少女漫画みたいな恋はしたくない!
まさか自分の人生で、食パンくわえて遅刻遅刻ー! なんて事態がマジで起こるとは思ってなかった。
だってさ、いくら何でもレトロすぎるだろ、そんなの。急いで朝食を取るか、食べずに登校すればいいだけの話だ。食パンくわえたまんまで登校なんて今時あり得ない。――と、思ってたんだ。今朝までの俺は。
俺んち、つまり橘家の朝は基本的に洋食だ。洋食っていうか、まあ、食パンだわな。適当な具を乗せて焼けばオッケーっていう手軽さがイイんだよな。
でもって成長期の高校2年生男子っていうのは欲深な胃袋を持っている。はっ! と起きたらかなりヤバい時間になってたもんだから、大急ぎで支度して俺は家を飛び出そうとした。のだが、玄関に向かう途中で皿に乗ってる食パンを見ちまったもんで、抑えが利かなくなったのだ。ああ、急いで学校行かないとまずいけど、食パン見たら一気に腹減った。食いたい! スライスチーズとサラミを乗せて焼いた食パンってすっげえ美味しいんだよな。
そんなわけで俺は食パンをくわえて、ひっへひまう! ――行ってきます、のことだ――と母ちゃんに告げて走り出した。
「アキト! 食べるなら座って食べなさい! 行儀悪いよ、まったくもう」
エプロンつけたままの母ちゃんの叱責が後ろからは聞こえてきていたのだが、悪いけど無視した。
いざ駆け出してみると何だか今の状況がおかしくなってきた。だって俺ってば、この二十一世紀、2016年という時代に食パンくわえて走ってんだぜ? お笑いぐさだよなあ。丁度、目の前には曲がり角。これがレトロな漫画だとさ、そこに女の子がいて衝突するんだけど。でも、ンなわけないよな。
……って、浮かんだ考えを失笑で打ち消して加速したのがマズかった。ドン! って俺は、角の死角から飛び出してきた誰かにぶつかってしまったのだった。
「ひゃあっ!」
と、高い声を上げたのは、相手じゃなくって俺の方だ。正面からぶつかった勢いで、俺はバランスを崩して尻餅をついてしまっていた。
やべ、全然前に気をつけてなかった。謝んねえと。って思ったとき、すっと目の前に手が差し伸べられた。あ、何か本気で、古い漫画みたいな展開かも。
濃いクリーム色みたいな服の袖。俺の高校は黒の学ランだから、違う学校の制服だ。
「ごめん。大丈夫?」
俺の耳に届いたのは、可愛らしい女の子の声……ではなくて。綺麗な響きの低音。つまりは野郎の声だった。
顔、上げてみればそこにいたのは、やっぱり男だった。
うわって思った。だってさ、若いイケメン俳優みたいな奴がそこにいたんだぜ!? いかにも少女漫画原作映画のヒーロー役を務めてそうなタイプの男! 髪型はちょっと気障ったらしい長めの茶髪で、制服のブレザーはボタンが全部開いている。崩し気味だけどよく似合った着こなしだ。でもって問題はそのツラだよ、ツラ。余裕っぽい笑みが浮かんだその顔は、クラスで一番、いや、学年で一番? もしかしたら学校で一番ってレベルで整っている。カッコつけた雰囲気だけど女受けは良さそうだ。
俺? 俺の顔は普通だよ。ニキビがあるとかエラ張ってるとかそういうマイナス面のクセはないけど、かと言って格好いいーって女子に騒いでもらえるようなタイプじゃない。たまに周りから、普段そんなに気にしてないけどよく見ると割とイケてるよねってコメントしてもらえる程度の面構えだ。こんないかにもな描写させんなよ。って誰に言ってるんだ俺は。何だよ描写って。
「ああ。わり」
俺はすっ転んだままで、男に向かって手を伸ばした。この辺じゃ見ない制服だな? どの学校の奴だろう。
男はなかなか俺を引っ張ってくれなかった。その視線は俺の股間あたりに集中していた。視線の先を追ってみて、うおっ! と俺は野太く叫んだ。
朝、急いで支度なんてしたものだから、制服をちゃんと着ていなかった。ズボンのホック全開だ!
「スパイダーマンパンツ……」
ぼそっと、奴が言う。
「み、み、見てんじゃねーよ!」
俺は自力で立ち上がった。で、大事なイチモツを挟んじまわないように気をつけながら、急いでホックを引き上げる。地面に接触していた尻を手のひらでパンパン叩く。
「見たくて見たわけじゃないよ。見たいわけないじゃん、男のパンツなんて」
「…………! ひ、人のパンツ見といてそれかよ!」
奴が言ってることはまったくの正論なのだが、溜め息と共に告げられると、見られた側の俺としてはやたらとムカつくものがある。
「ついてないな。朝から男とぶつかった上にパンツまで見ちゃうなんて」
「何だよ、俺だけが悪いのかよ!? そっちだってぶつかってきただろっ、ごめんって言ってたじゃねえか! そっちだって悪いだろ!」
やれやれ、とそいつが肩を竦める。
「ぶつかった相手がこんなにやかましい奴だって知ってたら謝らなかったよ」
「俺だってなあ、こんな嫌みな野郎だって知ってれば以下同文だ!」
「『謝らなかったよ』程度の言葉をいちいち省略するのか、きみは」
しばらく俺たちは言い合った。だが、ふと言葉に詰まったところで大事なことを思い出す。そうだ、今は。
「こんなことしてる場合じゃなかった! ち、遅刻しちまうっ」
だらだら話していられる状況ではなかったのだ。俺は奴に挨拶もせず、脱兎の如くって勢いで駆け出した。
ああ、何か朝からヤな思いをしたな――ってムカムカしながら。
で、ホームルームにはどうにか間に合ったわけだよ。自分の席に着いてフウウーッて息吐いて。じきに、担任のおじさん教師が入ってきた。長年食べてきた愛妻弁当ですっかりメタボになった腹を堂々と揺らしつつ、な。
「えー、今日は転校生を紹介する」
転校生? こんな中途半端な時期に? 今は十月、二学期の半ばだぜ。
先生の言葉を聞いて教室内がざわつき始める。
「入っておいで」
先生が開きっぱなしだった扉の方に喋り掛ける。手招きされて、そこから姿を現したのは。
「あーっ! おまえはさっきの、嫌み男!」
俺は、ガタンって音をさせつつ立ち上がって、入ってきた野郎に人差し指の先を向けた。ついさっき見た姿がそこにはあったのだ。あいつがこのクラスの転校生だって!?
