第65話 直前練習
とうとう明日に七海市吹奏楽連盟第135回定期演奏会を控えた七海高校吹奏楽部10名は私立風見台高校に最後の合同練習のために来ていた。
この頃には陽乃もすっかり優衣と仲良くなっていた。携帯のメールアドレスも交換するくらいだ。楽器を吹き始めたタイミングも同じということが影響しているらしい。さらには服の好みや芸能人の好みまで合っていると昼休みには大騒ぎしていた。
翔も昼休み、修平の様子を見に顔を出してみた。意外にもパーカッションを楽しんでいるらしく、なぜかベードラのバチを常に携帯していた。
「おっす。どう? 調子は」
翔が声をかけると、修平は機嫌良さそうにバチを振りながら「久しぶりやんけ!」とにこやかに返してくれた。
「けっこう打楽器気に入ってるんやん」
「まぁな。もう2ヶ月近くパーカスやってるし」
そう言って『アルヴァマー序曲』のベードラの譜面を開いた。
「うおっ! サックスのときに負けへんくらい譜面が真っ黒や!」
「へへーん。頑張ってる証拠や」
修平は嬉しそうに譜面を翔に見せた。練習中、先生に言われたことや自分で気づいたことをメモしているうちにたいていの譜面は修平のように真っ黒になってしまう。
「そういえばさ、翔」
「ん?」
「お前こないだショーさんに会ってんて?」
「あれ? 誰から聞いたん?」
「朝倉さんから」
そういえばあの日、偶然陽乃に出会った。まさか話を聞かれていたんじゃないだろうかという不安はあったが、そこまで考えたらキリがないと思い、翔は何も言わなかった。陽乃も言ってくることはなかったのだからあえて触れる必要もなかっただろう。
「元気そやった?」
「うん。バリバリ」
「そっかー。あの人、サックス化け物並みに上手かったからなぁ」
「ホンマや。今でもオレらの憧れやで、あの人は」
「そうやなぁ……オレらも頑張らないと!」
岩切 翔平。
西大阪では彼の名前を知らない人はいないくらい、アルトサックスが上手かった。市内のソロコンテストで余裕の優秀賞をなんと1年生にしてかっぱらい、その年は関西大会まで行ってしまった人だ。高校に上がってからもその名前は時々聞いていたが、翔がナンチュー吹奏楽部を辞めて以来、一時的だが親交が止まっていた。
しかし意外と近くに引っ越してきたことで親交再開。引越しのときに失くしたDVDを貸してほしいと突然メールが来たからのことだ。翔は緊張はしたが、それ以上に嬉しかった。翔平はずっと翔の憧れだった。ショーさんのようになりたいと、今でも真剣に思っている。
翔平は一人で舞台に立っても全然緊張しない人だった。翔がソロを失敗したときも実はコッソリ聞きに来ていたようで、それには何も触れなかったが黙って缶コーヒーだけを差し出して行ってくれた。責めもせず、褒めもせず。そのときにその人に必要な助言や行動を取る。そんな人だった。
翔平との出会いは翔の目指す人物像が身近にできた瞬間でもあったといっても過言ではないだろう。
「翔! 合奏行こうぜ」
「おう!」
修平に呼ばれて翔は音楽室へと駆け込んだ。
今回の演奏会では風見台高校吹奏楽部顧問・岩屋 紀昭先生が指揮を振ってくれることになっていた。恭一はしばらく音楽から離れている期間があったので、ずっと指揮をしている岩屋先生に任せたようだ。
「それじゃ、ロングトーンから始めます。B♭の音階を16拍4拍で」
「はい!」
紀昭の一言で全員の意識が一瞬にして変わる。こういうときの集中力というのは本当にスゴい。
5分近くかけて音階が終わる。
「じゃあ次は8拍4拍で」
「はい!」
そうして20分近くロングトーンをした後、各パートでチューニングを合わせた。
「それじゃ、アルヴァマーをまず一回通します」
「はい!」
陽乃は思わず心臓がドキドキしてきた。まだ本番ではないというのにこんなに緊張して本当に大丈夫だろうか。
硬い空気の中、沈黙が続く。先生が指揮を下ろすまでのこの時間が陽乃が最近一番苦手で、でも一番喜びを感じる時間だった。
