第61話 交換条件
「地球が温暖化してきているとかなんとかいうけど、やっぱり寒いものは寒いからねぇ」
幸治はハーッと息を手にかけながら呟く。そうはいうものの、校長室の暖かさは職員室とは比にならないほどだ。大人ってズルいとこういうときに思ってしまう。
しかし、さすが校長室。なんだか床の材質からして教室とは違うし、赤い絨毯(それこそ、王宮に敷かれているようなもの)がテーブルの近くなどには敷いてある。なんだか上履き用のスリッパで踏んづけてはいけないような気さえしてしまう。
そのせいで、吹奏楽部員は全員入り口付近で凍り付いていた。
「ん? どうした、入らないのかね?」
幸治が不思議そうに首を傾げる。
「あのっ!」
陽乃が緊張気味に聞いた。
「この絨毯は上履きで立ち入ってもいいんですか?」
それを聞いた幸治はまた「ハッハッハッ!」と豪快に笑い出した。
「いやぁ〜東先生に聞いてはいたが、君たちは本当におもしろいね。最近のウチの生徒たちの中にはいないタイプが揃いも揃っている」
7人は一様に顔を見合わせてクスッと笑った。
「ほら、ここに座りなさい」
「はい!」
幸治に促されて、全員が腰掛ける。茶色の皮製のソファがあまりにフワフワするので陽乃も翔もなんだか落ち着かなかった。
「あぁ、そうだ。ストーブだね」
幸治は足元から小さいストーブを取り出した。もう何年も足元を暖めるのに使ってきたものだ。
「おぉ〜!」
思わず7人は声を上げた。
「これをね、皆に上げてもいいかなぁと私は思っているんだが。同じものが5つほどあってね。使わないからもったいないなぁと思っていたところだったんだよ」
「すげぇー! これやったら金管・木管・パーカスで1台ずつ使っても十分やろ!」
翔が嬉しそうにストーブを見つめた。
「私、パーカス一人だから1台で、金管木管で2台ずつにすればいいじゃん?」
「おぉ〜! ホントだ、使える使える!」
春樹が嬉しそうにパチパチと小さく拍手をした。
「これでもっと練習できるな。嬉しいなぁ」
慎也もニコニコしている。たとえそれが小さい暖房でも、あるだけで気分が変わってくる。
「校長先生、本当にこれいただけるんですか?」
翔がもう一度確認するように聞いた。幸治はコクッと小さくうなずいて言った。
「しかし、交換条件があるんだ」
それを聞いて、思わず全員がゴクッと唾を飲んだ。
「お疲れ様でした〜」
学年会議を終えた恭一たち1学年教諭数名は1階東にある第3会議室から職員室へと向かう途中だった。職員室はちょうど反対側の2階西にある。
「東先生、吹奏楽のみんなは喜んでましたか?」
1年社会科担当・B組担任の新井田 彩が恭一に吹奏楽部の様子を聞いていた。この学年の教諭は偶然だろうか、年齢が近いもの同士が集まっていたので気さくに話をしやすい関係である。
「このあいだはもう大騒ぎでしたよ。こんなに早く、部に昇格できるとは彼らも思っていなかったようで」
「それでもね〜、監査会のときには驚かされましたよ」
恭一の右側を歩いていた国語科担当・H組担任の亘理 健太が思わず唸る。
「彼ら、本当にほとんどが初心者なんですか?」
「えぇ。フルートの大谷とサックスの佐野以外は全員初心者で」
「はぁ〜……。3ヶ月でみんなあんなに演奏できるんですね」
健太はまた唸ってしまった。
「元々、素質があるんじゃないんですか?」
彩が恭一に聞いた。
「それもあるでしょうけど、コツを掴めばすぐ誰にでも楽器は鳴らせますよ。ただ、そこからやっぱり上手くなるには彼らの努力が必要でしたからね。ホント、夏休み中の彼らの集中力には参りましたよ。今年は猛暑だったっていうのに」
「そうですね〜。運動部もほとんどやっていなかったのに」
「ホント。若いっていいですなぁ」
健太が年寄り臭いことを言うので思わず全員が笑ってしまった。
恭一たちがちょうど校長室の前にやって来た。
「あ、私ちょっと校長に用事があるんですよ」
彩がそう言って集団から外れて、戸をノックしようとしたときだった。
突然、室内からアルトサックスやトロンボーンなどの楽器の音が鳴り出したのだ。
「おぉっと!?」
彩が驚いて2、3歩引いた。
「これ、吹奏楽のみんなじゃ……」
「おいおい、何をやってんだ」
恭一が勢いよく戸を開けると、それに気づいた幸治が音を立てないようにと人差し指を立てて口の前に当てていた。
「……?」
そして幸治が全員を手招きする。演奏に集中しているのか、吹奏楽部の10名は恭一や彩が入ってきていることに気づかない。
よく聞いてみると、監査会で演奏した『TRUTH』を演奏している。ドラムセットからチューバまで持ってきている。
恭一は幸治のそばへ歩み寄って耳打ちした。
「これはいったい……」
「すまないねぇ。暖房5つとの交換条件に、私に直接今までやった曲5曲を演奏してくれないかと頼んで音楽室へ行こうと思ったら、ここで演奏してくれるというものだから頼んでしまってね、つい」
幸治は苦笑いしながらどこか嬉しそうに言った。
「いえ……それなら別に構わないんですけどね」
恭一も思わず笑ってしまった。いつのまにかギャラリーが増えていることに翔たちは気づく様子もない。彩も健太もソファに座ったままジッと演奏に聞き入っている。
「人数が少なくても、音楽というのは人を魅了するものだね」
幸治が呟く。
「そうです。だから音楽はいいんですよね、本当に」
恭一もうなずき、二人も目の前の演奏に聞き入ってしまった。 |