「あ。スパイダーマンだ」
奴は目をまん丸くしている。怒鳴っちまった俺と違って冷静なのが癇に障るな。
「スパイダーマン?」
「アキトくんが? 何のこと?」
みたいな会話が周りから聞こえてくる。……こ、こいつ。人のパンツの柄をクラス中に広めやがって! 羞恥と怒りで顔が熱くなる。まあ、体育のとき一緒に着替える男子以外には、意味分かんねえだろうけど。
「なんだ、おまえたち知り合いだったのか。だったら流星の席は橘の隣にしよう。その方が早くクラスに馴染めるだろ」
複数の意味で聞き捨てならないことを先生が言った。俺がびっくりしてる間に、俺の隣にいた奴が他の席に移動していった。
せ、先生、いま、ナガレボシって言わなかったか? ナガレボシ……? それが、この気障ったらしい奴の名字なのか? いやいやいや、っていうかさ、ちょっと待ってくれよ。
ついついここまで、完全に無意識で進めちまってたけど。遅刻遅刻ーから始まってイケメンと激突、転んだ拍子にパンツ見られて言い合いになって、いざ学校に着いてみたらそいつが転校生だった、って。ベッタベタのベタじゃねえか! ちっちゃい「ツ」を十個ぐらい並べて、ベッッッッッッッッッッタベタって表してもいいね。
相手が女子じゃなくて野郎だったから、思ったまま素直に反応しちまってたけど。俺――とコイツ、ナガレボシ? は今、レトロな少女漫画のド定番パターンを思いっ切りなぞっちまってる。しかも俺がヒロイン側!
これはヤバいぞ。何か、俺の平凡な人生に、危険なことが起ころうとしている。これ……このまま進んじまったらマズい。俺とこの男でデキ上がっちまって、しかもこっちが女側だ。とんでもない! 阻止しないと、そんな未来。
流星がぺこっと頭を下げた。下げたっつっても軽く俯いたって程度の動きだ。やる気のねえ会釈。
「流星流星です。……よろしく」
えええええ。な、何だって? こいつ一体、何つった? でもって先生は黒板に何を書いた? 流星流星? で、読み方がナガレボシ・リュウセイ? どんな名前だよ。レトロ少女漫画の呪いだけじゃなくキラキラネームの呪いまで受けてんのか? こいつ。人の名前にケチつけるのも大概失礼な話なんだが、大いに引っ掛かってしまう。
流星が俺の隣の席に座る。ちなみに、文字にすると分かりづらいけど、俺はこいつを名字で呼んでいる。以降、流星って出てきたらナガレボシって読んで欲しい。ん? 文字? 読む? おかしいぞ今日の俺は何を言ってるんだろう。っていうかさっきから誰に向かって喋ってるんだ? 俺。
流星が、意地悪そうにフッと笑い掛けてきた。
「よろしく橘。いや、スパイダーマン」
「ううう。その呼び方やめろ……!」
気にくわねえ。パンツの柄を言われるのが嫌って意味でも、その行動がいかにも昔の少女漫画っぽいって意味でも。流星、おまえ分かってんのか? このまま見えないテンプレートを進んでいったら俺たちはデキ上がってしまう、かもしれないんだぞ。少女漫画フラグをどしどし重ねちまってるからな、俺ら。
それはそうと気になることを聞いてみる。
「なあ、どうしておまえ、名字と同じ名前なんだよ。親がそういうおふざけ好きなのか?」
流星が寂しげに目線を外した。
「元々の名字は違ったんだ。複雑な事情で実家と縁を切って……でも、親戚の誰も、俺の面倒なんて見たがらなくて。ずうっと遠縁の、他人レベルの親戚がようやく俺を拾ってくれて、そこの名字になったんだよ」
あ、意外と真面目な理由だった。
*
転校してきた流星は、ちょっと影のあるイケメンとしてあっという間に女子たちの人気を獲得した。顔がいいだけじゃなくって勉強も運動もできたんだ。そりゃモテるよな。
数学の先生がうっかり、大学で使ってたテキストを持ってきちまってそこから問題を出せば――っておいおい、それもまたえらく古典的なミスだな――ともかく高校のレベルを超えた問題を出されても流星はスラスラッと回答した。バスケやらせたら点取りまくりで、でもすごいすごいって女子から騒がれると、めんどくさそうにフーッて溜め息。整った顔してるからそういうことすると、ひたすら気障ったらしいんだよな。で、そのかっこよさに女子たちはまた、キャアーってなるわけだ。
でも、クラスの奴とはあんま喋らない。話し掛けられると怠そうに答えるがそれぐらいだ。
流星が転校してきて数日。その間に俺はまた、流星相手にいかにも少女漫画っぽい展開を経験してしまっていた。
学校帰りに商店街に寄ってったら、よう兄ちゃん、ちょっと遊ぼうぜっつってチャラそうな男が声掛けてきたんだよ。はあ? って思ってる間に、そいつに手首掴まれた。そこに流星が颯爽と現れて、
「そいつから離れろ」
とか低ぅい声で言い放ったんだ。俺の手首を掴んでた男はびっくりして逃げてった。
「何だよ、彼氏持ちかよ!」
っていういかにもな台詞を後に残して。
いやいやいや。どうして17年間、ホモとは無縁だった俺が、流星と知り合った途端にそっち系っぽい野郎から絡まれることになるんだよ。そこで彼氏持ちって表現が出てくるのおかしいだろ。これも流星の影響力によるものなのか? おまえはどういう星の下に生まれついてんだ? 流星。
「さ、サンキュ、流星」
俺としてはまあ、礼を言うわな。流星はそれに答えることもなく、背中向けてさっさと離れてった。
何だあいつ。知り合うなりパンツの柄をからかってきたもんだから、嫌な奴だとばっかり思ってたけど意外といいところもあるんだな、なんて俺はついついキュンとし……て堪るかーッ! 危ねえっ、自分から危険な世界に足突っ込んじまうところだった。ふーっ。
どうも流星と関わると、時代を遡った少女漫画の世界に引きずり込まれちまうみたいだな。シチュエーション的にも、気持ち的にも。いけないいけない、巻き込まれたら。
阻止するんだ。叩き折るんだ。流星と俺の間に次々発生する、少女漫画的なフラグを!
ということで奮闘する俺だった。流星が転校してきたのは二学期途中の十月、つまり文化祭の間近だったから、そのうちクラス委員主導でこんな話し合いをすることになった。
「今日はー、文化祭の出し物を決めたいと思います」
一応言っとくけどさ、流星がやって来るまでウチのクラスは、ごくごく普通だったんだよ。休み時間にはスマホでグラブルとかツムツムやって、制服の着方とか私服だってちゃんと2016年スタイルで。まあその辺は今でも変わらないんだけどさ、とにかくみんな、ちゃんと現代っ子だったんだよ。
それなのにみんなが出した文化祭の出し物案は悲惨だった。
クラス演劇、眠れる森の美女。
2-Cメンバーで送るクラスバンド。
冗談じゃねえ。それを聞いたとき、俺の頭には『10トン』って書かれた石がゴチーンって落ちてきたね。
どうしちまったんだよみんな。そのチョイスは二十一世紀に持ち込んじゃいけないやつだろ!? ……実際、文化祭でこの二つの催しを楽しんだ奴がいたらスマン。けどな、そのアイディアは何て言うか時代を感じるし、それにモロにレトロ少女漫画展開にいっちまいそうじゃないか。
見えるぞ俺には。眠れる森の美女、王子役はイケメンだからってことで流星になって。姫役はクラスの誰かになって、俺は雑用で。でもいざ文化祭当日になってみたら姫役のクラスメイトが欠席。代役をこなせるのは誰だ? アキトしかいない。よしアキト、姫役をやれ! ……ってことで急遽俺はお姫様を演じて、クライマックスのキスシーンでは実際に流星とキスしちまうことになる。
もしくはバンドの方。ボーカルを流星が務めることになって、これがまた上手くてスッゲエ盛り上がって。でもって歌詞がいかにもなクサい感じだったり、ステージ上で流星が俺に向かって恥ずかしいことを言ってきたりする。
なしなし、どっちも! どっちもなーしっ!
