんだから、そりゃ体も悪くするさ」
「大丈夫なのかな?」
「ああ、少し休めばいいと思うけれど……」
彼女はそこで少し躊躇った。
ダイアナさんが不安そうな表情で首をかしげる。
「どうかされたんですか?」
「あの店、ウォルジェンガさんの店に通い過ぎて体調を崩す女の子たちが増えてるのよ。常連さんは特に気をつけてあげたほうがいいわよ、リッド君」
「分かりました。ありがとうございます」
リッドははきはきと返事をした。
「ほら、トマトやるから途中で食べてきな」
ジェシカさんは最後にトマトを二つ放った。
「ありがとう!」
二人で手を振って通りを駆けて行った。
リッドといるととても楽だった。何も考えなくて済むから。過去のことも――あの紫の瞳をもつヒトのことも。
街の中央を流れる用水路の縁に腰かけて、ジェシカさんにもらったトマトをかじっていた。
その間も左腕の刺青が気になってしょうがない。
「ね、その刺青見てもいい?」
「いいけど……見て楽しいもんじゃないよ?」
リッドは左腕を差し出した。
漆黒の細かい紋様が彫り込まれていた。炎の揺らめき一筋一筋まで鮮明なそれは、今にも燃え上がりそうなほどに精巧な細工だった。
「昔ちょっと荒れてた時期があって。反抗期ってやつだね。家族の反対を押し切って戦争にも行ったよ……負けちゃったけどね。あのグライアル合戦を経ても命があっただけでもよかった」
リッドは笑った。いつものように――しかしその中には悲しみが混じっていた。
「でも一緒に行った弟は……」
言葉はそこで途切れた。もちろん先を言わなくても分かる。
思いがけぬ彼の過去に言葉を失ってしまった。
「だからオレだけでも孝行しようと思ってさ、のこのこ一人で帰ってきたわけ」
「……ごめんね」
聞いてしまって。思い出させてしまって。
口を噤んで俯くと、リッドの指が頬にぷに、と当たった。
「大丈夫だよ、気にないで。グレイスはそんな顔似合わないよ」
はっと隣を見ると、いつものように明るいリッドの笑顔。
「笑って、グレイス。オレは君に笑っていて欲しいんだ」
「リッド……」
そして、ふわりと温かな感触に包まれた。
「ありがとう、グレイス。心配してくれて」
気づけばリッドの手が背に回っていて、自分の額はリッドの肩に当たっていた。
「ちょっとっ……リッド!」
「暴れないでよ。嫌がられるといくらオレでも傷つくんだけど?」
耳元で静かに呟いたリッドの声はどこかいつもより大人びていて、どきりとした。細いと思っていた腕も、思ったよりずっと力強かった。
何だか急に恥ずかしくなって、腕の中でずっと硬直していた。
その晩はリッドのことが気になってあんまり眠れなかった。
眠い目をこすりながら裏口から出て、井戸のところで顔を洗う。降り注ぐ太陽の光が眩しい。隣ではクラウドさんの剣術道場の骨組みが完全に出来上がっていた。完成は目の前だろう。響くトンカチの音が今では心地よく感じるようになっていた。
作業準備だろうか、太陽のもとで目立つ金髪を揺らして動き回っているクラウドさんの姿を目を細めて見ているとダイアナさんがやってきた。
「おはよう、グレイス。よく眠れたかしら?」
「うん、もちろん!」
ダイアナさんはよかったわ、と微笑んでからある提案を持ち出した。
「あのね、お隣さん、ウォルジェンガさんね、すごく疲れているみたいなの。だから今日は……」
昼食が済んでから二人で夕飯のために買い物に出た。
「リッド君と中央広場で待ち合わせよ」
「あ、リッドも来るんだ」
昨日のことを思い出してほんの少し微妙な気持ちになった。
顔が赤くなってやしないだろうか。
「どうしたの? 嬉しくない? リッド君とは仲良しだと思ったのに」
「ううん、すっごく楽しみだ! パーティなんて初めてだよ!」
ダイアナさんの提案は、みんなで『これからよろしく』を兼ねてパーティをしよう、というものだった。すでにバイトのリッドも巻き込んであって、店はお休みにしてもらったらしい。
場所は……なんとウォルジェンガさんの家だ。眠っているうちに勝手に入り込んで準備しようという何とも無謀かつ大胆な計画だった。
久しぶりにあのヒトに会える。
嬉しいような怖いような、そんな複雑な気分だった。
「あ、ダイアナさーん! グレイス!」
中央広場にはリッドが待っていた。
いつもと変わらない様子にほっとする。
「じゃあお買い物に行きましょう。何が食べたいかしら?」
ダイアナさんの問いに間髪入れず答える。
「ケーキ! ダイアナさんのチョコケーキがいいな」
「分かったわ。帰ったらすぐに焼きましょう。リッド君は?」
「オレ甘いものはちょっと……あ、グラタン食べたいなあ。トマトソースのやつ!」
「じゃあ途中で挽肉も買いましょう。他にもあるかしら?」
「桃! わたし桃大好き!」
「オレ桃より梨が食べたい」
「梨は季節外れじゃん」
「桃だって大概だろ!」
リッドと言い合っていると、ダイアナさんがくすくすと笑う。
「そうしてると本物の兄弟みたいよ?」
「リッドの方が弟だからな!」
「たった1年早く生まれたからって……」
リッドが唇を尖らせる。
その様子を見てダイアナさんはくすくすと笑った。
「さあ、早くしないとウォルジェンガが起きてしまうわよ?」
「はあい」
二人同時に返事してしまって、目をぱちくりさせて顔を見合わせた。 |