浮気
妻とはセックスレスだ。
なにがあったというわけではなく、二十代半ばに出来た二人の息子娘も中学にあがり、そこはかとなくそういう雰囲気が出来上がっていた。長い時間のうちに深く家族の絆を結んでしまった女と機会を作るのは難しいのだ。
朝早くに出勤し夜遅くに帰宅し既に眠る妻の横で静かに目を閉じる。家族七人を養う一家の大黒柱としては申し分のない所行、妻も満足しているようだ。
だがしかし、私は男であった。
携帯に届いたメールを思い出しながらつくづく思う。
なんとなしに着た宣伝メールから入った出会い系サイトをきっかけに、私は現在たくさんの女性と交流をしている。そして今度、ついにその中の一人と出会う約束を結ぶことに成功した。
今時らしく西洋風の可愛らしい名前を持つ女子高生だ。アンジュちゃん。付属の写真はアイドルのようにいつも可憐。私は今日、彼女と会う。
温かい風呂で身を清め終わると、気合いを入れて冷水をかぶり、私は風呂から上がった。息子の部屋から拝借した香水を首筋にかけ、ブリーフではなくトランクスを身につける。最後にクリーニングから戻ってきたばかりのシャツとスーツに袖を通した。
完璧だ。私は意気揚々とリビングへ戻った。
「あらお父さん。休日なのに随分しっかりして」
妻に呼び止められて私は脳内脚本を開く。
「今日はお得意さんとゴルフなんだよ。清潔にしないと印象が悪いからな」
ふぅんと妻は相づちを打つと、朝食を次々並べ始めた。私も手伝う。と、妻がやけに明るく、ネェ、と開口した。
「アンジュちゃんめぐみちゃん早由利ちゃん有希子ちゃん加奈子ちゃん、今日は誰と会う予定なの?」
瞬間、リビングが北極に変わる。
「なんっ、なのことだねお母さん」
舌を噛み上擦る。予定にはない混沌とした展開のさなか、妻はポケットから私の携帯を出した。反射的に充電機を確認。無い。ガッデム。
ビシリと時空がひび割れる音を聞きながら私は、来たる修羅場に震え、青ざめながら妻の顔を伺った。
「はい」
が、これまた予想外にも、妻はなんともないという風に私に携帯を返してくれた。
拍子抜けするほどの態度に、思わず携帯と妻の顔を交互に見やる。妻、まったくの平常心。
「ねぇ、めぐみちゃんにメールを送りなさい?」
「は?」
「良いから送りなさい?」
珍妙な威圧感に押されて、私はすぐさまアドレス帳を起動し適当な本文を打ち、送信した。
軽やかなカノン。妻はもう片方のポケットから携帯を取り出すと、二つ折りのそれをパチリと開いた。
「ありがとう。メールくれて」
………………あぅ?
あまりの出来事に私は愚鈍な呻きを喉から絞り出す。つまり、浮気がばれたどころか、これは。
「めぐみちゃん?」
妻がにこやかに、邪悪な笑みを放ち私を貫く。が、悪夢はここで終わらなかった。
私の携帯が激しく振動した。受信。メールだ。差出人は、早由利ちゃん。
「お父さん、届いた?」
扉の影から娘が手を振る。
振動。受信。有希子ちゃん。
「おやじ、バカだよな」
息子、ソファに座る。
振動。受信。加奈子ちゃん。
「まったく、アンタって子は」
母、呆れながらキッチンから出る。
私は一人、北極化したリビングで、頭にかじりつく白クマに身を委ねながら、思った。もう二度とセックスは出来ないだろう、と。
随分と手の込んだ息子のイタズラに見事引っかかり、ドツボにはまり、懲らしめられた私は今、謝罪の意を表す家族旅行のために深夜の短期バイトをしている。睡眠時間は三時間ではあるが、あの瞬間を思い出すと睡魔は瞬時に消滅する。
私は成長した。コンビニ弁当を温めるのが少し巧くなった。休日は家にずっといる。
だが最近、涙が止まらない。何故かは考えないようにしている。
妻とはセックスレスだ。
アンジュちゃんは父だった。
2007年作成。