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罪滅ぼし

作者:キュウ
 食べるのが一番遅くて、私は食堂で一人になった。
 建物の最南に位置する食堂の窓から、欠伸をするような東の太陽がほんのりと光を射れてくる。私は体の左半分にのみその光を浴びながら、残り少しとなった白飯と味噌汁を少しずつつついていた。
 ここで初めて飯を頬張った時から、もう二十年経っていた。思えば随分、長い時を過ごしたものだ。ここでの生活への嫌悪や倦怠は、ここまで来てしまえばすっかり薄れてきており、一生を過ごすなど絶対に嫌だと思うのも今となっては昔の話、と容易く片付けられる。
 ただ、「外」でやりたいことは、まだたくさんあった。
 思えば、小さい頃から何でも我慢し受け入れる性分だった。たとえここに居ることが、本当は誤りであっても、慣れと自分の性分が、何もかもを許してしまっていた。冷たい檻の中の獣のような瞳や、看守の吐き捨てるような言葉尻など、もはや取るに足らない些末な事どもである。そう、紛れもなく、そのはずなのだ。
 しかし私はこう思うこともそぞろにあるのだ。……私が外でやりたかった数多の事は、我慢すべき事だったのだろうか、と。
 ――妙な音が間欠的に耳をくすぐった。誰かが閉め忘れたのか、一見隙間の見えない窓の方から、冷たい風に前髪を揺らされふとそっちを見やると、一匹の蜂が、窓ガラスに頭をぶつけて後ろに退き、頭をぶつけてはわずかに退き、という行動を幾度となく繰り返していた。
 どこから入って来たか知らないけれど、こんなところに来ても出ることはできないのだよ、と、外へ出ようと必死の様子の彼に言ってみたかったが、それはきっと無駄なことだろうと心得て、黙ってその様子を眺めていた。
 私の視界の外、椀の底にたまった味噌汁は、きっともう冷めているだろう。箸先につまんだままの白飯も、既に認識の窓外へと放られていて、きっと気づかぬ間に地面へ堕っこちてしまうだろう。私の灰色の目は蜂に釘付けで、暖簾に腕押しの時の隙間は、空調もきいてない寒々しい部屋で段々と埋め尽くされていく。
 やがて蜂は疲れてしまったのか、ガラスを這って窓の下の棚の上に着地した。私はその蜂がなんだか情けないと思えた。たかだか一匹の蜂のことだと言うのに、妙に落胆した。気まぐれに耳を澄ませてみたものの、蜂の身軽そうな身体からは何の物音もしない。
 ……それから、本当に、なんとなくで、特に、深い考えなどなくて、私は椅子から立ち上がり、蜂に近付いていった。
「出たいって……出たいって、一度でも思ったのかい……?」
 私は蜂の頭を指でつつこうと、人差し指を寄せていった。
「だったら、出るべきなんじゃないのか……」
 彼にはそれが死神の手招きにでも見えたのか、驚いたか怒ったかでブゥンとその場から飛び退いて、すかさず私の方へ迫ってきた。細かなその姿からは一切の表情も読み取れないが、きっと、とんでもなく逆上していることだろう。
 一つの「意思」を得た、憐れな蜂は、叶いもしないのに私に「憎悪」の念を燃やして見せているようだ。陽に光った針の先が、真っ直ぐに私をとらえ、彼の思い描く「理想」へ羽をひとあおぎする毎に近づいていった。
 私は言うまでも無く、刺されるのはまっぴらゴメンだから、サッとそれをかわして、元々座っていた椅子のそばへジャンプしてやった。おかしな様子に監守が何か言ってくるかと思ったが、部屋の隅に陣取った看守はどこかしらの何かしらをポケーッと見つめてまるで関心を向けない。諭してやりたくなるほどだった。
 蜂は尚もこちらに襲いかかって来るが、私はそれでも避け続けた。自分でも不思議なほど、落ち着いてそんな事ができたのだった。きっかけを作ったのはこちらだから、蜂からすれば非常に迷惑であろう、とそんな事も考えられるほど余裕があった。
 私は、このおよそ無駄だと思われる戦いにすぐさま飽きてしまい、食事を乗せていた盆を抜き取り、蜂の脳天めがけておもいっきり振り下ろしてやった。
 案の定蜂は床に堕ちていき、まるで糸を抜かれたぬいぐるみのようにばらばらに、ぼろぼろに成り果てた。
 日の光の届かぬ、青い影の中、私と蜂は目も合わさないで、その場の空気を共有する。かたや灰色の瞳と凍て雲のように冷たい肌の囚人、かたやどだい無理な「逃亡」に「執着」し、無惨に崩れ落ちた小さき虫。
 私と蜂、その違いは、身体の大きさと、知識の量。
 たったそれだけ。本当に、それだけのはずなのだ……。

 ――どれだけの時間が過ぎただろう。
「……ああ、そうか。二十年ほどだっけか」
 そんなことを呟くのは、自分でも驚くほどの気の落ち着きようであった。
 私は、撃たれた腹をおさえて、身体の最奥より失われていく力を掌に感じながら、自分に判決が下った、あの日の裁判のことを思い出していた。今さら、今になってようやく。いや、こんな独白の立場で虚言は似つかわしくない。私はずっと昔から、憎悪の念を燃やし続けていたのだ。あの裁判の日にちも裁判官の顔も弁護士の顔も、何もかもはっきり憶えている。やはり、やはり私の考えは、ずっと性分に反していたのだ。
 私はただ、己の心を燻らせ、穢れなき日の光の注ぐ景色に見惚れて、窓を叩き続けてきた憐れな虫と同じ。情けない者の矜持をせせら笑いながら、自ら、叩き殺したのだ。
 ああ景色が揺らいでいく。
お疲れさまでした。
HP(→http://kyunote.blog.fc2.com/)にて
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