SECT.15 コクマ
いったい何番目のセフィラだろう。
黙っていれば美少年だと大絶賛してもらえるだろう、美しい琥珀色の瞳と対照的に新緑を思わせる淡いグリーンが混じった銀髪と陶器のように白い肌。年の頃は12・3に見えた。
白い神官服に身を包んだ少年は不機嫌そうに眉をしかめた。
この年ごろにありがちな、年上の者を小馬鹿にするような態度をとっていることは一目でわかった。
「よく分かんないな、お前、言ってることがめちゃくちゃじゃん!」
そんな事を言われても、実際先ほどまでは違うと思っていたのだ。何をどう言われてもどうしようもない。
「ごめん、さっきまではずっと忘れてたんだよ」
「はあ? なにそれ。意味分かんない」
正直に返したのに、少年はますます唇を尖らせた。
「ま、いいや。とにかくお前がラック=グリフィスだってことは間違いないんだよな」
「うん、そうだよ……ところで、きみはだれ?」
そう聞くと、少年は一度だけにこりと微笑んだ。天使のような笑みが零れて思わず視線を囚われる。
「ボクはセフィラ第2番目、コクマ。使役するのは知恵の天使――『ラジエル』」
まだ変声していない少年の声が天使の名を呼ぶと、その場を暖かい光が包み込んだ。
天使『ラジエル』の召喚――少年の背後に大きく翼を広げた天使の姿が現れた。知恵の天使ラジエルは、至高の父とも呼ばれ非常に情の深い天使であるというのが通説だ。
それなのに、目の前にいるこの天使から放たれているのは十分すぎるくらいの闘気だった。
ルシファと同じ容姿をした美の天使ミカエルや、折れそうに華奢だった勝利の天使ハニエル、灼熱の毛並みを持つ豹の姿をした峻厳の天使カマエルとは全く違う。まるで剛腕の戦士のように鍛え上げられた肉体に、大きな翼が生えていた。
「ラジエル、あいつ捕まえたいんだけど」
コクマと名乗った少年が背後の天使にそう告げると、ラジエルはさらに闘気を強めた。
ルシファの加護がなければすでにこの場を飛び退っていたかもしれない。
何しろ自分は丸腰なのだ。ルシファの加護があるとはいえ、武器の有無は生死に直接かかわってくる。
ジワリと額に浮かぶ汗を感じながら、コクマとその背後の天使に集中する。
相手から目を離すな。感覚を研ぎ澄ませ。
コクマが少し首を傾げる。その仕草はため息が出るほどに愛らしい。
「悪魔の加護を受けてるみたいに見えるな。その悪魔、いったい誰?」
「リュシフェル 姿を見せよ」
コクマの代わりにラジエルの声が響いた。
重く深い、それでいてどこか悲しげなその声は空気を伝わるのではなく、直接頭に響いてくるかのようだった。
自分の背後の空間がゆらりと揺らめく。
そして、6枚の翼をもつ堕天の悪魔が姿を現した。
「久しいな リュシフェル お前が 天を別って数百年 終に 世界は崩壊した」
「いいえ 未だ 崩壊していません 希望は 潰えていない」
ルシファの言葉に、ラジエルから闘気が放たれる。
「未だ言うか 人の子を巻き込み その命を弄び さらに運命を捻じ曲げても」
「それでも 存続を願う心が 私を 呼び覚ましました」
「また 犠牲を 出そうというのか エノクとエリヤのように」
エノク、エリヤ。
その名を聞いたのは初めてではない。あの戦争のとき、ルシファと相対した美の天使ミカエルが同じセリフを口にした。
いったい誰のことなんだろう。
「ルーク 最期は あなたが 選んでください」
「ルシファ、いつか教えてくれるの? おれと契約した理由……ご先祖様が、おれとアレイさんに託そうとしていたこと」
見上げると、ルシファは相変わらず悲しげな瞳で微笑むだけだった。
すると目の前の少年、コクマが痺れを切らしたように言った。
「ラック=グリフィス、お前をセフィロト国軍の名の下に拘束するよ。抵抗は許さないからね」
「いやだ、って言ったら?」
「そりゃ、力ずくで連れて行くさ」
「わかった。んじゃおれは全力で抵抗する」
捕まるわけにはいかない。退くわけにもいかない。
だって自分の後ろには大切なものがたくさんある。
ずっと見守っていてくれたダイアナさんと盾になって怪我をしたリッド。そして、生を受けたばかりの子供たち。
ねえちゃんがずっとずっと自分の事を守ってくれていたみたいに、今度はきっと自分が子供たちを守る番だ。
今なら分かる気がする――強かったねえちゃん。だれにも負けない、揺らがない絶対的信念を持ち、いつも優しく包み込んで守ってくれていたねえちゃん――その強さの理由が。
目の前の相手が誰であろうと、負ける気がしなかった。
全身に加護が滾る。
「だっておれはもう、母親、なんだから」
ひどく不思議な感情だった。
これまで抱いてきた『守りたい』という気持ちとは少し違う、もっと暖かくて大きな感情……ヒトはこれをなんと呼ぶのだろう?
拳を握り、古体術の構えをとる。
「娘 世界の理を知り それでもなお 抗うか」
コクマの背後に浮かぶ知恵の天使ラジエルが威圧的な声で言い放つ。
「世界のことわりなんて知らない。ルシファがおれに何を求めてるのかも知らない。でも……おれの大事なヒト達を傷つけさせたりなんてしない」
武器を持たず圧倒的不利な状況だというのに、不思議なほど心は落ち着いていた。
「んじゃ……少し痛い目、見る?」
可愛らしく微笑んだコクマの殺気に、一瞬背筋に冷たいものが這った。
コクマが天に向かって手を伸ばす。
何が来る?
緊張で満たされた空間が支配する。懐かしい、戦いの空気だった。
少年の小さな唇が聞き慣れない言葉をつづる。
「A-R-C-E-S-S-O T-O-N-I-T-R-U-S」
その瞬間、眩いまでの雷撃が青天から降り注いできた。
「っ?!」
なんとその雷撃は天に手を翳した少年を直撃した。
放たれた光に思わず視界を手で覆う。
「先代のコクマは、この力が使えずにレメゲトンにあっさりやられたらしいね。でも、今回はそうはいかないよ」
恐る恐る手を下ろした。
少年の周囲をばちばちと爆ぜる音のする光の帯が取り巻いている。その影響か、微かに翠がかった銀髪が風もないのにふわりと浮いた。
「手を前に ルーク」
ふいにルシファの声がした。
言われるがまま手を前に差し出す。
すると、両手から漆黒の霧が漏れ出し、銀の光を帯びながらみるみるうちに形作っていった。
「……これ」
「あなたが 最も欲する 武器でしょう」
両手に収束したのは、小太刀より少し短く、短剣より少し長い直刃で片刃の剣。両手のうちに現れたそれを何の躊躇もなく手におさめた。
その二本の剣は手に吸い付くほどよく馴染んだ。
背にふわりと翼が広がる感覚があった。
「ありがとう、ルシファ」
これで戦える。
足が地面から離れた。空に浮くのは懐かしい、しかしよく馴れた感覚だった。
「ルシファの力は、なに?」
フラウロスさんが炎を扱うように。アガレスさんが地震を起こすように、ハルファスが風を支配するように。
ルシファも特殊な力を持つだろう、と思った。
「私の力は 創造です」
「……そうぞう?」
聞き直したが、その瞬間に殺気を感じて思わずその場から飛び退る。
気がつけばコクマの掌から電撃が放たれており、その力は凄まじい音とともに自分の立っていた足元を焦がしていた。 |