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FRAUD CALM -head-
作:早村友裕



SECT.2 リディアルド=ピーシス


 隣に住むウォルジェンガ=ロータスという男性の家を訪れたその日の晩、ダイアナさんとクラウドさんの3人で彼が営むという酒場に向かった。
 噂には聞いた事がある。
 つい最近飲み屋街に出来た新しい酒場は、店主が見目麗しい男性だったため街中の女性たちを虜にしているらしい。一ヶ月ほど前に越してきたクラウドさんと人気を二分しているとの事だった……あくまで噂だが。
 自分たちの家がある街外れからはほんの少し歩けば飲み屋街に到着する。
 客引きの女性たちがクラウドさんに声を掛けてくるが、彼は穏やかな笑みですべてかわしていった。隣にいる奥さんのダイアナさんもその女性たちを遠ざけるのに一役買っているだろう。月明かりの元で見る彼女は燐光を帯びるように美しい。淡い水色のワンピースに身を包み、ベージュのケープを羽織ったダイアナさんは、静かな初夏の夜に舞い降りた悪魔のようにヒトから離れた麗を保っていた。
 薄暗い通りに並ぶ店の窓から賑やかな声と橙色の光が漏れている。暑くはない、かといって肌寒いわけではない快適な気候だ。
「ウォルジェンガ=ロータスと言っていたね。どんな人だったのかな?」
 昼間ずっと丸太小屋を組む作業をした時のまま、作業用ズボンとゆるいノースリーブを着たクラウドさんが問う。それでも彼の魅力は全く失われないし、それどころか意外なほど鍛え上げられた腕が露になっているのでは余計に人目を惹くのではないかと思う。
 間髪いれずに答えた。
「すごく意地悪なヒトだったよ。夜中に叩き起こすって言うしさ!」
 そう言って頬を膨らますと、クラウドさんは困ったように笑った。
「ええと、状況がよく分からないんだけれど……どうしてそんな事に?」
「お仕事が遅かったのに起こしてしまったから怒ってしまったの。寝ていたところを起こされて不機嫌だったのね……それにしたって意地っ張りなんだから」
 ダイアナさんの口調に、引っかかるところがあった。
「あのヒトと……ウォルジェンガさんと知り合いだったの?」
 意地っ張りなんだから――幼馴染にでも向けるような親しげな口調だった。何故か心のうちがざわめく。
 ダイアナさんは微笑んで首を横に振った。
「いいえ、初めてよ。グレイス、貴方と同じ」
「そう?」
「それを言うなら貴方こそ、まるで彼に会いたくて会いたくて仕方がなかったように見えたわよ?」
「……」
 そうなのだ。
 あの紫の瞳を見た途端、胸のうちで大きく何かが悲鳴を上げたのだ。ずっとずっと捜し求めていたヒトにようやくめぐり合えた感覚。
 何故だろう。初めて会ったはずなのに、自分でも理解できない感情が溢れて止まらなくなり、こらえきれずに涙が零れた。
「わかんないけど、あのヒトを見てたらすごく悲しい事思い出しそうな気がするんだ」
 もしかすると記憶が曖昧な戦争の間にどこかで見かけたのかもしれない。まったく覚えていないが悲惨な目にあったときの記憶と関係あるのかもしれなかった。
「そうか」
 クラウドさんは優しい翡翠ジェイドの瞳で見下ろして、ぽん、と頭に手を置いてくれた。
「悲しい事なら思い出さなくてもいい。忘れる、というのは一種の自己防衛だからね、わざわざ思い出して君が傷つくことはない」
「そうよ、グレイス。あなたはこれからを幸せに生きるの。それが一番大切なのよ?」
 この夫婦はとても優しい。
 自分とそんなに年は変わらないはずなのに、まるで父親と母親に対するような安心を感じていた。初めて会った時からずっと、守られている事をひしひしと感じる。
 もしかすると、このヒトたちとも戦争中に会っているのかも知れない。
 だってダイアナさんは初対面で泣きそうな顔をしていたのだから。自分があの男性に初めて会った時そうだったように。
 全く覚えていないけれど、もしかすると――
 ふとクラウドさんを見上げると、彼はにこりと微笑んだ。
「ほら、着いたよ。ここが彼の店だ」
 目の前に、笑い声と明るい光が漏れる店が佇んでいた。