以上の想定は、流星が俺にそういう感情を抱いている前提で進めている。勝手に他人をホモ扱いするなんておかしいぞって批判もあるかもしれない。だけどな、俺としてはやっぱりどうも、話がそっち側に進んでいきそうな気がするんだよ。
転校してきたばっかの流星の面倒は俺が見てやることになった。隣だし、初日からの知り合いだしな。そうすると流星は俺とばっか話すようになって、俺と話すときだけ笑ったり、今日もスパイダーマンなのか? なんてからかってきたりして。俺も絡まれたときに助けてもらったもんだから恩もあるしさ、割と、とんとん拍子に仲良くなりつつあって。そこに加えて少女漫画な出来事の数々だ。このままいくと文化祭の辺りでヤバいことになるぞって、俺の第六感は告げている。
だから俺は、ビシッ! と挙手した。
「演劇もバンドも準備が大変だと思うし! もっと無難なのでいいと思うっ、無難なのでっ!」
そっち方向に行かせては堪るもんかとばかりに、懸命に意見を主張する。その結果、うちのクラスの出し物は、簡易喫茶に決まったのだった。色んなクラスがやる無難なやつだ。
ふう。これだったら、変な方面には行かないだろう……? 語尾にハテナがつくのが悲しいところだが。
と、そんなこんなで安堵していたら、ある日の帰り道に大雨が降った。俺はうっかり傘を忘れちまってたので、少しでも早く帰ろうと思い、通学路を走っていた。足が地面につくたびに、水たまりがバシャバシャッて跳ね返ってくる。
橋の辺りに差し掛かったところで俺は、河川敷に立つ人物を見掛けたのだ。
灰色の雨雲。降り続ける雨。その暗い空の下に立つ人物。あいつって……流星、だよな。
転校当初には前の学校の制服を着てた流星も、この頃には既に、俺と同じ格好になっていた。ちょっと遠くにいるけどあの髪型と色は多分あいつだろう。ちなみに流星の髪が茶色なのは生まれつきらしい。この前、生徒指導の先生と、
「それが地毛なわけないだろう! バレバレな嘘をつくな!」
「だから、嘘じゃないですって。これだからセンコーなんか信じられないんだ……!」
みたいなまたしてもテンプレートなやり取りをしてたから、俺が慌てて止めに入ったことがあった。ちょっとちょっと先生、本当らしいですよ、ほら根元見てくださいよ同じ色でしょ、って。そしたら先生は、橘が言うならそうなんだろうなっつってバツが悪そうに去ってった。つーか流星よ、センコーって。この時代にセンコーって。おまえはいいのかその人生で?
ま、回想なんかどうでもよくって、問題はいま目の前にいる流星のことだよ。何であいつ、こんな雨の日に川の前に立ってんだよ? 俺の位置からは背中しか見えないからよく分かんねえけど、あいつの足元、段ボール箱が……ある?
これ、たぶん、近寄ってみるとまた変な展開になるやつだよなあ。でも……こんな雨の中で棒立ちになってるクラスメイトを放っておくことなんてできねえよ。妙な事態に巻き込まれるかもしれないって分かってても、だ。
「流星?」
俺は近づいてって、声を掛けた。
「橘……」
雨で全身びしょ濡れになった流星が、悲しそうに振り返る。っていうかさ、俺たちって同じクラスだよな。学校を出た時間は大体同じだったはずだよな? どうして走ってきた俺よりも先に、おまえがここに突っ立っているんだよ。ワープでもしたのか? そもそもおまえも傘忘れたのか?
とか言ってられる雰囲気じゃなかった。流星がこっち向いてみて分かったのだが、奴はその手に子猫を抱いていたんだ。二匹いる。まだ生まれたばかりなんじゃないだろうか。
ぎょっとした。流星の足元の段ボール箱には、『すてネコです。ひろってください。』という文字がマジックでデカデカと書かれていた。これまた今時見掛けない文章だが、ンなことに突っ込んではいられない。こんなちっちゃい猫が雨の中にいて……流星はその猫を抱いて、寂しげに立っていて。
ほっとけるわけねーよ、こんなの。
「おい、流星、どうしたんだよ。……って見たまんまか。捨て猫がいたんだな?」
流星が下唇を軽く噛む。そして、こくんと頷いた。前髪の先端から、つうって雨が滴って頬に落ちる。流れていくそれは何だか涙みたいだった。これもまた時代を感じる表現か?
「こんなところに立ってたら、おまえも猫も濡れちまうぞ。取りあえず、そこの橋の下にでも行こうぜ」
促して手を引けば、流星は素直に従った。重い足取りだったけどな。
今日はどしゃ降りだから、橋の下まで行っても辺りは湿っていた。だけど橋っていう超大型の傘がある分だけ、河川敷よりはずっとマシだ。
「どうしておまえ、突っ立ってたんだよ」
ティッシュを出して、取りあえず猫を拭く。ミャアって二匹が弱々しく鳴いた。濡れてしまった小さな三毛猫は痛々しい。その次には流星だ。奴は奴で、とても辛いことがあったみたいに痛ましく睫毛を伏している。
それからぽつり、ぽつり、流星が深刻に語ったのがこれだ。
「この捨て猫が、まるで、俺みたいだったから。抱いたら、動けなくなったんだ」
うわ、出た!
って言っちゃ悪いよな、こいつは真剣なんだもんな。でも捨て猫が自分みたいって、そりゃワンナイトカーニバルの時代の台詞っつーか。古い、古いんだよ流星!
