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  皇國記 作者:真崎優
第五話 宴の夜




 かつて強勢を誇ったローマ。
 有名なユリウス・カエサル、英名ジュリアス・シーザーの時代であるが、当時はカエサルの他クラッスス、ポンペイウスが元老院を蔑ろにし権力を振るっていた。
 しかし戦果、功績を挙げ続けるカエサル、ポンペイウスに比べ、クラッススはさしたる業績も残せずにいたため、手近に思えた隣国パルティアへの侵攻を開始する。
 クラッスス軍五万余、パルティア軍一万余と、戦う前から勝敗は決しているようにも思えたが、カルラエ近郊での戦いはパルティアの圧勝に終わった。
 平地という大軍でも機動性を活かせる地形にも拘らず、一万に満たない騎馬弓兵の一撃離脱射撃により密集形態を取らされたクラッスス軍は、半年にも及ぶ遠征の疲労と、矢を防ぐために盾を支え続けたことによる脱水症状や熱中症によって衰弱していった。
 満を持して突撃した千騎余りの重装騎兵は白兵戦に弱いテストゥドを縦横無尽に切り裂いたと伝えられている。
 死者二万、負傷者五千、捕虜にされた者一万を数え、死者にはクラッススの息子プブリウスも含まれていた。
 クラッスス自身もその後間もなく死亡する。
 首級がパルティア王に献上されたことから部下に殺されたとの見方が強い。


 さして多くないローマ大敗の記録だ。
 以降何度もパルティアと戦っているが、勝敗つかず、ということも多くあった。
 基本パルティアの戦術は「負けない」ためのものであり、近接戦闘を苦手とするために会戦となると退却し、それを追って長征してきたローマ軍の長く伸びた補給線を絶って撤退させたりするのがその最たるものだ。
 こうした戦い方は何もパルティアに限るわけではない。
 スキタイやモンゴル帝国などの遊牧国家でも同じような戦術が展開されているが、ローマが初めて戦った遊牧民族がパルティアであったため、講じる対策がなかったのが戦争が長期化した一因といえるだろう。
 このカルラエの戦いも本来はもっと長い時間をかけた持久戦だったのだが、今回は思いの他効果的に働いてくれた。

 俺は一人で部屋を抜け出した。
 夜の風は身を切り裂くほど冷たいが、火照った体を冷ますには丁度いい。
 しかし、こんなところで読み漁った本の内容が役に立つとは思いもしなかった。
 昔から持っている金銭はほぼ全て書物へと姿を変えた。
 子供の頃の小遣い、学生の頃のアルバイト代、就職してからの給料。
 総額が幾らになるかなど恐ろしくて計算できない。
 つい最近も思い余って十二冊組の古書を購入してしまい、家賃の納入が遅れるという失態をやらかした。
 こんな社会生活不適合者でも、その無駄だった知識が役立てられるなら、この世界に来たのもあながち悪いことでもなかったかもしれない。

「レイジ、ここにいたのか」
「すいません、勝手に出歩いて」
「今日の主役がいねえと始まらねえんだよ」
「俺は何もしてませんよ。ほんの少し口を出しただけで……」
「がはははは! そんなこと言ってねえでさっさと来い!」

 半ば引き摺られるように連れ戻される。
 室内はアルコールの匂いが充満し、人は所狭しと床に座って酒を酌み交わしている。
 スヴェンは俺が酒に弱いことを忘れているようだ。
 そして傍らに座る少女はそれ知っていてなお飲ませようとする。
 果たしてよりどちらが性質が悪いだろうか。




 あの後の戦いはヒューゴの放った合図に呼応したスヴェンたちが疾風の如く敵陣に切り込み、敵の指揮官、貴族の馬鹿息子を討ち取ったことで終結した。
 作戦通り弱りきった皇国軍はたちまち瓦解し、指揮官を失った兵士たちは先を争って戦場を離脱していった。
 我々のリーダーであるところのスヴェンは、追撃しようとする若者らを諌め負傷した数人を連れて村に凱旋するという高潔ぶりを見せたかと思うと、呼び戻した非戦闘要員が集まるのも待たずに宴を始めたのだった。
 皇国軍が引き返して来たらどうするんだ、とクリスと笑い合ったのは秘密である。




 既に夜も深くなり、騒いでいるのは派手に顔まで赤くした赤銅色の髭男以下十数人。
 他はちびちびと肴をつまみつつ談笑したり、苦しそうに重なりあって眠っていたりする。
 俺も断りきれずに過去最多量のアルコールを体内に溜め込んでいたが、こんな気分もたまにはいいか、と流れに身を委ねていた。
 皆本当に嬉しそうだった。
 怪我をした六人もかすり傷程度の軽傷だったし、何より敵兵にも死んだ者がいないというのは上出来だ。
 それにきっと、この大騒ぎも近いうちにここを離れなくてはならないことがわかっているからだろう。

「……飲め」

 いつの間にか隣に座っていたヒューゴがなみなみと注がれた杯を突き付けてきた。

「いや、俺はもういいよ」
「いいから飲めよ」

 わけもわからず杯を受け取り、舐めるように口をつけた。
 するとそのまま立ち上がり、ふらっと部屋から出て行ってしまった。

「……何なんだ?」
「何だ、ヒューゴに気に入られたのか?」
「気に?」

 それは衝撃的な発言だ。
 ヒューゴと入れ替わりにクリスが座り込む。

「あいつは気に入った奴にはこうするのだ」
「クリスもそうだったのか?」
「そうだな、しつこい程に」
「それは災難だったな……」

 クリスはあきれたような表情でアルコールではない飲み物を傾けていたが、突然硬直した俺を不審に思ったようだ。

「どうした?」
「俺は普通に女の子が好きなんだが」

 可憐な美少女は盛大に吹き出しあそばされた。
 その後も取り憑かれたように笑い続け、何事かと皆が集まってもしばらくは収まらなかった。
 やはりこういうことは珍しいらしく、クリスもこんな風に笑うんだ、などという声もちらほら聞こえてくる。
 どうしたんだ、と聞かれたので経緯を説明すると、何かに取り憑かれた人間が増えてしまった。
 ……俺はそんなに面白いことを言ったのだろうか。




 半数以上が酔い潰れてしまったので毛布を掛けて回り、動けるものは自分の家へ帰っていった。
 俺はクリスと協力してスヴェンをベッドに運び、宛がわれていた部屋に戻ろうとした所で呼び止められた。

「話って?」
「いや、先刻は悪かったな、と、もうひとつ」

 改めて差し向かいに座っていると、気恥ずかしいような気もする。
 広間とは反対側の、廊下を広げたようなところに椅子が二脚と小さなテーブルが置かれていて、正面の椅子には優雅に脚を組んだクリスがいる。
 照明はテーブルに置かれたオイルランプと、外から差し込む月の光だけだ。

「何故私たちが戦っているか言っていないと思うが」
「そう言われてみればそうだね」
「もしかしたら我々のほうが悪人かもしれないぞ」
「でもそうは思えなかったし、それを今、教えてくれるんだろう? ならいいじゃないか」
「……本当におかしな奴だ、貴様は」

まだ俺の夜は終わらないようだった。