 薄暗くて全景はよく分からないが、上の階もあるだろう、宿も併設しているのかも知れない。
 クラウドさんが薄い板の扉を開けると、女性たちのけたたましい笑い声が耳に突き刺さった。同時に酒場独特の湿っぽく生暖かい空気が湧き出してくる。
 そして、次の瞬間には悲鳴のような歓声が沸きあがった。それがクラウドさんの登場によるものだというのはすぐに分かる。
 店の中から幾つもの手が伸びてきてクラウドさんを店の中に引きずり込んだ。
「あらあら」
 たちまち幾人もの女性に取り囲まれてしまった夫を見て、ダイアナさんはころころと笑う。
 幾つもの明かりで照らし出された店内は、表から想像したよりずっと狭かった――もしかするとそれは店内にひしめく女性客のせいかもしれないが。
 10脚ほどあるカウンターは満席。さらに椅子に座らず立っている女性も合わせれば20人ほどが狭そうに肩を並べている。それだけでなく3つほどあるテーブル席もヒトであふれていた。
 そのうち中央のいちばん大きなテーブルにクラウドさんが埋もれるように座っていた。かすかにその笑顔が引きつっているのは気のせいではないだろう。それでも微笑みを崩さないのは天晴れと言うべきだ。
 隣のダイアナさんと顔を見合わせてから恐る恐る店内に足を踏み入れた。
 香水の匂いとお酒の匂いが立ち込める。一瞬足を止めたが、ダイアナさんに続いてゆっくりと足を進める。
 すると、この喧騒の中でもひときわ響く素っ頓狂な壮年女性の声が響いた。
「あら、グレイス。それに……ダイアナさん、だったかしら? あなたたちも来たのね!」
「ジェシカさん。こんばんは!」
 知った顔を見てほっとする。
 左奥のテーブルからグラスを持ったまま立ち上がったのは、既に常連となった八百屋を切り盛りするジェシカさんだ。すでに学校を卒業した15歳の娘がいるのだがまだまだ若い頃の元気は衰えていない。
 この酒場の噂もジェシカさんに聞いたのだった。
「二人とも初めてでしょう? こっちいらっしゃい」
「ありがとう」
 店の左手、いちばん端に二人で何とかスペースを見つけて腰掛けた。
 お手伝いらしい年若い青年が注文をとり、すぐカウンターの向こうに戻っていった。女性たちの
後ろ頭の間からあのヒトの黒髪が見え隠れしていた。


 目の前にグラスを置いてくれた青年ににこりと笑ってお礼を言うと、茶髪の青年も微笑み返してくれた。八重歯がのぞくのが愛らしく、くりくりとした大きな目も幼い感じがする。たくさんの客がごった返す店内を忙しく歩き回っているせいでかすかに頬が上気していた。
「あの子もかわいいわよね。リッドくん。お客が増えてきたから店長が雇ったらしいのよ」
「ふうん」
 それでますます女性客が増える事になったわけか。
 カウンターに群がっているのは主に自分と同じか少し年上、ちょうどダイアナさんくらいの若い女性たち。テーブル席にはジェシカさんのように40を過ぎた女性も多く見られる。
「そのさ、店長さんてどんなヒトなの?」
「それがね、ほとんど謎なのよ」
 ジェシカさんはほんの少しだけ声を潜めた。
「出身は王都ユダの城下町らしいのだけど、親類縁者が一人もいないの。今住んでる家だっていつの間にか建っていて、いつの間にか引っ越してきていたのよ……ああ、その点ではグレイス、貴方と一緒ね」
「わたし?」
「だって、あなたの家、知らないうちにできてたのよ? ここの店長さんと一緒。半年くらい前かしら? 突然二つの家が出来ていたときは、街でちょっとした噂になったのよ?」
「……?!」
 思わず眉を寄せた。
 そんなはずはない。
 だって自分は、親戚が昔住んでいた家に移り住んできたはずなのだ。その家が半年前に突然出来たなんておかしい。
「てっきりグレイスはここの店長さんと知り合いなんだと思ってたわ。だっておんなじ形の家が二つ、おんなじ時期に現れたのよ? 誰だって知り合いだと思うじゃない」
「あ、いや、わたしは……知らないよ。あのヒトとは、初めて会ったんだ」
 どういうことだろう?
 あの長身の男性と自分の間に、どんな関係があるのだろう?
 それ以上考えるのが怖くて、逃げるように目の前のグラスを手に取る。クラウドさんの瞳のように淡いグリーンの透き通った液体を少し口に含んだ。
 すっとするミントの香りが喉を通り過ぎていく。
 ごくりと喉を鳴らすと、最後に甘みとアルコール独特の匂いが鼻の奥に残った。
 お酒を飲むのはこの街に着てから初めてだったが、この美しいグリーンのカクテルは一口目で気に入った。
 そのままこくりこくりと喉を鳴らすと、グラスの中はすぐ空になった。
「美味しい?」
 気がつくと背後に先ほどのバイト青年が立っていた。
 子犬のような目が嬉しそうに微笑わらっている。除いた八重歯に、何故かどきりとした。
「それはエメラルドクーラーって言うんだ。ミントのカクテルだよ」
「えと、リッド、さん?」
「リッドでいいよ。リディアルド=ピーシス。ええと、君は店長の隣の家の人だよね」
「うん。グレイシャー=グリフィス。みんなはグレイスって呼ぶよー」
 あれ、おかしいな。
 話しているうちに目の前の景色がぼやけてきた。
 頭がぐらぐらして周囲の喧騒が遠ざかっていく。
 ダイアナさんが叫んだのを最後に、意識が深いところへと沈み込んでいった。







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