……けど。前の世代で流行った言いまわしだろうが、古き良き少女漫画のテンプレートだろうが、流星が『いま』同じことを感じているのは事実なんだ。こいつはいま、本当に、捨て猫を自分と重ね合わせて嘆いてる。それを思うと流星のことがどんどん心配になっていく。
雨を吸った流星の学ランには憂鬱な重さがあった。しばらく雨の中で棒立ちになってたコイツは、髪だってべしゃべしゃだ。でも、腕の中に抱いていた猫は、ほとんど濡れていなかった。流星が庇うように抱きしめていたから。あんな叩きつける雨粒をその身に受けながら、猫のことは守ってたんだ、コイツは。
優しい……奴なんだな、流星って。そして、何かに傷ついている。
漫画みたいな台詞がどうだとか、ついさっきまで考えちゃってた自分のことが恥ずかしい。
「何でその猫がおまえみたいなんだよ」
聞いてみたら流星は、答える前に一度、ぎゅっと唇を横に結んだ。問い掛ける俺の方は見ないままで、ニィニィと鳴く猫たちを眺めていた。その横顔が俺には、すごく綺麗に見えたんだ。男相手に変なんだけど。何つーんだろう、自分だって抱えてるものがあるのに、弱い存在を優しく守っているその在りようが。ああ、こいつ、いい奴だなって。
良い悪いの『いい』じゃない。人として大事なものを持ってるんだなって、心にじんわり染みてくるんだ。好きって意味での『いい』っていうか……いや、深い意味はないぞ!
水もしたたるようないい男って言葉があるけど、こうやって濡れてると流星って本当にそうだよな。憂いを帯びた美形。三角座りが決まってる。モデルがポーズ決めてるみたいに、デキすぎてる。
「俺も親に捨てられたから」
ようやく、流星から返事がある。ザアアという雨音にかき消されそうな呟きだった。
「もう、要らないって。……親戚も俺を引き取ってくれなかった。たらい回しにされた末にようやく、今の家が俺を置いてくれることになったけどさ、要らない奴なんだ俺。この猫と同じだ」
「違う!」
途中まで俺には、何も言えなかった。流星が語った内容の重さに、掛ける言葉が見つからなくなっていたのだ。だけど、俺は要らない奴だなんて流星が言うもんだから、それを聞いたら弾かれたみたいに否定が出た。
大声を出した俺のことを、流星が戸惑ったように見てくる。
「流星が要らない奴だなんて、そんなことねえよ! 俺にはおまえの詳しい事情、分かんないしさ、そのことで辛い思いもしたんだろうけど。でもそこだけは否定させてもらう。流星が来てから何か、変なことばっか起こるようになったけど、でも俺は楽しい。流星が来て、楽しいんだ」
楽しい。言ってみて自分で、しっくり来た。
平成のこの時代じゃ漫画でも見掛けないような体験を、流星と出会ってからの俺はいっぱいしている。何で古い少女漫画みたいな展開が重なるんだよ!? 何で俺が女側なんだよ、このまま進んだらどうなっちまうんだ!? って恐れと戸惑いは大いにある。
だけど何だかんだ言っても新鮮だ。流星といると面白いんだ。ギャーギャー言いつつ本当は、次には何が起こるのかなって、楽しみにしちまってる。最近はそんなところがあるんだよ。
「おまえがいなかった頃と今じゃ全然違う。俺は流星がこの学校に来てくれて良かった。他の奴らだってそう思ってるはずだぜ。女子はおまえ見て喜んでるし、男連中だってそれに文句は言ってるけど、大事なクラスメイトだと思ってる。だから要らないなんて、そんなこと言うなよ」
言いながら、俺は切なくなってきちまった。流星だってさ、好きでさっきみたいなこと言ったわけじゃないんだよな。そう思わざるを得ない出来事があったんだ。親に捨てられるってどれぐらい辛いことなんだろう。俺には想像もできねえよ。親戚をたらい回しってのもそうだ。こいつは淡々と言ってたけど、本当にキツかったと思う。
ごめんな流星。おまえのこと変な名前とか、古い少女漫画だとか思ってごめん。おまえはナガレボシリュウセイ。漫画の登場人物じゃなくて、俺の隣にこうして居る、生身の高校生なんだ。俺と同じ。みんなと同じ。大切な同級生。
鼻、ツンとしてきた。やべえ泣きそうだ。今更だけどコイツのこと分かってやりてえよ。
「何で橘が泣きそうになるのさ」
流星は驚いている。あ、気づかれちまった。男なのに半べそかいてるなんてみっともないよな。ぐし、と制服の袖で目元を拭う。
「おまえが可哀想だから」
「……親に捨てられて、親戚中たらい回しだもんな。確かに客観的に見れば可哀想だろう」
「そういうことじゃねえよ! 自分は要らない奴だって思ってるのが、可哀想だって言ってんだ!」
流星が目ェ瞠った。
「辛いことあったからそう思っちまうのかもしれねーけどさ、もう、そういうこと言うなよ。自分は要らないなんて……。少なくとも俺には流星が必要だ。もっと、おまえのこと分かってやりたいんだ」
「橘」
返す言葉がなくって、取りあえずは名前を呼んできたみたいだった。必要だとか分かってやりたいとか押しつけがましいか? でも本心だ。
流星がふと、優しい顔をした。
「ありがとう」
素直に礼なんか言われて、ドキッとしちまう。う、うわ、そうやって笑い掛けてくんなよな。俺はおまえのこと、少女漫画のヒーローみたいだなって思ってたわけで――つまりそういう相手として意識しちまってる部分もあるわけで。見つめられて感謝なんかされると、何だその、照れるって。
「橘は優しいね」
「そんなことねーよ」
おまえが考えてることを、事情もよく分かってないのに頭ごなしに否定しただけだぜ、俺は。
と、照れくささからそっぽ向いたら、雨の音とは違う何かが聞こえてきた。ん? 何だこれ。
「おい、流星。何か聞こえねえか?」
「ああ、聞こえる」
子どもの声だ。ちゃーん、……ちゃーんって。耳を澄ましてみたら、はっきり聞き取ることができた。
「猫ちゃん! 猫ちゃーん、どこ行っちゃったの!?」
猫ちゃん。それって、流星が抱いてる猫のことか?
声がしてきた方を見てみたら、傘差した男の子が、母親と一緒に辺りを見回していた。6,7歳ってところだろうか?
