露《ルーシュイ》の休日
龍にも休日くらいはある。
露は普段、敬愛する龍帝の為に身も心も魔力も全て捧げて尽くしてはいるが、どうも、彼は女が関わるとろくなことが無い。
近頃は天下の小国の娘に惑わされてろくなことをしないので、一層仕事が増えてしまったような気がした。
さらに厄介なことに、若い龍たちがそれぞれ好き勝手にしでかしてくれる。
一番まともだと信じていた道でさえ、近頃は獣人を飼うようになり、あの子犬の面倒を見ることに時間を割いて、風の馬鹿を監視する手が緩んでいる。
風は風で、妻のエミリーに骨抜きにされて今まで以上に仕事が雑になった。
雪に至っては我関せずで、自分の仕事はしっかりこなすが、それ以外は趣味にばかりのめりこんでいる。
そして、全員がそろいも揃って露に厄介ごとを運んでくる。
もう沢山だ。
今までは風に多少の嫌がらせをして鬱憤を晴らしてきたが、近頃はどうも、あのエミリーが悲しそうな顔をしたり、子犬が尻尾を下げたりするのが気になるようになった。
自分も甘くなったものだと露は思う。
しかし、露は元々気の長い方ではない。好き勝手やってる奴らの面倒を見るのはもう沢山だ。
疲れた。
龍帝に少し長めの休暇を申請し、近頃は皆天下に降りるのが流行っているようにも見えたので、滅多に降りぬ露も少しの間龍の役目を忘れ、天下で過ごそうなどと考える。
どうせ行くなら信仰の薄い地がいい。
そう思って選んだ先は、龍を捨てた国だった。
天下の民がレーベンと呼ぶ国は妙な地で、とても身分格差の激しい国だった。
本来なら最上階は龍帝が座すが、この国は国王が最上で、次に王族、貴族、役人、職人、商人、農民と続く。
しかし、実際は役人以下は酷い扱いだ。彼らは王族貴族を支えるための駒でしかない。
誰も好き好んで従ってなどいない。
ただ、今より酷い目に遭いたくないから従っているに過ぎない。
つまらない場所。
しかし、外面だけはいい連中は外面で国を保っている。
見栄を張るのが巧い。本心では思ってもいないことをぺらぺらと口に出来る。
好ましくない人種だ。しかし、露は彼らを嫌っては居ない。
生きるために必要なことならば、それは賢い選択だ。
それに、生き延びるために必死だからこそ、レーベンの職人の腕は素晴らしい。
わざわざ他国から求めて買いに来る者も多い。
中でも、露の目的は、帽子店だった。
少し前に注文して取りに行くのを忘れていたのだ。
個人経営の小さな帽子屋。しかも経営しているのはハッターという一族で、今の店主で四代目だと聞く。
祭りや舞踏会の時期となると行列が出来るほどに賑わう小さな店。
しかし、今日は人が少が居ない。
露は外から窓を覗いてみる。
若い娘が一人でせっせと造花を造っているところだった。
おかしい。確か、前に見た時は青年が作っていたはずだ。
もしかするとあの青年の妻だろうか。
おそるおそる店内に入る。
「あ、すみません。まだ、開店準備中で……」
娘が驚いたような顔をした後、おどおどと口にする。
「鍵、開いてたけど?」
準備中なら開かないはずだと彼女に言う。
「その……まだ、お品が出来ていないので……」
申し訳なさそうな彼女の手には、あといくつか花を付ければ完成するのだろうという帽子がある。
雪が好みそうな帽子だ。
「僕はただ、前に注文した品物を取りに来ただけだ。けど、それも気に入った。いっしょに包んで欲しい」
職人達は腕はいいが金は無い。
金を積めば大抵納得する。
しかし、目の前の娘は困ったような表情で「申し訳ございません」と口にする。
「こちらは他のお客様のお品なので」
「じゃあ、同じの作ってよ。僕はそれが気に入った」
別に、どうしてもそれが欲しいわけではないのだが、なんとなく、彼女の対応が気に入らなくてそう言ってみた。
「同じものは二つ作らないことが、創業当時からの店とお客様の約束ですから」
彼女はもう一度「申し訳ございません」と口にする。
気が弱そうなのに変なところだけ頑固。
なんとなく、エミリー・レザレクションを思い出して苛立った。
「もういい、注文してた帽子を」
「は、はい……あの、お客様のお名前をお伺いしても?」
「露だ」
「ルーシュイ様、ですね? ただいま確認してまいります」
彼女はそう言って、作業台のすぐ後ろの扉から保管室に入っていく。
あの部屋には預かり品や材料が沢山置いてあることもルーシュイは知っている。
恐らくは彼女の夫であろうあの青年に見せてもらったこともある。
暫くして、彼女は首をかしげながら帳簿を持って来る。
「申し訳ございません、ご注文されたのはいつごろでしょうか?」
「いつって、こないだだよ。ほら、若い男に注文したんだ。なんって言ったか……フラン? そんな名前だったと思ったけど」
「へ? フラン・ハッターに? あの……もう一度確認してきます」
彼女はものすごく慌てた様子で、帳簿を落として奥へ行ってしまう。
何か悪いことを言っただろうか?
