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  皇國記 作者:M's Works
第十九話 往く道を共に



 敵の情報を知りたくないか。
 少年は事も無げにそう言い放った。
 今現在どちらかといえば敵側として存在する少年は、宿題の答えを教える程度の気軽さで裏切りを果たそうとしている。
 戸惑いは隠しきれないが、クリスは努めて冷静に疑問を口にした。

「情報はあって困るものではないが、何故そんなことをするのか理由が聞きたい」
「警戒しているのかい? まあ、賢明な判断だよクリスティナ。もしかしたら僕は偽情報を掴ませて皇国に恩を売ろうとしているのかもしれないからね」

 そうだ。
 もしそんなことになったら目も当てられない。
 先日とは逆にこちらが奇襲を受けるようなことになれば、産声を上げたばかりの俺たちはいとも容易く葬り去られるだろう。
 少年は含みを持たせるように俺をちらりと見てからさらに語を繋げる。

「実はその動機もあり得るわけだ。何せオクセンシェルナは君と君の母親によって少なからぬ損害を被ったのだから、そろそろ失地回復に励まないとお家取り潰し、なんてことにもなりかねない」
「貴様!」

 引き絞られた弓から射ち出される矢の如く、クリスの体が弾けて少年の首に掴みかかる。
 手足を縛られたままの少年はそれを防ぐ手立ても無く、後頭部を強かに打ち付けられて苦痛の吐息を漏らす。

 俺は反応できなかった。
 捕虜に危害を加えるなど、彼女がそんなことをするわけが無いと高を括っていたのだ。
 直前に俺を見た少年の瞳は牽制だった。
 こうなるのがわかっていて、わざとやったのか。

「貴様に何がわかる! 母様は! 母様はっ……!」

 かつてここまで激昂するクリスを見たことがなかった。
 白い顔は上気して赤く染まり、怒りで塗り潰された瞳で眼下の少年を睨み付けている。
 口の端から泡を吹きはじめた少年に気付く様子はない。
 感情を抑えられないのも痛いほどわかるが、これ以上は危険だ。

「クリス、もう止せ。彼はわざと怒らせたんだ。何故かはわからないけど」
「わざ、と?」

 はっと正気に戻り、手を離すと全身から力を失ったかのようにして座り込んだ。
 何を言っているかわからない、といった目で俺を見上げる。

「クリスを試したんじゃないか、と感じたんだけど、どうだろう」

 四回噎せ込んでから体を起こした少年に投げかけた。

「危うく叔母様に面会の申し込みをするところだった」
「どういうことだ」

 吹き上げた怒りが肩透かしを食らって落ち着かないのか、うまく状況が飲み込めていないようだ。
 詮も無いか。
 俺だってクリスほどではないが混乱しているのだ、当事者たる彼女が自己を回復するのはもう少しかかるだろう。

「意地悪してごめんよ、クリスティナ。でもこれで僕の心も決まったよ」
「何だ、どうなっている」
「僕も君と志を同じくしよう、そう言ってるんだ」

 恐らく今のクリスが理解するのは難しいのではないか。
 重要なのは「君の母親」から「叔母様」に言い直した部分だ。
 そこに真意が隠されていると思う。

 すると少年は、気付いた? とばかりに目を細めるが、一貫して説明しようという気はないらしい。
 ……俺もひどかったものだが、このぐらいの年齢の男は他人を試すことで己の価値を確認しようとする。
 いや、もしかしたら女もそうなのかもしれないが、生憎俺は女になったことがない。
 とにかく解決策としては、こちらの推論を展開してみる他はないだろう。

「つまりクリスの戦う理由が知りたかった、そしてそれは君の思惑と一致した。だから共に戦おう、ということでいいだろうか」
「うん、七十点。肝心なところが抜けてるよ」
「肝心なところ?」
「そうさ。共に戦う方法が、ね」

 そんなことを匂わせる言動があっただろうか。
 この言い方を聞くと剣を持って戦うということではない、ぐらいはわかるが……。
 はて、何だろう。

「情報、だな?」
「正解だよクリスティナ。副官さんはだらしないなあ、一番最初のヒントじゃないか」

 うむ。
 言われようには腹が立つが、ことさらに言い返すのは大人のやり方ではないな。
 種明かしをしようとする気を削ぐこともあるまい。

「僕はね、叔母様が大好きだった。年に一度か二度ぐらいしか会えなかったけど、会える日がわかってからは楽しみで寝付けなくて、よくお爺様に怒られたものさ」

 訥々と語り始める少年。
 既にクリスも落ち着いていた。
 手足を封じていた縄を解いたときに小さくありがとう、と漏らして話し続ける。

「クリスティナやルクレティア姉様と遊んでいるときの優しい顔も、クリスティナとした悪戯がばれたときの怒った顔も、湖で溺れそうになったときに泣いてくれた顔も、全部はっきりと覚えてるよ」

 クリスが頷く。
 俺からは見えないが、もしかしたら溢れそうになる涙を堪えようとしているのかもしれない。

「楽しい時間はあっという間に過ぎて、お別れを言うのが嫌で困らせたこともあったね。今思えば馬鹿なことをしていたけど、当時はそれが何より大事なことだった。気付いてなかったのが悔しいけど、きっと僕の初恋だったんだろうな」

 網膜には投影されない何処かを見ていたような少年の瞳が、現実を認識する男の目に変わる。

「でも」

 何かを言おうとして口が半分開いたが、わずかな逡巡を経て引き締めた。
 まるで、ここから先を話す必要があるか? と言わんばかりに視線を逸らす。
 俺がどこまで知っているかわからなかったのもあるだろう。

 しかしそれで十分だった。
 彼はクリスと同じ思いを果たす道を、虎視眈々と窺っていたに違いない。
 その困難な道を支えると決めた俺が、困難を共にしようと歩み寄る者を無下に扱うことができようか。

「じゃあクリス、手伝ってもらおうか」
「まあ、そうだな。中枢の情報がわかるのは魅力的だ」

 もう少し素直に喜んでもいいだろうに。
 これも味だと思えば何と言う事はないのだが、クリスは素直なほうが可愛いのになあ。
 そうやって自分でも微笑んでいるのか苦笑いしているのかわからないでいると、少年も似た表情で彼女を眺めていた。

「ああ、そうだ。俺は伊藤玲司。こっちの人はレイジの方が発音しやすいみたいだからそう呼んでくれ」
「うん、何か面白い名前だね。僕はハンス・イェルディス・ラルス・アドルフ・ルーペルト・ロニー・ロルフ・レンナルト・オクセンシェルナ。どうしてもと言うならフルネームで呼んでくれて構わないよ。よろしく、副官さん」

 一瞬本気で覚えようとしたが、笑顔で左手を差し出してくる少年を見て止めた。
 どうやら仲良くやっていくには苦労しそうだ。

「こちらこそよろしく、ハンス」

 もちろん、俺も左手を出したのは言うまでもない。


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