「あの子、この猫を捨てた子なんじゃないか?」
「そうかもしれない」
俺は立って、橋の下から出ていった。おーいって子どもに向かってぶんぶん手を振る。
「猫! 橋の下にいるぞ」
「ほんとに!?」
てててっ、と子どもが駆け寄ってきた。少し遅れて母親。男の子は橋の下に行くと、流星には目も留めずに猫を覗き込んだ。
「猫ちゃん! さっきはごめんね! ごめんね、寒かったよね。お母さんのこと説得したから。おうちに行こうよ!」
俺と流星が、急展開にぽかんとしてる間に、おっとりした印象の母親が丁寧に頭を下げてくる。
「すみません。その猫を、この子に渡してあげてくれませんか? 私ったら、頭ごなしに厳しく言っちゃって……。反省してるんです。一度捨てさせてしまったけど、もうそんなことしません。家族として、その猫たちを大事にしていきますから。だからこの子に、お願いします」
「ああ……はい」
流星が猫を差し出した。嬉しそうに子どもが子猫をぎゅっと抱く。ニャアとそのうちの一匹が鳴いた。
「ありがとうございます。大切にします」
「お兄ちゃん、猫ちゃん濡れないようにしてくれてありがとね! ばいばーい!」
二人が去って行く。
親子の姿が見えなくなると、俺はようやくホッとした。何だ、猫、ちゃんと拾ってもらえたんだ。必要としてもらえてたんだ。
笑いながら流星を見れば、向こうは苦笑していた。
「おまえ、あの猫に似てるんだっけか? 良かったな。あの猫、あの子どもにとって必要だってさ」
「そうだな。良かった……」
全身ずぶ濡れのくせして流星は、温かく語るのだった。
*
あの雨の日を境に俺と流星は一気に仲良くなった。あ、ナガレボシじゃなくってリュウセイ読みな。下の名前であいつを呼ぶようになったんだ、俺。流星も俺のことアキトって呼んでくる。
あれ以降もやっぱり、流星といるとコテコテな出来事が発生する。二人で行った資料室でもつれて転んで、俺が流星に押し倒されたような格好になって、しかもそこに何かのコードが絡んだもんだからしばらく密着したままになっちまったり。休日に流星が女と歩いてるとこ見掛けて、親しげだったもんだから、彼女いたのか? ってモヤモヤしてたら妹だって判明したり。流星は実家から出たけど妹さんはそのまま家に残ってて、久々に会いに来たってことだったらしい。
そういう『いかにも』なことを俺は、次第に『流星らしいな』って思うようになりつつあった。そうやって考えてみると何が起きたって面白く感じる。俺も慣れてきたってことなのかな。
……っていう油断を吹き飛ばすようなことが、文化祭の当日に起きた。
「な、な、何だよこれっ! この衣装はーっ!」
俺は、クラスの女子お手製の衣装を手にしながら怒鳴っていた。
「俺にこんなの着ろって言うのか!?」
「うん。そうだよ。着てみてよー、アキトくん」
俺たちのクラスの催しは予定通り簡易喫茶だ。ただ売るだけじゃ面白くないから、せっかくだしオリジナル衣装も作ろうよって女子が言うので、それについては女子たちに任せていた。
てっきり『2-C』って刺繍が入ったエプロンみたいなのだとばかり思ってたのだ。それなのに! いざ、開催十分前になって渡されたのは、フリフリの……メイド服だったんだ!
嘘だろオイ。これを俺に着ろっていうのか!? 一応平均身長は越えてるこの俺に!?
「往生際が悪いよアキト。ここまで来たんだ、さっさと着ておいで」
既に執事服に着替えた流星が言ってくる。うお、流星の奴、似合ってんな……! ギャルソンみたいでかなりイケてる。うっかり、うわ格好いいなって思っちまって反応が遅れた。女子たちの、キャアア! 流星くん格好いいー! っていう黄色い悲鳴の集団に、悔しいんだけど同意。
どうして流星に執事服、俺にメイド服なんて用意されてるのかっていうと、そこにはこんな理由がある。
オリジナル衣装って言ってもただのエプロンとかじゃつまんない。せっかくだからもっと、思い出に残って話題にもなるようなやつにしたいよね! 簡易喫茶はたくさんあるから、そうやって差別化しないと他のクラスにお客さん取られちゃうし。そうだ、お客さんに食べ物とか飲み物を出すんだから、執事とかメイドさんっぽい衣装なんてどうかな? それだと作るのが大変で、たぶん一着ずつしか作れないだろうから、誰か二人に着せるってことで。執事服はもう流星くんに決まりだよね! 超格好いいもんね! 問題はメイド服の方だよ。流星くんと一緒に目立つことになるんだもんね。あ、そうだ、女子から選ぶと喧嘩になっちゃうかもしれないから、いっそメイド服も男子に着せちゃわない? それって絶対面白いよ。うんうん、執事服は流星くん、メイド服は男子に決定! そうなるとさ、流星くんと仲のいいアキトくんだよねっ!
以上。
衣装については女子に任せっきりにしてた俺らは、そんな話になっていたことを全く! 知らなかった。こうして当日になって、準備も終わってあとはお客さんが来るのを待つだけだな、そういえば衣装はどうなったんだ? って聞いてみたらメイド服なんか手渡されたっていうわけなのだ。しばらく前に、女子に体のサイズを測られたけど、まさかこんな服を作るためだとは思わなかったぞ。
「俺だって着たんだから早くしなよ。クラスのみんなのためだろ?」
腰に手なんか当てて、苦笑しながら流星は言っている。そりゃ、おまえはいいよな、ちゃんとした男モノの服なんだから。俺なんかヒラヒラのフリフリだぞ!
嫌だ、断るってしばらく俺は繰り返してた。流星はやたらと勧めてくるし、女子たちもそれに同調している。野郎連中も、もう諦めちまえよアキトー、なんつって笑ってて俺は孤軍状態だ。
最終的には女子から、
「私たち、頑張ってデザインして、頑張って作ったんだよ。この日のために! アキトくんが着てくれなかったら、今日までの努力が無駄になっちゃう……!」
って泣きそうな顔をされたものだから、断り切れなくなってしまった。そうだよな、みんな、頑張ったんだよな。方向性は間違ってるけど!
「分かった、悪かった、着てくるから!」
「ほんとっ?」
くしゃくしゃっと顔を歪めてた女子が、いきなり明るい笑顔になった。もしかして……泣き真似だったのか? おい、流星、なに笑ってんだよ。単純? それ俺のこと言ってんのか? シメるぞコラ!
文化祭の開始時刻まではあと五分ぐらいしかない。ここまで来ちまったら、腹くくるしかないよな。
よし、着よう。
俺は深く考えないことにして決断し、大急ぎで着替えた。女子にパンツとか見せるわけにはいかねーから一応仕切りの向こうに行った。材料や道具を置いとくための仕切りだな。
いざ身につけようとしてみると、すっげえ抵抗感に襲われる。このフリルだらけの、可愛い女の子にしか許されないような服を俺が着るのか。本当に? ええい――考えるな、橘アキト! みんなの笑いをかっさらってやれ!
「着たぞ!」
威勢良く仕切りから出て行った。勿論、鏡なんて辺りにはないから、どんな風になってるのかは分からない。
それを見たみんなは、ぶははは! と大笑いした。……っていう展開を俺は予想していたのだが、実際は違う流れになった。感嘆、歓声、それから拍手。
「似合う似合う!」
「わあ、予想以上だよー!」
「意外といいじゃん」
おいおい! みんな、マジかよ!? えーっ、俺は別に女顔とかちっこいとか、そういうタイプじゃないんだぜ? 一応、並よりはガタイがいいし、どっからどう見ても男だ。それなのにこの反応。まさか俺、容姿まで少女漫画化しつつあるんじゃないだろうな? 鏡を見てみたら、パッとしなかった三つ編みメガネっ子がメガネを取って超可愛くなるみたいに、「こ、これが俺!?」って感じのショタ少年がいるんじゃあないよな!?
