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  永遠ノ園 作者:幼ゐこみ
七章 目覚めし者(三)

 目覚めし者(三)

 ガリに会ってもいいかと言いだしたのは、フェリだった。
 リボルトにもキイにも彼女に反対する理由もなかったので、二人ともついていく事にした。ガリという名前だけが手掛かりだなんて乏しすぎる、そうキイは文句を言ったけれども、森を探索するのは少し楽しそうだった。
だが、リボルトには憤慨する余裕すらなかった。
 生き残った猿、ガリはこの森の何処か。そして、それを阻む者はいない。
 確かに森は広大だが、歩きまわればそのうち会えるだろうと呑気に構えられる。
 否、リボルトが不穏に思っているのはその事ではなく、先程の老猪の話だった。
 ――猿が消えた?
 そしてその光景を目の当たりにした者たちが聞いたという、「止めてはいけない」という声。
 消えた、消えた……。
 否、消された?
 リポスの掟を破ってはいけないという話を思い出した。破る事の可能な掟を破ってはいけないという話だ。でないと、抹消される。存在を。
 そうだ、と、リボルトは眉間にしわを寄せる。
 ヒエナ女王が言っていたのだ。野性と心についてを知っているというあの女王が、リポスに逆らう者は抹消されると言っていたのだ。
 つまり、そういう事。
 猿達は掟を破った。
 リポスの精神を穢した。
 破ってはいけない、争い事をしてはいけないという掟を穢した。
 食べ合わないの次にあげられるというその掟を、穢してしまったのだ。
 だから、抹消された。ただ一人を残して。
「フェリ……」
 リボルトは黙って歩くフェリを見つめた。
 急に呼ばれて、フェリは若干驚いたようだったが、すぐに目を細め、いつものあの山猫の微笑を浮かべた。
 リボルトは無表情にそれを見つめ、訊ねた。
「フェリ、君は熱帯草原の者なら、野性と心は知っていると言っていたね」
 その問いかけに、フェリは何かを察したのだろうか、笑みは崩さなかったものの、リボルトには、その奥に秘める雰囲気が少しだけ変わった気がした。
 彼女は小さな口を小さく開き、呟く。
「言ったよ」
「なら聞きたいのだけど、今……」
 リボルトは言いかけたのだが、口を噤んでしまった。
 こちらを見つめるフェリの瞳に気付いたからだ。
 猫の瞳。森の薄暗さで丸く爛々と輝くそれには、見る者に沈黙を押しつける魔力のようなものが秘められていた。少なくとも、リボルトはそう思った。
 相手が自分の魔力に囚われたと分かったのか、フェリはやや己の緊張を解し、狐の笑みにも似た表情を作った。
 そして、また、小さな口から、小さな声。
「あたしは何も言わない、何も言えない、何も言いたくない」
 拒絶だった。絶対的な拒否。笑みとは裏腹に、その言葉は強かった。
 何も把握出来ずにいるキイまでもがうろたえるほどの、強い否定の意志。
 なぜ、どうして、という質問を一切受け付けないような力だった。
 思ってもみなかった局面に、リボルトもキイも戸惑っていると、フェリがそれまでの妖艶な笑みを解し、くすりと違う笑みを見せた。
「行こう、ガリに会えば少しは分かるよ」
 ガリに会えば少しは分かる。
 フェリがそう言う事が、妙に引っかかった。
 どうして彼女が言う事が出来ないのだろうか。
 どうして彼女は言う事を拒否するのだろうか。
 それが分からないと、ガリに会わなくてはいけないと言われても、しっくりこない。
 でも、フェリの拒否は絶対的だった。
 話す気になれないから話したくないという程度ではない。少し意地悪をしたいから話さないという程度ではない。それは、もっと強い意志によるもの。しない、したくないという単純な理由ではなく、出来ないという複雑な理由。
 リボルトには細かいところはよくは分からなかった。
 だが、その中にずかずかと踏み込んでいいものではないという事はよく分かった。
 リボルトにとって、狼は、特に、リボルトのいた《赤狼ドール》の群れの中では、集団で生きつつも、野里の犬よりも個人を捨てない生き方を大事にしているものだった。その集団と個人の狭間で、リボルトは《赤狼ドール》並みに悩み、《赤狼ドール》並みにもがいていたものだった。
 でも、それはリボルトだけではなく、他の《赤狼ドール》も同じ。
 集団で過ごしつつも、自分自身との擦れを感じた時に、皆、悩み、もがき、そして解決するという事を繰り返しながら時を過ごしていたものだった。
 集団だけを考えるのが狼ではないのだ。
 誰もが、他人には不可侵の自分の領域を持っている。
 そして、その中には、どんなに親しく、どんなに心を許した相手であっても、容易く侵入して欲しくないと感じてしまい、いつの間にか反撃して、自分の世界を守ろうとする。
 その自分の領域を守る傾向はきっと、猫達のほうが数倍強いだろうともリボルトは感じていた。
 だが、個人主義の猫でも、集団の中で悩む事はあるという話を、フェリから聞いたばかりだった。
