SECT.20 さよなら
アレイさんは嫌がったが、手をつないだままゆっくりと家路についた。
「ねえ」
「……何だ」
「あのね、子供ね、生まれたの。二人。双子だったの。男の子と、女の子」
「……そうか」
「すっごい可愛いんだよ。帰ったらすぐ、抱いてあげて。おれ、ダイアナさんとクラウドさんに任せて放り出してきちゃったから……泣いてるかもしれない」
「お前、体は大丈夫なのか?」
「うん、平気。ルシファが治してくれたから」
ぽつり、ぽつりと。
ゆっくりと言葉を紡いでいった。
とても幸せなのに、どうしても拭えない別れの予感に、心は重く沈んでいった。
「アレイさんも、契約、したの?」
「……ああ」
アレイさんはそう言って、裂かれた服の隙間から心臓の真上の傷を撫でた。
そうすると、黒々とした悪魔紋章が一瞬だけ姿を見せた――マルコシアスさんの紋章だった。
「お前も契約、したんだな」
「うん。もう……年、とらないんだって。ずっとこの姿のまま、生きてくんだって」
あの時は必死で感じなかった恐怖が、今になって襲ってきた。
「……やだね。子供が年取ってさ、死んじゃって、その子供が年取って死んじゃってもまだ生きてるんだって。マルコシアスさんと、同じだね」
ずっとクロウリー家に仕え、その子孫を見守ってきた魔界の剣士。彼はいったいどんな思いで永劫の時を過ごしてきたのだろう。
「怖いよ、アレイさん。そんな永い時を、いったいどうやって過ごしたらいいんだろう」
ああ、やっぱりだ。自分は、このヒトを前にすると弱さをすべてさらけ出してしまう。いつだって強く在りたいと願っているというのに。
何故こんなことになってしまったんだろう。
ずっと安寧の中、穏やかに一生を終える事が出来れば……それ以上のことなど望んでいなかったのに。平和以外の何物も望んでなどいないのに。欲したことなどなかったのに。
世界はどうしても自分達を戦闘の直中へと放り込みたいようだ。
「もしさぁ、見守る事も許されなかったら、どうしよう……」
だって自分たちは見つかってしまった。セフィロト国に。天使たちに。
もうこの街にとどまる事は出来ない。
そうしたら、どうなる?
「どうしよう……アレイさん」
先程、生を受けた我が子を見守ることすらできないのだろうか。
気づいてしまった別離に、逃れる術はない事も分かっている。きっとこの先自分たちはずっと国から追われ続ける。もし子供たちを連れて行けば、子供も共に追われる身となってしまう――それだけは絶対に嫌だ。
あの子たちが本当に本当に大切だから、そんな生き方を押しつけることは絶対に出来ない。
この手で抱いて、育つところを見守っていきたい。
そんな当たり前の幸せも、手にすることはできないんだろうか?