あり得ないことを本気で心配しつつ、フランクフルト販売用の台の前に立ってみる。その台はコンビニの肉まん売るやつみたいに、透明のガラスがついてるから、前面に行けばちょっとした鏡代わりになってくれるのだ。うっすらと見えた俺の姿は……は、は、恥ずかしい! うわあ、マジで俺、メイド服着てる。ちゃんと俺だ。いつも見てる俺だ!
野郎がメイド服を着てるっつー違和感は意外にも少なかった。そりゃ変だぜ? 明らかにおかしいぜ。でも、あんまりキモいみたいな感じにはなってないというか。そのまんまストレートに、男がメイド服を着てる。それ以上でもそれ以下でもない。これがナヨナヨしたタイプだと逆に、男なのに女みたいでちょっとね、って印象になるのかもしれないがあいにく俺は普通の男子高校生だ。普通の奴が文化祭のネタとしてやってるんだって、一見して分かるからこそ、あんまり不気味じゃないのかもしれない。
でも、こんな姿をみんなに見られちまってるんだ。流星にも。あ、そういや流星、俺が着替えて出てきてから何も言ってねえ。どん引きしてるのか? キモいと思ってんのか?
恐る恐る、奴の方を見てみる。すると流星は、目をおっきく開けて、俺を真っ直ぐ凝視していたのだ。
肯定的な目つきと否定的なそれの区別ぐらいは俺にだってつく。流星が俺を見る目は、まるで吸い寄せられてるみたいで……目が離せないみたいで。や、やめろよ、照れるって。
「流星?」
呼んでみたら、奴がハッとした。
「悪い……見とれてた」
「眼科行けよ」
どうなってるんだこの世界。何でクラスメイトが揃いも揃って男のメイド服を褒めてくるんだ? 気にするだけ無駄なんだろうか。
でも、流星に引かれてなくて良かった。俺は他の誰でもなく流星の感想が気になっていたんだ。
こうして文化祭が始まった。
特別な格好をした俺と流星は、2-Cの目玉。教室の外で呼び込みやったり、看板持って校内を練り歩いたり、そういう宣伝系のことをやった。注目度は抜群だった。そりゃそうだよな。イケメンの執事服、アンド、女装してる野郎。俺だってこんな二人組が練り歩いてりゃ驚いて二度見するっての。
「わー、男子がメイド服着てる!」
って、知ってる奴かも知らない奴からも、先輩からも同学年からも後輩からも先生からも生徒以外からも、散々俺は言われまくった。それと同じ数だけ流星は、あの人超格好いいー! 似合いすぎ! って騒がれていた。たまにクラスに戻ってみると繁盛してたから、宣伝効果はアリと思っていいんだろうか。
変に照れると本当に恥ずかしくなる。だから俺は大股でズンズンと歩いて行った。でも、羞恥心は消えてはくれなかった。
「うう。すっげー恥ずかしい!」
「照れることないよ。似合ってるって、アキト。でも……できれば俺だけが、その姿を見ていたかったな」
「は?」
「ううん。何でもない」
いや、何でもないって。バッチリ聞き取れちまってるんだけど。ンな、少女漫画によくあるみたいな、突然耳が遠くなる系のヒロインじゃねえから俺。
ほら、漫画読んでると、あるだろ? 恋愛相手が、好きなんだよね的なことをポソッと言って。ヒロインはその台詞だけ丁度聞き逃す、っていうシチュエーション。今回の俺は、それに当てはまってねえから。「は?」って言ったのは聞き返したんじゃなくって、はあ? 何とち狂ったこと言ってんだよおまえ、って意味だから。
けどそんな台詞が出てくるなんて。流星って俺のこと……。そ、そうなのか? ここまでいかにもな展開を積み重ねてきたけどさ、ただ流れに乗ってるだけじゃなくって、本当に俺のこと好きなのかな?
ああ、俺、男に好かれてるかもしれないってのにリアクションおかしいよな。顔、熱い。でも仕方ないだろ。ここまで何度も漫画みたいなことがあって……このままだと流星が恋愛相手になっちまうってことを、俺は散々意識してきたわけで。でもって一つ何かが起こるたびに距離も狭まっていったっていうか。
つまり、流星と仲はいいし抵抗感はないし、意識までしちまってるって状態なのだ、今の俺は。もっとはっきり言うなら、最近はそういう意味でコイツのことが気になってる。だって放っとけないんだ。もっと関わりたいし、関われば気になっちまう一方なんだ。
なんてことも思いつつ、俺と流星は呼び込みを続けていった。すると『実行委員』って腕章をつけた女子生徒二人が、どうしようどうしようって言い合ってる場面に遭遇したのだ。ちっちゃいから一年生だろうな。文化祭の開始から六時間近く経って、現在は十五時前ってとこだった。
う。なんか嫌な予感がする。困ってるっぽい二人には悪いけど素通りさせてもらおう。
俺は口をつぐんで横を通過しようとした。だが、それが却ってまずかった。こっちが喋らないせいで、向こうの話し声がはっきり聞こえてきてしまったのだ。しかも俺と流星の目の前には、話し込んで立ち止まる生徒たちの群れがあった。RPGツクール製のゲームでさ、わざとらしく木が立ってて、どっかでイベントフラグ立ててくるまで通行を妨害されることってあるだろ? 一部の奴にしか通じねえ例えかな。とにかくそんな感じで俺たちは足止め食らっちまったのだ。
「十五時からのベストカップルコンテスト開始まであと五分もないよ。まさかこんなギリギリになって、参加するカップルの数が間違ってたことが分かるなんて」
「四組参加のつもりでプログラム作ってたから、三組じゃうまく進行できないよ。文化祭の最後の大イベントなのにどうしよう」
「誰か飛び込みで参加してくれるカップルいないかなあ?」
何なんだ!? この異様に説明的な台詞は! これが現実の会話なのか? しかも実行委員がイベント開始の五分前に廊下をうろついてるのってどうよ? 開催場所――確か体育館だったよな――に行ってなくていいのか? そもそも今時、ベストカップルコンテストが大詰めのイベントって、どうなってるんだよ俺の学校。クラス演劇とクラスバンドは必死で阻止した俺だがさすがに実行委員の企画までは止められなかったぞ。それにさ、百組参加してて数が一組違ってたっつーんなら分かるけど、三組しかいないのに数え間違ってたってどうしてだよ。
実行委員の女子たちがこっちを見た。あ。これ、言われる。
「ねえ、この人たち良くない?」
「うん。ネタっぽいカップルが一組いると盛り上がるかも……! あの、すみません」
「え? 何?」
最後の台詞は流星だ。おいおい、目の前であれだけ喋ってたのに聞いてなかったのかよ。もとい、少女漫画だったらここは聞こえてない方が『それっぽい』から、耳に届いてないことにされちまったのかな。流星って能力者なのか? 周辺一帯をレトロ少女漫画世界に引きずり込む、みたいなの。
「お願いします! ベストカップルコンテストに出てください!」
ここで女子は事情説明。流星はちょっとだけ迷ったけど、もうクラス展示も落ち着いた時間だしいいよー、と俺の意見も聞かずに承諾してしまった。
「良かったあ!」
ほっとした下級生たちを見ていると、待てよ俺は参加したくないぜ!? とは言えなかった。
こうして俺と流星は、最後の関門、ベストカップルコンテストに出場することとなったのだ。
*
飛び入り組として俺たちは参加した。もちろんネタカップルとしての登場だ。
数合わせ。人助け。この体育館にいるみんなだって、俺と流星がここに座ってるのは一種の冗談だって分かってる。
それを理解していてもやっぱり、恥ずかしい……。
体育館は大盛況だった。生徒も先生も八割ぐらいがこの場所に集ってるんじゃないか? ってほどの人数だった。保護者とか他校の生徒とかもたくさん来ている。客観的に見てそんなに面白いイベントか? カップルコンテストって。
ステージの上に俺と流星は座っている。一組目の彼氏と彼女が並んで座り、少々の間隔をあけて二組目、そこからまた少々あいて三組目。俺たちは四組目だった。彼氏、彼女の順でみんな座っているのだが、俺の位置は彼女側。女装してるんだから彼女役でしょ? と流星から言われてしまって、そちら側を担当することになったのだ。
女装してて、男同士でカップルコンテストに出てて、この注目度って。ああもう恥ずかしい。さっきから会場のみんな、こっちの方を見すぎなんだよ!
