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紫陽花は冷酷の花

作者:花緒
「君との婚約を破棄したい」

プラチナブロンドの髪、淡い紫の瞳が煌き、私を見据えた。彼、オーキッド公爵の御子息であり私の婚約者であったエドワーズは、傍らに鳶色の髪と碧い瞳を持つ女性を携えていた。
仲睦まじく二人は寄り添いながら、おこがましくも私の屋敷へ訪れたのである。庭園でお茶を嗜む静かなひとときに、彼らは現れた。挨拶を済まし、彼らのお茶が運ばれるや否や、エドワーズは冒頭の言葉を切り出したのだ。後ろの侍女は、嘆かわしいと言いたげに息を飲んだ。

「さようでございますか」

紅茶を口に運び、私はそう答えた。ここ数ヶ月のエドワーズ様の動向は、耳に入れていた。傾倒しているマクベス士爵のご息女エリー様のこと、そして彼が私に求めていることは一通り。エドワーズ様は見目麗しく、夜会では一目置かれるほどの紳士で周りからの信頼も厚い方でした。私との婚約破棄を目論み、いろいろ暗躍するまでは、の話でしたが。

「君とは幼い頃からの付き合いで、いろいろ迷惑をかけた。私のわがままで押し付けがましい要望だと思っている。…長い間、君を縛り付けて本当に申し訳ない。これが最後だと思って、私の願いを聞き届けてはくれないだろうか?」

あぁ、この人はほんとに変わってしまた。私がエドワーズ様のために努力したことも、エドワーズ様と歩みたいと描いた夢もすべて、彼は否定なさるのだ。この世に生を受けて物心つく前に決められた契約を、彼は呪縛だと言った。…もし、この話を受け入れたらどうなるのでしょう。

「…オリヴィア嬢?」

返事を催促するように、名を呼ばれる。
あなたはもう、昔のように呼んではくれないのですね。いつかその時がくるということは、知っていました。だからその時のために事後処理準備をしていましたが。静かに息を吐き出し、視線を庭園に移す。庭の片隅には、ハイドランジアが私を嘲笑うかのように咲き誇っている。

「本日のハイドランジアは、大変美しく咲いておりますことで」
「…え?」
「…オリヴィア嬢?」

エドワーズ様の隣で静かにしていたエリー様が、戸惑っているように声を発した。紅茶を注いだ侍女がそうでございますわね、と相づちをうってくれた。
※ハイドランジア(別名:紫陽花) 花言葉:移り気 冷酷

「そのお話、たしかに了承いたしましょう」

視線を元婚約者に戻し、戸惑いを隠せない瞳を見つめ返す。微笑みすらも浮かばせることはせず。エドワーズはその視線に耐え切れないかのように、顔をそらした。

「何か、望みは…」
「金銭や書面でのお話は、お父様や当家の執事を通してお願いするといたしましょう。…今後、あなた方には、他の高貴なる方々から多大な試練が待ち受けていると考えられます。私は、しばらく辺境の地で療養いたしますので、何かお困りのことがございましたらお尋ねください。…そうですね。私のことは、"元から病弱の身で世継ぎを期待できない体"になったため、当家から婚約をお断り申し上げた、そういうことにしましょう。これで互いにわだかまりを持つことはございません」
「お、オリー…」
「オリヴィア様…」

二人の顔は驚きと困惑の色を示していた。そして、それと同時に自分たちがどれほど大変なことをしたのかを理解した。目の前に差し出された夢と理想に進む途中で、顧みなければならない現実を察した。

「勘違いしないでくださいまし。わたくしは今まで私を可愛がってくださったオーキッド家の平穏と他の方々に混乱をもたらさないためでございます。そして、公の場で発表しなかったことに対する御二方の理性へのお返しですわ。あとは、煮るなり焼くなりお好きになさって」

これ以上、話すことはないと言うように紅茶を口に含む。今日の紅茶はどこか渋く、冷たい。無性に手足が冷えてきたように感じる。

「あ、あの、お、オリヴィア様っ!」
「なにかしら、エリー・マクベス様」
「わ、私のことは、恨んでらっしゃらないの…?」
「なぜ私がわざわざ、あなたを恨まなければならないのかしら」
「そ、それは、私がオリヴィア様からエドワーズ様を奪ってしまったからで…」
「…よくお聞きなさい、エリー・マクベス様」