無言で指揮が振り下ろされると同時に、トランペット、スネア、美里のタンバリン、修平のベードラが打ち込みとメロディを吹き始めた。
クラリネットとホルンのメロディ。雪子と絵美が小さくだが体を揺らして吹いている。前回の七海高校だけでの合奏のときに「感情を込めて」と言われたことを実践しているようだった。美里はというと、顔がかなり強張っているが一生懸命にタンバリンを叩いている。家にまで持って帰って最近は練習をしていた。
気持ちいい。
大人数で演奏するのはこれが初めてではない。今までの合同練習でもやってきたことだ。しかし、今日ほど気持ちよく演奏ができた日が今までにあっただろうかと思うほどだ。
テンポが落ちたところで木管楽器がメインでメロディを吹くようになる。ここは何回も恭一に「ピッチ(※1)が悪い」と言われたところだった。沙希、由美子、絵美、翔の4人は必死でここのセクション練習をしていた。少ない人数でも詰めて詰めて練習をしていた。
雪子も最近、高音がスムーズに出るようになってきていた。
再びテンポが上がる。ここのあたりではいつもバテてきそうになっていたが、今日は違う。テンションが上がっているからか、調子がいい。
いよいよ最後の部分に差し掛かってきた。陽乃がチラッと美里のほうを見ると、強張った顔が笑顔になっている。一瞬だけ修平と顔を合わせ、美里の顔がもっとやわらかくなった。絵美があれだけ嫌がっていたトリルの部分も彼女はサラッと吹いてしまった。
紀昭も力いっぱい指揮を振り終え、曲が引き締まるように終わった。
沈黙が続く。
紀昭が指揮棒を下ろして言った。
「鳥肌が立ったぞ」
その声に全員が笑みをこぼした。
「よし、今日はバテない程度にチョコチョコと修正をして終わっておこうか」
「ハイ!」
「それじゃ、6小節目からやるぞ」
「はい!」
こんなに楽しい合奏があるだろうか。陽乃はひとつひとつの音、1分1分を噛み締めるように楽しんでいた。
「朝倉〜」
翔が楽器を磨きながらこちらへやって来た。
「お疲れ! どしたの?」
「いやな、こないだ会ったって言うてた先輩がおるやろ?」
「うん」
確かイワキリとかいう人。
「その人がなんかプリクラ撮りたいって言うてるねんやん」
「私と?」
「ちゃうちゃう。なんでお前と撮らないとアカンねん、ショーさんが」
(しまった!)
あの場にいたことがバレる内容を喋ってしまったことに気づいて陽乃は思わず口を塞いだ。
「アハハ、そうだよね。会ったこともないのに」
「そやろ? で、オレと修平と撮りに今から行くんやけど、お前もどうや?」
「え? だって私のこと知らない人なのに一緒に写ってどうすんの?」
(しまった!)
翔はすっかり陽乃があのとき一緒にいたかのような錯覚を起こしていたのだった。
「あ、ちゃうちゃう! せっかくやし、オレと修平とお前の3人でプリクラ写してとかん? 記念に」
「うん……別にいいけど」
「じゃあ決まり! 片付け終わったら集合な!」
そう言って翔はすぐにサックスを片付けに走った。
「危ない危ない……バレるとこだった」
陽乃はため息をつきながらトランペットを片付け始めた。
「聞いちゃった、聞いちゃった〜」
「……!」
後ろを振り向くと、美里と慎也が立っていた。
「ふ・た・りで放課後プリクラ〜! やるねぇ、陽ちゃん」
美里がスネアのバチでツンツンと陽乃の肩をつついた。
「そういうことを話すならコソコソ声でやらないと」
トロンボーンのスライドで今度は反対側の肩をつつく。
「なんなの、アンタたち二人とも。ケンカ売ってるの?」
「まさかまさか! 私たちはアサクラ親衛隊と申しまして、陽乃サマをお守りするのが仕事なんですよ」
「仕事?」
「そうそう」
慎也もウンウンとうなずく。
「じゃあさ、陽乃サマのお願い事も聞いてくれる?」
「そりゃもちろん!」
美里がドン!と胸を叩いた。
「じゃあ、陽乃サマからの指令を隊員二人に下しま〜す」
陽乃がニヤッと笑いながら二人に近づいていった。 |