だとしたら、あの二人だけでもその「当たり前」を享受してほしいと思うのはただの我儘なんだろうか。
「……ラック」
大きな手が肩を抱く。
いつしか流れ出した涙が土の地面に染みを作っていた。
「それは後にしよう。今はただ――それより先に」
アレイさんだって悲しいのに。
いつも俺のわがままを受け止めて、包み込んでくれる。
どうしてこのヒトは、おれの欲しい言葉を知っているんだろう。
「会わせて欲しい。会ってみたいんだ」
とても穏やかな紫水晶が見下ろしていた。
大きく深呼吸をしてからこんこん、とノックした。
返事はない。当たり前だ。さっきまでずっとセフィロト兵がうようよしてたんだから。
「開けて、ダイアナさん。おれだよ、ラックだよ」
できるだけ明るい声でそう言うと、しばらくの沈黙の後いきなり扉が開いた。
鼻を打ちそうになって慌てて飛び退る。
「ラック! ああよかった、無事だったのね!」
飛び出してきたダイアナさんがそのままおれに抱きついた。
ちょっとびっくりしたけど、とても心配してくれていたんだろうことが分かって胸のあたりがキュッとなった。
「ありがとう、ダイアナさん……クラウドさんも」
続いて出てきたクラウドさんも微かに笑んでいた。
彼は、すぐにおれの後ろにいる黒髪の男性にもう一度にこりと笑いかけた。
「やあ、久しぶりだね。アレイ」
「……お久しぶりです、義兄上」
「相変わらず無愛想は治っていないようだね!」
「……久しぶりに会った義弟への台詞はそれですか」
「褒めているんだよ?」
肩をすくめたクラウドさんは、心の底から喜んでいるように見えた。
アレイさんはため息をついて、それでも唇の端をあげた。
「ただ今、戻りました」
少し照れくさそうな笑顔は、『ウォル』のものだった。
ダイアナさんがそっと部屋の扉を開けた。
「静かにね。さっき眠ったところなのよ」
「ありがとう」
出産で苦しんだのはつい昨日のこと。体中の倦怠感も痛みも、その跡も何もかもが消えてしまっていたけれど、感情だけは変わっていなかった。
「ただいま。ごめんね、放っておいて。でも……お父さん、連れてきたよ」
並んで安らかに眠る双子は、この先の別離など知らないだろう。
ゆっくりと二人を抱き上げた。
くるりと振り返って、困惑している彼に差し出した。
「こっちがね、女の子なの。目の色が紫色でね、アレイさんと一緒だよ。きっと……美人さんになるよ」
まるで壊れ物でも抱くように受け取った父親は、困った顔をしながらまじまじとその赤ん坊を見た。
「んで、こっちが男の子。まだ目を開けたところ、見てないんだけど……ほーら、ほっぺがぷにぷにだよ」
つんつん、とほっぺたをつつくと、むずかる様に手を動かした。
「へへ、可愛い。まだね、あんまり目は見えないらしいよ。でも、皮膚とか嗅覚とかはすげえ敏感なんだって。いっぱい触ってあげてよ!」
困惑しながらも子を抱いた父親は、とても優しい顔をしていた。
それがとても嬉しくて、思わず微笑んだ。
「……グレイス」
「どしたの? ウォル」
なぜその名で呼ぶのだろう。
ほんの少し首を傾げると、彼は紫の瞳を少し横にずらして、小さな声で、でもはっきりとこう言った。
「……ありがとう。この子たちに会えて、よかった。本当に、ありがとう」
きっと、アレイさんの口からは聞けなかっただろう。
この子たちの成長を楽しみにして、逢う日を心待ちにしていたウォルだから。
「へへ、頑張ったんだよ」
大きな腕は、自分も子供たちもみんな包み込んでしまった。
たとえつかの間でもいい。
このまま、少しだけ夢を見たい。
刹那の夢でいい。
だってきっと夢から醒めたら……
リビングでは、クラウドさんとダイアナさんがお茶を用意して待っていてくれた。
席に着いてすぐ、温かなカップが目の前に置かれた。
「ありがとう、ダイアナさん」
その温かさを体中に流し込んで、隣に座るアレイさんに目くばせした。
彼の紫の瞳は、決意を映し出していた。
「義兄上、姉上……頼みたいことが、あります」
とても、とても苦しそうな声だった。
クラウドさんとダイアナさんは、それでも優しく微笑んでいた。
「大丈夫、分かっているよ。その言葉を口に出したら、君は、君たちは壊れてしまうかもしれない」
「貴方たちはとても頑張ったの。それは、私たちが誰より知っているわ。戦いなんて望んでいないことも、ずっと平穏を望んでいた事も」
「だから、すべて任せて欲しい。大丈夫、きっと立派に育ててみせるよ」
驚いて目を見開いたアレイさんと、優しく微笑んだクラウドさんを交互に見た。
「ありがとう……ございます」
呆けたような言葉だけがアレイさんの口から出た。
視界が滲んだ。
嬉しいのか悲しいのか。何も分からなかった。
安心感と喪失感がごっちゃになって、涙と言う形でしか具現化できなかったのだ。
「うっ……うっ……」
口から嗚咽が漏れた。
その肩を、ダイアナさんが優しく抱きとめてくれた。 |