ちくしょう。あとはもう、どうにでもなれってやつだ。
開催の挨拶。参加カップルの紹介。俺ら以外の三組は普通の男女の恋人同士だった。ギャルっぽい子も、真面目そうな奴もいるけれど、こういったコンテストに参加するだけあって堂々としている。仲だって良さそうだ。紹介を受けて、二人で一緒に立ち上がって、ぺこり。マイクを渡されて二人でこしょこしょと相談しつつ会場の皆にご挨拶。リア充爆発しろ。
俺たちの番が来た。
「四組目はー、飛び入り参加! 二年C組の流星さん、橘さんのお二人です!」
ヒュー! って、会場が沸いた。うう。そんなに拍手しないでくれ……。俺はさっさと立ち上がって、ぺこってお辞儀して、さっさと座った。
「ちょっとちょっとアキト、まだ挨拶してないよ」
「いいって挨拶なんて、恥ずかしい」
「そんなわけにはいかないよ。ほら、立って」
流星に手を引っ張られて立たされる。
「おっとー! 彼氏が彼女さんの手を引いてます。こんなところで手繋ぎなんて、さすがカップル。飛び入り参加でもラブラブ度合いは他三組に負けてませんっ!」
マイクを持った司会者の女の子が余計なことを言っている。勘弁してくれ。会場のみんなも! 笑ったり手を叩いたり、そんなに面白いかよ!
挨拶して着席。早速次のコーナーが始まった。このカップルコンテストは、『二人の出会い』『お互いの好きなところ』『彼氏から彼女へ』『彼女から彼氏へ』という四つのテーマについて話したあとで優勝者を決めるという流れになっているらしい。さっき実行委員の子は、四組のつもりでプログラムを作ってたって言ってたけど、これなら三組参加でも良かったんじゃないか? 俺らは何の必要性があってここにいるんだ?
二人の出会い。前の三組がそれぞれ、嬉し恥ずかしといった様子で馴れ初めを披露していった。次は俺たちだ。始めにマイクを渡されたのは流星。
「えっと、転校早々遅刻しそうになっちゃったんですよね。それで走ってたら、道でアキトにぶつかったんです」
俺にマイクが回ってくる。
「俺もその日は遅刻しそうになってて、漫画みたいな話ですけど、えー、食パンをくわえてたんです、そのとき」
どっ、と会場が沸く。俺も他人の話だったら笑ってるわ。ネタカップルとしてコンテストに参加したからって、ベッタベタな設定を考えちゃってー、って感じでさ。でも困ったことに本当なんだよ。これ。
流星が俺からマイクを奪った。つっても力任せな感じじゃなくって、まるで指揮者が指揮するみたいに鮮やかな手さばきだ。
「そのときのアキトはズボンのホックが開いてて、パンツ丸見えで」
「あ! バカ! 余計なこと言うなよ! 喋るのやめろ、こらっ」
「スパイダーマンの柄でした」
「言うなっての!」
マイクの奪い合いになる。観客は大受けだが、俺は顔から火が出そうだ。
次、お互いの好きなところと嫌いなところ。これも俺より流星の方が先だった。
「アキトの好きなところはー、ノーコメントです」
焦らすみたいに語尾を伸ばして、何を言うのかと思いきや流星が告げたのはそれだった。ノーコメントかよ。いや、いいけどさ別に。ここでまた妙なこと言われたら堪んねえもんな。
次は俺。マイク奪って、こっちもノーコメント! って言い切った。なぜか体育館のみんなが笑った。何でだよ。
「おっとー。彼女さん、拗ねちゃいましたよ。いいんですか? 彼氏さん」
司会の女の子もおかしそうだ。なるほど、拗ねてるんだと思われて、それでみんなウケてるってことなのか。そんなんじゃないぞ俺は!