オリヴィアを取り巻く空気が急激に重くなった。彼女の眼光は鋭く、何人も口答えは許さないと言った様子であったため、エドワーズは何も言えず黙ってしまう。

「エドワーズ様は、物ではございません。心をもち、物や人を考え、時には過ちを犯す人でございます。人の心は物ではないのですよ。そして、エリー様がエドワーズ様を奪ったのではございません。エドワーズ様の心が、エリー様の心に寄り添っただけなのでございます。なぜ、わたくしが心乱されることになりますでしょうか」

言葉を区切ると、エリーの隣でエドワーズが小さくを息を飲んだ。オリヴィアはエリーから視線を外さない。まだあどけない彼女にはせめて、この世界で生きていく女性の心の在処を教えなければ、いずれ壊れてしまう。わたしが愛した男性が愛した女性の心が。

「この時代の女性というものは、かくも弱き生き物であります。覚えていてくださいませ。私たちの心は、常に愛する方に寄り添うもの。決して、奪い捉えるものではないと肝に銘じてください」
「オリー、君は…」
「少し、風に当たりすぎたかもしれません。わたくしはここで失礼いたしますわ。大したもてなしも出来ず、申し訳ございません。こちらの侍女は自由に使っていただいて結構ですわ、ゆっくりと今後についてお話になってくださいませ」

席を立つと侍女の一人が肩にストールを掛けてくれた。一歩、屋敷に入れば生暖かい空気が体を包み、やはり外の冷たい風に当たりすぎたのだと感じる。

(ですが、なんでしょう。この胸の苦しみは。やがて訪れるとわかっていたのに、なぜこんなにも…悲しいのでしょう)

自室の長椅子に案内され、ストールを握り締める。体の震えはまだ収まらない。侍女は紅茶を入れ直している。

「…お嬢様、泣きたいときは泣いても良いのです。わたくしは、今紅茶を入れるのに必死で何も見えていませんわ」
「そ、そんな…淑女として…っはしたない、真似は…う、うぅ…」

私は、間違いなくエドワーズ様を愛していた。彼の朗らかで優しい笑顔に惹かれていた。彼と歩む人生に光を見出し、努力してきた。けれど、彼の理想とした未来と私が理想とした未来は行き違ってしまった。それがこの結果だと思う。今更後悔しても、もう遅い。彼は、彼の理想とする未来へ一歩前進んだのだ。私はそれを応援する以外に何もできない。

ひとしきり涙を流し終えると、いつも飲んでいる紅茶と変わらないものが出された。口に含むと、少し熱めにいれてあり、冷えていた体が温まっていく感覚がした。

(これからのことについて、考えておかねば…)

―――…

「マクベス家ご息女とオーキッド家ご子息様がお帰りになられたようです」
「お見送りができなかったお詫びにお菓子でも送って差し上げて」
「かしこまりました」

部屋にある棚からこの国の地図を取り出し、机に広げる。地図を抑える重石を探そうとすると、眼鏡をかけた侍女の一人がガラスの重石を四隅に配置し、もう一人がチェスの駒を傍らに置いた。

「ありがとう。アイビー、ミモザ」
「「いいえ、お嬢様」」

声を揃えて、二人は答える。重石を置いた眼鏡の侍女は赤毛に深緑の瞳をしたアイビー、チェスの駒を置いたのは美しい金髪と深いオレンジの瞳を持つミモザ。彼女たちは私に婚約者ができてから侍女をしている心が知れた仲だ。アイビーは市井出身だが、その頭脳の良さを買われ、時を同じくしミモザは、ある男爵の四女で芸術分野に特化したその能力を買われた。その地位にいながらも侍女としている理由は、また別のお話。

地図にはこの広大な国がいくつもの国と隣接し、そしてこの国の領地がいくつかに分断されているのがわかる。ひとつひとつ熟考しながら、チェスの駒を配置していく。今、何が起きているのか、何をしなければならないのか。時折、新しい駒を追加しながら、地図を眺める。背後ではミモザが、私が呟く言葉を紙に記していた。傍らで、アイビーが各国の情勢を補足してくれたため、作業は比較的早く終わった。

「お嬢様、これからいかがなさいますか?」
「昔、休暇で使用していた別荘へ参りましょう」
「では、私が手配してまいりますわ」

ミモザは、手にしていたペンを机に置き、部屋から出ていった。定期的に、父が屋敷の掃除をさせるために侍女を派遣させていたのは知っていたため、事が済めばすぐに療養できるだろう。

―――…

その晩に行われる夜会の参加は、体調不良という名目で辞退することにした。おそらく、私が療養という言い訳の元で辺境を過ごしている間に、婚約破棄の話が流れることになる。

(これから、忙しくなりそうね)

暖かな布団に潜り込みながら、先のことに思案を巡らせ、ゆっくりその眼を閉じることで、不安を断ち切ろうとした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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