SECT.21 忘却の街
さよならなんてしたくなかったよ。
本当はこの手で、守り抜いてあげたかったよ。
でも――
残酷で美しい世界は、今日もまた鮮やかな色を見せていた。
まるであの始まりの日の朝のように。
「……ラック」
「なあに?」
バリトンに振り向くと、いつものように無表情の彼が立っていた。
「一度、カトランジェへ行かないか。そこに……ねえさんが、眠っているらしい」
「……え?」
一瞬分からなかった。
「あの時、戦争の混乱で遺体が王都まで辿り着かなかったらしい。義兄上が手を回して、カトランジェに埋葬してくださったそうだ。あの、森の中の、教会に――」
ああ。本当に。
クラウドさんとダイアナさんには、何度お礼を言ったらいいんだろう。
「今晩、発とう。長居すればそれだけ危険は増える」
返答できなかった。
でも、そうするしかないと分かっていた。そうしなければ、あの子たちを守れないのだとわかっていた。連れて行くことはできない。それだけは、絶対に……。
「名前、つけよう。二人に。それからさ、羽根の加護を置いていこう。あの二人に悪魔の加護があるように――」
「……そうだな」
それは自分のできる精いっぱい。
自分とアレイさんが、もう親としては何も知れやれない自分たちが子供に残せる唯一のものだった。他には何も残せない。残してはいけない。あの双子を、平穏のうちに留めたければ。
「マルコシアスにしよう。名前」
「……男の方か」
「うん。マルコシアスさんみたいに強くて優しいヒトになれるように」
そう言うと、アレイさんはひどく複雑そうな顔をした。
「では、女の方は……ラスティミナ、という名にしていいだろうか」
「ラスティミナ」
その名にはっとした。
ミーナ、と愛称で呼ばれていた女性を知っていたから。
「……いいだろうか」
「うん。そうしよう……きっと、とっても強い女の子になるよ」
自分を育ててくれたヒト。ずっとずっと守ると言ってくれたヒト。自分がすべてを賭けて傍にいる事を誓っていたヒト――メフィア=ラスティミナ=ファウスト。
だれよりも強く誰よりも気高かったレメゲトンの長。
胸がいっぱいになって苦しくなった。
「大丈夫か」
「うん、平気……」
それでも、アレイさんの胸に頭を預けた。
今にも崩れ落ちそうだった。
いろんなことが体中を駆け巡って四肢がばらばらになりそうだ。
この3日間であまりにもたくさんの事を経験しすぎて、自分の中で処理できていない。
「少し休もう。カトランジェなら、いくらか心許せる」
「……うん」
ただ一人がいればいい、なんていったい誰が言ったんだろう。
いつだっておれは苦しんできた。『ひとつだけ』を守ろうとして、失って。
『ひとつだけ』以外にもこの世界には大切なものがたくさんあるって言うのに。それを全部守りたいと思う事はきっと自然なことだと思うのに。
この残酷な世界は、この上まだおれに何をさせようというんだろう……?
最後にあいさつを、と思って一人で街に出た――カトランジェを出る時もそうしたように。
騎士団はすでに街から退いており、ただ無残な後だけが残っていた。でも、クラウドさんによると街から連行されたヒトはいなかったらしい。
「おや、新顔かい?」
声をかけてきたのは忙しそうに駆け回っている大工のローストさんだった。きっと修理であちこち呼ばれているんだろう。
「あ、ローストさん」
「何だ、俺の名を知っているのか? どこの客だい? あっちの方だと、キースか? ニットか?」
「……え?」
まるで初対面のような反応に愕然とした。
「名前、なんてんだ?」
「……グレイス。グレイシャー=ロータス」
「ほう、そうか。グレイス、ここに越してきたのか?」
「ううん、今晩発つよ」
「そうか。気を付けるんだな。戦争が終わってから、元グリモワール国領でも東の縁だ、この辺は特に物騒なんだ。昨日も王国の騎士どもが押し掛けて大変だったんだ」
「……ありがとう」
どうして? どうしてローストさんはおれの事を覚えてないの?
呆然と佇んでいると、通りかかった女性がローストさんに声をかけた。
「あら、ローストさん、美人さんだからってやたらと声かけちゃだめよ?」
「おう、旅の人らしいんだ」
「マリー姉さん……」
「あら、あたしのことご存知なのかしら」
仕立て屋のマリー姉さんも首を傾げる。
本当に、おれのこと知らないみたいだ。
「あ、ありがとう。気を付けるねっ!」
これ以上その場にいられなくて、くるりと背を向けて駈け出した。
部屋に駆け戻ってばたん、と扉を閉める。
「どうした。真っ青だぞ」
「アレイさん……」
ああ、そうだ。
昨日、ルシファとマルコシアスさんの光が街全体を包み込んだ事を思い出した。
「あのね、街のヒトね、誰もおれのこと覚えてないんだ……きっと、ルシファとマルコシアスさんがやったんだ」
「何?」
「マリー姉さんもローストさんも、『旅の人かい?』って。気をつけなって……」
あの瞬間、心臓がわしづかみにされたようだった。
あんなにみんな、温かく見守っていてくれたというのに。自分とアレイさんの子を楽しみにしていてくれたはずなのに……それも全部忘れちゃったんだろうか?
「落ち着け」
深いバリトンにはっとした。
「もしリュシフェルとマルコシアスのしたことなら、ただお前を狼狽させるためだけにしたわけじゃないだろう。よく考えてみろ、その方が俺たちがこの街を去るのには好都合だ」
「……っっ!」
唇をかみしめた。
確かにそうなんだ。それは分かっているんだ。
でも――
思いきり、アレイさんの胸に飛び込んだ。
だっておれにはもうここしか残されていない。
「……お願い。もう一回だけ、言って?」
ずっと傍にいるって。嫌がっても離さないって。
「ラック?」
「お願い……」
困惑した声だったが、すぐに温かい腕に包まれた。
それでも震えは止まらなかった。
ゆっくりと撫でながら。優しいバリトンが耳元に響いた。
「大丈夫。俺は、俺だけはお前の傍からいなくなったりしない。ずっとここにいる。忘れもしないし、死んだりもしない。隣にいて、一番に助けてやる。永久にお前と一緒だ。もし、お前が嫌がったとしても……放さない」
震えが止まらない。
アレイさんが一緒でも、ずっと傍にいてくれるって言っても、子供を捨てて、みんなに忘れられて……それでもおれは、永劫の時を刻まなくちゃいけない。
だから、ここで今、誓う。
このヒトがいる限り、おれは何度でも立ち上がる。
どれだけ辛い事があっても、どれだけ傷ついても、最後にはちゃんと前を向くこと。未来を見据えて、まっすぐに進んでいくこと――
広い背中に手を回して、大きな腕に包まれて。
自分は、心の底に誓った。
その誓いは、この先何度も何度も自分を助けてくれることになる。
そして、彼は言葉通り何度も自分を助けてくれる――これまでもそうだったように。
だからおれはどんな事があっても乗り越えて行けると、未来を見据える事が出来ると思ったんだ。これからの旅路に不安があっても立ち向かえたし、傷を少しずつ癒すことだって出来た。
それでも、その誓いが自分の前に残酷な選択肢を突き付けてくることを、この時はまだ知らなかった。 |