「すぐに怒るんですよね」
「怒らせてんのはおまえだろ!」
くすくすと声を立てながら司会の子と話す流星に、マイクもなしに言い返す。
そしてコンテストは後半戦へ。次なるテーマは『彼氏から彼女へ』だ。
「……で、エリちゃんと付き合ってて良かったなあって思いました。あの、これからも、よろしくお願いします」
「やだあ、ヤバい、ちょー照れるっ! やだー、もう!」
照れながらものろける彼氏と、同じく、照れながら喜んでいる彼女。リア充爆発しろ……もとい、微笑ましい光景だ。見守るお客さんたちも、ぱちぱちと拍手を送りながら、仲のいい高校生カップルに和んでる感じ。
流星にマイクが回ってくる。えー、と話が始まったところで、あれっ? と俺は違和感を持った。
だってさ、何か流星の奴、やけに真面目な顔と声だったんだ。えー、っていうたった一言にも、緊張が滲んでた。これから会見する政治家みたいな感じ。んんん? どうしてそんな、改まってるんだよ。って思ってるうちに話は進んでいく。
「実は、この場をお借りして、アキトに伝えたいことがあります」
立ち上がった流星はお客さんの方を向いている。俺は椅子に腰掛けたままでそれを聞いてる。
「アキトと出会うまでの俺は、自分のことを要らない奴だと思ってました。……親から捨てられて、親戚中たらい回しにされて。雨の日の捨て猫みたいなモンだって、そう思ってたんだよ。誰にも必要としてもらえない。濡れて凍えて死んでいく、それがぴったりなんだって」
え、え、何を言う気なんだ流星。見上げてみたら、流星は俺の視線に気づいて、微笑して頷いた。その一瞬だけ目が合って、すぐにまた流星は前を向く。
「でも……アキトは俺のことを、必要だって言ってくれた。それがすごく、嬉しかったんだ。ここにいてもいいんだって思えた。そしたら毎日が楽しくなっていったよ。転校してきてから、俺の毎日にはいつもアキトがいてくれた。俺はアキトに感謝してる。けど、それだけじゃない」
しんと会場が静まった。みんなが息潜めて、流星の言葉の続きを待っている。俺だってそうだった。
「俺はアキトが好きだ。この場を借りて告白させてもらうよ。俺と、付き合ってください!」
流星が俺の方を向いて、頭下げた。体育館内が沸き立った。キャアアア、ヒューといった歓声とどよめき。まるでライブ会場でアーティストが、次に歌う曲名を発表したときみたいな盛り上がりだ。
俺は……俺は、カアッて、首筋から上ってくる熱を感じていた。りゅ、流星、俺のこと好きだったのか! 疑ってはいたけれど、本当にそうなるととても信じられねえよ。本当に? 本当なのか? こいつ俺のこと好きだったのか? 何で? マジで? って。混乱、収まんない。
自分は要らない奴だと思ってたって。でも流星、おまえ女子に人気じゃん。キャアキャア騒がれまくってたし、告白だってされてたじゃん。でも俺の言ったことだけが心に届いてたっていうのか? 俺だけが、おまえにとって特別だって言うのか……?
「ま、まさかの告白です! 流星さんは橘さんのことが好きだった……! 橘さんは一体どうするんでしょうか? 次のテーマ『彼女から彼氏へ』は順番を変更し、四組目の橘さんからスタートしたいと思います!」
流星がはにかんだみたいに笑いながら、俺にマイクを手渡してくる。
あのさ! これ、公衆の面前で告る必要性あったのかよ!? ベストカップルコンテストに出場、そこで告白って、おまえは一体どこまで――いや、いいや、もう。
ガタンッ! って俺は勢いよく立ち上がった。息を吸う。
「俺も、好きだーっ!」
大声を出した。こういうのは躊躇っちゃったら言えなくなるから、敢えて思い切ったのだ。言い終えるなりすごく、ものすごく、恥ずかしくなってきたけどもうしょうがない。
ここまで来れば認めるしかないよな。
男相手に、こんな少女漫画みたいなことばっかり起こって我慢できるかよって、最初の頃には思ってた。だけどさ流星のこと、俺、結局好きになっちまったんだ。
あの雨の日、寂しそうだった流星のことを放っとけねえと思ったし、流星が楽しそうにしててくれると俺も嬉しいし。それは友達相手の気持ちじゃなかった。恥ずかしいけど恋なんだ。
俺たちみたいな経験をしてるカップルなんて、世界中探したってきっといないぜ? これがいわゆる運命の相手ってやつなのかもしれない。
少女漫画みたいな恋でも、いいよな。幸せなんだったらさ。
見つめ合う。照れ笑いする俺たちを、割れんばかりの歓声が祝福してくれている。拍手だってすごい。これだけ大勢の前で告白なんて恥ずかしい。
「ありがとう……アキト。これからもよろしく」
「こちらこそ」
俺たち二人して頬が赤い。自分の顔は見えないけど、たぶん間違いなく俺だって赤面しているはずだ。他の参加カップルたちも、おめでとうー! わあすごい! と温かく祝ってくれていた。
ベストカップルコンテストはそのまま、俺と流星が優勝となった。最後に手を繋いで立ち上がり、会場のみんなにお辞儀をした。
こうして俺と流星は付き合うことになったのだ。
*
「ふー……! やっと脱げたぜ、メイド服っ!」
文化祭の終了時刻になった。取りあえずは片付け、それが終わったら打ち上げのキャンプファイヤーだ。
クラス展示が終わればようやく俺だって着替えることができる。ああ、半日ぶりの制服が嬉しいぜ。
「せっかく似合ってたのに残念だね」
って流星は、冗談なんだか本気なんだか知らないが惜しんでいた。
あれからは周りから祝われたり冷やかされたりしまくって、何だか一生分照れた気がする。けど、何にしろ、付き合い始めたんだよな俺たち。
「ねえ、お二人さんでゴミ捨て行ってきてよ」
片付けの途中で女子から頼まれた。まあ両想いになったばっかだし、二人になりたいって気持ちだったから丁度いい。ゴミ袋持って一階のゴミ捨て場へ。着いてみるとそこには誰もいなかった。他のクラスだって片付け中のはずなのに、こんなにひとけがないなんて変なの。
せっかく他の奴がいないのだ。片付けをサボるってわけじゃないけど、俺らはそのままゴミ捨て場で喋っていくことにした。話題は勿論、付き合い始めたことについて。
「おまえさ、あんなときに告白するのやめろよ。普通は一対一でするもんだろ、告白って」
「今がいいタイミングかなって思ったんだよ」
「思うなよ」
軽く突っ込んでやったら流星が笑った。反省ゼロだ。
「実はさ、アキト。俺がこの学校に転校してきたのはアキトに会うためだったんだよ」
「え? そうだったのか?」
初耳だ。何それ。コテコテの少女漫画みたいな展開を重ねてきたから、もはやそこまで驚きはしなかったけど、それでも意外なことには変わりない。
「そう。俺はアキトに会わなきゃいけなかったんだ。でも顔は知らなかったから、転校の初っ端、ぶつかったりパンツ見たりしたのが会うべき奴だったって知ったときには驚いたよ。正直、最初は決められた運命に反発してた。けど……段々運命とか関係なしに、好きになっていった」
「それはどうも」
好きって言われて心が騒いで、でも素直に嬉しいとは告げられなくって、素っ気なく返してしまう。
「何で俺に会わなきゃいけなかったんだよ?」
尋ねてみれば流星は真剣な顔つきになった。
「うん。実はそれが、俺が親に捨てられた理由でもあるんだ。世の中には実は男と女以外にも性別がある。その中には差別されてる性別がある」
性別? ん、んんん? あれれ、ちょっと待てそれ、どっかで聞いたことあるような気がするぞ。
「アルファ、ベータ、オメガ……。その中でアルファとオメガはつがいになる」
「ここまでレトロ少女漫画展開だったのに、どうしてそこだけ現代風なんだよ!?」
ぎょっとした。そんな俺には構わず、流星は更なる衝撃発言を続ける。
「オメガっていう性別は差別される。俺はそれなんだ。そしてアキト、おまえが俺のつがいのアルファ」
「おまえの方がヒロイン側だったのかよ!」
俺の大声が、ゴミ捨て場内にこだました……。
<END>
ご覧くださり誠にありがとうございました!