 猫は他人とのことで悩む事なんてないだろうとリボルトは勝手に思っていたけれど、そうでもないらしい。フェリも悩み、でも、自分の世界も大事にしながら、うまく渡り歩くこつを学んでいくらしい。
 勿論、その方法は猫科専用なので、狼であるリボルトが真似したって上手くはいかないだろう。
 でも、リボルトはそれを聞いて、フェリをもっと理解出来るようになった気がした。
 つまり、狼も、猫も、違いはあれども、個々はそう変わらないという事かも知れない。
 だから、深入りしない。
 フェリが拒否するのなら深入りはしない。
 それが礼儀だと思った。
「しっかし、ガリはこの広い森の何処かなんでしょう? 一体何処にいるんだろうねえ? もうくたくただよ」
 ため息交じりにキイが言った。
 キイの身体は小さいのだから、リボルトやフェリよりも先に疲れてしまうだろう。
 フェリだって、狼と猫という身体の差はある。素早さ命の猫は、狼ほどの持久力がない。だから、あまり無闇に歩いても、体力を浪費するだけだった。
「ううん、誰かに会えればなあ」
 リボルトが溜め息を吐いて、空を見上げた時、ふとこちらを見下ろしている目に気付いた。丸い目。闇の中で光り輝く目。ぎらりと反転し、リボルト達を見つめ、細められる。
 その余りの不気味さに、リボルトはぎょっと身を竦ませた。
 そのリボルトの様子から、フェリもキイもそれに気付く。キイはリボルトと同じくびくりと身を竦ませ、いつもは垂らしている尾をびんと上げた。
 だが、フェリは、それを見つめ、「ああ」と目を細め、その目を見上げて微笑みかけた。
「忍び梟じゃないか。噂にゃ聞いていたが、本当に全く気付かなかったわ」
「忍び梟?」
 リボルトの問いに、フェリは答えず、くすくすと笑むばかりだった。
 その忍び梟とやらも、フェリが笑むのに合わせて、ほー、ほー、と笑っていた。笑っていると辛うじて分かったのは、その表情からだ。
「狼と猫という珍しい面子の旅人っちゅうのはおまえ達か」
 年の全く分からない男の声。忍び梟は目を細め、ほうほうと笑う。
「見たところ、猫と狼と言った方がよさそうだな。目覚めた順はその通りだろう?」
 忍び梟に合わせて、フェリもくすくすと笑った。
「その通り。さすがは忍び梟さんだよ。噂は本当のようだねえ。こいつらはまだひよこ。やっとリポスの与えた殻を破って孵ったばかりの雛さ」
「ほほう、つまりは目覚めたばかりの狼、というわけか。……覚醒した狼の瞳の奥には炎が宿る。だが、なるほど、そいつらのはまだ、生まれたばかりのぬるい炎だ。しかし、ぬるい炎はいつか、大火になり、すべてを焼き尽くすだろう」
「大昔の話ね。やれやれ、年寄りの話を聞かされると、耳に胼胝が出来るよ」
 フェリが呆れたように言った。
 リボルトには彼らの話がさっぱり分からなかったが、どうやらこの忍び梟とやらは、フェリよりもずっと長く生きているらしい事は分かった。
「……それより」
 フェリが話を切り出した。
「この森の裏主と言われている貴方にお聞きしたいのだけれど」
「ほほう、なんだね?」
 忍び梟は首をぐるりと回す。
 リボルトは大して驚かなかったが、キイはかなり驚いたらしく、びくりと身震いした。フェリは相変わらずくすくすと笑い、その姿を見上げる。リボルトから見ると、フェリと忍び梟は何年振りかに再会した友人同士のようだった。そうではないというのは、フェリの言葉の端々から、リボルトにも分かったのだけれども、妙にそれが気になった。
 フェリは一頻り笑うと、忍び梟をまっすぐ見つめ、訊ねた。
「ガリという猿を探しているんだが、知らないかね?」
「……ガリ、それはまたなんでだね?」
 ガリという言葉を耳にし、忍び梟は表情を変えた。
 澄ました笑いに隠されているのは、敵意ではなかったけれど、警戒か、嘲笑かのどちらかが含まれていた。どちらにせよ、リボルト達がガリという猿に出会う事に、この忍び梟はあまりよい感情を抱いていないのがリボルトとキイには分かった。
 それは勿論、フェリも同じだった。
「それは、あたしの都合さ。知っているんだろう?」
「ううむ、知っているには知っているんだが……」
「じゃあ、何処にいるか教えてくれないかい?」
 フェリは笑っていたけれど、その言葉には脅迫的なものがあった。忍び梟はフェリの様子をみて、ただ、ほうほうと鳴いた。その声からは、どんな気持ちが含まれていたのか、リボルトには分からなかった。
「猫は猫でも山猫だねえ」
 忍び梟は呟くと、羽根を広げ、木から下りてきた。
「さてと、ガリを見たのはちょいと前だったかな。会いたいのなら急ごうか」
 そう言って、飛び立つ。
 リボルト達が唖然としている中、フェリがその後を追った。そして、二、三歩進んで、リボルト達がついて来ないのに気付き、はっと振り返る。
「何してんだい、置いてかれるよ」
 その時になって、やっと、リボルトは状況を把握した。



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