僕は、今の日常に辟易としていた。
学校ではいじめを受け、家庭では暴力を振るわれ、ならばと家出をすれば己の弱さを知り直ぐさま引き返し、果てには引きこもってもみたがやはり耐え切れず断念した。
当然、自殺も試みた。首吊り、リストカット、毒物、練炭、飛び降り。様々なものに挑戦した。ここまでの死にたがりも稀だろう。
だがどれも失敗した。首吊りは紐では無理だった。リストカットは鋏の刃が錆びていて切れなかった。毒物はせいぜい殺虫剤の入手がせいぜいで、しかもいつの間にか母親が普通に使っていた。練炭はまず初老の店員が勘付いて買わせてくれなかった。飛び降りに至っては、階段の十段目くらいが僕の関の山だった。
そのおかげで、自殺なんて金輪際考えないことにした。どうせ失敗するのだ。それにいじめを受けるくらいの僕なんだ、なにか画期的な方法があったところで逃げ出すに違いない。
だから、僕はプラス思考に目覚めた。ネガティブに考えていても仕方がない。物事を幸福に向かわせるんだ。
そうして僕は思いついた。
竜宮城にでも行こう。
後になって思ったが、この時既に僕は、何もかもがどうでもよかったのかもしれない。
それはさておき。僕の家は幸い、海の近くに建っている。希望に胸を踊らせ、僕は海岸へ向かった。
するとなんと、海亀が子供たちにいじめられているではないか。
喜び勇んで僕は子供たちを叱りにいった。そして明らかに欝陶しそうな子供らに、僕はこんこんといじめを受ける苦しみを説いてやった。ああ、見事なまでの正義。なおかつ男気。終いには人生の厳しさについても熱く語っておいた。
小一時間説教し、子供たちを帰した。子供たちはぽろぽろと涙を流していた。余程感動したんだと僕は納得し、早速亀に竜宮城へと連れていってもらった。
意外に亀は速く、しがみつくのは至難の技だったが、幸せになりたい一心で僕は必死にしがみついていった。これも幸せのため、幸せのため、と。ちなみになぜか息は普通にできた。亀パワー万歳である。
そうして着いた竜宮城。そこはまさに天国だった。
たくさんの綺麗な女の娘にお姉さん。色とりどりの美味しそうな食事。圧倒される美麗な景観。その全てがまるで夢のようで、何度も僕は頬をつねったものだ。そして毎度現実なんだと実感する。
見た目が天国ならば、その中身も天国だった。
まさに至れり尽くせり。側には十人単位で女の娘にお姉さん。露出度の高いその衣裳は魅力に満ち、顔が伸びるんじゃないかという程に鼻の下が伸びた。その方々はお酌なんてものではなく、食べ物は全てあーんで食べさせてくれた。そして食事中は常に手足肩とマッサージ。ツボを的確についてくれるので、心地いい事このうえない。
もう語り尽くせない程に至れり尽くせりだった。ただ亀を助けただけでこれとは、世の中ちょろいものである。
こうして僕は、たっぷり一年間、遊び倒した。不思議と体型は変わりなく、むしろ逞しくなっているくらいだった。加えて顔もまるで別人のように格好よくなっていた。竜宮城、おそるべし。
そろそろいいかな、と僕は帰ることにした。外では数十年経っているはずなので、もういじめを受けたり家庭内暴力に震えることもない。
竜宮城総出の見送りの時、やはり乙姫さまが僕のところへやって来て、やはり少し大きめの箱を僕に差し出した。
僕にそれを渡すと同時、乙姫さまはお約束の台詞を言った。
「お土産として、これをお持ち帰りください。しかし、それを開けてはなりませんよ」
と。
そんなことは解っている。だから僕は、事前に策を練ってあるのだ。
それを受け取り、挨拶もそこそこに僕は地上へと戻った。また亀にしがみついてだが、逞しくなった身体では驚く程に楽だった。
そうして僕は地上へと戻った。さぞかし辺りも変化しているだろうと思ったが、なぜかまるで変化がない。街へ戻ってもそれは同じで、家並みも全くもって変化ない。
不思議がりながらも帰宅すると、やはり母親は変わっていなかった。しかし、
「今まで一年も、何処に行ってたの!? 心配、したんだからね・・・・・・」
と泣き出した。どうやら普通に一年しか経っていなかったようで、世間では僕は行方不明ということになっていたようだ。
だがなかなかにそれもいいもので、それから母親も父親も僕に暴力を働かなくなった。いい薬になったものらしい。加えていじめもなくなり、普通の学校生活も手に入れた。やはり竜宮城は、色んな意味で天国だった。ただ、誰も僕の顔が変わったことには気付かなかったけれども。
それから、六十年が過ぎた。
あれからは普通に生活し、妻もでき、子供も男女二人でき、普通に幸せな生涯を生きた。
もう子供たちも独立し、孫もいる。人生に悔いはない。だから、僕は玉手箱を開ける事にした。
そう、事前に練った策とは、人生が終わる直前に玉手箱を開けるというものだ。これならこれ以上老ける事もないし、たとえ老けたところで死期が少し早まっただけの事だ。
そして、僕は玉手箱を開けた。
すると、もくもくと白い煙が上りはじめた。さあ、くるぞ。一体何が入っているのだろうか。童話ではそこが語られていないので、そこが唯一の謎だ。
しかし、出てきたものは、僕の予想を大いに裏切った。
「なぜ、こんなにも待たせたのですか?」
そう言って玉手箱から出てきた乙姫さまは、痩せ細った老人の僕に寄り添った。 |