彼女はなにやら木箱を持って来た。
「お待たせして申し訳ございません。その、中身の確認をしていただいても? なにせ……七十年以上前の品なので、劣化しているかもしれません」
「は?」
露は耳を疑った。
「ちょっと待った。フランは君の夫じゃないの?」
「いいえ。私は独身です。それに、フラン・ハッターは私の祖父の名です」
「マジ?」
露は頭を抱える。
天下に降りた時は龍であることに気付かれてはいけないというのに、天下の民の時間が短いことを忘れてしまっていた。
フランは木箱を開け、中身を確認する。
薄い青の帽子は、黄色いレースと青い薔薇の飾りが付いた繊細な品だ。
「出来には満足だ。保存状態もいい。けど……彼はどこへ?」
「えっと、二十年前に老衰で……」
「……そう。お代はいくらだったっけ?」
「それが、お代はいただけませんと、祖父の書置きがありました」
露は少し複雑な気分になる。
あの青年のことは気に入っていた。
珍しく、天下の民に興味を持ったから降りて帽子を注文したのだ。
まだあの頃は信仰があった。
まだ、彼は、露を神と讃えてくれた。
「そう。じゃあ、君、名前は?」
「え? あの、メアリーです」
おどおどとめんどくさい娘。
しかし、興味はある。
「その帽子、誰の注文?」
「お客様の情報をお教えするわけにはいきません」
「まぁ、すぐ分かるけど。ふぅん、なるほど。カルト殿下か」
力の乱用と言われようが、露にとって、調べごとは簡単だ。
「レーベンの王族は少し厄介だが……やっぱ、その帽子、貰ってく」
「ですから、こちらは他のお客様のお品で……」
「うん。だから、僕が奪っていったって君の依頼主に伝えればいい。ああ。ついでにこれを残していこう。レーベンの王族には少し恨みがあってね」
露は自分の透き通る青い鱗を一枚彼女に差し出す。
「……鱗?」
「君のような身分の低いものは目にする機会もそうないだろうけど、王族なら、カルト殿下には分からずとも、女王には理解できる」
ならば、あの王子も諦めるだろう。
「勿論、代金は倍は払う。君にも損はないはずだ。断るなら、僕が暴れて帰るだけの話だ。今は、主にも嫌がらせをしたい気分でね」
思い出しただけでまた腹が立ってきた。
混血の娘に骨抜きにされたあの情けない男の顔を思い出すだけで八つ当たりもしたくなる。
「困ります」
少し怯えた彼女の表情を見るのは、意外にも気分がいい。
「さっさと完成させなよ。僕はその帽子が欲しい。ついでに君の愛する殿下に嫌がらせもしたい。君は代金を倍は手に入れられる。三倍支払おうか? まぁ、君にとっても悪い話じゃないはずだ」
普通なら、頷く。
しかし、目の前の娘は違った。
「お帰りください」
少し、低い声で彼女が言う。
「は?」
「ここは、もう、私の店です。お客様が店を選ぶ権利があると同等に、私にもお客様を選ぶ権利はあります。たとえ、ルーシュイ様が祖父の代からご贔屓にして頂いているお客様だとしても、他のお客様にご迷惑をおかけするようでは、今後のご来店はお断りさせていただきます」
彼女はきっぱりとそう言って、鋏を置き、作業場から出てくる。
「出口はあちらです」
「……生意気な娘。お前、気に入ったよ」
こんなに楯突いてくるやつは初めてだ。
「仕方ない。今日は大人しく帰ってあげる。フランの帽子もあるし。けど、また来るよ。近いうちに」
そう告げれば、メアリーは困惑した表情を見せる。
「あの、こちら、お忘れです」
彼女は露の鱗を手に取り、返そうとする。
「ああ、それ、あげる。稀少なものだからちゃんとしたところに売れば相当高く売れると思うけど」
「そういうわけには」
「じゃあ、次に来るまで持ってて」
露は一方的にそう言い放ち店を出る。
店に来る口実はあの鱗でいい。
一度戻って、もう少し長い休暇を申請しよう。
面白い娘だ。あのメアリー・ハッターをもう少し観察したい。
フランとは似ていない。
気が弱そうに見えるのに、言いたいことははっきりと言う。変な娘だ。
嫌いじゃない。
むしろ気に入った。
露は、丁度見つけた水溜りに足を入れ、水の力を利用して扉を作り、自分の部屋に戻る。
これが最短距離だ。
フランの帽子をもう一度観察する。
全く、劣化が見られない。
素晴らしい品だ。きっとあの保管していた箱に何らかの魔術が使われていたのだろう。
仕方ないから、次に子犬が来る茶会で使うことにしようと、棚に帽子を置く。
メアリー・ハッター。あの娘を茶会に招いたらどんな反応をするだろうかなどと、不可能なことを考える。
天下の民は寿命が短い。
中でも、人の子は特に。
いや、龍の時間が長すぎる。
露は筆を手に取り、龍帝に長期休暇を願う書状を作る。
理由はどうするべきか。
天下の民の観察などという名目にしては、きっと龍帝も驚いて、追いかけている娘のことも忘れて戻ってくるかもしれない。
そう考えるだけで、露の苛立ちは少し吹き飛んだ気がした。