第73話 僕の人生は終わった
「妹の奴、リリムに俺と風呂に入ってた事を言っちゃったんだな…」
兄は軽く溜息をついた。
「どうせ脚の傷からそんな話になったんだろうけど…」
「脚の傷?」
カインが首を傾げる。
「あいつな、前に一度誘拐されてんだよ」
「ゆ、誘拐!? 妹さんがですか!?」
「ああ」
「お兄さんにですか!?」
「俺は誘拐してねーよ!!」
兄ならやりかねない。
「俺が助けに行ったんだけど、少しばかり遅くてさ、あいつは脚にナイフを刺されてたんだ…」
そう言うと、兄は鼻から下を湯に沈めてしまった。カインはそんな兄を悲しげな眼で見つめる。
「お兄さん、自分を責めないでください。妹さんを助けたのは、妹さんの命を救ったのはお兄さんなんでしょ?」
「……まあ、な。健忘症っつーのか知らんが、幸いあいつも事件の事は覚えてないみたいだし。でもやっぱあの傷を見ると自責に駆られちまうんだ…」
何だか湿っぽい話になってきた。
「俺は、あいつをしっかりと護ってやる事が出来なかった。俺は駄目な奴だ。だからさあ、カイン、よく聞いてくれ…」
「は、はい…!」
兄とカインは真剣な顔で向き合った。
(まさかお兄さん……妹さんを僕に……)
しかし兄の口からカインの期待するような言葉は出てこなかった。
「カイン、俺は妹もリリムも『自分の女』にする!!」
「ありがとうござ………え〜〜!!!!」
わけが分からん。
「お兄さん! 今までの流れを完全に無視してますよ!! 何でそうなっちゃうんですか!?」
「この前のディープキスで、俺のリリムに対するラブ・マインドは抑え切れなくなりつつある。だからと言って妹を諦めるわけにもいかない」
「でもさっき、俺は妹をちゃんと護ってやれなかったみたいな事言ってたじゃないですか!!」
「だからこそだ。『一度護りきれなかったから、もう自分には護ってやる事が出来ない』っつーのは、あまりにも無責任じゃんか。もう二度とあいつを傷付けないためにも、ずっと傍にいてやるのが筋ってもんだろ? 本当はこの世界に連れていくかでも迷ったんだが、やっぱり目の届く場所にいてほしかったからさ。ちょっと矛盾してるけど」
「そんな……じゃあ僕は……」
「ああ、お前は俺のライバルというわけだな」
「えっ?」
「いや、だってそうだろ? 同じ女が好きなわけだし(俺は二股だが)」
(ライバル…。そうか、そうだよ、相手が好きな娘の兄だから無条件で自分の負けだと思い込んでいたけど、全然そんな事はないんだ…。僕らは、対等なんだ…!)
違うぞカイン。むしろ法的にはお前の方が有利だ(この世界の法は謎だが)。
「負けませんよお兄さん!」
「フッ、血の繋がってないお前に勝てるかな?」
違うぞ兄よ。むしろ法的にはお前の方が不利だ(この世界の法は謎だが)。
『よく言った、救世主よ!』
「うおっ!? 何だよシスコンエロ!? 久しぶりだなおい!!」
「えっ、シスコエル様!? 何か聞こえるんですかお兄さん!?」
シスコエルは、兄の頭の中に直接語りかけている。だから傍らにいたとしても、カインに声は届かないのだ。
「何なんだよお前、こんな時にさ」
『いや、申し訳ない。たまに出ないと忘れられてしまうと思って…。もっとも君に話し掛けられる機会は限られてるんだがね』
「ふ〜ん。で、さっきの『よく言った!』ってのは何なんだよ? 俺の色恋沙汰なんてお前には関係無いだろ?」
『フフフ…どうかな? 私が何故、君に力を授けたか分かるかい?』
「知らんよ、そんな事」
『君が一番上手く私のエーテルを扱えるからさ』
「え? 何で俺が…?」
『波長さ。君と私は波長がピッタリなんだよ。私達は似た者同士なんだ』
「じゃあ……お前も変態なのか…?」
『直に分かるよ…』
「お、おいシスコンエロ! 何だったんだあいつ……」
シスコエルとの交信は途絶えた。
「シスコエル様、何て言ってました?」
「あいつも変態らしい」
「はっ…?」
「俺にもよく分からん。さ、そろそろ出ようぜ、のぼせちまう」
兄は血の池から出ると、温泉を仕切る壁へと歩きだした。
「最後に女湯を覗いてくか」
お約束である。
「ちょっ、駄目ですよお兄さん! ばれたら大変ですよ!」
「大丈夫だって。妹は俺に裸見られるの慣れてるし、リリムは俺に裸を見せたがる節があるし」
これだけ余裕のある出歯亀も珍しい。
「よっこらせっ!」
兄が板の壁によじ登る。
「お兄さ〜〜ん!」
呆れた顔をしながら、カインが兄の元へと駆け寄ってきた。
しかし温泉で走るのは愚の骨頂。カインは足を滑らせ、顔面から壁に激突してしまった。さらにその衝撃で兄が壁から落ちる。
カインの転倒はさらなる悲劇を生んだ。壁は数枚の板の連結によって成り立っているのだが、カインの衝突によってその板の一枚が女湯側に倒れてしまったのだ。
壁の一部を破壊して倒れたカイン。彼は今、下半身が男湯、上半身が女湯という状態にある。つまり顔を上げれば女湯を一望する事ができるのだ。
「う……うう………いたた……」
カインは額を押さえながら、おもむろに顔を上げた。
「あっ……ここって女湯じゃ……!?」
カインは辺りに首を巡らせた。
「よかった…。もう妹さん達は上がったみたいですね……」
カインは身を起こすと、ほっと胸を撫で下ろした。
「何だつまらん。もう出てたんだな」
女湯を確認してそう言い残すと、兄は腰を摩りながら脱衣所の方へと立ち去っていった。
「まったく、お兄さんは…。あれ? この板……何か下敷きにしてる………」
カインは倒れた壁から退いた。明らかに壁の下に何かが挟まれている。
「何だろう?」
カインは両手を壁と床の隙間に差し込み、ぐっと持ち上げた。
「……ん? あああああああ!!!!」
カインは頭を抱えながら叫び声をあげた。
「妹さぁぁぁぁん!!」
なんと、倒れた壁に潰されていたのは妹だった。妹は体にタオルを巻き、俯せに倒れている。
カインは直ぐさま妹を仰向けにし、上半身を抱えて呼び掛けた。
「妹さん! しっかりしつください! 『何があったんですか』!?」
この男、自分のやった事を揉み消すつもりなのか!?
「あっ、僕がやったんですよね…」
どうやら忘れていたらしい。それはそれでどうかと思うが。
「カ…カイン君…?」
妹が意識を取り戻した。カインの腕から離れ、ゆっくりと体を起こす。
最後の悲劇はその時起きた。体を起こした妹のタオルが開け、カインの目の前でその裸体が露になってしまったのだ。
「い…妹さん…!!」
「え…? キャアアアアアアア!!」
「グハァッ!!!」
妹はカインに強烈な右ストレートをお見舞いすると、すぐにその場を立ち去ってしまった。
「終わった……僕の………人生…………」
涙を流すカイン。彼はそのまま気を失った…。
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